第二十五話
「おい! クー!!」リットはカウンターに手をつくとクーを睨みつけようとしたが、その後ろに大きな塊があるのに気付いたので、視線はそっちへ向いてしまった。「……なんだ? 今度は毛皮でも売り払うのか?」
「これ? これは新しい相棒だよ。ほら、挨拶しなさい」
クーの隣りにいたのはクマの獣人で、クーが二人分隠れられそうなほど大きな背中をしている。
その背中を顔が見えるくらい少しだけ反らせると、リットに向かって小さく頭を下げた。そして、すぐにまた正面を向いて、酒をちびちびと飲み出した。
「相棒? 酒を売った金で男を買ったってことか」
「男を売って酒を買うよりましでしょ。――じゃなくて、お酒はこれから売りに行くところだよ。この無愛想で、自分の名前も言わないような無口な男は『ベルク・ハニーハンド』っていって、クマの獣人だよ。大きいでしょ。足も早いし、力も強い。便利だよ。タフで盾役にぴったし」
リットはベルクが不憫で仕方なかった。どれだけ振り回されているか、手に取るようにわかったからだ。いいように使われているに違いない。そんな先入観からか、彼の丸まった背中は哀愁が漂っているように見えていた。
同じ境遇の中一杯奢ってやろうと酒を注文すると、ベルクは申し訳ないと頭を小さく下げた。
リットは気にするなと言おうとしたが、それより頭の中でピースがはめこまれ「あっ!」と声を上げた。
大きく開いた口を悔しげに一本線に閉じると、クーを睨みつけて「ベルクから聞いて、牙宝石の詳細を知ってやがったな。そのうえで黙ってたんだろ……」と言った。
「んー? どうしてそう思うのさ?」
そう言ったクーの口元は、お酒が入ったものとは別の愉快さによって緩んでいた。
「今思えば、オレを正解に導くような動きをし過ぎなんだよ。『あっちの世界』の移動方法のせいで混乱してたけど、他の獣人の村には行って『フルーツムーンツリー』にだけ行けなかったのは、そいつが狂獣病を発症したからじゃねぇのか? 急にハチミツにハマったのも、そいつの影響だろ」
リットがベルクを指すと、クーは短く拍手をした。
「ほらね。なかなかやるもんでしょ」
ベルクは小さく頷いてから、音が出ない静かな拍手をリットに向けた。
「なにがやるもんだ。オレを巻き込みやがって……」
「こっちだって大変だったんだよ。急に狂獣病になるんだから。まぁ、孤児だったっていうから仕方ないんだけどね。ほら、リットにお礼を言いなさい」
ベルクは小さな声で「……ども」とお礼を述べた。
「言いたいことは全部聞いてもらうし、聞きたいことは全部答えてもらうぞ……」
「あら、そんなにお姉ちゃんといっぱいお喋りしたいの?」
リットが「クー……」と低い声で名前を呼ぶと、クーは「わかったわかった。なにさ」と肩をすくめた。
「そいつの狂獣病はどうやって治ったんだよ。姿は見なかったし、ポンゴで治したってわけじゃねぇんだろ」
「それはもう。リットがワンちゃんをたらしこんだおかげだよ。あのワンちゃんも、姉ワンちゃんもなかなか口を割らなくてねぇ……困ったもんだよ、本当に。東の国の獣人は狂獣病を発症しないって知ってる?」
「知らねぇけど不思議には思ってた。クーが盗み聞きしてたハスキーとの会話でな」
「その答えはこれだよ」
クーはじゃじゃーんとカウンターに石を二つ並べて置いた。
「それ勾玉だろ? 夫婦で持つってやつ。二つ合わせてうねる龍の姿になるって」
リットは勾玉を動かして、すぼまった先を背中合わせにしてS字の形を作った。
「それが違うんだなぁー。正しく言うとこれは牙宝石で、二つ合わせると満月の形になるの」
クーは下の牙宝石を上にずらして、もう一つの牙宝石のくぼみと合わさるようにすると、二つの牙宝石は一つの円を作った。
「それが、ポンゴの台座の光と同じなのか?」
「ちょーっと違うんだけどね。他の大陸だと、フェニックスアローってのが必要だったでしょ? でも、東の国では必要ないの。なぜなら、東の国は龍が住み着いてる国だから。龍が飛び立った後でも、次の龍になるためのオオナマズがいるおかげで、ずっと龍の力がある大陸なんだよ」
クーの話では、そういった力がある大陸では魔力の形状変化が起きやすく、牙宝石のようなものが多く採れる。なので、その力にあやかって、龍と名のつく地名や現象が多いのだそうだ。それは種族にも起きている話で、東の国には妖怪という独特な種族がいる。これは魔力の形状変化が肉体に作用した証拠だという。
肝心の使い方というのはただ持っているだけだ。子供が生まれた時に名前と一緒に授けるので、いつのまにか勝手に月明かりが反射されて治療されるというわけだ。
これは土地柄関係なくすべての獣人に効果がある。それほど霊獣がいる土地というのは力があるのだ。
そして、牙宝石を二つ合わせて円にしたものは『龍玉』と呼ばれ、万病に効果があると言われている宝石で、生前ヴィクターが東の国へ探しに行ったものだった。
「リットが東の国の話を聞き出してくれなかったら、きっとこの謎は解けなかったよ。こっちは情報収集にヴァンパイアの城まで行ったんだから」
クーはけろっと言うが、リットはその言葉で過去のことを思い出した。ワーウルフとヴァンパイアの話だ。ワーウルフとヴァンパイアは関わりが深いという、なんともない話なのだが、牙宝石を使った治療方法は首に二回、牙宝石の尖った先端を当てるというものだ。その痕がヴァンパイアに噛まれたように見えるという。
つまり、クーはそこまで独自に調べていたということだ。
リットがなにを言いたいのか、その刺すような視線でわかったクーはにっこり微笑み返した。
「ベルクに効果なかったからさ。獣人は正しい使い方は隠してるんじゃないかなーって。あんな姿を見られるのは一生の恥みたいだし? そこで思い出したのが、『光を呼ぶ者』の噂話。一緒に世界を救った仲なら、気を許すかなと思ったら大当たり! 立派な弟を持ってお姉ちゃんは幸せだよ」
クーが盛り上げろと肘でベルクのお腹をつつくと、ベルクは立派だとゆっくりとした拍手を響かせた。
「なるほどな……」とリットはため息をついた。「それで最後には興味がなくなってたんだな……」
「そうそう。東の国で情報集めた後は、東の国で牙宝石を探さないといけないでしょ。こっちの治療に忙しくてさ。何回もあっちの世界を通って、もうヘトヘト……。最速で治療するために。シルヴァのトップコートもほとんど使っちゃったよ。今度会った時に謝るけど、リットからも謝っといてよ」
クーの後ろで、ベルクがすまなさそうに眉間にしわを寄せて頭を下げた。
「なんだって……そんな遠回りをさせたんだよ……。素直に用件を言えば手伝ったぞ。本当に困ってたら助ける。それくらいの仲だろ」
クーは「まぁ、そうなんだけどね」と困った顔を浮かべた。「リットの成長を見てみたかったって言うのが一番かな。どんなことを考えて、どう繋げて、どう行動するんだろうって。なかなか楽しかったよ。今なら、私の隣に並んでも恥ずかしくないね。どう? 私がボスで、リットとベルクが右手と左手。きっと楽しくなるよ」
リットとベルクは思わず視線を合わせた。その瞳の訴えは二人同じく「やめとけ」というのもので、お互いにそれを瞬時に理解したものだから笑ってしまった。
「あー……それ嫌い、私。その男同士でわかりあってるって雰囲気」
不満に唇を尖らせたクーの肩に、ベルクは手を置くと一人先に店を出ていった。
「そうだね。そろそろ行かなきゃ。お酒を売りに行かなきゃ行けないし、今度の冒険はちょっと遠くまで行くから、しばらくはリットに会えなくなっちゃうな。寂しい?」
クーがはっきり会えなくなると口にする時は、相当長い期間会わないということだ。それは、長いダークエルフの寿命と、短い人間の寿命の差のこともあり、自分が死ぬまでの間に会えないかもしれないという意味だとリットはわかっていた。
「まぁ……少しはな」
「私もだよ。でも大丈夫。たぶん……」と、クーはじろじろとリットの顔見た。「――たぶん、近い内にもう一回会うんじゃないかな? そう遠くはないと思うけど……。この感じの顔だと……うんうん、最低でも一回は会うよ」
「どういう根拠だよ……」
「さぁ、なんだろうね」
クーはバイビーと手を振って酒場を出ていったが、「忘れてた、忘れてた」と戻ってきた。
「そうだ。ここの支払いが済んでねぇぞ。奢るなんて一言も言ってねぇんだからな」
「違うよ。忘れたのは別れの抱擁。安心してよ、今度は勝手にどっかに連れてったりしないから」
クーがさぁと両手を広げて近付いてくるので、リットは仕方なしとクーを抱きしめた。
「そうそう、素直でよろしい」と、クーはリットを抱きしめ返した。「それともう一つ。リットにご褒美を上げないと。見事問題を解決をしたら、私とリットに関する秘密を教えてあげるって言ったでしょ」
「そんなこと言ってな。まさか、これで秘密の関係とか言うなよ……」
「リットがそうしたいなら、私はそれでもいいんだけどね。真面目な話だよ。私に――『あっちの世界』のことを教えたのはリットなんだよ。――昔にね」
クーはリットの耳元で吐息混じりにささやくと、最後に背中を二回ほど叩いてから、名残惜しそうにゆっくり体を離した。
そして言葉の意味がわからずにいるリットを見て、その反応が欲しかったと笑みを浮かべると、今度こそ酒場を出ていった。
「まったく意味がわかんねぇ……」
酒を飲み直すリットに、カーターは「オレにはわかるぞ」と笑った。
「なんだよ」
「支払いはリットってことだ。しっかり払ってくれよ。クーとクマの獣人の二人分の料金を」
結局クーは支払いをせずに帰ったのだ。直前まで覚えていたリットも、クーの意味深な言葉によってすっかり忘れてしまった。
「最後の最後にやられた……」
項垂れるリットに、カーターが「なに言ってんだ。最初から最後までだろ?」と言うと、クーとリットの関係を知っている酒場の全員が大声で笑った。
それからリットはあまり酒が進むことはなく、コップ一杯の酒を長い時間かけて飲んでから家へと帰った。
真っ暗だと思った家には明かりがついており、ランプの光のもとでノーラがパンを食べているところだった。
「まだ起きてたのか」
「旦那ァ、お腹が減っちゃ寝られないってなもんですよ」
ノーラはあくびと見間違うほど大きく口を開けると、ハチミツをたっぷりかけたパンにかぶりついた。
「寝る前にそんなもんを食うと胃がもたれるぞ」
「心配しなくても大丈夫っスよォ。旦那の寝酒とはわけが違うんスから」
「今日はほとんど飲んでねぇよ」
リットは今日は寝てしまおうと階段を上って寝室へと向かったのだが、慌てて一階へ戻った。
「トイレなら空いてますよ」
「その高級そうなハチミツどうしたんだ……。まさか勝手に買ったんじゃねぇだろうな」
ノーラはパンが売れなかったと言っていたので、リットはこんなものを買うお金はないはずだと詰め寄った。
「少し前にクーがお土産にって置いていったんスよ。どうせ旦那は食べないだろうからって私に。欲しかったっスかァ?」
ノーラが食べるならどうぞと、食べかけのパンをリットにずいっと向けた。
「いらねぇよ。んなもん食ったら、胃の中にアリが巣を作りそうだ」
リットが背を向けると、その背中にノーラが「そうだ」と声をかけた。
「忘れるところでしたよ。旦那にもお土産ですって。食べられないから、私はいらないっスよォ」
ノーラはポケットから取り出したものをテーブルの上に置いた。
「なんだってんだよ……」リットは土産ならさっき酒場で会った時に渡せと思いながら、テーブルに戻ると椅子に座った。「これは……牙宝石じゃねぇか」
「なんスかァ? 牙宝石って」
「今回の依頼で必要だったもんだ。なんだってこんなものを置いてったんだ?」
クーがただこんなものを置いていくはずがないと、リットはランプの明かりを強くして牙宝石を調べ始めた。
「だったってことは、もういらないから旦那にプレゼントじゃないっスかァ? 今回も報酬はないみたいですし」
「ないんじゃねぇよ。後からくんだ。ただ働きなんかしてたまるか」
「私はいつもしてますよ、ただ働きを」
「それは三食昼寝付きの高待遇のことを言ってんのか?」
「おやつがつかないんじゃ高待遇とは言えませんねェ。まぁ、その石は旦那が持ってたらいいんじゃないっスか? クーも二つ持ってましたよ。お揃いお揃い」
「待て……二つ持ってるって言ってたか?」
ノーラは残りのパンを全部口に押し込んだので喋ることが出来ず、無言で頷いて肯定した。
そして、少し考えてから「やられた……」と机に突っ伏した。
「旦那がクーにやられるのはいつものことじゃないっスか。今更気にすることっスかァ?」
リットが項垂れた理由は、この牙宝石はポンゴの村から盗まれたものだと確信したからだ。つまり盗んだ犯人はクー。ベルクを治療するために必要だと入手したのだ。
思えば、最初に家に現れた時は泥だらけだったし、鼻がいい獣人のペルセネスの前では、匂いの強い虫よけのハーブを服に付けたり、泥や葉の汁で体を汚して自分の匂いをわからなくさせていた。
ハスキーの時になにもしていなかったのは、ハスキーはリゼーネいたので盗みに入った時に残ったクーの匂いを知らないからだ。
「とんだ置き土産を残していきやがった……三つ目の答えだ」
リットは牙宝石を見てため息をついたが、その口元には笑みが浮かんでいた。
思わず窓開けて空の月を見上げた。
牙宝石と同じ色で輝く満月は、今回の旅を具現化したかのようだ。
あの満月をどこかでクーも見ているのならば、心まで離れることはないだろうと、月はリットの心までもを照らした。
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