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即身像  作者: 面映唯
第一章
11/48

11

沢田(さわだ)、いつから眼鏡かけるようになったんだ?」

「片丘こそ、いつからそんな質素な服着るようになったんだよ」沢田は片丘の全身を一瞥する。「どこが質素なのよ」片丘は羽織っていたMA-1を郷ひろみばりに開いて華奢な身体のラインを強調して見せた。


「こないだ見たボカロの動画の子がこういう服装だったのよ。何でも似合っちゃうわよね、あたし。嫉妬した?」

「まったく」沢田は興味なさそうに首を傾げて見せた。


「おー、いてえいてえ」二人の後ろから声がし、二人は振り返る。そこでヘルマンの存在を思い出した。ヘルマンはスタントマンだった。スーツアクターとして日曜朝のお茶の間の子どもたちを喜ばせる仕事をしていたこともあった。それが今では当たり屋だ。落ちるところまで落ちたものである。

ヘルマンはハーフのため、肌が黒かった。スーツアクターとしての仕事は最適だった。黒人だから、ということに関係なく、テレビの画面に自分の顔が映ることはない。最近、映画の仕事を頼まれたこともあったが、ヘルマンは頑なにそれを断った。当然だ。当たり屋という素性を隠してテレビに映るなどヘルマンにとって言語道断だった。


 当たり屋としてヘルマンの肌は役に立った。世界から見ても偏見が強い日本人。肌が黒い、身体が大きい、たったそれだけのことでいきり立っていたあおり運転の運転手は怯えを隠せなくなっていた。身を一歩引いていた。


「イシャリョウ」ヘルマンはハーフだ。日本育ちだ。日本語が堪能であったが、よそよそしくたった一言そう言ってやれば、あおり運転をするような自分より弱いものにしか立ち向かわない輩は、すぐにそれを承諾した。


 爽快であった。


 自分たちが手段を間違えていることは理解していた。しかし、悪役であっても、同時に主役でもあった。心の奥底ではヒーロー扱いしている外野もいる。悪役であることには変わりないが、「当然の報いだ」「それぐらいやらないと響かない」そう言った仮想の声が三人の頭には聞こえていた。三人の共通点はその一つだった。


 あおり運転が許せない。


 それだけだが、それだけのことに夢中になる人がいてもいいだろう。刹那、酔狂。一瞬に狂えるくらいがむしゃらになれる人間が、この世には幾人いるだろうか。


「これが最後の仕事になるなんてなー」

「そうね。もう少し別の仕事に夢中になろうかしら」

「なんかやりたいことでもあるの?」沢田は片丘の肩を叩いた。「ないわよ。でも夢ならある」沢田は人差し指を片丘の頬に向かって突き出していたのだが、片丘は振り向かなかった。


「夢ってなんだよ」沢田は片丘の肩から手を下ろした。

「願望? 心像?」

「言葉の意味じゃねーよ。片丘がこれからやりたいことの方」

「ああ。温泉でも作ろうかと思ってて……。ボーリング調査の会社にでも入ろうかしら」

「ヘルマンは?」沢田は振り返った。ヘルマンは二、三歩後ろで肘に手を当てながら歩いていた。

「ボク? そうだネ。お嫁さん探そうかナ。ボクの言うことを聞いてくれて、ボクが自分勝手にしていてもゾッコン、見放さないで愛してくれる奴隷みたいなヒト。周りから見たら奴隷だけど、ボクから見ればすごく優しいヒト」


 ヘルマンが、ニッ、と笑った。スゴクマブシイ――と初めて顔を合わせた際、沢田はヘルマンに言われた。それは夜のことだった。今は昼間。沢田はヘルマンが眩しいと思った。


「沢田は?」片丘がぶっきらぼうに聞いた。

「俺は――」


 夢のような話だ。宝探しなど、漫画の世界だけだと思っていた。片丘は温泉、ヘルマンは自生の奴隷のような嫁――彼らの夢見ていることを聞いて沢田ははっとした。これは漫画でも小説でも空想でもない。神話ですらない。現実だ。


「雲河……あそこに三億円があるらしいんだ」沢田が言うと、片丘はこちらを見ずに肩を落とした。できればそれ以外の回答を聞きたかったのに、そう呟いた様に。


「そっか、沢田は残るのね。私はもううんざりだわ。あそこに踏み入るたびに心臓が鳴りやまないの。何度入っても慣れやしない。身体が持たないの。あそこはそういう場所だわ」

「サワダサン、頑張って。ウンガに入るたびに心臓バクバクスル」


 それは沢田も同じだった。三人で話し合い、雲河との取引は今回で最後にすると決めていた。沢田たちは、無作為に当たり屋をしているわけではなかった。あくまでもあおり運転常習犯。その人物を探す手っ取り早い方法は雲河だった。興信所でも探偵でもない。雲河の住人たちは、多くの情報に長けていた。それは様々な種の取引を行っているからだった。政治家から一般人まで、不倫相手を殺して欲しいから飼い犬を探してほしい、そんな日常的なところまで。いなくなった飼い犬などどう探せばいいというのだ。しかし、彼らは必ず見つけた。情報だった。彼らはすべて知っているのではないだろうか。今日どこで何が起き、あそこでは、あっちでは、こっちでは、そこでは、その一つひとつをすべて知っている全知全能なのではないか。


 水面下で起きている本性とやらを彼らはすべて知っている。政治家の汚職、収賄、企て、それは政治家と多く取引を行い、関与してきた結果だ。


 彼らは秘密主義ではない。しかし、べらべらとしゃべることもない。取引のためにそれらの情報を使うだけであった。だから、仮に村人Aが「村人Bを殺してくれ」と取引を持ち掛けてきたとして、同時に村人Bと「村人Aを殺してくれ」という取引をしたとしても、双方に「互いが互いを殺そうとしていますよ」と実状を伝えることはせず、両方を殺害する。以前に取引をしたことのある政治家C、のことを陥れようと政治家Dが取引を持ち掛けてきたとする。当然取引を行う。政治家Cの身辺については以前の取引の際に情報を手にしているため、容易なこと。


 取引を行えば行うほど得る情報は増した。加えて、雲河の住人自ら情報を手に入れることも容易だった。コネは数多くの取引で多く得ている。雲河の住人は取引がなければ動かない。誰かにピンポイントで依頼されない限りは、クーデターや情報提供者を陥れることはない。だから、情報を提供する側の人間は安心してそれを口にした。教えてやるから代わりに――次の取引で得るリターンの方が遥かに大きいからだとわかっているからだった。


「雲河……攻撃的な住人もいると聞く。確かに何でも知れるからハイリターンだが、そこまでして行くところでもない。それでも俺は行く。片丘とヘルマンみたいに夢が見たい」

「サワダサン、スゴクマブシイ」


 ヘルマンが顔の前に両手をかざしていた。


 片丘がサワダの胸を拳で突いた。


「私は嫌いじゃなかったよ。あんたの周りに同調されないって感じ」


 二人は路肩に止めてあったSUVに乗り込んだ。「送ってこうか?」運転席に座り窓を開けた片丘が聞いた。


「ここでいい」


 片丘は微笑み、窓を閉めた。車が発進した。助手席の窓が開いた。遠ざかる車。視線の奥で窓から黒い腕が伸び、握られた拳の親指が天を向いていた。


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