第六話
リットとクーが連れてこられたのは、家ではなく外にある村の集会所だった。
集会所と言っても、屋根もなく雨ざらしで、大きな切り株を囲んで椅子が並べられているだけの簡素なものだ。
クーは椅子に座ると、足を組みながら「さて……」と切り出した。「報酬の話はネコちゃんから聞いてると思うけど……どうする? もう一度話をする?」
「そっちこそ……もう一度話をしたほうがいいと思うが?」
ペルセネスはヘタって地面に倒れ込んでいるリットを顎でしゃくった。
「もう……カッコつかないなぁー……。ほら、起きて話を聞く。なんの為に連れてきたと思ってるのさ」
クーはリットのベルトを掴んで立ち上がらせると、しっかりしろとお尻を叩いた。
「森遊びをさせるためじゃねぇのは確かだな……」
リットは疲れる原因を作ったのはクーだと顔を見るが、クーはそんなこと知ったことではないと無理やり椅子に座らせた。
だが、疲れているものはどうしようもないと、リットは切り株に突っ伏してしまった。
「話をするつもりはあるのか?」
ペルセネスが睨むと、クーがリットの腕を持ち上げて「ありまーす」と手を振らせた。
「聞いてるからよ……。話は勝手に進めてくれ……」
「なら簡潔に言ってやる。盗まれたのは宝石だ。その宝石の代わりを探せ。それが依頼の内容だ」
「その中に十分な休養をとるってのは入ってねぇのか?」
ペルセネスは話は終わりだと立ち上がった。今これ以上話しても無駄というのと、せっかく帰ったきたハスキーと一緒にしたいからだ。
「言っておくが、ハスキーちゃんには余計なことを言うなよ」と睨みを効かせると、ペルセネスはメガネを掛けて「心配性だから、不安になるようなことは耳に入れさせたくないの」と先ほどとは別人のような甘い声で言った。
そう言って家へと向かう後ろ姿を見て、クーは「あれはブラコンってやつだよ」と呆れた。
「なんでもいいから、肩なり手なり貸してくれよ……」
一度座ってしまったリットは、もう自分の意思で立ち上がる気力はなかった。
「もう……リットはシスコンなんだから……そろそろお姉ちゃん離れしないとダメだよ」
クーはリットの襟首を掴むと、ずるずると引っ張って連れて行った。
家につくと、ハスキーは眼鏡の向こうで目を大きくした。
「また、修行をしていたんですか?」と、リットの土で汚れたお尻と背中を見て感心した。「自分もリット様を手本にして、もっと努力をしなければ……」
決意のあらわれのように出来たハスキーの目尻のしわを、ペルセネスは指で伸ばすと、そのまま頬を手で挟んで自分の顔を見させた。
「せっかく自分の家に帰ってきたんだから、ゆっくり羽根を伸ばすんですよー。やんちゃが過ぎると、お姉ちゃん困っちゃいます……」
「姉さん……。そうですね。溜まった休暇をもらってきているので、ここにいる間は姉さんに甘えてゆっくりします」
ペルセネスはほっと胸をなでおろすと、お腹が空いたでしょと食事の支度を始めた。
「クー様とリット様は、汚れを落として待っていてください」
ハスキーは泥だらけのままじゃ気持ち悪いだろうと、湯に浸したタオルと乾いたタオルを渡そうとしたが、クーが受け取ることはなかった。
「まず、ごはんが先」
「すぐに出来ますよ。姉は料理が上手なんです、楽しみにしていてください」
ハスキーはもう一度タオルを渡そうとしたが、クーは再び拒んだ。
「聞こえなかったの? ワンちゃん。まずはごはんが先なの」
「はぁ……」と困るハスキーを察して、ペルセネスが動物の硬い骨でも断ち切れそうな厚みある包丁を持って出てきた。
「ハスキーちゃん。お二人を今夜止める場所に案内してあげたらどうしょう」
「この家に泊まってもらうのではないですか? リット様は友人なのですが……」
「ダークエルフさんのご要望で、外にスペースを借りたいって。ね?」
ペルセネスの優しい口調ながらも、有無を言わさない表情にクーは頷いた。
「そうだけど、まずごはん。それから泊まる場所へ案内してもらって、汚れを落とす」
クーにも意地があり、順番だけは譲らなかった。
二人の間に漂うただならぬ空気を感じたハスキーはリットに助けを求めようとしたが、リットは床で寝息を立てていた。
「それじゃあ、お疲れでしょうから、大人しく待っていてくださいね」とペルセネスが奥へ引っ込むと、ハスキーはほっと胸をなでおろした。
クーもそれ以上文句を言うことはなく、ご飯を食べ終えるとリットを引きずって外へ出て、ハスキーに案内された場所でテントを立て始めた。
ハスキーはなにかあったらすぐに家に来てくださいと言うと帰っていった。
その後姿が見えなくなると、クーは火をおこして湯を沸かした。ポケットから乾燥ハーブをいくつか取り出すと湯に入れて沸騰するまで待った。
そこへとタオルを浸し、取り出して秋の夜風で適温まで冷ますと「いい加減起きたら?」と濡らしたタオルをリットの顔においた。ゆっくり七まで数えたところで、リットが空気を求めて飛び起きると「おはよう」と声をかけた。
「……もしかして、オレを殺して埋めるのにちょうどいい場所に連れてきたのか?」
「なんで大好きなリットのことを殺さないといけないのさ。寝る時は汚れを落とす、これ常識」
クーはためらうこともなく服を脱ぐと、自分もお湯に濡らしたタオルで体を拭き始めた。
「これ何の匂いだよ……鼻がいかれちまうぞ……」
とりあえず顔を拭いたリットは、ミントよりも強く鼻を突き抜ける清涼感に顔をしかめた。もはや痛さまで感じるほどだ。
「虫よけだよ、それに今の私達よりはマシな匂いでしょ」
リットとクーは泥と草の汁と汗が乾いた独特の臭いをしていた。街に入れば間違いなく嫌な視線を向けられる。
「この匂いだって相当なもんだぞ……」
リットがハーブの匂いのタオルで体を拭くのをためらっていると、半裸のクーが近付いてきた。
「一日経てばだいぶ消えるよ。それよりどう? まだ匂いする?」と腋を上げて、自分の匂いをリットに嗅がせた。
「……わかんねぇよ。ハーブの匂いで鼻がひん曲がったみてぇだ……」
クーは「なら、よし」と満足気に鼻歌を歌うとズボンを脱いで下半身の汚れを落とし始めた。
リットはマイペースなクーにため息をつくと、自分もシャツを脱いで汚れを落とした。
しばらくするとメガネを外したペルセネスがやってきたのだが、二人を見るなり顔面を殴られたかのように顔をしかめた。
「鼻がもげる……」
「はいはい、どうせ冒険者は鼻つまみ者ですよー」
クーはシャツを着ると、今まで来ていた汚れた服を鍋の中にいれた。
「私は、それのことを言ってるんだ……まさか食うのか?」
ペルセネスは鍋を見て、信じられないと言った表情で驚愕した。
「さぁ……どうだろう? 食べてみる?」
クーは鍋からパンツを取り出すと、広げてリットに聞いた。
「食うかよ……」
「だってさ。男が食べたいのはいつだって中身ってことだね。それで、なんか用?」
ペルセネスは犬鼻をつまんで押さえると、ハーブの匂いが入ってこないように、口だけで深呼吸を繰り返した。
「言い忘れたことがあったから、伝えに来たんだ。離れの小屋には絶対に近づくな。あそこには狂獣病を発症した者が隔離されてるからな」
「狂獣病って簡単に言うけどよ、オレらの安全は大丈夫なんだろうな……。ハスキーの話じゃ、先祖返りって呼ばれてて、野生に戻るって話だったけどよ」
リットは先祖返りした獣人が、理性を忘れてこっちに襲いかかってこないのかと心配すると、ペルセネスは安心しろと強い口調で言った。
「こちらとしても、外様に見せたい姿ではない。厳重に隔離している。それに、症状が出るのは月の出る夜だけだ。今日みたいに空が陰っている日は問題ない」
「もう一つ聞いていいか?」
「ダメだ。これからハスキーちゃんとゆっくり過ごすんだからな」
ペルセネスが踵を返すと、リットはその背中に向かって「そのハスキーちゃんに聞かせたくねぇ話をのことだ」と呼び止めた。
これにはペルセネスも足を止めるしかなかった。
「……なんだ?」
「報酬の酒のことなんだけどよ。また飲めねぇ酒をもらってもどうしようもねぇから、どんなもんか聞いておきてぇんだよ。詳細をな」
「話すと思っているのか?」
「安心しろよ、パッチワークとは仲良くやってる。商売を潰すようなことはしねぇよ」
ペルセネスは少し考えてから、早くハスキーの元へ帰りたいという思いもあり話し始めた。
ポンゴで作られている酒は『コボルドクロー』と呼ばれており、喉を掻っ切られたかのように強い酒だ。
元々は自分の村だけで楽しむ酒だったのだが、闇に呑まれたことにより、いくつも経路が遮断されてしまい、収入源である木材の取引相手が減ってしまった。
そこで村で代わりに売れるものがないかと議論した結果。コボルドクローを売ろうという話になった。だが、わざわざポンゴに来るような者は少なく、売る場所はリゼーネしかないとなった。
だが、リゼーネは多種族国家であり、種族上や宗教上で禁じられているものが繚乱しているので、飲食物の許可を取るには時間がかかる。
そこで手っ取り早くパッチワークに裏ルートで売ってもらうことにした。
始めは怪しい酒だと売れなかったが、一人の物好きが買うと飲んだことのない味だと話題になった。一度話題になると、噂が噂を呼びコボルドクローの名は一部に知れ渡った。
そして、なぜ今その酒の流通が滞ったのかと言うと、その酒を作るのには盗まれた宝石が必要だからだ。
「コボルドクローは月明かりで熟成させた酒なんだよ。ただ月夜の晩に酒を晒せばいいってわけじゃない。宝石に反射せた月明かりが必要なんだ。だから、昼に言ったように宝石の代わりを探せっていうのが依頼だ」
ペルセネスが言い終えると、リットは肩を落とした。
「またきな臭え噂と魔力が絡んできそうな話だな……」
「噂は絡んでるが、魔力のことは知らん。狂獣病は体内の微弱な魔力の暴走で発症するものだが、獣人も人間も魔力の器に至っては同じようなものだ。獣人が飲んで大丈夫なものは、人間が飲んでも問題はない。それに、コボルドクローの顧客には人間の客もいるからな。必要なのは宝探しの能力だ。だから、冒険者に頼んだんだ。――名は売れてるみたいだしな……」
ペルセネスはハーブ漬けにした服を干すクーに視線をやった。
「大丈夫大丈夫。クー様にお任せあれ。それに、助手は闇を晴らした実績もあるんだから」
クーが自慢げに言うと、ペルセネスは睨みを利かせた。
「うちのハスキーちゃんも闇を晴らしたんだ」
クーは「そうかもね」と、曖昧ににごした言い方で肩をすくめる。「とにかくお任せあれ。最強のコンビがここに誕生したんだから」
クーはリットの肩を組むと頬をすり合わせた。
「くせえ……」
「失礼な男だよ……。愛の言葉の一つでも練習させればよかったよ……」
「いや……本当に臭いぞ。今後、そのハーブは禁止だ。ここは獣人の村だぞ、そっちよりも格段に鼻が利くんだ。そんな匂いでうろつかれたら困る」
「大丈夫、こんなに酷いのは今日だけだから」
クーがひらひらと手を振るので、話は終わりだとペルセネスは帰っていった。
「なんなんだよ……」とリットは不審な目でクーを見た。
「なにって、なにさ。なんなのさ」
「一連の意味不明な行動がだよ」
「あらーそんなに私から目が離せないの?」
「一眠りして頭も冴えてるから、その誤魔化し方は通用しねぇぞ」
おどけてもリットが目を離さずに言うので、クーは仕方ないと肩をすくめた。
「だって久しぶりじゃない? リットと色々行動を一緒にするのも、そうしたら昔の血が騒いじゃってさ。大丈夫、明日からはだいぶ抑えるから。宝石探しをしないといけないしね」
「そりゃ安心だな。もう一つ安心させてほしんだけどよ、目星はついてんのか? 宝石の在り処の」
「それは一緒に考えるのがパートナーってもんでしょ。まぁ、とりあえずうろついてみようよ。前にも教えたでしょ。ただうろつくことの重要さ、そこで気になることを見付ける重要さ。まずはふるいにかけられるくらいの情報を手に入れることだね」
クーは夜の間に服を乾かすから、妖精の白ユリのオイルが入ったランプを寄越せと手招いた。
「パートナーってことは、立場は平等だって重要なことに気付いたんだけど。どうする?」
リットはクーの手の届かないところで、ランプを揺らして言った。
「リットがそれほどいい男になってたなら、勝手に立場は平等になってるよ。貸す気がないなら、ちゃんと自分で服の横にランプをかけておいてよ。明日の朝に乾いてなかったら、下着まで手洗いさせるからね」
クーは疲れたと大きなあくびをすると眠ってしまったので、リットはしょうがなく立ち上がり、服を干しているロープにランプをかけた。
焚き火に薪を数本足してしばらく見守り、テントに煙が流れ込んでこないのを確認すると、リットも眠った。