第35話 英雄への道
シルヴィアの下に派遣した騎士たちが私レイチェルの下に帰ってきた。
水神ヒュドラを鎮める為の儀式の方法についての情報と必要な祭具一式は首尾よく手に入ったけれど、どれだけ待っても剣士ハインケルと御者が帰ってこない。
それはつまりハインケルに命じていたシルヴィアの捕獲に失敗したいう事だ。
私は即座に騎士たちに平原へ戻りシルヴィアの捕獲とハインケルの消息を調べるように命じた。
しかし今の私たちにその結果を待つだけの時間的猶予はない。
騎士たちが任務を全うしてくれる事を信じつつ、こちらの企てを同時進行する為にラングに儀式を行う準備は既に整っている旨を伝えた。
計画については事前に何度も説明をしていたが、ラングはまだ煮え切らない態度で答えた。
「レイチェル、君を疑う訳ではないが本当にそれを私がやり遂げれば臣民たちは王都に戻ってくるのだな」
「はい、ラング様が荒ぶる水神ヒュドラを鎮めたとなれば建国以来誰も成し遂げる事ができなかった偉業になりますわ。臣民たちは手のひらを返すように陛下を英雄と崇め称える事でしょう。そうすればまずサルモン川を挟んだ東側を治めているテティス公爵がラング様のお力をお認めになって忠誠の意思を示すはずです。後は他の諸侯もなし崩し的にテティス公爵に続くはずですわ」
「そうか……しかし私にそれができるだろうか? 水神ヒュドラは恐ろしい力を持つ邪神と聞いているぞ。もし失敗をすれば私はどうなる」
どの道このまま手をこまねいているだけでは王国は消滅してしまうというのにこの期に及んでこの馬鹿は何を躊躇しているのか。
私は内心で悪態をつきながらラングをその気にさせる方便を探した。
そういえばサンクタス王国が誕生するより遥か昔の話、彼の地を訪れた旅人と水神ヒュドラとの種族の垣根を越えた悲恋伝説がある。
「ラング様、水神ヒュドラは美しい姿をした女神だと聞き及んでいますわ」
「なに、それは本当か!?」
美しい女神と聞いてラングの目の色が変わった。
「……こほん、そうか分かった。ではサンクタス王国の全ての臣民の為、この私が一肌脱ごうじゃないか」
ラングは先程までとは打って変わってやる気に満ちた表情を見せる。
チョロすぎて逆に不安になるくらいだ。
何はともあれラングをやる気にさせる事ができた。
荒ぶる神を鎮める儀式の方法は対象となる神の性質によって異なる。
水の女神であるヒュドラは気難しい性格で、手順を間違えれば怒らせて逆効果になる恐れもある。
私は騎士たちが持ち帰った情報通り儀式の手順について何度も確認をしながらラングに伝授した。
「……そして最後に姿を現したヒュドラが川の底に帰っていくまで跪いたまま両手を合わせて祈りを捧げ続ければお終いですわ」
「ふう……思ったよりも大変だな。だが手順は覚えた。本番では大船に乗ったつもりで私の晴れ舞台を眺めていると良いぞ、はははは」
ラングは自信満々に胸を張ってそう言うが、今まで何度も酷いやらかしをしてきた彼を私は完全には信用できずにいた。
念の為に儀式の手順を記したカンペを用意してラングに持たせておいた。
儀式の決行は明日の昼過ぎに決まった。
私は早馬を走らせて近隣の諸侯、特にテティス公爵領民に明日ラング陛下がサルモン川の水神を鎮める儀式を行う事を伝えさせた。
長年川の周辺の住民を悩ませてきた問題を馬鹿王と言われているラングが解決してみせるというのだ。
その宣伝効果は抜群で、翌日サルモン川の周辺にはテティス公爵本人を含めて多くの人々がラングの行う儀式をひと目見ようと集まってきた。
民衆たちが見守る中、川のほとりに設置された祭壇の前にラングがゆっくりと足を進める。
「来たぞ、噂の馬鹿王が」
「あんな奴に水神ヒュドラを鎮める事ができるのかね?」
あんな男でも一応はこの国の王だ。
民衆たちはラングに聞こえないようにひそひそと侮蔑の言葉を言い合っている。
殆どがラングが儀式を成功させるだなんて微塵も思ってもいないヤジ馬の集まりだ。
話声は聞こえなくても民衆たちの表情でそれくらいの事は察する事ができる。
一方のラングにはそんな空気を読めるはずもなく、得意満面の笑みを浮かべながら民衆たちに向けて儀式の開始を宣言した。
ラングが祭壇の前で膝を折り両手を合わせて祈りの姿勢を取った後、祭具を手にしながら手順通り演舞を披露して見せる。
その動きはたどたどしいものだったが、今のところ手順に間違いは見当たらない。
私はその様子を儀式が上手くいくようにと別の神様に祈りながら眺めていた。
やがて儀式が終わりがかった頃、川の中央に巨大な渦が現れたかと思うとその中央から巨大な蛇が飛び出してきた。
サルモン川の主、水神ヒュドラである。
「ひえっ」
ラングは驚いて尻持ちをつくが、ここまでは予め分かっていた事だ。
直ぐに気を取り直して手順通りヒュドラに正対して祈りの姿勢を取る。
するとヒュドラは美しい女性に姿を変えてラングの前に降り立った。
「わらわを呼び出したのはそなたであるか?」
「は……はい。私はここサンクタス王国の王ラングと申します。私たち人間はあなたの住処を侵そうとは考えておりません。どうか荒ぶる御心をお鎮め下さい」
「ふむ……」
ヒュドラはラングを見定めるようにじっと見つめる。




