precious
とどめおきてだれをあわれと思ふらむ子はまさるらむ子はまさりけり── 和泉式部 (『後拾遺和歌集』より)
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最初はただ、子どもらしい突拍子もない問いだと思った。五歳児の世界は不思議に満ちていて、素朴な問いから答えに詰まるものまで、気になることは何でも聞いてくるのが日常茶飯事だったから。
風ってなにでできてるの?
トンボの家はどこ?
ばあばのお母さんのお母さんのお母さんは誰?
自分が子どもだった頃、そういった質問をすると決まって母に軽くあしらわれ、子ども心に苦々しく思っていたのに、いざ自分がその立場になると、母の気持ちがなんとなく分かってくる。こんなにも質問責めにしていただなんて、あの時は知らなかったのだ。
その夜も、わたしがソファーで寛いでいると、夫とお風呂から上がってきた秋が、ほかほかと温まった体をピトっとわたしにくっつけて、こちらを見上げ唐突に疑問を投げ掛けた。
「あきがとってもとってもおじいちゃんになって、ママのお腹に戻ったあとはどうなるの?」
記憶はなくとも母親のお腹にいたことを知識として得ていたからなのだろうか。その発想にわたしは思わず目を丸くして驚く。
秋は老いることを赤ん坊に戻っていくことなのだと解釈しているのかもしれない。そうだとすれば、それは子どもながらになかなかに鋭い。
しかし、自分が赤ん坊に戻るのならそこには母親であるわたしがいて当然だとするところが、彼のまだまだ無邪気なところだろう。
わたしは感心しながらも、しみじみとその言葉を噛み締める。
いつかは、この子も老いるのだろうか。
白目と黒目のはっきりと明るいこの幼子の、少年期も青年期もまだぼんやりとしか思い浮かべられないのに、更に老いた姿などわたしはちっとも想像出来ずにいた。目の前のすべすべとした頬っぺたは、想像ですら皺を刻むのを躊躇わせる。
「産まれたらね、もうママのお腹には戻れないんだよ」
まだ湿った髪をそっと撫で、どうにかわたしがそうこたえると、秋は不思議そうにこちらを見つめて、フイ、と顔を逸らした。
視線はもうつけっぱなしのテレビの方に向いている。
一応の返答が得られて満足したのだろう。この気の変わりの早さといったら、いつまでも小さなことでぐじぐじと悩んでいる身としては見習いたいぐらいだ。
丸みを帯びた秋の横顔を見つめ、わたしは小さく苦笑をもらした。
それは、そんなふうにほのぼのとした日常の一頁として終わるはずだった。
けれど、わたしはなぜか秋の言葉が頭から離れず、家族が寝静まったあともその台詞が何度も脳裏を過り、どうにも寝付けずにいた。
布団の中でたまらず寝返りを打ち、隣で健やかな寝息をたてる秋のふっくらとした手を握る。
新生児の頃の双葉のように頼りなく小さかった手は、いつの間にこんなに大きくなったのだろう。手のひらの奥のしっかりとした骨の硬い感触に、わたしは秋の確かな成長を感じ取り目を細めた。
秋の言うところの、秋が『とってもとってもおじいちゃんになる頃』には、わたしはもうこの世にはいないだろう。
それが順当な未来図だ。
それなのに、年老いた秋が闇のなかで幼子に戻り心細さに泣く姿が浮かんでは消え、胸がぎゅうっと締め付けられる。
その時、わたしはそばにいてあげられない。どんなに秋がわたしを呼んでも、抱き締めることも、大丈夫だと声をかけることすら叶わないのだ。
その苦しさに、ふと、わたしは母の顔を思い浮かべる。
わたしもその時になれば、子どもに返り母を恋うのだろうか。
母の腕を、母の体内にいた頃の羊水の温もりを、求めるのだろうか──。
でも、秋。
可愛い秋。
秋が泣いていると思うと、わたしのなかの海が波打つ。
命とはこんなにも抱き締めたいものなのか。
この身が消えても、寂しくないようずっとずっと、抱き締めていたいものなのか。
産まれ、生まれて、生きていく子よ。
この手が、切ないほどに愛おしい。
闇夜のなかで一際明るい秋の寝息に、耳をすませる。
わたしは目を閉じて、それを追いかけながら、優しく重ねるように息を吐いた。