第6話 母と子
「えっ、どうなさったんですかリストリア様!?」
リストリア殿下の予想外の反応に私は戸惑った。
今の流れで笑われるなら理解できるけど泣かれる要素はなかったはずだ。
だとすると別の理由があるはず。
そう言えばリストリア殿下の母親であるアステナ様はリストリア殿下が幼い頃に亡くなられていると聞いた事がある。
優しくて器量も良かったアステナ様はサイクリア陛下から特別に目を掛けられていたが、それを妬む王妃や他の側室から相当酷い苛めを受けていたらしい。
アステナ様が若くして亡くなられたのはその心労によるものだと言われている。
そして元々爵位を持たない下級貴族の出身であったアステナ様のご実家が没落したのも王妃たちの息が掛かった者が暗躍していたからだとも言われている。
事実アステナ様が亡くなられた後に王妃は一時離宮に謹慎され、何人かの側室が王宮から追放されていたのはその真相が陛下の知るところになったからだと噂好きの淑女の間では囁かれている。
サイクリア陛下が病の床に伏せている今、きっと私が王宮に残っていたとしても王妃やその取り巻きたちに邪魔されてアステナ様の魂を【口寄せ】する事は許されなかっただろうな。
「よし、リストリア様に日頃の恩返しをしなくちゃ……」
私は今度はリストリア殿下の横に移動し、その背中の辺りに向けて手を合わせて膝を折り祈りの姿勢を取る。
「うん? 何の真似だシルヴィア嬢?」
私の行動の意味が分からずに小首を傾げているリストリア殿下を横目に私はその後ろにいる者にそっと語りかけた。
「いつもそこでリストリア様を見守っていらっしゃるのですよね? 私の口と身体をお貸し致しましょう、存分に語り合って下さい」
次の瞬間私の身体の中に太陽のように温かく優しい心を持つひとつの魂が入ってきた。
私の身体から力が抜け、ふらつき倒れかかるのをリストリア殿下が抱きとめた。
「シルヴィア、疲れているのか?」
「……リストリア……本当に立派に育って……私の事が分かりますか?」
「なっ!? まさか……母上なのか!?」
私に憑依したアステナ様は優しい微笑みを浮かべながらリストリア殿下に語りかけた。
降霊術とは本来危険を伴う能力である。
もし自分の身体の中に降りてきた霊魂が悪霊や怨霊の類だったとしたら周囲にどのような災厄を撒き散らすか分かったものではない。
だから基本的に巫女は言葉を伝える為に必要な発声器官の周りだけしか憑依した霊魂の自由にはさせない。
それが【口寄せ】と呼ばれる所以である。
でも今回私がアステナ様に貸し与えたのは全身である。
アステナ様が悪霊の類ではないと確信しているからだ。
善良な人間の魂は大切な人の守護霊となり、その者を永く守り続ける。
悪霊であるはずがない。
「リストリア、いつもあなたの事を見守っていましたよ」
アステナ様に憑依された私は微笑みを浮かべながらリストリア殿下の両手をぎゅっと握りしめた。
「母上……ごめんなさい、俺は母上を守れなかった……あいつらがいつも母上に嫌がらせを続けていたのは知っていたのに俺は何もできなかった」
リストリア殿下は大粒の涙を流しながらずっと心の中に溜めこんでいた後悔の念を吐き出す。
しかしアステナ様が亡くなられたのはまだリストリア様が幼い頃だ。
そんな子供に何かができるはずもない。
アステナ様は微笑みながらリストリア殿下をぎゅっと抱きしめた。
「いいんですよリストリア。私はあなたが立派に成長していく姿を見守れた事だけで十分です」
「俺は母上の思うような立派な人間ではありません。王族らしき振舞いも身に付けられず、今でもこうして王宮から追放されて行く当てもなく生き恥を晒している」
「そうやって自分を卑下するものではありませんよ。私はずっと見ていました。あなたがあえて王族らしき振舞いをしてこなかったのは野心を持つ者に擁立されて不要な後継者争いを起こさせない為。そしてあなたが王宮から追放されたのはシルヴィアさんを庇っての事ではありませんか。何を恥じる事があるのでしょう?」
「うっ、ぐっ……」
アステナ様は幼子をあやす様にリストリア殿下に優しい言葉を投げかける。
「私はいつまでもあなたを見守っています。この先どんな事があっても己の信じる道を歩き続けなさい」
「はい……」
リストリアを抱き締める力が一層強くなったと思った瞬間、私の身体の力がすっと抜けていった。
降霊術の効果が切れアステナ様の魂が私の身体を離れたのだ。
身体の自由が戻ってきた私はリストリア殿下の身体から離れようとしたところ、今度はリストリア殿下の方から私の身体をぎゅっと抱きしめ返してきた。
「あの、リストリア様……アステナ様はもうお帰りになられましたよ」
降霊中は私の意識も黎明状態に近いのであまり気にならなかったけど、今私は両親や親戚の見ている前で殿方に抱き締められているのだ。
意識するなと言う方が無理な話だ。
恥ずかしくて死にそうだ。
「リストリア様?」
リストリア殿下は私を抱き締めたまままるで石化でもしたように動かない。
「もしもーし?」
「……もし許されるのならばもう少しこのままでいさせてもらえないだろうか?」
「ですからもうアステナ様はお帰りになられたんですって!」
恥ずかしさのあまり私の語尾が荒くなってしまった。
そんな私に対してリストリア殿下はぷっと吹き出しながら言った。
「そんな事は先刻承知だ。 酷いな、俺がそんなマザコン男に見えたのか?」
「いえ、その様な事は……」
「シルヴィア、疲労も限界で辛かっただろうに俺の為に【口寄せ】までしてくれるとは。やはり君は俺が思っていた通りの人間のようだ」
「え? ……確かに足元がおぼつかないですね」
私はリストリア殿下に言われて漸く自分の全身が力が入らないほど疲弊している事に気が付いた。
今リストリア殿下が抱きとめた身体を離すとそのまま倒れてしまいそうだ。
いつもお世話になっているリストリア殿下の喜ぶ顔が見たい一心で後先考えず身体を酷使しすぎてしまった。
我ながらドジを踏んでしまったものである。
それにしてもリストリア殿下は紛らわしい物言いをするものだ。
私が倒れないように支えてくれるのは有り難いけど、思わせぶりな事をするのは止めて貰いたい。
こんなに強く抱きしめられたら誰だって勘違いしちゃうよ。
しかしリストリア殿下は続けて衝撃的な一言を発した。
「シルヴィア、俺は君の事をずっと前から愛していた」
「だからそういう物言いは止めて……え、今なんて言いました!? ……あぅぅ」
「あっ、シルヴィア!?」
私は体力の限界とリストリア殿下の衝撃的発言の連鎖反応で一瞬で意識が吹き飛んでしまった。