君が一秒笑えば世界は一秒平和になる
中学一年の夏。
間宮あんな13歳。
ここは教室。空は晴れていて入道雲が見える。蝉が大合唱のごとく鳴いていて窓越しでもよく聞こえる。
暑かった。喉が渇いていた。
夏が嫌い。暑いのが嫌い。蝉が嫌い。こいつらが嫌い。自分も嫌い。
今でこそ感じられるようになったが、
この頃の私はまだ夏の情緒なんて全くもって感じられなかった。
蝉なんてうるさいからさっさと死んでくれないかなぐらいに思っていた。
今なら尊くさえ感じられるのに。
入学式からしばらくして、私はクラスで浮いている存在になった。
夏になる前にはすでにいじめが始まっていた。
そんな私は今日もいじめられている。
手こそ出されなかったが、毎日のように「死ね」「キモい」「消えろ」そう言われた。
主犯は二人の男子生徒。
さいとうゆうき。ましろたかと。
その二人を筆頭に、男子達に囲まれて暴言を吐かれたこともある。
仲のいい子も、隣の席の子も、先生も、誰も助けてはくれない。
助けてくれないなら敵だ。
一度だけ先生に相談したことはあるけど、上手くはぐらかされて終わった。
あー、こいつら死んでくれねーかなぁ・・・。
この時、産まれて初めて殺意という感情を抱いた。
頭の中で警鐘が鳴っていた。
まるで、大津波が来る前の浜辺に立っているような。
頭の中で何かが壊れる音がした。
全てをぶっ壊したくなった。
学校中の窓ガラスを金属バットで粉々に割りたい気分になった。
周りの人間は全て敵だ。男も女も全部、全部敵。
クラスの中で仲良くしてくれてる友達も裏では分からない。
人が信用できなくなり段々と疑心暗鬼になっていく。
隣のクラスの人も、その隣のクラスの人も全員敵なのではないか?
教室を出ても、廊下を歩くたびに悪口を言われている気がした。
周りの人間からドス黒いモヤが見える気がした。
目線も、口の僅かな動きにも怯えた。
今でこそ人目を気にしないでいられているけど、当時の私は周りの目ばかり気にしていた。
トイレの中だけが安息の地だった。
トイレで食べるのだけは渋っていた為、食事だけはなんとか教室で取っていた。
トイレを占領するのも気が引けたし、出てきた時に指を刺されるのが嫌だったから。
教室に入ると周りの人達の話し声が聞こえる。
うるさい。うるさい。うるさい。周りの声は酷いノイズだ。
あー、早く死んでくれないかなぁ。不慮の事故とか突然の病とかさぁ。
理由は何だっていいんだ。
いや、この際だから死ななくてもいい。私の視界から消えてくれればいいや。どこか遠い場所に転校してくれたら。
いや、こいつらが居なくなったら居なくなったで残っている人達の中からいじめてくる人が現れるかもしれない。
そうだ、いじめられるような私が悪いんだ。
上手く話せなくてクラスに馴染めない私が悪いんだ。
そうなってくるとここにいる全員が敵。全員いなくなって欲しいとさえ思う。
あーでも、こいつらを片っ端から殺すより、こいつらを呪って死んでくれることを待つより、こいつらがこの場所からいなくなることを願うより、
私一人が死んじゃった方が早いなぁ。
頭の中でそう呟く。
あ、あそこの窓から私、飛んでいけるかな。
ふと窓の外を見ると空の上を飛んでいく飛行機が見えた。
私もあの飛行機みたいに飛べたらいいな。一箇所に捉われず、自由にいろんな場所に行けたらいいな。
若さゆえに逃げるという選択がなかった頃、ギリギリまで私は耐えるしかなかった。
いじめられながらそう思った時、鳥が一羽、窓の枠の部分に止まる、しかし、怪我をしていたのか弱々しく下へと落ちてしまった。
鳥は落下した衝撃で地面に叩きつけられぐちゃぐちゃに潰れて死んだ。
一瞬で何の鳥かはよく分からなかったけど、オリーブ褐色の羽だった。
クラスの人達はそれを見て笑っている。
「鳥のくせに飛べないのかよ」とか、「弱っちーから敵にやられたんだろ」とか。
好き勝手言うなよ。お前らにあの子の何が分かるんだよ。
怪我して飛べなくなったんだよ。飛べないから休む力もなく落ちたんだよ。
可哀想だ。
間宮は自分と鳥を重ね合わせていた。
状況は違えどあの鳥は私と同じだ。
私の足は教室の窓ガラスの方へゆっくりと向いていた。
椅子から立ち上がり、一歩、また一歩と自分の座っていた席から窓ガラスに近付いていく。
私の席は教室の左側の真ん中にある一番前の席だ。
強い度入りのメガネをかけるほど目が悪いのでいつも一番前にしてもらっていた。
それでも見えない字があるほど目が悪かった。
その間も悪口はずっと止まらない。
そして私は窓ガラスを開け、足をかけた。
ここは三階だ。飛び降りればまず助からない。
私みたいなこいつらにとっていらない人間でも目の前で死ねば一生トラウマを植え付けることができる。
まぁ、中にはのうのうと生きていける頭の薄っぺらい奴もいるかもしれないけど。
そんな皮肉が脳裏をよぎる。
あぁ、違う。こいつらは自分達が悪いなんて微塵も思わない。
あの鳥みたいに私も笑われるんだ。弱いから死んだと。
でも、もうそれでも良かった。
私と似た境遇のあの鳥が、仲間みたいに思えて嬉しかったから。
その鳥からしたらこんな私なんかと勝手に仲間にされて大迷惑な話だ。なんかごめん。
クラスの人はさすがに緊急自体だと騒ぎ始める。
いじめていた人達もこれはヤバいことになったと慌て始めた。
間宮「そんなに消えて欲しいなら消えてあげるね」
私はそう言ってニコッと笑ったあと、空へ向かって飛んだ。
その瞬間、悲鳴が聞こえた。
その声はやけに遠く聞こえる。
頭から真っ逆さまに地面に向かって落ちていく。
もしかしたら空を飛べるかもなんて妄想を膨らましていたけれど、
当然ながら人間は重力には逆らえない。その現実を叩きつけられた。
もう、全部どうだっていいや。私、今まで頑張ったよ。
頑張って耐えてきたよ。
毎日毎日、お腹痛いのを我慢して登校してさ。
耐えて耐えて耐えて。でも、もう限界なんだよ。
バイバイ、いじめっ子達。バイバイ、クラスの皆んな。バイバイ、偽りの友人達。バイバイ先生達。
バイバイ、えみこ(別の学校の親友)。
バイバイ、お母さんお父さん。
クラスに馴染めなくてごめんなさい。
こんな私でごめんなさい。
産まれてきてごめんなさい。
私じゃなくて明るくて元気で誰からも愛される、そんな女の子が良かったよね。
ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
落ちて落ちて落ちていく。その速度はやけにスローモーションに感じられた。
断罪の言葉と共に私の体はそのまま頭から地面に叩きつけられ、足も腕も首もひしゃげて、そして死んだ。
痛みも苦しみも感じることもなく。あっけなく死んだのだ。
この日、一人の女子中学生の死体と一匹の鳥の死体が地面に並んだ。
左側に鳥。右側に私。互いの血が地面に滲んでいき、僅かにその血と血が繋がった。
目を開けると、真っ白な空間にいた。
あれ?私、死んだはずだよね?
ここはどこ?天国?いや、自殺したのだから地獄に行くはずだ。天国になど行けるはずがない。
いやいや、そもそも天国や地獄なんてあるのか?
神様「君はまだ成仏していないよ」
不意に後ろから誰かに声をかけられる。
間宮「え・・・あなた誰?ここはどこ?」
神様「ここは成仏する前の入り口といったところだね、それと私は神様だよ、おっと、そんな目で見ないでおくれよ」
私は無意識のうちにじと〜っとその人を見ていた。
間宮「す、すみません」
私は相手を不快にさせてしまったとすぐに謝った。
神様「いやいや、いいんだよ〜」
確かに見た目はそれっぽい。
長い白髪に白い髭。白い衣服。歳は亡くなったおじいちゃんと同じくらいかな?羽が生えていていかにもという感じ。
たぶん、アニメとか映画だったらこう描くんだろうなと思う。
スッと現れたのは神様と名乗る人物。
しかし、話し方がやけに軽い。見た目からしてもっとこう重厚感ある感じで喋るのかと思った。
正直、これはかなり嬉しい。
夢だとしても、私自身、ファンタジーが大好きなのでむしろ光栄とも言える状況だ。
あぁ、だったら一生この夢から醒めないで欲しいな。
この神様とやらの話によると、いじめっ子達の前で飛び降り自殺した間宮は幽霊になっているらしい。
一度だけあの日に戻り、やり直せると神様に言われたが、間宮はこのままでいいと断った。
神様「まぁまぁ、そう焦んなさんな、もうちょっと考えてみてたらどうだい?どの道まだ時間はあるしさ」
しかし、この神様とやらによると人一人を成仏させるには色々と準備が必要なようで、今すぐにはどのみち成仏できないと言われ、しばらく待たされることになった。
その間、自分が死んだ後の周りにいた人達の反応を見に行くことにした間宮。
どうせ誰も悲しんでいないだろう、気にもしてないだろうと思っていた間宮だったが、
自分が死んだことで悲しむ人の姿を目の当たりにした。
両親とえみこだ。私の葬式で泣いていた。
両親は悲鳴にも似た泣き声で、えみこは迷子になって泣きながら母親を探す子どものように。
更に、いじめに全く関与していない人の中に、心に傷を負わせてしまった人達がいた。
いじめっ子達は、しばらく停学になったもののすぐに学校に戻って来た。
人一人をを死なせたとは思えないほどいつも通りにケラケラと笑っている。
それは別にどうでもいいし予想通りだ。
でも、両親は?えみこは?いじめに関係なかった人達は?
私は悔いた。
そして成仏できる少し前、私は生き返ることを決意した。
神様「そうかい、君はやり直す道を選んだんだね」
間宮「はい」
神様「戻ったら、いっそ、ぶん殴っちゃえばいいよ」
神様は人差し指を立てて見せた。
間宮「え?」
おいおい、神様がそんなこと言っていいのか?
神様「一発くらいヘーキだって、いつも大人しい君が反抗したら周りの人達もビックリするんじゃないかい?」
神様は、まるであらやだと言いながら手でお辞儀をするおばちゃんのような仕草をした。
間宮「か、考えときます」
神様は私がそう言うとカラカラと笑った。
そして私はあの日に戻った。
確かこの時間だ。
私は急いで窓の方へ向かう。
いじめっ子達が何やら喚いてるがそんなことはもはやどうでもいい。
近くに寄ってきて言い続けたので、私は無視して通り過ぎ、窓ガラスを開け、落ちかけた鳥を助けた。
鳥を抱えたまま歩く。
一瞬、私の不審な行動に動きも止まっていたいじめっ子達だったが、鳥を抱えた私が教室の外まで歩こうとするのを見て、私と鳥の悪口をわーわー言い始めた。
こいつらは私の行動が異様に感じたのだろう。
「うわ何だその鳥汚ねぇ!!」「きっも!!」
今までのように悪口を無視しようと思っていた。
でも、私のことはともかく、この鳥の悪口を言うこいつらが許せなかった。
「君が反抗したら」、神様の声が脳内に再生された。
私はついにいじめっ子達にブチ切れた。
その日、私は産まれて初めて反抗した。
あーあ、今まで親にも教師にも反抗したことなかったのに。
このままいい子ちゃんでいたかったのに。
全部台無しだ。
間宮はいじめっ子のうちの一人の机を勢いよく蹴り飛ばした。
いじめっ子達はいきなりのことでポカンとしている。
瞬間、またわーわーと吠え始める。
私は主犯である二人の名前を呼んだ。いや、呼んだとうより叫んだと言った方が正しい。
間宮「さいとうゆうき、ましろたかと!てめぇら毎日毎日毎日毎日、ごちゃごちゃうるせぇんだよ!!目障りなんだよ!今度私に近付いたらこの切れ味の悪いカッターでその喉笛掻き切ってやるからな!!」
間宮は片手で鳥を抱えたまま、自分の筆箱からカッターを出して手に取り、刃を出すといじめっ子達に向けて言った。
あーあ、やっちゃったよ。終わった。
その後、いじめっ子達は私に怯えて近寄らなくなり、仲良くしていた子達とも距離を置くようになった。
私はというと、退学にはならなかったものの、停学になった。
当然だ。いじめっ子達に向けてとはいえ、クラスメイトにカッターの刃を向けて、挙げ句の果てに喉笛を掻き切ってやる、なんて叫んだのだから。
幸い、私は相手に直接怪我を負わしてはいなかったので、警察沙汰にはならなかった。
後悔はしていない。
現に学校に戻ってからは完全にひとりぼっちになったが、清々しい気持ちで過ごした。
あー、清々する。
別の中学に通っているえみこには何故かかっこいいと絶賛された。
家族の反応は、やり過ぎだと言われたが、
その後で、でも、やっと抗えたのかと言われた。
反抗期がなくて心配していたらしい両親はホッとした様子だった。
この二人もあの神様並みにあっけらかんとしてんなぁ。
ちょっとどうかと思う。
生きる意味があるとその概念に縛られて身動きが取れなくなる。息苦しくなる。
だから私はこのままでいいんだ。
生きる意味も、産まれてきた意味も必死に探しそうとしてたけど、そんなものなくて良かったんだ。
だって生きる意味に縛られて生きたくはないから。
家族がいる。学校は違えど親友がいる。その人達が笑って過ごせていたならそれでいい。
それでいいじゃないか。
夢も希望も、沢山の友達も、生きる意味も、産まれてきた意味も、なくていい。
私の死を悲しんでくれる人達が生きていてくれたらそれでいい。
私の死を悲しんでくれる人達が笑っていたらそれでいい。
停学が終わると、私は真っ先に保健室に向かった。
間宮「先生、瑠璃の様子どうですか?」
保健室の先生「傷はもう大丈夫よ」
私が助けた鳥はルリビタキという珍しい種類の鳥らしい。
あだ名を先生と二人で決め、瑠璃と名付けたのだ。
先生は私のした事を特に気にしていない様子だった。
間宮「ありがとうございます先生」
先生「間宮さん、この子を助けてくれてありがとうね」
間宮「いえいえ」
瑠璃は時々、保健室に遊びに来てくれた。
先生が部屋の換気の為に窓を開けると入ってくるようになったのだ。
日が経つにつれ、段々と瑠璃の羽の色が変わっていく。
間宮「あれ、羽の色、青色になってきてますね!」
先生「そうなのよ、ルリビタキの雄は若い頃はオリーブ褐色なのだけど、歳を重ねてくると青色に変わるのよ」
間宮「へぇ、そうなんですね!先生詳しいですね」
先生は大の動物好きで動物の生態をよく調べている。
間宮「ふふ、調べてみたのよ、それにしても青い鳥か・・・幸せを運ぶ青い鳥なんて言われているし、間宮さんのところに幸せを運んでくれるのかもしれないわね
」
間宮「え?先生のところにじゃないんですか?治療をしてくれたの先生ですし」
先生「まぁ、ありがとう、間宮さんは優しいのね、
大丈夫、きっと私にも間宮さんにも幸せを運んできてくれるわよ、ねー?」
そう言って先生は瑠璃に話しかけた。
すると瑠璃は返事をするように「ピィ」っと可愛らしい声で鳴いた。
瑠璃はまるで笑っているようにも見えた。
もうその可愛らしさだけで充分な気がした。
瑠璃が一秒笑い、私の世界が一秒平和になったのだから。