第3話 二人旅
「申し訳ありません。私なんかの為に無関係のリストリア様まで巻き込んでしまって……」
平謝りをする私にリストリア殿下は笑いながら言った。
「気にしなくていい。俺も元々あの馬鹿兄貴にはうんざりしていたんだ。どの道いつかはぶつかり合ってこうなっていたさ。それが遅いか早いかの話さ」
「……リストリア様はこの後どうされるおつもりですか?」
「そうだな、まあ俺には王都の外にも色々と知り合いがいるしな。ここから追い出されても多分何とかなるだろう」
「なる訳ないじゃないですか」
エルリーン伯爵家の娘である私と違ってリストリア殿下には身を寄せる場所などないはずだ。
国王陛下の側室であったリストリア殿下の母アステナ様はリストリア殿下が子供の頃に亡くなられており、その後実家は没落して親族は散り散りとなり今ではどこで何をしているのかも分からないと聞きます。
リストリア殿下が王室から除名されたのは私にも責任がある。
このままはいさようならと言う訳にはいかない。
「あの……宜しければ私のお屋敷にいらっしゃって今後についてお話をしませんか? 事情を話せばお父様が力を貸してくれるはずです」
「ふむ……それじゃあお言葉に甘えようかな。それからさっきも言ったようにエルリーン伯爵領までの護衛は俺に任せてくれ。ずっと王宮務めだったシルヴィアは知らないだろうが、近頃は街道沿いに魔物が出没するようになったんだ」
「え、そうなんですか? ……あー、何となく原因は分かります」
このサンクタス王国は普段は聖女の祈りによって魔物の侵入を防ぐ破邪の結界が張られている。
その為殆どの魔物は国内に侵入する事はできないのだが、今この国で聖女の役目を担っているのはレイチェルだ。
彼女が真面目に女神様への祈りを毎日続けているとは思えない。
祈りをサボれば必然的に結界が弱まり、魔物たちが国内に侵入してくるのは当然の話だ。
しかし魔物たちが増えれば真っ先に疑われるのは聖女であるレイチェルの怠慢だ。
問題にならないはずがない。
私の問いかけに対してリストリア殿下は頭を抱えながら言った。
「エクスディア侯爵が裏で情報操作をしているらしいからな。表向きは最近魔物の動きが活発になっているが聖女レイチェルのお陰でこの程度の被害で済んでいる……と言う事になっている」
「物は言いようですね。民衆たちはそれを信じているんですか?」
「まさか。だがエクスディア侯爵家や馬鹿兄貴がバックについている以上、民衆たちも表立って抗議ができないでいるんだ。いや違うな、馬鹿兄貴は騙されている側だな。何せ馬鹿だからな」
「酷いですね……」
ずっと王宮の中で暮らしていた私はそんな事になっているだなんてちっとも知らなかった。
「そんな訳だから護衛は俺に任せてくれないか」
本来ならば王侯貴族が長距離の移動をする場合は護衛の騎士を付けるものだけど、王宮から追放された身分である私たちについてきてくれる騎士なんていない。
私たちのように訳ありの場合は冒険者ギルドで腕に覚えがある者を雇うという手もあるけど、万が一碌でもない冒険者を引き当ててしまうと悲惨な事になる。
金目の物目当てに護衛を任せていたはずの冒険者に襲われるという事件も珍しくない。
地方領主の娘如きの護衛を買って出る王子様なんて聞いた事がないけど、リストリア殿下の剣術の腕前は王宮内でも評判だ。
下手な護衛を雇うよりはリストリア殿下にお願いするのが得策のようにも思える。
「うーん、それ程まで仰るのでしたらお願いしようかしら。でも無理はなさらないで下さいね」
「おう、任された!」
私がリストリア殿下の申し出を受けると彼は自信満々に自らの胸をドンと拳で叩いてみせた。
幸い私もリストリア殿下もそれなりのお金は所持している。
私たちは王宮を出るとそのまま商会へ足を運び馬車と御者をレンタルし、エルリーン伯爵領への帰路に就いた。
◇◇◇◇
王都からエルリーン伯爵領までは約十キロおきに馬宿がある。
馬宿と馬宿の間は馬車で移動する分では大した距離ではないのだけど、その道中で魔物たちが幾度となく襲ってきた。
ゴブリン、オーク、スライム、オーガ、ゾンビ、コボルト。
いずれも聖女の結界が正常に張られていれば王国内に現れるはずがない低ランクの魔物たちばかりだ。
低ランクと言っても一般人からすれば脅威である事に変わりはない。
魔物に襲われる度に私と御者は客車の中に立て篭もり、リストリア殿下が魔物を蹴散らす様子を見守っていた。
「えいっ、たあっ!」
リストリア殿下は噂に違わぬ剣の腕で瞬く間に魔物たちを斬り伏せて行く。
「すごい、まさにハードラス伯爵の再来だ」とは彼の剣技に見惚れていた御者が思わず漏らした言葉だ。
彼の言うハードラス伯爵とは百年程前に活躍したという伝説的な武人である。
剣の腕は勿論、その卓越した用兵術により数々の武功を上げてきたが、それが逆に王室から危険視される原因となり、ついには辺境の地に左遷されてしまったという。
しかし類稀なる忠義の士であったハードラス伯爵は王室に恨みを持つ事もなく晩年は引退した戦友たちと共にチェスを嗜みながら穏やかな余生を過ごしたという。
確かにリストリア殿下の剣の腕は素人目で見ても優れていると思いますが、そんな伝説的な人物と比較するのはちょっと大袈裟ではないでしょうか。
「待たせたな、片づいたぞ」
「有難うございます。お怪我はありませんでしたかリストリア様」
魔物を駆逐し終えたリストリア殿下を私は客車の中から手を差し出して迎え入れた。
「心配は無用だ。あんな奴らに後れは取らんさ」
そう言って笑うリストリア殿下の衣服は所々魔物の返り血や飛び散った泥で汚れていた。
リストリア殿下はそれに気付いて苦笑いをする。
「今更気付いたが我ながら酷い事になっているな。次の馬宿で洗い落とさないと……」
リストリア殿下がそのまま馬車の外へ出ようとしたのを私は引きとめた。
「待って下さいリストリア様、まさか次の馬宿まで歩いていくつもりですか?」
「狭い客車の中じゃちょっとした揺れでも君に触れてしまって汚れが移ってしまうからな。馬宿までは大した距離じゃないから大丈夫だよ」
「馬鹿な事を言わないで下さい! 私はそんな事気にしませんからリストリア様はちゃんとこの中でお休み下さい」
貴族の令嬢である私の衣服を汚す事に抵抗があるのは理解できますが、それを言うなら仮にも一国の王子であるリストリア殿下が泥まみれになって魔物と戦っている事の方が問題だ。
私はもう一度リストリア殿下の手を引いて無理やり客車の中に引っ張り込んだ。
「おっと」
客車の中でもつれるようにお互いの身体が触れ、私の衣服にもくっきりと汚れが染みついた。
「すまない、だから嫌だったのだ」
「リストリア様、私にそのような気遣いは必要ありません!」
リストリア殿下は心底申し訳なさそうにしている。
王宮内でのがさつで気品の欠片も見当たらなかった彼の姿からは考えられないような紳士的な態度に私は戸惑いを覚えていた。
もしかするとこれが本当のリストリア殿下の性格?
今なら分かる。
リストリア殿下がいつも王宮からふらっと出て行っては泥まみれになって帰ってきたのは民衆たちの為に魔物を退治していたからだ。
しかしそれは一国の王子がするような事ではない
本当によく分からない人だ。
気が付けば私はリストリア殿下に興味を持ち始めていた。