第九話
「いやーなかなかのものだね。ちゃんと図書を保管している国っていうのは、優秀な人材が多いって知ってる?」
クーはリゼーネ城の書庫の机の上に行儀悪くあぐらをかいて座り、読んでいるのか読んでいないのかわからない速度で本をめくっていた。
今は早朝なので、城は静かだ。クーのページをめくるペラペラと紙が空気と戯れる音がやけに大きく響いている。
「その優秀な人材ってのは、この場にいないのは確かだな……。優秀な奴は無駄な時間を過ごさないためにも、朝は寝てるものだと知ってるはずだ」
「無駄じゃないでしょ。早く起きてやれることはやる。それが冒険者の鉄則。後で出来ると思って後回しにすると、時間と状況に追われちゃうんだから」
クーは腰に手をついて威張るようにして言った。
「エミリアから逃げてきただけだろ」
「いやー……驚いたね。気分転換に夜中にちょっと屋敷を抜け出して飲みに行って、ふらふらっと風に揺られながら帰ってきたら、門のところで待ち構えてるんだもん。確かにこっちは泊めてもらってる身だけど、普通あそこまで他人に口出しする?」
昨夜クーは無理やり教え込まれたテーブルマナーを忘れようと、夜の街をうろついていた。とくに問題も起こさず、気分良く帰ってきたクーの目に入ったのが、腕を組み、仁王立ちで勝手に抜け出したクーを待つエミリアの姿だった。
酒が入っていたこともあり、軽い気持ちで声をかけたクーだったのだが、そこからエミリアの説教は長かった。まるで年頃の娘に言うような小言が延々と続くので、クーはこれはまずいと言い訳を始めた。
だが、言い訳などエミリアには通用せず、次第に言い訳は口からでまかせへと変わっていった。それが功を奏し、なんとかエミリアを納得させたものの、いつの間にか朝から調べ物をすることになっていた。
早朝からエミリアが許可を取りに行ったので、さすがに無下にすることにも出来ず、リットを連れて書庫に来たのだった。
「人を巻き込むなよ……。オレは昨夜はおとなしく寝てたんだぞ……」
リットは大きなあくびをして、恨みがましい視線をクーに送った。
「しょうがないでしょう。自分でもなんて言ったのか覚えてないんだから。変に否定したら、辻褄が合わなくなっちゃうもん。だいたいリットが昨日助けてくれないのが悪いんだよ。反省してよね」クーは子供を叱るように人差し指を立てて怒ると、その指を本に向けた。「それよりこれは? ヴァンパイアの国で採れる血のように赤いルビー」
「ヴァンパイアと獣人なんて関係ねぇだろ」
「獣人でも、ワーウルフとかはヴァンパイアと繋がりが深いんだよ。ペングイン大陸にあるヴァンパイアの国。その建国の歴史に深く関わってるんだから。まぁ、表舞台にはワーウルフの名前は一つも残ってないんだけどね。近々、正しい歴史を取り戻すためにワーウルフが戦争を仕掛けるって話し。おー……怖い怖い」
クーはわざとらしく身震いをした。
「ワーウルフって言えば、エミリアの義理の兄がワーウルフだ。ペングイン大陸と関わりがねぇだろうけどよ、聞くならそっちに聞けよ」
「ならこの情報は役に立たないね」と、クーは本を投げ置いた。「近くにいるなら、一番最初に聞いてるはずだもん」
「あちこちから獣人も他の種族も集まる国だ。めぼしい情報なんてある程度当たってるだろうよ」
「ある程度当たってるだろうよ……――じゃないでしょ。さっきから否定ばっかり。せめて本くらい読んだらどうなのさ」
リットの開いた本は、最初のページのままで止まっていた。
「眠くて頭が働かねぇんだよ……飯も食ってねぇどころか、顔も洗ってねぇんだぞ。誰かが引っ張ってきたおかげでな」
「愚痴ってもいいけどさ。何もせずに愚痴るのは一番無駄な時間だよ。リットが取るべき道は二つ。おとなしく調べるか、寝てスッキリしてから調べるか」
「じゃあ寝る……」とリットが自分の腕に顔をうずめようとすると、顔が腕におさまる前にクーの手が割り込んだ。
「甘いねぇ……昨日食べたペルセネスのアップルパイよりも甘い考えだよ。二つの道があったら、三つ目の道を探すのが冒険者だって教えたでしょ」
クーは手に持っていた葉を指の腹でこすりつぶすと、リットの鼻には痛みを伴ったスーッとした香りが突き刺すように広がった。
リットは慌てて顔を上げると、鼻をつまんで声にならない声を上げた。
椅子から転げ落ちるリットを見て、クーは満足げな笑みを浮かべていた。
「目が覚めたでしょ? これ、獣人なら気絶しちゃうくらいの匂いがするんだよ。のたうち回る時間は上げるけど、ある程度床をゴロゴロして服を汚したら、ちゃんと調べ物を手伝うんだよ」
クーはリットから目を離すと、一人さっさと調べ物の続きを始めた。
リットはまたもクーの思惑に乗せられたような気がしていた。刺激性のハーブの香りを嗅がせられたというのもあるが、床を転げ回っているうちに体が温まり、すっかり目が覚めてしまったのだ。
意地を張ってもしょうがないので、おとなしくリットが調べ物を進めていると、面白いものがあった。その本にはレアストーンのことが書かれており、中でもカラーチェンジする宝石がリットの目を引いた。
カラーチェンジとは、日光と燃焼光下で色が変わる珍しい宝石だ。
リットも昔アレキサンドライトという高価な宝石を装飾に使った、依頼人の富豪の欲を満たすだけのランプを作ったことがある。
いくつか実在が確認されているカラーチェンジ宝石のページを見ていくと、余談でうわさ話をまとめた小さな章があった。
そこには、普段は普通のアメジストだが雨の日だけ虹色に輝く宝石の話や、精霊が閉じ込められていて、一日で四つの変色性を楽しめる宝石の話などが書かれていた。
「あー……それ、精霊の話はガセだったよ。どっかの魔女が失敗作の魔宝石を売りつけるために流した噂。せっかく野を超え山を超え、空まで飛んだっていうのに、無駄足だったんだからひどい話だよ」
クーはあの時は苦労したと、過去の依頼を思い出して肩をすくめた。
「この満月の夜は獣の瞳のように光るってやつはどうだ?」
「うーん……どうだろうね。文字だけ見ると、求めているものっぽくの見えるけど……」クーはあまりに噂話過ぎると難色を示したが「悩んでてもしょうがないね。噂は嘘か真か調べるに限る。行ってみよう」と拳を掲げて「おー!」と意気込んだ。
「行ってみようたってな……。噂の元の場所は大陸ハズレの荒野だぞ」
「どれどれ……私に見せてみそ」クーはリットの背中に覆いかぶさるようにして、本を覗き込むと「ここは……大丈夫、大丈夫。巨大獣の墓場でしょ。行けるよ」
「あんまり大丈夫じゃない言葉が聞こえてきたんだけどよ……」
リットの後ろ向きな態度に、クーは一度離れると、鼓舞するように背中を叩いた。
「ただの通称だって。私も行ったことないけど、彼らは行ったことあるはず。ささっと行ってこようよ」
クーはポケットから木笛を取り出すと吹き鳴らした。
すると二人の間に小さな旋風が吹き起こり、緑のシャツに茶色のベストと、緑のズボン。長く茶色のシルクハットを被ったレプラコーンの二人が現れた。
このレプラコーンの二人組はリットにも見覚えがあった。オークの集落でローレンが呼び出した『コンプリート』という靴屋を営んでいる『ライト』と『レフト』という二人だ。
リットはまた面倒くさい自己紹介が始まると思って嫌な顔をしたが、レプラコーンの方がめんどくさそうに眉間にシワを寄せていた。
「またですか」「クー様」「私どもも」「とても忙しいので」「ございますが……」
レプラコーンの二人は交互に発せられた言葉を聞いて、リットは前にもクーの厄介事を引き受けたのだと理解した。
「誰のおかげで忙しく過ごせると思ってるのさ。さぁ、早いとこ頼んだよ。行き先はそこの本に書いてあるから」
クーはまるで恋人でも抱くように、リットの腰に手を回して体を押し付けた。
「説明しろよ……」
リットは離れようとしたのだが、クーの力は強すぎて抜け出すことは出来なかった。
「説明するより、まず見たほうが早いって。それに、ふざけてるわけじゃないよ。こうしてないと危ないの。わかったら、リットも私を抱きしめる。ほら」
クーがたしなめるように、回した手で背中を叩くので、リットはとりあえず言われたようにクーを抱きしめた。
「そうそう。素直な偉い子には、この世界の大きな謎を見せてあげる。さぁ、準備完了だよ」
クーが元気に言うと、レプラコーンの二人は一度ため息をついてから、それぞれクーとリットの頭に飛び乗った。
「それでは」「絶対に」「私どもから」「離れないでください」
レプラコーンは頭の上で靴を鳴らしてリズムを取ると踊りだした。
すると足元から旋風が起こり、周囲の本や棚がカタカタと暴れだした。
旋風は本や僅かなホコリを巻き込み、体を隠すように纏うと、リットは風にさらわれるように足元から浮き上がった。
「なにを騒いでいる!」と、騒ぎを聞きつけて書庫に入ってきたエミリアだが、そこには誰の姿もなかった。
その時、リットはエミリアの姿を真上から見下ろしていた。
正しくは、エミリアと思われるもの。リットの目に映るエミリアは、まるで水たまりの波紋の向こう側のように歪んでいた。
不思議なのはそれだけではない。壁が床になり、天井のシャンデリアは渦巻いた太陽になっていた。
そして、その太陽を見つめていると、いつの間にか周囲は森の中だ。上からも、左右からも、下からも映える不思議な森。まるで森を布のように切り取って、筒のように丸めたような風景だ。
それがなにかと考えるまもなく、森の筒の中は川の水に満たされ、骨の魚が泳ぎ、藻が岩を溶かして新たな大地を作り出した。大地はタニシのように膨らみ噴火すると、水は一瞬で干上がり、生物の骨だらけの一辺世界に様々な色の炎の花を咲かせていた。
心臓の音が耳から鳴り、鼻から抜けていくような摩訶不思議な世界。
リットが抱きしめたクーだけが、周りの景色と違い。見慣れた姿でリットの目に映っていた。
「どう? 凄いでしょ?」とクーが笑うと、リットは心に平穏が戻ってくるのを感じた。
「ここはなんだってんだ……」
「さぁね……私にもわからないんだけど。あえてわかりやすく言うなら、『闇に呑まれてる』って感じかな。もっとわかりやすく言うと『神の世界』。私ふうに言うと、あっちとかこっちとかあれとかの世界かな」
クーの言葉を聞いて、リットはあることを思い出していた。
「これは『神の産物』と同じだ……」
リットはディアナの大鏡で見た夢と同じような、風景だと思い出した。
クーは「大丈夫。怖くないよ」とあやすようにリットの背中を優しく叩いた。「話は聞いてるよ。あの時リットは鏡に囚われちゃったから、何日も寝て夢の中だったけど、今私達の目の前にあるのは現実だよ。時間を飛び越えてるの。周りに流れてる景色は、たった一瞬の時間の歪み」
「闇に呑まれた中で、ランプで照らすと急に周りの時間が動き出した時があったんだけどよ。そんな感じなのか?」
リットの質問へのクーの答えはため息だった。
「あれもこれも体験してるとはね……ヴィクターの血をひしひしと感じてるよ。まぁ、たぶんそんな感じなんだろうね。私の生涯の目標は、こっちの世界の謎を解くこと。さすがに無茶はしないけどね。そのうち、この不可思議な世界を冒険したいんだ」
そう語るクーの瞳は子供そのものだった。心配事がないわけではないが、それよりも楽しさが勝っている。誰が止めても聞かないあの目だ。
「こんなところで何を見付けるつもりだよ」
「なんでもだよ。きっとここは、誰の思い出も、誰の未来も転がってるそういう場所。世界の謎を解くにはもってこいの場所でしょ?」
クーはリットの胸に頭を預けると、より強く抱きしめた。
それが、もう少しでこの世界が終わる合図だと言うのに気付いたので、リットも強く抱きしめ返した。
一度強い閃光に包まれて目を閉じ、再び開けると、周りは草の一つも生えない荒野だった。
「たしかに」「送り届けました」「くれぐれも」「お気をつけて」
レプラコーンの二人は頭から降りると、またステップを踏みダンスを踊って旋風の中に消えていった。
リットが消えていったレプラコーンのいる場所を眺めていると、クーが「あの木笛が神の産物だと思ってるでしょ」と聞いた。
「違うのか?」
「神の産物は靴だよ。私が見付けたんだ。あの靴があれば、あっちの世界を自由に歩き回れると思ったんだけどね。私には小さすぎて、彼らにあげたの。今じゃ私専用の馬車。なにがあるかわからないから、私以外の人を連れて乱用はしないんだけどね。今日は特別。リットが『闇に呑まれる』現象を解決したお祝いをしてなかったからね。いやー、リットも大人になったねぇ……」
リットがどう反応していいのかわからず、「ありがとよ」とだけ短く言うと、クーは悪戯な笑みを浮かべた。
「どう? ベッド以外でも、女に教わる秘密って刺激的なものでしょ? 一度味わうと離れられないくらい」
二人はまだ抱き合ったままの格好で荒野に立っていた。
「どうせなら、もう少し褒めてくれねぇか?」
「あら、ずいぶん甘えたさんになったことで。いいよ、なにを褒めて欲しい?」
「……漏らさなかったこと」
リットにとってあの世界は恐怖の割合が多く、クーを抱きしめたままで体が強張って固まってしまったのだ。
「本当にリットが大人になってくれてよかったよ……。この歳でオムツを替えるのは、さすがにちょっと考えちゃうから……」