第26話 最悪の労働環境
「そこのお前、何をサボっておるかあ!」
現場監督の男がバシッと鞭で地面を叩きながら近付いてきた。
「ひいっ……ごめんなさいごめんなさい」
労働者の男性は恐怖のあまり縮こまって震えながら謝罪の言葉を繰り返している。
私は労働者の男性を庇うようにその前に立ち、現場監督を睨みつけた。
「こんな状態で働ける訳ないでしょう。休ませてあげないと本当に死んでしまうわ!」
「なんだお前は。我々は今国家の為に重大な仕事をしている。部外者は引っこんでろ」
現場監督は鞭を振り上げ、私目掛けて振り下ろした。
「きゃっ」
「おい、そこまでにしろ」
「なに!?」
鞭が私の身体に届く前にリストリア殿下が現場監督の腕を掴んだ。
鞭は軌道を変えて私の身体から離れた地面を叩いた。
「幸運だったな。もしシルヴィアの身体にかすり傷一つでもつけていたらこの腰に差している剣がお前の喉を切り裂いていたところだぞ」
腕を掴むリストリア殿下の力が少しずつ強くなる。
現場監督は痛みに耐えかねてリストリア殿下の手を振り払った。
「くっ、お前ら俺たちを誰だと思っている? こんな事をしてただで済むと思うなよ!」
「知らん。どこの馬の骨だ?」
「馬鹿にしやがって……この紋章が見えないのか!?」
現場監督の男は作業服に描かれた今にもこちらに飛びかからんとする牙を剥いた狼を模った紋章を見せびらかしながら得意そうに言った。
それはサンクタス王国では王家に次ぐ強大な力を有するエディー公爵家の紋章である。
「俺たちはエディー公爵様の命を受けて都市開発の任務に当たっている。邪魔をするならば公務執行妨害罪で牢獄に叩きこんでやるぞ」
「ほう、エディー公爵が黒幕なのか。おもしろい、やれるものならやってみろ」
「貴様まだ自分の立場が分かっていないのか……うげっ、その紋章は……」
現場監督はリストリア殿下の服に描かれた王家の紋章に気付いて目を見開いた。
「まさかお前は……いや、あなた様は王室の方でしたか。た、大変失礼致しました……」
現場監督は先程の強気な態度とは一転してぺこぺこしながら一目散に逃げて行った。
「やれやれ、俺はもう王室とは無関係なんだがな。一発ぶん殴ってやろうかと思ったけど逃げられてしまったよ。それよりもシルヴィア、あまり無茶はするな。これだからお前からは目が離せないんだ」
「リストリア様助かりました。とにかく今はこの人を休ませてあげましょう」
私とリストリア殿下は労働者の男性を公園のベンチに運んで休ませる事にした。
しばらくして男性の体調も落ちついてきたので改めて事情を聞いてみた。
彼はエディー公爵領民で、先週都市開発に携わる仕事の求人情報を見てこの王都にやってきましたという。
「これがその求人情報です」
労働者が差し出した一枚のちらしを見るとそこには数人の労働者たちがにこやかな笑顔と共に肩を組んでいるイラストと、仕事内容についての説明が書かれていた。
『あなたも王都の都市開発に参加しませんか? 完全週休二日制、労働時間は朝十時から十八時まで、残業なし、賃金は日当銀貨一枚から、個人の能力次第で昇給あり。皆さんが楽しく働けるアットホームな職場です』
ちらしの最後にはエディー公爵家の紋章がでかでかと描かれている。
このちらしはエディー公爵領の全ての住民に配られたそうだ。
「ところがいざ王都へやってきて仕事をしてみると聞いていた内容とは大違い。大変な肉体労働を強いられ、仕事のノルマが達成できないと日付が変わるまでの残業は当たり前、疲労による集中力の低下もあってミスをするとその分給料から引かれて……」
「なんて酷い……そんな仕事もう止めたたらどうですか?」
「しかし故郷に残した家族にはうんと稼いでくると大口を叩いてやってきた手前、このまま手ぶらで帰る訳にもいかなくて……」
「でしたらいっその事エルリーン伯爵領で働きません? 今王都から引っ越してくる人が多くて家屋の建築とか人手が全然足りていないんです。お給料も労働環境もこんな所より全然良いですよ」
私はエルリーン侯爵領での労働環境や平均賃金などを把握している限り伝えた。
男性は私の話を信じられないといった表情で聞いている。
「本当にそんな良い条件で働かせて貰えるのですか? でも私だけがそんな良い思いをして、同僚たちに悪い気がします」
「でしたら皆さんでいらっしゃって下さい。お父様にも口添えをしておきますから」
「お父様? あなたたちは一体……」
「申し遅れました、私はエルリーン伯爵の長女シルヴィアと申します」
「ひえっ、そんなお方だとは露知らずご無礼を……それではこちらの方は……」
「俺は国王サイクリアの子リストリアだ。もっとも今は王室とは無関係だがな」
「ひえええ……そんなお方が私のような者の為に……」
「あの……頭を上げて下さい」
労働者の男性は平伏して私たちを拝み倒している。
普段エルリーン伯爵領内で巫女として民衆たちに【口寄せ】をしている時は皆も慣れたものなのでもっとフランクに話しかけられているから忘れていたけど他の地域では貴族と平民の間には明らかな身分の差がある。
彼が私たちにこんな態度を取ってしまうのも当然といえるがどうにも慣れない。
「それでは私たちはそろそろエルリーン伯爵領に戻ります。是非皆さんでいらして下さいね」
「はい、必ず伺います!」
労働者の男性は去っていく私たちを明るい笑顔で見送った。




