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即身像  作者: 面映唯
第二章
33/48

 子どもの頃から体は丈夫だった。正直、二歳とか三歳の頃の記憶はない。でも物心ついて少し経った頃ぐらいのことは薄っすらと記憶として思い出せる。 その頃のあたしについて説明できることがあるとすれば、無邪気で無敵だったということ。遊ぶにしても何にしても、大概のことは気分がよかった気がする。


 要するに、何事にもポジティブに向き合っていた。 昔、母が話していた。あたしは泣かない子だったと。でもそれは言葉尻だけ捉えて言えば、公共の施設で泣きじゃくって母があやすこともなく楽、という印象だが、実際は違った。泣かないのは、痛みを知らなかったからだった。


 人が楽しくないと思うことでも、あたしは楽しかったのだろう。お化け屋敷に入っても、怖いという感情は自然となかった。寧ろ好意的で、もっと、もっとあたしを驚かせてくれ、そんなことを思っていた気がする。


 おまけに、怪我という概念もなかった。膝を擦りむいたことに気が付かず、家に帰って母の驚いた顔は何度も見た。そんなに驚くことじゃないのに。膝からたらたらと足の甲に向かって垂れる血液は、そんなに驚くようなものなのだろうか。不思議だった。


 成長するにつれて、あたしが人とはどこか違うということに気づいた。それは母からの指摘でも、学校の先生から聞いたものでもない。なんとなくわかるのだ。周りで行儀よく座って先生の話を聞く生徒たちを眺めるたびに、自分だけが行儀よく座っていないこと、座っていてはいけないという疎外感、それらが自分の異質さを浮き彫りにしていた。あたしの違和感は募っていった。


 ――なんで赤の他人の言うことを行儀よくはいはい聞けるの?


 自分の中で、本質的な何かが確立し始めていた。中学に上がった頃だ。歴史の授業中にそれは完全に花となった。小さなつぼみがぱっと開くような、納得したときの快感。納得の快感の比ではない快感、恍惚。川中島の戦い。四次の屏風絵。先生がプリントを配り、そこに載っていた白黒のそれは、あたしの心の奥底から悍ましいほどの雄叫びをかき鳴らした。 ずるい。どうして。なんで。 なんであたしはこんなに恵まれていないんだ。 好奇心が旺盛だったのかもしれない。歴史オタクみたいに、単に興味本位とか偶々惹かれただけだったのかもしれない。白黒のプリントに映る彼らに、嫉妬した。


 その日からだ。あたしが世間的に異常だと見られる行動に出始めたのは。


 家に帰ってすぐにパソコンの電源をつけた。


 調べようとしたのは武田信玄でも上杉謙信でも山本勘助でもなかった。 キーボード操作に慣れていないあたしは、人差し指で必死に文字を叩いた。S、I、T、A、I。なぜそのアルファベットを当時のあたしが叩いたのかは今でもよくわからない。言えるのは、なんとなく頭に浮かんだ言葉だったから。インスピレーションみたいな、何か初めて見たときに発想されるもの。戦国時代の屏風絵を見て、それが、死体、だったというだけの話だ。林檎の絵を見せられて、赤色、と想像するのと同じ。林檎の絵を見せられて、血液、と想像するのと一緒。ありきたりな日常の思考回路の一片だ。


 その頃のネットは非常に規制が緩くて、調べていくうちに様々な死体と出会った。飛び降り自殺をした青年の頭はへこんでいた。割れていた。脳味噌はどろどろしていた。猫の死体写真はごまんと出てきた。腹のあたりから腸がただれている。あやまって焼身自殺を図ってしまった中年の小太りな男の肌も、ただれていた。黒ずんでいた。まるで秋刀魚を炭火焼きしたときの鱗のような色。面白いのが、普通に人間を切り裂いて見える皮膚の下と、肌を焼いた皮膚の下では美しさが違った。 そのどれもがあたしの好奇心を次へ次へと誘った。



 そして、あたしは今、悍ましい光景を前にして、興奮を抑えられていない。ゾンビのように狂った人々が押し寄せてくる。あたしは本能的に逃げようとした。でもそれは間違いだった。彼らは「殺してくれ、殺してくれ」と訴えかけてくる。


 あたしは逃げる足を止めた。あたしの周りを囲うように人だかりができた。彼らはあたしを殴ろうとも蹴ろうともしなかった。


 そのとき焦燥が体を覆った。意味もないのに、下の上に唾が溜まる。飴玉を舌の上において放置しているような状態だ。唾液がどんどんと溢れ、口の中はうがいができるほどの唾液で満たされている。空腹の際に香しい匂いを嗅いだとき。目の前の屋台で粉物の料理が鉄板の上を舞っている――。


 あたしは彼らの一人にかぶりついた。



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