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雪娘風雲記

作者: 好風

 amazonにてkindle本として売ってる『雪娘評判記』のパイロット盤です。HDDの片隅に転がっていたのが発掘できたので投稿しました。

      0


 しんしんと。


 見渡す限りの全天を覆い尽くす灰色の雪雲より、止むことなく降り続ける真っ白き雪。息の音さえもその白に溶け込ませるほどの静寂に包まれた無音の世界を、一人の幼子が駆けずり回っては遊んでいた。


 パッシャン!


 突然飛んできた雪玉を後頭部に食らい、よろめく男の子。振り返れば、今まさに次の玉を放ろうと振りかぶっている中学生ぐらいの少女がいた。


 唐突に始まる雪合戦。


 二発三発と当たりながらも男の子は反撃を試みる。なのに少女は、それらを軽く躱してみせては、次々とぶつけてくる。

 気が付けば圧倒的な物量差に飲み込まれ、男の子の小さな身体は完全に雪に埋もれ、顔だけが辛うじて飛び出した雪だるま状態となっていた。


 その様子を見ては楽しげに笑う少女。ふてくされるように頬を膨らませていた男の子だが、いつまでも響き渡る少女の笑い声に毒気を抜かれたのか、自らも笑いだしていた。

 ひとしきり笑ったかと思うと、男の子が何かを口にする。


「――――」


 その言葉に驚き、まん丸にした瞳を瞬く少女。にこっとたおやかに微笑むと、男の子へと小指を向ける。何のことか解らないままの男の子に指を出すように言えば、雪だるまから伸びてきた小さな小指に自らのそれを絡めた。


「ゆびきりげんまん、うそついたらはりせんぼんのーます。ゆびきった」


 少女の澄んだ声音が響き渡り、そっと指が外れる。

 そして、一際激しく風雪が舞い散ったかと思うと、凍った世界にいたのは男の子だけだった。

 途端、


「クッシュン――」

 忘れていた寒さが男の子を襲ってきた。


      1


「――やめてよ、ふーかおねえちゃん!!」

 静まり返っていた教室に、突如響き渡ったのはそんな叫び声だった。


 突然の出来事に、黒板の文字を書き写していた生徒達の手が止まる。教壇にいる若い女性教諭が声の主を探せば、窓際最後尾に位置する席で男子生徒が熟睡していた。


 こめかみを押さえては悩ましげな溜息をつく教諭――葛籠(つづら)すずめ。ツカツカツカと足音荒く近付くと、丸めた古文の教科書でその頭を叩いた。


「起きなさい、巳之(みの)君!」


「イテッ!」

 頭を押さえて目を覚ます巳之吉宗(よしむね)。きょろきょろと見渡せば、周りの生徒達が忍び笑いを漏らしてた。


「午後の授業は眠いのも解るけど、寝るなら白川さん並みに上手く寝てもらいたいものね」

「はい」

 返事は何故か別の場所から聞こえた。


「今は昔、竹取の翁といふ者ありけり――」

 ボブカットを寝ぐせで跳ねさせたメガネの少女が、教科書を見ることなく竹取物語を諳んじ始めた。


「こらこら、白川さん。今は当ててないから、読まなくていいの」

 呆れ口調ですずめが言えば、白川夕帆(ゆうほ)は再び席に着いては寝息を立て始めた。

 そんな一連の出来事に、どっとした笑いの響く一年三組の教室だった。


       ・

       ・

       ・


 授業終了のチャイムが鳴り響くと、すずめは生徒達にノートの提出を告げた。


「えぇー」

 周りから上る不満の声に、顔を顰めるすずめ。睡眠に費やしていた吉宗や夕帆とまではいかなくとも、あまり真面目じゃない生徒にとって予定外の提出は困りものだった。


「いきなりだなんて、酷すぎるよ先生」

「そうよ。すずめ先生はあたし達のことを信じていないんですか?」

「夕帆や吉宗君とは違って、真面目に授業を受けてますって」

「横暴です」

「そうだ、おーぼーだ!」

 提出を撤回するように、揃って声を上げる生徒達。


「ピーチクパーチクさえずるんじゃないの。舌、引っこ抜くわよ!」

 ギンッと、騒がしかった教室を威圧する。


「そんなに言うなら、選択よ。言われたとおりにノートを提出するか、次の授業で小テストを受けるかどうかの二択! 真面目に授業を受けているなら、どんなテストが出ても問題無いんでしょ?」

 挑発的なすずめ。


「すずめ先生。その小テストを選んだ場合って……」

「もちろん、点数が悪かったら――それはそれで解ってるでしょ」

 ウッフッフと、好い感じの笑みを向けられれば、生徒達の選択は始めから限られていた。

 罠と知っていて大きい葛籠を選ぶ馬鹿は、このクラスにはいなかった。


「それじゃあ、荘屋(そうや)さん」

 クラス委員の荘屋菜々実(ななみ)を呼ぶ。


「悪いんだけど、放課後にノートを集めて職員室まで持ってきて。あっ、巳之君」

 菜々実に向けていた視線を、そのまま後ろに位置する吉宗へとスライドさせれば、彼は眠りこけていた間の黒板内容を必至に写していた。

「寝ていた罰よ。荘屋さんを手伝ってノートを運んでね」

 その指示に、手だけ上げて応える吉宗だった。


「それにしても、夕帆ならまだしも吉宗までが寝言を言うとは珍しいな」

 菜々実の元へノートを持ってきた武藤尋一(ひろかず)が、ついでとばかりに今もノートを取っている吉宗へと話し掛けてきた。


「夕帆の奇行は小学校から見慣れていたけど、吉宗がやると凄く新鮮だったな」

「あたしのどこが奇行なんだって?」

 引き合いに出された尋一の幼なじみでもある夕帆は、ずれ掛けたメガネの下でとろけそうな瞳で半眼気味に睨んできた。


「寝ながらノートを書けるってことだな」

 尋一は彼女の持っていたノートを取り上げ、パラパラパラとページを捲る。最新の部分を広げれば、黒板に残っている授業風景と同じ内容が綺麗に記されていた。

 しかも、口頭で述べられた要注意ポイントなどにはしっかりと蛍光ペンでラインまで引かれていたりするとなると、感心するしかなかった。


「俺よりも綺麗にまとめられてるよな。今日は起きていたのか?」

「まさか。しっかりと熟睡させてもらっていたわよ」

「威張ることじゃないだろ」

 胸を張る夕帆に突っ込む尋一。


「すずめちゃんの授業はα波がでているのか、すっごく眠りやすいのよね。特に教科書の朗読なんて、催眠術を掛けてくれてるみたいだよ」

「お前それ、すずめ先生の前では言わない方がいいぞ? あの人、泣くからな」

 呆れつつも、手にしていた夕帆のノートを菜々実へと手渡す。


「じゃあ、俺達は先に帰るけど、吉宗、お務めはしっかり果たせよ」

「またね、菜々ちゃん。それに、吉宗君も」

 尋一は夕帆を連れ立って、教室を去っていった。


 清掃の邪魔になりながらも吉宗がノートを取り終えるのを待って、二人は職員室へと提出に向かう。

 その道すがら、

「なぁ、委員長。俺ってさ、どんな寝言を言ったんだ? ノートを持ってくるみんなの視線が異様に生温かったんだけど」

「それでしたら確か、『やめてよ、ふーかおねえちゃん』って言ってましたよ」

 思い出し笑いを浮かべ、菜々実は教えてくれた。


「マジ?」

 その発言内容に、頬が引きつる吉宗。


「どんな夢を見ていたんですか? 確か、吉宗君にはお姉さんはいませんでしたよね?」

「幼い頃の夢だな。ふーかさんって言う――十歳ぐらい年上のお姉さんだったと思うんだけど、その人と一緒に、雪合戦をしていたんだよ。それで一方的に雪玉を当てられて、雪の中に埋もれて目が覚めた」

 言っては嘆息する。寝言とは言え、口に出して叫んだとなれば、恥ずかしいことこの上ない。

 ただ、夢はもう少し続いていた気がするが、記憶は曖昧だ。


「雪合戦の夢ですか」

「ああ」

 窓の外には五月晴れの日射しが照っていた。

 春から夏へと変わろうとしている五月半ば、そこまで時季外れな夢を見る理由が解らなかった。


「そのふーかさんって、吉宗君の幼なじみなんですか?」

「いや、ふーかさんとは、小さい頃に田舎で二、三度遊んで貰った程度の関係だよ。今じゃ、顔も覚えてないんだよな……夢で見なかったら多分、完全に存在を忘れていたよ」

 幼い頃の日々を懐かしむ。

 憶えているふーかの姿形は曖昧にぼやけ、記憶に残る雪の白さに溶け込んでいた。


「ただ、雪の似合う綺麗なお姉さんだったって印象は残ってるな」

「雪の似合うって、まるでふーかさんが雪女みたいですね」

 クスッと自分の言葉を笑う菜々実だった。


 職員室へと入ると、二人はすずめの元へと向かった。

「はい、すずめ先生」

「ご苦労様、荘屋さん。それと巳之君も」

 おまけのように労うすずめ。彼女の話は続いた。


「寝るなら白川さんのレベルにまでいきなさい。それなら私も何も言わないわよ」

「……それ、人間止めろって言われてる気がするんだけど」

 吉宗が憮然と言えば、周りで聞いていた先生達が笑いだす。彼らもまた、夕帆の凄さを良く知る一年三組の担当教諭達だったりした。

 放課後の廊下を職員室から昇降口へと向かう。その途中、不意に菜々実が足を止めた。


「委員長?」

「連絡が……夕帆さんからですね」

 取り出したスマホの液晶を見れば、つい先ほど帰っていたクラスメイトからのメッセージだった。


「えぇっと、『雪、雪、雪が降ってるよ!!』ですって」

 読み上げては小首を傾げる。正直、何が言いたいのか良く解らない内容だった。


「雪って、あの雪ですよね?」

「降る雪と言えば、それ以外には思い浮かばないけどな」

 何事かと不思議に思いながらも昇降口へとたどり着いた二人は、下駄箱で上履きから靴へと履き替え、外へと一歩足を踏み出す直前――


「っ!?」


 外の様子を目の当たりにしては、絶句した。

 周りに居合わせた生徒達もまた、空を見上げては呆然としていた。中には、スマホで動画を撮っている者もいる。

 それほどまでに彼らを驚かせているのは、空から舞い降りる粉雪だった。


 梅雨前とは言え春が終わった五月、気温は夏服が恋しくなるほど暑いと言うのに、降り注ぐ雪は溶けることなく、舗装された地面をうっすらと白くさせてくれていた。


「あの、吉宗君」

 おずおずと菜々実が口を開く。


「この雪って、もしかして吉宗君の夢と繋がりがあったりするんですか?」

「そ、それは……」

 無茶苦茶な結び付けだが、無いと言い切れなかった吉宗でもある。

 それほどまでに季節外れの雪は、何かを暗示させてくれていた。

 一抹の予感を脳裏に感じながら、雪降る中を吉宗は菜々実と一緒に正門へと向かった。


「あっ、吉宗君」

 降り続ける粉雪と夢の関連性を考え込んでいた吉宗を、菜々実が呼び止めてきた。

「どうかしたのか、委員長?」


「あれ」

 指差す先を追えば、学校前の大通りの向こう側には一人の少女が佇んでいた。


 一見して中学生ぐらいの少女であり、学校帰りの生徒でも待っているのかと、普通ならばそう直感し、自分の日常からは流しそうなシチュエーションなのだが、そのあまりにも風変わりな姿格好が衆目を集めてくれた。


 大正浪漫を感じさせてくれそうな、白と空色のグラデーションの効いた二尺袖に枯茶色の袴、更に一段濃い茶色のブーツは、季節外れの雪に栄えていた。


 そして何より、伏し目がちながらも大きくも円らな瞳、柔らかそうな桃色の唇に整った鼻筋、各パーツが見事なまでに黄金律の調和を描いた顔は小顔で澄んだ美白、小柄ながらも伸びる四肢はすらりと長く、見る者に感嘆の吐息を口にさせてくれる。

 そんな美少女が、長く艶やかな黒髪を靡かせては歩きだした。


 ブーツの足跡を雪の上に残しながら彼女は進む。


「え?」

 真っ直ぐに、吉宗達の居る方向へ向けて。


 明らかに自分を見ている視線。そして、少女はやんわりと口元を綻ばせ、柔らかそうな唇を開けた。


「久しいな、吉宗殿」


 発せられた声音は凛として透き通り、それでいて涼やかに居合わせた者達の耳朶を打つ。


「いっぱしの漢になりおって、すっかりと見違えたぞ」

 感慨深げに自分の名前を口にする少女の顔を、吉宗は見覚えがなかった。


「吉宗君のお知り合いですか?」

 隣の菜々実が小声で問えば、首を横に振る。目の前の少女のことを考えてみるも、記憶に該当する存在は無く、思い至らない。


「えぇっと、誰かな? 俺のことを知ってるみたいだけど……」

 少女の纏っていた空気が変じた。


「寒い!」

 身震いを始める菜々実。周りで見ていた生徒達も同じだ。

 あり得ない雪こそ降っているが、気温自体は下がっていなかった。なのに、それが冷えだしたのだ。

 よく見れば、雪足も強まっている。


「ふむ、相も変わらず面白い冗談を言うのぉ、吉宗殿は」

 底冷えを感じさせる冷淡な口調で、楽しげに笑う少女。ただし、その瞳は微塵も笑っていなかった。


「その方、よもや――」


 すぃっと円らな瞳を少女は細めた。


「余の顔、見忘れたとは言わぬであろうな?」


 軽やかな、あくまで軽やかに澄んだ声なのに、そこには多大な重圧が隠れていた。

 音さえも凍り付いたかと思える程に静まり返った校門で、あてられたプレッシャーから逃れたい一心で、観衆達は吉宗が早く少女のことを思いだすように強く願った。

 ただ、そんな想いは早々届くものでもなく、


「やっぱり覚えがないんだけどさ」

 吉宗が再度口にすれば、少女の小さな肩はふるふるといかる。


「この、大うつけが!!」

 いきなり吉宗の前で振りかぶり――


 パッシャン!


 飛来してきた雪玉が彼の顔に当たった。

 何事かと解らずにいる吉宗。次々と、どこからか取り出した雪玉を投げつけてくる。


 一方的な雪合戦に菜々実が唖然としていれば、吉宗の身体は当てられた雪玉に埋もれる形で雪だるまと化していた。


 奇しくもそれは、彼が見たと言う夢と同じ情景となる。

 だからこそ、吉宗の中で何かが甦った。


「待った、待った! 止めてくれよ、ふーかおねえちゃん!!」


 反射的に叫べば、少女の攻撃がピタリと止まる。


風花(ふうか)お姉ちゃん……か。思いだしたようだな、吉宗殿」

 不遜に笑うと、少女――風花は夢の時と同じように吉宗へと手を伸ばし、彼の手首を掴んでは雪だるまから引っ張り出した。


「ほ、本当にふーかおねえちゃ――あの、ふーかさんなのか?」

「いかにも、余が六花(むつばな)風花(ふうか)でなくして、誰が六花風花だと言うのだ?」

 威風堂々と名を示す。


「で、でもさ!? ど、どうして、俺と同じ――って言うか、俺よりも若いんだよ!! まるで、あの時から変わっていないぞ!」

 夢で見た少女と瓜二つの姿をしている風花の存在に、酷く狼狽する。どう見積もっても二十歳以上の女性とは思えなかった。


「おお、これか」

 風花の顔つきが神妙になっていく。


「実はのぉ、吉宗殿。幼いそなたと遊んだあの後のことだ。余は雪山で雪崩にあってな。厚く積もり凍り付いた万年雪の下で仮死状態となり、今まで冷凍保存されておったのだ。それが先日、発掘されて解凍された所存だ」

 にわかに信じ切れない内容だった。


 液体窒素で瞬間冷凍させた金魚ならまだしも、雪に埋もれて凍り付いた人間がそれで息を吹き返すとは思えない。


「嘘だろ?」

 直視できない現実に、脳が否定を口にさせれば、


「うむ。嘘だ」

 あっさりと肯定された。


「え?」

「だから、余が冷凍保存されていたのが嘘だと言ったのだ。だいたい、余が凍り付くなどあり得るはずもなかろう」

「何だよ、それ」

 馬鹿にされたことに気付き、プルプルと握る拳が震えた。


「じゃあ、ふ-か――風花さんは何なんだよ? 俺が出会ったのは実はあんたのお姉さんだったとか言うのか?」

 姉妹。それが一番しっくりし、一切の矛盾をはらんでいない回答だった。

 風花は楽しげにほくそ笑んでは、首を横に振った。


「余は雪女だ。老いるはずもなかろう」


 静まり返る校門。

 普通なら、絶対に容認できない内容だったが、今も降り続ける五月の雪がそこに真実味を帯びさせてくれていた。


 だからと言って、反射的に信じるのも難しい内容である。

 言葉の真意が理解しきれずに固まる吉宗。そして、居合わせた蒼深(そうみ)高校の生徒達。


「もしかしてこの雪って、風花さんが降らせているんですか?」

 一足先に正気に戻った菜々実が聞く。


「そなたは?」

「あっ、荘屋菜々実です。吉宗君とは中学時代からの友人で、高校でもクラスメイトです」

「菜々実殿か、宜しく頼むぞ。余は六花風花だ」

 頭を下げてくる菜々実に、鷹揚に名乗り返す風花。


「それでこの雪のことだったな」

 手を翳せば、ひとひらふたひらと、風花の手の平に雪が舞い降りてくる。


「むろん、余の力だ。吉宗殿との再会を少し演出してみたまでだな」

 パンッと胸の前で手を叩けば、降り続けていた雪が止んだ。

 ただし、足下に積もった雪は残っている。


 ざわつく観衆を後目に、菜々実が話を続けた。

「積もった雪を消すことはできないんですか?」

「操って動かすことは出来るが、溶かすことは無理だ。自然に溶けるのを待つしかない」

「溶けるんですよね?」

 自然が降らした代物じゃないので、ついそれが気になってしまった。


「うむ。余の支配下から解き放たれておるからのぉ。この温度ならば、直ぐにでも溶けるであろう」

 その言葉に偽りはなく、今まで溶ける気配すら無かった雪が、日射しに照らされては溶け始めていた。

 消えることが解り、ほっと胸を撫で下ろす菜々実。もし万年雪の如く残っていたりしたら、かなり困ったことになっていただろう。


「それで、風花さんって雪女なんですよね? どうして吉宗君に会いに来たんですか?」

「ふむ、それか」

 すぃっと細めた眼差しを、いまだ戸惑っている吉宗へと向ける。


「吉宗殿も先日で十六になったからのぉ。あの雪山で交わした約束を果たしに参ったのだ」

「約束?」

 当惑する吉宗へと向けて、自らの小指を指し示す風花。そして、彼女の淡い桃色の唇が囁くのだった。


「約束通り、嫁に来てやったぞ、吉宗殿」


 それは幼い頃に交わした指切りだった。

『ボク、おおきくなったらふーかおねえちゃんをおよめさんにもらってあげるよ』っと。


      2


 蒼深駅の近くには、一件の場違いな装いをした喫茶店がある。

 それは、コンクリートの雑多なビル群に谷間にて営業する、喫茶メッセーラと言う名前の丸太小屋だった。


 時間帯が悪いのか、マスター不在中の張り紙が原因なのか、閑散とした店内で、吉宗は二人掛けの席で風花と対面していた。

 吉宗の前にはアイスコーヒーがあるが、一滴も飲まれていない。対して風花はショートケーキを興味深げに眺めては、その一欠片を口に運び、


「おぉ、美味だのぉ♪」

 その甘さに感涙し、絶賛していた。


 そんな二人を遠巻きに眺めているのは、カウンターにいる菜々実。騒がしくなってきた校門前から逃げるように場所を代えた吉宗達が気になり、付いてきていたのだ。


 そしてもう一人――


「菜々実ちゃん。よし君ってばどうかしたの?」

 ロングのスカートをしたシックなメイド姿のウェイトレスがいた。


 年の頃は二十歳目前の若い女性で、吉宗を愛称で呼ぶ彼女の名は白山きく乃。山小屋風喫茶メッセーラの看板娘である大学生だ。


「それに、あの娘って誰? よし君にあんな美少女の知り合いがいたなんて聞いたことが無いんだけど」

 木製トレイを抱きしめては小首を傾げる。


「えぇっと、彼女はその……」

 なんと説明すべきか悩む菜々実。導き出された回答は、


「吉宗君の押し掛け女房、でしょうか?」


 言い得て妙な言い回しだった。


「ふーん、吉宗君の女房なんだ」

 感心したように頷くきく乃。身体は反射的に仕事に戻ろうとする中、思考がそれを理解した。途端、大きく体を返せば、


 ガッシャーン!


 持っていたトレイが投げ出され、カウンターの奥に置かれた食器を壊してくれた。


 そんな自分のしでかした失態に気付き、

「あうぅ、またやっちゃったよ」

 ガックリと肩を落とすきく乃。


「あっ、ごめんなさい、おきくさん。私の言い方が悪くて」

 素直に菜々実が謝れば、きく乃は力無い笑みを返してくれた。

「菜々実ちゃんが悪いんじゃないからいいわよ」

「でも、食器が……弁償しますよ?」

「良いって、良いって。お父さんが今頃新しいのを焼いてくれてるから」


 常連客からはおきくさんの愛称で呼ばれるきく乃。彼女は亡くなった母から伝わる天性のぶきっちょ遺伝子が宿っており、何かにつけては食器を割る習性があった。

 それ故に、留守にしているマスターである彼女の父親は、趣味である陶芸で店の食器を焼いては補填していたのだ。


 ちなみにきく乃は知らないが、既に趣味の域を逸脱した陶工技術によって作り出される焼き物は、本職であるはずの喫茶店の売り上げを遙かに越えた収益があったりする。


「それに証拠隠滅しちゃえば平気よ」

 手慣れた手つきで破片を集め、ゴミ箱へと捨ててしまうきく乃だった。もっとも、後日それが見つかり、バイト料が減額されたりもするのもいつも通りだ。


「それより、あの娘よ」

 再び話題を風花へと向ける。


「ねぇ、あなた。よし君の女房ってどう言うことなの? あっ、これは奢りよ」

「そなたは?」

 ケーキを平らげ、物足りなさそうにしていた風花の前に、持ってきたチーズケーキを置く。


「私は白山きく乃。このよし君――吉宗君の幼なじみよ」

 吉宗の家はここから裏通りに行った場所にあり、きく乃にとっての吉宗は、四つ離れた弟分である。もっとも、天性のどじっぷりで、どちらかと言えば吉宗が頼られている側だったりしたが。


「きく乃殿か。余は六花風花だ」

 名乗られ、名乗り返す。


「吉宗君の女房だってのはどう言うことなの?」

「ああ、それならば冗談だ」

 新しいケーキを食しながら、さもあらんとばかりに受け答える。そのあまりの自然体に、言葉の意味を理解するのにしばしの時間を要した三人。

 きく乃と菜々実はきょとんとし、対面の吉宗はがなり立てる。


「冗談って何だよ、冗談って!?」


「なぁに。余は吉宗殿の直系の先祖だからのぉ。人間の法では直系の親族は結婚できないと聞く。どだい、余と吉宗殿が夫婦になるのは無理な話なのだ」

「何なんだよそれ……気を揉んで損した」

 悩んでいた自分が馬鹿らしくなる吉宗。そんな弟分とは別に、きく乃は別の引っ掛かりを感じ取っていた。


「さらりと、凄いことを口にしてるんだけど……風花ちゃんって何者なの?」

「風花さんは雪女なんですよ」

 ケーキを堪能している風花の代わりに、菜々実が教えてくれた。


「雪女? 雪女って、あの小泉八雲の怪談に出てくる、あれ?」

「小泉八雲は読んだことがないので知りませんけど、多分、その雪女であっていると思いますよ」

「ふーん、雪女なんだ――って、本当なの!?」

 身を乗り出しては訊ねるきく乃。


「事実だ」

 風花がテーブルの上に置かれたお冷やを手にし、その中身を空けると、こぼれ落ちた水がテーブルに触れたところから次々に凍り付いていき、それはきく乃と瓜二つの小さな氷像となっていった。


「ほぇー、凄いわね」

 素直に感心するきく乃。これがただの氷塊ならば手品とも言えるが、ディテールまで忠実に表現された氷像ともなれば、信じるしかなかった。


「これ、溶けたりするの?」

「形の成形以外に余の力は注いでおらぬからのぉ。ほうっておけば溶けるな」

「そうなんだ。お父さんにも見せたいから、冷凍庫にしまっておこうかな」

 大事そうにトレイの上にそれを載せ、カウンターへと向かう。その足が、何も無いところで躓き、


 ガッシャン!


 投げ出された氷像は、見事なぐらいに粉微塵に砕け散った。

「あうぅ……」

 寂しげに床を拭くきく乃に、ケーキの礼だとばかりに、今一度氷像を作り上げてみせる風花だった。


「でも、風花ちゃんが雪女なのは解ったけど、吉宗君の先祖だって言うのはどう言うこと?」

「そうだよ! どうして風花さんが俺の先祖なんだ!?」

 今更ながらに吉宗も気付き、声を荒らげる。


「そなたの七代前の先祖が、余の分け身を嫁にしたからのぉ」


「風花さん、その分け身ってなんですか?」

「人間や獣のように雌雄を持たない物の怪は、自らの力を分けては種族を増やすのだ。人間風に言えば、元の方が親で、分かれた方が子みたいなものだな」

「それって、細胞分裂みたいなことかしら?」

「聞いた感じだと、植物の株分けに近いかもね」

 各々、自分の考えで例える菜々実ときく乃だった。


「つまり、俺の七代前のご先祖様が、風花さんの娘と結婚したって言うのか?」

「左様だ」

 鷹揚に頷いた。


「風花さんが八代前で、結婚した娘さんが七代前なのよね。六代目は雪女とのハーフで、五代目がクォーターだから……よし君の中には六四分の一、雪女の血が流れてるのね」

「六四分の一って微妙な割合ですね」

 きく乃の指摘に、菜々実が微妙な表情をする。


「よし君。何か凍らせてみてよ」

 勢い込んで頼まれても、吉宗は困るだけだった。


「無駄だ、きく乃殿。吉宗殿は力に覚醒はしておらぬから、無理だ」

「やっぱり無理なんだ。残念」

「九八パーセント以上で人間ですからね」

 パーセント計算してみれば、ほとんど人間と言えた。


「違うぞ、菜々実殿」

 ケーキを食べ終え、紙ナプキンで口を拭いながら指摘してきた。


「計算、違っていましたか?」

「いや、そうではない。逆なのだ」

「逆?」

 自分の身の上に愕然としていた吉宗が、訝った。

「確かに雪女である部分は六四分の一だが、それは、吉宗殿が人間である部分もそうだと言っておるのだ」


 一瞬、場の空気が凍り付く。


 そして、吉宗が慌てふためいた。

「ど、ど、ど、どう言うことなんだよ!? おれって、一てんなんパーセントしか人間じゃないって言うのか!?」

「然り」

 静かに頷く。


「巳之の一族とはな、代々祟られた一族なのだ」

「祟られた?」

 それは聞き捨てならない話であった。


「七代前――余は初代と呼んでおるが、そやつがな、幼い頃に近くに住んでおった猫を虐めたのだ」

「猫の祟りってヤツ? 猫を殺したら七代祟るとか言う」

「殺しはしておらぬがな」

 きく乃の言葉に、補足で返す。


「初代がやったのは、猫の髭を蝶々結びにしてしまったことだ」

 いかにも子供らしい悪戯だった。


「それが原因で、その猫は懸想を抱いておった雌猫にふられたのだ。それで猫は己の尾を二つに裂くほどに怒り狂ってな、元凶である初代を祟ったのだ」

「どんな祟りなんです?」

「同じ苦しみを与えてやると、巳之家の男子が女人にもてなくしてくれたのだ」


「…………」

 あまりにも情けなく馬鹿げた祟りに、微妙な空気が店内を覆った。


「それ故に、巳之家の男子は代々物の怪の女を嫁に迎え入れたのだ」

 衝撃の真実に、吉宗は目眩を感じた。

「風花ちゃん。それって、よし君トコの小母さんも物の怪だってことなの?」

「吉宗君のお母さんって、美人な方でしたよね」

 菜々実もまた、中学時代の三者懇談会などで出会ったことがあり、その姿を思い浮かべる。


「物の怪って美人が多いのかしら?」

「か、か、母さんって何者なんだよ!?」

日向子(ひなこ)殿か。あいにくと、余があの者の正体を明かすことは禁止されておるからな」

「どうして?」

「なに、自分で明かした方が吉宗殿を驚かせると、皆で約束したのだ」

 あまりにふざけた約束に、呆れ果てる。


「あっ、私、小さい頃に小母さんが空を飛んでいたのを見たことがあったわ。夢だと思っていたけど、あれってもしかして本当だったのかな?」

「空飛ぶって……母さんは何者なんだよ」

 若干帰るのが恐くなっていく吉宗だった。母親ともなれば、自分に流れる六四分割された血の三二を占めることになる。


 六四分の一しか流れていない人間の血と比べれば、圧倒的にその本質は母親の正体に引きずられている。

「俺って何なんだよ……」

 あり得ない暴露話に、吉宗は己のアイデンティティを見失い掛けていた。


「あの、風花さん。先ほど、皆で約束したって言いましたよね?」

「うむ」

「それってもしかして、吉宗君の先祖の人達って今も生きていたりするんですか?」

「生きておるぞ。まぁ、余とて滅多に会うことが無いからのぉ。皆がどこで何をしておるかは知らぬが」

 しみじみと言い放ち、オレンジジュースに口を付ける。


「ねぇ、よし君」

 名を呼ばれ、項垂れていた頭を上げた。

「風花ちゃんの話が正しかったら、よし君って祟られていることになるんだよね?」

「あっ」

 そこで初めて、一番危惧しなければならない身の上状況に思い至った。


「俺って、女にもてないのか!?」


 今まで以上に、顔色を青くする吉宗。

「きく姉に委員長。二人は俺のことを好きだったりしないか?」

 手っ取り早く、身近にいる二人に訪ねてみた。


「よし君のことか。好きだけど……弟だね。よし君を男として意識するなんて出来ないわ」

 幼なじみの姉貴分らしい感情だった。

 それは半ば予想できた回答だったから、落胆はみせない。


「委員長はどうだ? 別に、委員長じゃなくても良いよ。中学時代に俺のことを気にしていた女子とかいなかったりしないか?」

「えぇっと、その……ごめんなさい」

 勢いよく頭を下げてくれる菜々実。その謝罪は、嫌悪や拒絶以上に吉宗の心を打ちひしがらしてくれた。


「吉宗君のことは、お友達としては好きですよ。でも、恋人とかって考える気が一切起こらないんですよね」

「…………」

 グサリとトドメまで刺されてしまえば、ぐぅの音も出てこない。


 項垂れてる吉宗の頭を、そっと風花が撫でる。

「案ずるな、吉宗殿」

「風花さん?」


「此度、余が吉宗殿の元へと訊ねてきた真の理由は、正にそれだ」

 何を言いだすのか解らず、まじまじと風花の顔を見つめる。

「真の理由って?」

「決まっておろう」

 勿体ぶるように一拍の間を置き、


「吉宗殿の嫁探しだ!」


 鼻息荒く宣言するのであった。


      3


「俺の嫁探し!?」

 素っ頓狂な叫びが、他に客のいない店内で響き渡った。


「どうして?」

「先に言ったであろう。吉宗殿は祟られておるから、普通に生活していては結婚は難しい。十六になったことだし、余が直々に骨を折ってやろうと思ったまでだ」

 キッパリと言い切っては、オレンジジュースを口にする。


「風花さん。十六って言ってますけど、もしかして結婚できる年齢を間違ってませんか?」

「違うのか?」

 予想通りの言葉に、菜々実は微苦笑を浮かべた。

「結婚が許されるのは、男女ともに十八才からですよ。十六才ってのは少し前までの女性の年齢制限でしたね。今は男女ともに十八です」


「まことか!? だから、日向子殿もこだま殿もまだ動いてはおらぬのか」

 険しげに呟く。


「母さんや婆ちゃんがどうかしたのか?」

「あやつらも吉宗殿の嫁探しをしてるってことだ。余が間違えていたこともあるが、これはこれで好機かも知れぬな。嫁候補でも見つけて許嫁にでもしてしまえば余の勝ちだ」

「気のせいか風花ちゃんって、楽しんでない?」

 きく乃が言えば、風花はコケティッシュな笑みを見せる。


「無論、愉しんでおるぞ」

 自分の欲望に素直な雪女だった。


「それでそなたらに訊ねるが、ここいらで物の怪に関わる噂は聞いたことがないか?」

「物の怪ですか。心霊スポットでしたらいくつかは聞いたことがありますけど、妖怪の類となりますとあまり……お祖父さんなら知ってるかもしれませんけど」

「菜々実殿の祖父とな?」

 興味深げに眉を顰めた。


「母方の実家が宮司の家系なんですよ」

「蒼深駅の西側に蒼深神社って言う大きな神社があるのを知らないか?」

 正月や夏祭りで菜々実が巫女の手伝いをしている姿を見ているから、吉宗もそのことを知っていた。


「祭神は何を祀っておるのだ?」

「龍神ですよ。数百年前にこの辺りが干ばつで干上がっていたことがあり、龍神を招き入れたんですって。龍に一人の女性を生け贄として差し出したのが神社建立の始まりだって伝説もありますね。それで、その女性の家系が蒼深神社の宮司なんですよ」


「ふむ。そうなると、菜々実殿には龍の血が――」

 顎に手をやり考え込む風花。不意に立ち上がると吉宗の頭を掴み、

「え?」

「何ですか、風花さん?」

 逆の手で菜々実をも掴み上げる。


 お互いの吐息が掛かりそうなほどに二人の頭を近づけたかと思えば、更に力を込めては頭を押し、その唇を併せてみせた。

 濃厚と言うにはほど遠いが、その口先に触れる柔らかさに自分が何をさせられたのかに気付き、慌てて飛び退く吉宗。対して菜々実は、

「酷いじゃないですか、風花さん。私のファーストキスだったんですよ」

 苦情を上げるが、別段怒っているようには見えない。


「委員長、怒ってないのか?」

「別に怒りはないですよ。ファーストキスを奪われたことへの文句はありますけど……吉宗君とのキスって、女の子同士のじゃれ合いでするのと同じ気分なんですよね。女の子同士ならしたこともありますし」

 女同士で遊びでキスをしたことのある菜々実にとって、吉宗としたのもそれと同じだった。

 そしてそれは、言い換えれば吉宗を男として見ていないことの表れでもあった。


「数百年前ともなれば、龍神の血が薄すぎて祟りは破れなかったか」

 元凶である風花は、ブツブツと何やら思案していた。


「今のって何だったの?」

「なに、菜々実殿に流れる龍神の血の濃さを調べてみただけだ。あれでもし、祟りを打ち破れるだけの濃さを秘めていれば、口付けをした相手に対する照れや嫌悪、恥ずかしさ等の感情を抱いたはずなのだが……菜々実殿が見せたのは余に対する文句だけであったのぉ」

 そう分析してみせた。


「ふーん」

 その話を聞いて、きく乃は少し考えると、

「よし君」

 顔を真っ赤にして酷く狼狽している弟分を呼ぶ。顔を向けた瞬間、狙いすましたように己の口を重ねてみせた。

 不意を付かれた二度目のキスに、目の色を白黒させる吉宗。顔だけじゃなく、全身まっ赤っかだ。


「うーん。やっぱり、よし君は男としては見えないわね」

 素っ気ない感想にばっさりと切り捨てられた。

「俺っていったい……」

 激しく打ちのめされ、失意に膝を付く吉宗だった。


「やはり普通に探した方が良さそうだな。きく乃殿は何か知らぬか?」

「何かって言われてもね。相手はよし君のお嫁さんになるのよね」

 頬に指を当てては考え込み、今も床に手を付いてへたれている弟分を見やって言う。

「蒼深高校に伝わる七不思議の中で私の知ってるヤツには、お嫁さんになるようなのはいなかったしね。まさか、動く骨格標本と結婚させるなんてダメでしょ」

 姉の言葉でウェディングドレス姿の骨格標本を思い浮かべ、吉宗はより一層落ち込んだ。


「蒼深って七不思議なんてあるんですね」

「七不思議って言っても、七つじゃないんだけどね」

 きく乃は吉宗達が通う蒼深高校のOGであり昨年度卒業した彼女にしてみれば、入学して二ヶ月も経っていない二人よりかは内情に詳しかった。


「そうなると街での伝説か――あっ、一つ手頃なのがあったわ」

 ポンッと手を叩く。

「蒼深駅から線路沿いに南へ進んで、四つ目の遮断機のある側に雑木林があるの。そこの奥に狸塚って言う、悪さをした化け狸を封印した塚があるらしいのよ。中学の時の自由研究で、郷土史を調べていた時に本で読んだのを思いだしたわ」

「化け狸の封印とな。一度見てみる価値はありそうだな」

 すっくと立ち上がる。


「いつまで嘆いておる、吉宗殿。行くぞ!」

「行くって今からか!?」

 既に時刻は六時を回り、外は朱色に染まり掛けていた。


「当たり前だ。果報は寝て待たぬぞ」

 吉宗の腕を掴み――更には菜々実の手を取り、ドアに付けられたカウベルの音を勢いよく鳴らしては、外へと飛び出していった。


「え、え、え!? 私も行くんですか?」

「旅は情けで余の道連れにすると聞く。吉宗殿の目出度い門出、観客は多いに限るぞ!!」

 嵐の過ぎ去った店内で、きく乃はテーブルの上の空の食器を片付け始める。その手がピタッと止まった。


「あっ、料金貰うの忘れてた」

 食器と一緒に置かれたままの伝票がそこにはあった。

 チーズケーキこそは奢りだが、他のショートケーキやジュースは奢っていない。

「まぁ、帰ってきたら請求すればいいか。顛末も聞きたいしね」

 椅子の上に残された吉宗と菜々実のカバンを見つけ、そうごちるのだった。


      4


 蒼深駅までやってくると、線路沿いに南へと向かって歩いていた。

 吉宗はちらちらと横目で隣にいる菜々実を窺うも、視線が合いそうになると慌てて顔を逸らす。キスを交わしたことに意識しすぎて、吉宗は彼女の顔を凝視することが出来ずにいた。


 風花ほどではないが、菜々実の顔はそこそこ整っており、クラスの中でも可愛い方に入る。故に、そんな相手とキスをしてしまったとなれば、酷く落ち着かない。

 ただそれも、男として見られていないともなれば、心中穏やかではなかった。

 知り合って三年以上。ドキッと意識させられることは何度かあったが、その感情は実ることがないとハッキリさせられたのだ。


「キスしたのに、何とも思われてないんだよな……」

 小声で呟く。

 幸い、電車が轟音発てて通り過ぎたので、二人の耳には届いていなかった。


「こいつは……」

 線路を見ては、風花がその美麗な顔を歪めた。


「どうかしたんですか?」

「一つ聞くが、元々蒼深神社は蒼深駅の場所に建ってはいなかったか?」

「あっ、はい。良く解りますね。六十年前ぐらいまでは駅の一部も神社の敷地内だったって話でしたら、聞いたことがありますよ」

 移築された訳ではないが、都市開発などでその敷地を大きく削られていた。


「それがどうかしたんですか?」

「この地の龍脈がかなりか細くなっていると思ってのぉ」

 そんな話をしながらも、一行は目的の遮断機へとたどり着いていた。

 そこは車が通れないほどの狭い、歩行者用の小さな遮断機だった。


「確か、雑木林と言っておったな」

 夕闇に薄暗くなった中、ぐるりと見渡せば一つの林が目に飛び込んでくる。

「きく姉の言っていたのはここのようだけど」

 険しげな表情を浮かべる吉宗。夜と言うこともありその鬱蒼とした雰囲気は一層強く、人の立ち入りを拒んでいるようにすら感じられた。


「本当に入るのか?」

「無論だ。いざ、参ろうぞ」

 躊躇うことなく足を踏み入れる風花。


「委員長は帰っても良いよ。こんなとこまで付き合う必要はないんだからさ」

「いえ。せっかくですから最後まで付き合いますよ。吉宗君のお嫁さんも見てみたいですし」

 風花の後を追うように入っていく菜々実。仕方なく、吉宗も続いた。

 五、六メートルほど奥に来ると、すぐそこの街道の様子が解らないほどに鬱そうとし、もう数メートルほど進むと、盛られたような勾配があった。

 そしてその頂点には一つの長細い石が立てられていた。


「これが狸塚ってヤツなのかな?」

 地震でも来れば簡単に倒れそうな石の立ち方に、疑問に思う。

「風花さん、何か解るか?」

「ふむ。確かになんぞいるようだな。僅かながらに気配を感じるし、要石から封印の呪力が感じられる」

 石へと手を伸ばせば、その接触を拒絶するように青白い光がスパークした。


「風花さん!?」

「案ずるな。呪力が余の力に反発しただけだ」

 引っ込めた風花の腕の回りに、まとわりつくように稲光が走っていた。それも数秒で消え去った。


「本物ではあるな。どれ、封印を破ってみようぞ」

「破れるのか?」

「封印なんぞ、所詮は力任せに押さえ付けているだけだ。より強い力で干渉すれば、容易く崩れる」

 すぃっと瞳を細めた。


 薄暗い中、紅く輝く眼光。拳をぎゅっと握り締めると、風花は勢いを持って要石へと殴りかかる。

 それを邪魔するように激しくも光り輝きだす狸塚。


「無駄だ!」

 更に力を込めれば、要石は一瞬で凍結し、殴りつけられた所からヒビが入り、砕け散った。

 後に残るはこんもりした土山と、転がっている一匹の大狸だった。


「な、な、な、何で俺が外に!?」

「え?」

「喋った!?」

 目覚めるやいなや人語を介す狸に、驚く吉宗と菜々実。


「余が出してやったのだ。当たり前であろう」

 フンッと鼻先で息を吐く。


「なんだかしらねーが、俺様を自由にしたことを後悔するんじゃないぞ! 姐さんよ」

 鋭い爪を妖しく光らせ、襲い掛かってくる化け狸。次の瞬間、その下半身は凍り付いていた。


「余に刃向かうとは、なかなかの気概だのぉ。気に入ったぞ」

「も、も、もしかして、姐さんって雪女!?」

「余を雪女と言わずして、何を雪女と言うのだ?」

 ニヤリと笑い、そして宣言した。


「喜べ、吉宗殿。そなたの嫁だ」


「…………」

 面と向かって言われても、返す言葉がなかった。脂汗とも冷や汗ともつかない、嫌な汗を流す吉宗。

「風花さん。本気でその狸を吉宗君のお嫁さんにするんですか?」

 菜々実もまた、さすがにそれは無いだろうと思った。


「なに、安心いたせ」

 パンッと氷を叩けば、化け狸の下半身を押さえ付けていた氷が消え去った。

 自由になる化け狸。自分の置かれた状況が解らず、逃げることもなく三人を見上げていた。


「のぉ、狸殿。化け狸と言うからには、化けられるのであろう? 出来なければ、砕いた封印の代わりに氷漬けになって貰うがな」

「へ、へい。そいつは得意中の得意ですぜ。茶釜からのっぺらぼうまで、何だって化けられます」

 氷漬けの脅しが利いたのか、平身低頭で申し上げる。


「むろん、人にも化けられるのだな?」

「そりゃ、もちろんですぜい」

 近くに生えている木から一枚の葉っぱをちぎると頭に載せ、クルリと宙返りする。さすれば、そこには時代劇に出てきそうな半纏姿のいなせな男が出現するのだった。ただし、お尻には狸の尻尾が残っていたりしたが。


「ほぇー。凄いんですね」

 目の前で展開された、タネも仕掛けも無いイリュージョンに感嘆の声を上げる菜々実。パチパチと拍手までしていた。


「ふむ。尻尾が気になるが、まぁ、造形は悪くなさそうだのぉ」

 見分するように化け狸の周りをクルリと回る。

「こう見えてもあっし、仲間内では一番化けることが上手くて、化かしのタヌ之介と呼ばれております」


「ではタヌ之介殿。女には化けられるか? 歳はそうだのぉ。そこにいる菜々実殿ぐらいで頼みたいのだが」

「その嬢さんですか」

 無遠慮なまでにジロジロと、心の内までをも推し量るようなタヌ之介の視線に晒され、菜々実は逃げるように吉宗の背後に隠れた。


「できそうか?」

「へい、合点承知のお茶の子さいさいですぜ」

 トンッと、バネを利かせては弾けるようにバク宙を決めれば、粋でいなせだった男の姿は消え去り――


 ぼたっ。ぼた、ぼた、ぼた。


 吉宗は鼻の奥にツンっとした刺激を感じたかと思えば、鼻から大量の血が滴り落ちていた。


「きゃ、きゃぁ!! み、み、み、見ないでください! 吉宗君!!」

 悲鳴を上げては慌てる菜々実の後ろには、菜々実と瓜二つの姿をした少女が――裸で現れていた。尻尾付きで。

 吉宗を男として意識していない菜々実であったが、さすがに裸を他人に見られることには抵抗があった。


「おい、タヌ之介殿。余は、菜々実殿に化けろとは言ってないぞ」

「すいやせん。女に化けるのは久しぶりだったので、しくじりました」

 再度バク宙を決めれば、垂れ目がかったおっとりとした印象を醸し出す、愛嬌溢れる愛らしさを秘めた少女に変わった。

 ただ、


「ちょっと、タヌ之介さん! 服、服も一緒に着て化けてください!!」

 裸なのは変わっていなかった。


 巨乳グラビアアイドル並みな、たわわに実った果実を目の当たりにして、吉宗の鼻血量が激しさを増す。


「こいつは失礼」

 フィギュアスケートの選手よろしく横へと回転すれば、すっぽんぽんだった女の裸体は菜々実と同じく蒼深高校女子の制服姿へと変じていた。

 ただ、大きな尻尾でプリーツスカートの裾を少し跳ね上げてはいたりするが、それさえ気が付かなければ普通に生徒として通るだろう。


「ふむ。なかなか愛らしい姿ではないか。見事な化けっぷりだ。誉めて使わすぞ」

「へい。ありがとうございやす」

 嬉しそうに頭を下げるタヌ之介。その声音までもが女のそれに変わっていた。


「ではタヌ之介殿。今日よりそなたは、吉宗殿の嫁候補の許嫁だ」

「へい――って、え?」

 タヌ之介はその垂れ目がかった瞳をぱちくりさせた。


「雪女の姐さん。嫁とはどう言うことですか?」

「そこの吉宗殿に嫁げと言っておるのだ」

 指差すそこには、菜々実から貰ったポケットティッシュで鼻の穴を詰めている吉宗がいた。そんな彼の足下には大量に流した血の跡が残っている。


「はい?」

 タヌ之介は風花の言っている状況が解らず、当惑気味に眉を顰めた。

「嫁って、あっしがですか?」


「いかにも。その姿でならなんら問題無かろう」

「問題無かろって、そりゃ姐さん。問題大ありだって気が――」

「あの、風花さん」

 タヌ之介の言葉を遮るように、菜々実が口を挟んできた。


「そのタヌ之介さんって、オス、ですよね? それはさすがに問題があると思いますけど」

「ふむ。見た目が女なら問題ないと思ったが……菜々実殿の言い分も一理あるのぉ」

 腕を組み考える仕草を見せる風花。ピンッと人差し指を立てる。


「去勢するか」

 導き出された答えは、過激だった。


「ちょ、ちょっと、姐さん!?」

 恐怖におののき変化が維持できなくなったのか、狸の姿に戻った。それを待っていたかのような速さで、風花は狸の股間へと手を突っ込む。


「あ、あ、姐さん……」

 大事な逸物を掴み上げられ、涙目になるタヌ之介。

「なに、痛くなんぞさせぬから安心いたせ。そなたの八畳敷きを凍り付かせては壊死させるだけだ」


「そ、それだけはご勘弁を」

「いや、駄目だ」

「そんな、ご無体な――!!」

 風花の手の平から発せられた冷気が、見る間にそいつを凍り付かせていく。正に逃げ場を失ったタヌ之介。


「おい、風花さん! さすがにそれは、可哀想だろ!!」

 男として、それがどれだけ大事なものかと解ってるからこそ、吉宗が止めに入ってきた。

 ただあまりに急激な動きをしたため、大量に血を流した影響もあってか頭が大きくふらつき、足がもつれてずっこけてしまう。


「あっ」

 短く声を上げる菜々実。

 吉宗の伸ばした右腕は、転んだ勢いを乗せて凍り付いたタヌ之介の股間を直撃していた。

 ピシッと音を発てて走るヒビ。


「うわぁぁぁぁぁ!!」

 タヌ之介は絶叫を上げた。

 立派だった彼のソレは、微細に砕けた氷と共に霧散してしまったのだ。


「あっしの。あっしのが――うわぁぁぁん!」

 泣き崩れるタヌ之介。対して風花は意気揚々としている。


「手順がちと狂ったが、これで問題無いな。喜べ、吉宗殿。そなたの嫁候補だぞ。どんな女性にも化けられる優れものだ。そなたの如何様な性癖にも対応してくれるぞ」

 そんなことを言われても、さすがに後味が悪く気が乗らない。


「えぇっと、その……気を落とすな。必要なら、変化で出せばいいんだからな」

 吉宗が同情すれば、タヌ之介は涙に濡れた顔を上げた。

「変化する?」

「そうだよ。タヌ之介は立派な化け狸なんだろ。だったら騙してみろよ。周りをさ。そして自分をも」

「周りを、そして自分を」

 タヌ之助の姿が大きくぶれたかと思えば、少女姿に変じている。


「兄さん。俺――ウチのこと、心配してくれるんだね」

 潤んだ瞳で見上げられ、トクンッと、吉宗の心拍が高鳴った。頬に火照りを感じつつも、視線が外せない。

 見つめ合う二人。

 恋は一瞬と言われるが、二人の間には今まさにそれが芽生えようとしていた。

「でも、風花さん」

 したり顔でその様子を見守っていた風花に、菜々実が水を差してきた。


「女性に化けても、去勢しても、タヌ之介さんがオスなのは変わりませんから、吉宗君と結婚しても子供は出来ないと思うんですけど」

 しばしの間。そして、


「うわぁぁぁ!!」

 慌てて飛び退く吉宗だった。自分の心に生じ掛けた恋心を、悪夢だと言わんばかりに頭を振っては掻き消す。


「すっかりと失念しておったわ。許せ、タヌ之介殿。そなたの尊い犠牲は無駄にはせぬぞ。この反省は、今後の嫁探しに必ずや活かしてみせよう。さぁ、そなたは自由の身だ。立派な陰間として好きに生きていくがよい」

 一方的にそう告げる風花。


「あ、あ、姐さんの馬鹿ぁぁぁぁ!!」

 タヌ之介は泣き叫んでは雑木林から立ち去っていった――蒼深高校女子生徒の姿のままで。


 結局、茶釜ならぬおかまの狸を一匹作り上げただけで、吉宗の嫁探しは何の進展もなかった。

 そして彼らは知らなかった。夜な夜な尻尾を生やした謎の少女が泣きながら街を徘徊していると言う、都市伝説が出来上がっていたりするのを。


       5


 多大な疲労感を感じつつも帰宅しようとした吉宗と菜々実だったが、喫茶メッセーラにカバンを置き忘れてきたことを思いだし、来た道を戻っていた。

 立ち止まり線路を見据えている風花に気付き、菜々実が振り返った。つられて吉宗も倣う。


「風花さん、どうかしたんですか?」

「いや、少しな。菜々実殿、そなたは恋人はおるか?」

「恋人ですか? 私にはいませんけど」

 キョトンと返す。


「では、懸想を抱いている者は?」

「懸想って?」

 聞き慣れない言葉に、即答できなかった。


「愛しい者がおるかと聞いてるのだ」

「好きな人ってことですか。いませんよ」

 恋いに焦がれる相手は今のところいなかった。

「ならば問題無いな。少し、蒼深駅とやらへ向かうぞ」

 二人を引き連れる形で足早に先頭を行く風花。慌ててその後を追い掛けながら、吉宗と菜々実は顔を見合わせては小首を傾げ合うのだった。


「こやつでいいか」

 やってきたのは駅前広場の中央に立つ一本の木の前だ。

「ご神木がどうかしたんですか?」

 その巨木は、そこがかつて神社の一部だったと言う名残であった。


「なぁに。無作為に建てた建物や道、線路で断絶されて弱まった龍脈をな、一時的に回復させてみようと思ったまでだ」

 トンッとつま先で軽くジャンプしたかと思うと、ご神木の回りを艶やかに舞いだした。

 袂を翻しては踊る姿は美麗なる容姿と相俟って美しく、華やかだった。


「何やってるんだ、あの娘」

「尋一!?」

 魅入っていたところをいきなり背後から声を掛けられ、吉宗の心臓が跳ね上がる。そこには、尋一と夕帆の二人がいた。


「あっ、夕帆さんも。こんばんは」

「ちゃお、菜々ちゃん。二人して、何してんの?」

 興味津々と、菜々実達に並んでは風花の舞い踊りを鑑賞する。


「あの娘、菜々ちゃん達の知り合い?」

「風花さんは吉宗君のご先祖様ですよ」

「何だって?」

 夕帆と尋一の声が重なった。


「雪女でもあるんですよ」

「えぇっと……菜々ちゃんって天然キャラだっけ?」

「お前じゃあるまいし、怪しい電波は受信できないだろ」

「あたしはしてないって! 発信することはあるけど」

「するな!」

 じゃれるようなやり取りをしている間も踊りは続き、それに呼応するように夕闇空から白い雪が舞い降り始めてきた。


「これって、雪? もしかして、夕方の雪も彼女が?」

「吉宗、彼女が雪女ってのは本当なのか?」

「信じられないけど、事実だ」

「ご先祖様って言うのは?」

「それも……事実だ」

 いまだ認めがたい吉宗でもあったが。


「俺の八代前に当たるんだってさ」

「ふーん。八代前なんだ」

「おい、夕帆。お前は信じるのか?」

「事実は小説より奇なりって言うじゃない。それに、こう言うのは信じた方が絶対に面白いんだから」

 寝過ぎでとろけ気味の彼女ののーみそは、あっさりと対応してくれてみせた。


 その間にも雪の量は増えていく。ただ、夕方の雪と違うのは、一切積もることなく溶けていっているのだ。

 それでも季節外れの雪は人の目に止まり、駅から出てくる帰宅者の足を止めていた。


「菜々実殿、今だ! 木に触れるのだ!!」

 いきなり舞が止まったかと思えば、そう叫んできた。

 解らないままにも菜々実がご神木に歩み寄り、その手の平を付けた瞬間、木は淡く輝きだしていく。そして、今も降り続ける雪までもが呼応し、蛍の如く淡い灯火を照らしていた。


「何だよ、これ?」

「余が降らせた雪を用いて、削り途切れた龍脈を繋げ直したのだ。これで、上手くすれば菜々実殿の龍神の力が宿るはずだ」

「龍って、まさか!?」

「うむ。喜べ、吉宗殿。新しい嫁候補だ」

 鷹揚に頷く。


「ば、馬鹿やろ!!」

 木の輝きに取り込まれトランス状態へと入り込んでいる菜々実の腕を掴み、吉宗は強引に彼女を引きずり離した。


「風花さん。俺は確かに恋人は欲しいけど、無理矢理作って欲しいとは願ってないんだ!」

「そうか。それは済まないことをしたが……もう、手遅れだ」

 悪びれもしない謝罪であり、風花が指摘するように、抱きかかえている菜々実の様子がおかしかった。


「吉宗君の匂いだ」

 彼の首筋に鼻を埋めてはその匂いを堪能しだす菜々実。


「委員長?」

「いや、菜々実って呼んでください」

 引っ張り剥がす菜々実の頬は艶っぽくも朱色に染まり、その瞳は潤んでいた。


「お、おい、風花さん。これはどう言うことなんだよ!!」

「決まっておろう。それが菜々実殿の本心だ」

 自分の企てが成功し、愉しげに笑う風花。


「本心だって!?」

「そなたに掛けられている祟りは、女人にもてなくなる祟りだ。もてなくなることはあっても、巳之の男が無感情な対象になる訳ではない。気に入らなければ怒りもしよう。なのにそやつは、接吻を交わしたそなたに怒ることがなかったし、裸を見られれば恥ずかしがりもした」

 確かに、一連の感情の揺らぎはおかしかった。


「それ即ち、祟りで押さえ付けられている菜々実殿の感情は、吉宗殿を好意的に思っていたと言うことだ。まぁ、ここまで好きであるとは思ってもいなかったがのぉ」

「俺が好き?」

 改めて菜々実へと目を向ける。


「ねぇ、吉宗君。子供は何人欲しいですか? 私、男の子一人と女の子二人がいいです」

 指先で『の』の字を描きながら、幸せ家族計画を立て始める菜々実。完全に頭の中は春そのものだった。


「それにしても、これは様子がおかしすぎるぞ!!」

「ふむ。龍は多淫と聞くからな。感情の歯止めが利かなくなっただけであろう。まぁ、気にするな」

「気にするって――ぐげぇ」

 いきなり首を掴まれ、無理矢理視線を正させられる。


「風花さんばかりと話してないで、私と話してください」

「委員長。俺は今、大事なことを話してるから――」

「もう。菜々実って呼んでって言ってるでしょ。菜々実って」

「えぇっと、菜々実。解ったから、今はとにかく風花さんと――」

「嬉しい。やっと菜々実って呼んでくれた」

 抱きついては、頬を擦り付けてくる。


「ねぇ、尋一」

「何だ?」

「あたしってさ、今は起きてるよね?」

「奇遇だな。俺は寝てる気がしていたんだ」

 友人の、それも優等生と言っていい少女の、あられもない行動に、思考停止を起こし掛ける外野だった。


「イテッ! 何、いきなり抓ってくるんだよ、夕帆」

「やっぱり夢みたいね。あたし、痛くなかったもの」

 呆然と見守る中、


「吉宗君」

「……菜々実」

 見つめ合う瞳と瞳。


「好き」

 不意を付かれるように口付けされ、吉宗の頭が真っ白に染まった。

 唇が離れたかと思えば、ぐったりと倒れ込んでくる菜々実がいた。


「菜々実? おい、大丈夫か、菜々実!」

「え? あれ? ええ? 吉宗君、私、どうかしたの? それに、菜々実って」

 キョロキョロと辺りを見渡す。自分の身に起こったことが解っていないようだ。


「風花さん、これって?」

「吉宗殿が邪魔してくれたおかげで、中途半端にしか注がれなかったからのぉ。菜々実殿に宿った力が尽きたようだ」

「ガス切れってやつかよ……」

 今もおろおろしている菜々実の頭を撫で、落ち着かせる。


「大丈夫だ、委員長。風花さんがちょっと馬鹿やっただけだ。何も無かったから安心して良いよ」

 釈然とはしないが、撫でられるのが心地良く、気が落ち着いていった。


       ・

       ・

       ・


 事が終わり、吉宗は菜々実と風花を連れてメッセーラへと戻ってきた。ちなみに夕帆と尋一の二人は、適当に誤魔化して帰ってもらっている。


「おかえり、化け狸はいたの?」

「あー、いたと言えばいたかな」

 その後に色々とありすぎて、すっかりと忘却の彼方へと押しやられていた。


「どんなだった? 連れてきてないってことは、お嫁さんには出来なかったんだよね?」

 三人の回りを探すも、それらしき生き物はいなかった。


「実は、タヌ之介さんはオスだったんですよ」

「オス? それはお嫁さんには無理か。あっ、でも、化けることが出来るんだよね?」

「化けるのは見事でしたよ」

 自分の裸体を思いだしては、複雑そうな笑う菜々実。

「可愛い女の子にもなれましたし」


「ふーん。だったら、問題無かったんじゃないの?」

「いくら外見が女でも、オスじゃ子供が出来ないだろ」

 もっともそれに気付かず、虚勢までしたことは話さないでおいた。

「でも、それじゃあ、探し直しか」

 三人の前にジュースを並べる。


「あっ、さっき外で雪が降っていたけど、あれって風花ちゃんの仕業? 蒼深市全域に降っていたとかでニュースにもなっていたわよ」

「あっ、そうですよ。私、ご神木に触れた後の記憶が全然無いんですけど、何かあったんですか?」

 今更ながらに菜々実が聞いてくる。


「いや、あれは何でもないから。安心してくれればいいよ。ただ、龍脈の力で気を失って倒れただけだから」

 しどろもどろに誤魔化す吉宗。


「本当ですか?」

「ホント、ホント」

 視線を反らすあたりは真実味が無かったりするが、そんなことに気付くゆとりがなかった。

「ウソでしたら怒りますからね」

 ムスッと唇を窄めてみせる。


「しかし、これで振り出しに戻ったのぉ。一筋縄ではいかぬと思っていたが、なかなか難しいものだ」

 ストローでジュースを掻き混ぜては、カランと氷の音を奏でる。


「あっ、風花さん。初代の方は風花さんの分け身がお嫁さんなんですよね。だったら、また風花さんが分け身を作るのはどうなんですか?」

「分け身を作ることはできるが、あれは一つの力を二つに配分をすることになるのだ。三割程度で分かれるのが普通だが、その程度じゃ力が乏しくてのぉ。人間の子を身籠もっても衰弱していってしまい、無理に産めば、母が死ぬのだ。かつてのお雪のようにのぉ」

 お雪とは、巳之家初代に嫁いだ風花の娘だった。


「四、六や五、五で分け身を作るのはダメなんですか?」

「それでは力が戻るまでの間に他の物の怪に両方とも殺されかねんから、勧められる方法ではないな」

 本来は、七割以上の力を持った親が、子が独り立ちできるまで守るのだが、力を均等にしすぎると突出した強さを失うこととなり、共倒れしてしまう。

 そうなってしまえば、自らの力を削ってまで種族を増やす意味も意義も無いことになる。


「よっし♪ 悩める風花ちゃんに、私が面白い情報を差し上げましょう」

 フッフッフンっと、得意げに鼻を鳴らすきく乃。

「吉宗君って、風花ちゃんから見ると八代目になるのよね?」

「ふむ。お雪の嫁いだ初代から数えて七代目だからな。確かに、余から数えれば八代目とも言えるな」

 確認を取ってから、きく乃の説明は続く。


「それって、親等で数えればお互いに七親等の間柄になるのよ」


「一つずれるんですね」

「親等は自分をゼロと数えるからね」

 菜々実の言葉に補足するきく乃。

「みんなが出かけた後に法学部の友達に聞いたんだけどね。法律で言うところの親族って言うのはね、六親等までしか認めてないの」

「六親等まで?」

 何が言いたいのか解らず聞き返せば、きく乃は悪戯っぽい笑みを浮かべてみせた。


「親族には直系と傍系ってヤツがあってね。傍系って言うのは、兄妹や従兄弟、伯父伯母って関係の人達のことなんだけど、そっちは今は関係無いから省くわね」

 若干脱線し掛けた話を戻す。


「それで直系の話なんだけど、法律で禁止されているのは直系における親族間の結婚なの」

 いまいち言いたいことが解らず、頭を捻る吉宗。その隣で風花は真意に気が付いたのか、一瞬、呆けた顔をみせた。


「それはまさか、そう言うことなのか、きく乃殿」

 したり顔できく乃が頷けば、風花は叫んだ。


「喜べ、吉宗殿!」


 それはタヌ之介と菜々実を嫁候補に使用とした時のセリフであり、それでいて今までで一番勢いのある言葉でもあった。


「何を喜ぶんだよ、風花さん」

 限りなく嫌な展開を感じつつも、聞かずにはおられなかった。


「決まっておろう! 余がそなたの嫁になってやろうと言っておるのだ♪」


 喜色満面で嫁宣言をする風花だった。


いずれ、評判記の方をamazonから引き下げてweb公開しようかなと、画策中だったりして。

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