第33話 裏の裏を
サルモン川へ向かう道中何度も魔物の襲撃を受けた。
しかし私の護衛の剣士が大剣を軽々と振り回して馬車に取りついた魔物を次々と斬り伏せていく。
素人目から見てもかなりの腕前だ。
馬車の周りには彼以外にも数人の騎士がついているけど、殆どこの剣士一人で片づけてしまった。
剣士は魔物の血で染まった大剣を手慣れた様子で布で拭いながら客車の中に戻ってきた。
「終わりましたよ。さあ出発をしよう」
剣士の合図で御者が馬車を進めるとガタン、ガタンと異様な音を立てて客車が大きく振動した。
とても座っていられない。
御者は急いで馬車を止めて客車の下側を覗き込み状況を確認した。
「あー、こりゃもうダメですねえ」
御者はゆっくりと首を横に振りながらぼやいた。
どうやらさっきの魔物の襲撃で車輪が損傷したらしい。
「すまない、私が魔物を捌き切れなかったのが原因だ」
剣士は申し訳なさそうに俯いている。
「そんな事ありませんよ、剣士さんが身体を張って守ってくれたからこの程度で済んだんです。……と言ってもこの状態では馬車でサルモン川までいくのは難しいですね。ひとまず近くの馬宿まで歩いて行きましょうか?」
「それには及びませんよ」
客車から降りようとする私を剣士が制止した。
「シルヴィア様にそんなご足労はかけられません。直ぐに騎士の皆さんを馬宿に走らせて別の馬車を手配させますのでシルヴィア様はここでお寛ぎになってお待ち下さい」
「はあ……私は別に馬宿まででしたら徒歩でも構いませんけど」
「いいからいいから、私が後で怒られてしまいます」
私は剣士に強引に客車の中に押し戻されてしまった。
「それよりもシルヴィア様、先程のお話がまだ途中でしたね」
「水神を祀る儀式についてですか? いえ、さっきお話ししたことで全部ですよ」
「そうだったんですか。手順についてまとめますとこんな感じでしたね……」
剣士は私が教えた通りの儀式の手順を復唱した。
それは一言一句相違なかった。
私は巫女の修行をしていた頃この手順を頭に叩き込むのに何日も費やした事を思い出し、この剣士の記憶力の高さに舌を巻いた。
「すごい、完璧です。これなら剣士さんも巫女としてやっていけますよ」
「ははは、男の私でも巫女になれますかね?」
「はい、努力すればきっとなれますよ」
当然なれるはずはないけどお互い冗談だと分かっているはずなのでつい私の軽口も弾む。
しかし次の瞬間剣士は笑みを浮かべたまま大剣を私に突き付けつつ冷めた声で言った。
「それじゃあもうお前に用はないな。今までご苦労だったな。おいお前たち、祭具を持って行け!」
「はっ。それでは我々はお先に!」
剣士の合図で騎士たちが客車に積まれてた儀式用の祭具を持ち出して馬を走らせていった。
私はそれを冷めた目で眺めている。
「……どういうつもりですか剣士さん?」
「ふん、俺たちは初めから水神を鎮める為の方法をお前から聞き出したかっただけだ。そうとも知らずにペラペラとおしゃべりをして間抜けな女だな」
「儀式については専門の知識が必要な事なので万が一の事故を防ぐ為に私たち巫女が請け負う事が一般的になっていますけど、別にその知識自体は隠していませんし聞かれれば普通にお答えするような内容ですよ? それよりもあなたたちは本当は何者なんですか? テティス公爵の使者というのも嘘っぱちなんですよね?」
「ははは、冥土の土産に教えてやろう。我々はテティス公爵の家臣などではない。我が主であるエクスディア侯爵のご令嬢レイチェル様はラング陛下から離れていった人心を取り戻す為の策を考えられた。レイチェル様は仰った。いつの世も愚民どもは英雄を求めている。ラング陛下自らの手で王国建国以来悩みの種であったサルモン川の洪水を治めてみせればラング陛下に対する世間の評価も一転するばかりか今は日和見をしているテティス公爵もラング陛下側に靡くだろうとな」
「へえ……色々と考えているんですねレイチェルさんは。でも名を騙られたテティス公爵があなた達を許すかしら?」
「要らぬ心配だ。後はお前を捕えてしまえばこの企みを知る者は誰もいなくなる。エルリーン伯爵にはシルヴィアは道中で魔物に襲われて死んだと伝えておこう!」
剣士は大剣を振り上げた。
殺す気はないようだけど私を痛めつけて王都の地下牢獄にでも監禁するつもりなのだろう。
「色々教えてくれてありがとう。でも詰めが甘いですよハインケルさん」
「な!? お前何故俺の名前を!? ……いやそんなことはもうどうでもいい、覚悟しろシルヴィア!」
剣士ハインケルは一瞬動揺して動きを止めたが、直ぐに気を取り直して私に向けて剣を振り下ろした。
「この情勢で私が他所から来た人間に対して何の警戒もしていないと思ったんですか?」
ハインケルの剣が私の身体に届く直前、私の身体の周りの空気が渦を巻いたかと思うと一陣の突風となってハインケルを客車の外に吹き飛ばした。
ハインケルは地面に後頭部を強打し悶絶しながら私を睨みつけて言った。
「なんだ今のは……シルヴィアが魔法を使えるだなんて話は聞いていないぞ!?」
巫女である私は辺りに漂う霊魂に協力して貰う事で領内に入ってきた人物の素性を調べる事ができる。
彼が以前レイチェルの指示でルーク殿下を陥れたハインケル本人である事は分かっていた。
そして巫女が降霊術によってその身に憑依させる事ができるのは死者の霊だけではない。
この世には神霊や精霊などの超自然的な霊も存在している。
私は地面に横たわっているハインケルをゴミ虫のように見下ろしながら言った。
「私は魔法なんて使えませんよ。今のは私に憑依している風の精霊シルフィードの力です。こんな事もあろうかといつでも降霊術を使えるように客車の中で儀式を進めていたんですよ」
「降霊術の儀式だと!? 馬鹿な、そんな素振りは何も……はっ、まさか!?」
「はい、あなたに水神様を鎮める儀式の説明している時に実際に祈る姿勢とかをやってみせましたよね」
「くそっ、あれは俺に儀式の方法を実践して教えるふりをして降霊術を行っていたのか!」
「正解です。でも今更気付いたところでもう遅いですよ」
私はハインケルに向けて風の精霊の力が宿った右手を翳した。




