第二十三話
牙宝石の全面にトップコートを塗ると、まるで水の雫を持っているかのような透明な宝石になった。
この瑞々しさと輝きを見ると、ハーピィに別れの涙と呼ばれているのがわかる。
「……私の考えてることわかる?」
クーは牙宝石から目を離せずにいた。
このサイズの別れの涙は過去に存在していないからだ。
浮遊大陸の大地で行われたのが『魔力の形状変化』で、それをハーピィが採掘して、ある技術により完全宝石化したものが『別れの涙』と呼ばれているものだ。大地の中で作られる別れ涙は脆く壊れやすい。外に押し出されて、ハーピィが採掘できるような場所まで来た時には、砕けたり削れたりして小さくなってしまう。
『土』の中で育った魔力は、『風』と反するもの。四大元素の関係により逆に位置する二つは、反発しあって魔力が散ってしまうのだ。魔力放出が行われると、ただの石になってしまう。
そして、ハズレ島を含む浮遊大陸が降らせるその土地の恵みの雨。つまり土と風の間に位置する『水』という魔力が相互作用し、長い年月をかけて本来の姿を取り戻したものが『牙宝石』だ。
この雨に混じる僅かな魔力に磨かれることにより、ある日突然――牙宝石は獣人の元へ姿をあらわす。
「獣人の酒を手に入れるより、これを売っぱらったほうが得するってことか?」
「リットってば、ずっと魔女と一緒に行動してたくせに鈍いんだから……。それとも……まだ『そこ』まではたどり着いてないのかな?」
「また得意の別の答えを用意してあるなぞなぞか? もうガキじゃねぇんだ。出されても喜ばねぇよ」
「魔女は魔法を学問する珍しい人達ってこと。まぁ、でも確かにリットの言う通り。売ったほうが儲かる気がしてきたね」
クーは獣人の酒は、もう用なしとでも言うような口調だった。
リットはおかしいと思った。自分をここまで無理やり振り回したのなら、既に取り引き先と話は付いてるはずだ。ここで獣人の酒を手に入れられなければ、クーは信用を失うことになる。これで冒険者をやめるというのなら、それも一つの道として選択肢に入るが、クーはまだまだ辞めるつもりはない。
なので、急に報酬に興味がなくなるのは変だった。
「おい――」と声をかけるリットだが、それより大きなシルヴァの声にかき消されてしまった。
「ダメ!! これはハスキーにあげるの」
シルヴァはクーから牙宝石を取り上げるとハスキーに渡した。
「あの……お気持ちは大変嬉しいのですが……いいんですか?」
ハスキーはリットとクーを見た。
リットは好きにしろと肩をすくめた。
クーは少し名残惜しそうに下唇を突き出したが「依頼だからね。お酒が貰えればいいよ」と取ってつけたように言って、わざとにっこりリットに微笑んだ。
こうすればリットが怪しんでくるのはわかっているので、わざとやって楽しんでいた。
しかし、リットがクーに突っかかってくることはなかった。なぜなら、それよりも突っかかる相手がいたからだ。
「そうそういいのいいの。この二人はなんにもしてないんだから」
シルヴァはハスキーに寄り添いながら、すべて自分の手柄だとアピールした。
「ちょっと待て……こっちがどれだけ苦労したと思ってんだよ……」
「いい? お兄ちゃん。よく聞いてね。いい女って無駄な苦労はしないの。お兄ちゃんがどれだけ苦労したか知らないけど、結局なにも見つけてないんでしょ。石が落ちる瞬間を見せたのも私。石を見付けたのも私。石を宝石にするものを持ってたのも私。ヤバくない? 冒険者ってちょろすぎ。私もなろっかな? 次はどんな謎を解こうかな……。逆に解いてもらうのもいいかも――女心とか……」
クーはハスキーに流し目を送ったが、いるはずのハスキーの姿はなかった。
「ハスキーなら、ペルセネスと台座がある森に行ったぞ。しばらく月の光を浴びせる必要があるからってな」
「もう! また年上に寝取られた!! しかも今度は実の姉に!! なんで男ってすぐ年上に甘えるわけ? マザコンなの?」
「そりゃ、年下の母親なんてそうそう出来ねぇからな。オレがアドバイス出来ることといや一つだ。当てつけってのは、本人がいるところでやるから効果があるんだ。それともハスキーに本気で惚れたのか?」
シルヴァはリットがなにを言っているのか理解出来ず首を傾げていたが、急に意味を理解する、と驚愕して目玉がこぼれ落ちるのではないかと思うほど目を見開いた。
「ヤバい……ウィルが見てないのに、こんなことしてたら軽い女だと思われちゃう」
「誰にだよ」
「誰にって! ……誰に?」
シルヴァは辺りを見回した。ポンゴは住民が少なく、狂獣病を発症してる者もいるので、よそ者のリット達の前に積極的に姿をあらわそうとはしないので、ほとんど人に会うことはないのだ。
「なんならオレが広めてやってもいいけどよ。オレはディアナに帰ってほうが良いと思うぞ」
「前にも言ったでしょ。ウィルが謝ってくるまで、絶対に帰らないって」
「オマエの目の届かないところで、粉をかけられてるとは思わねぇのか? 城に出入りが許された学者の卵だぞ」
「ヤバい……カネに目がくらんだ女から、ウィルを救ってあげないと!! 今すぐ帰ろう!」
「帰るかよ。依頼が終わったら、ちゃんとディアナまで送ってやるから、それまでおとなしくしてろことだ」
「いいもん、クーに頼むから。……そういえばクーは?」
シルヴァに言われリットも辺りを見回したが、クーの姿はどこにもなかった。
「子守から逃げたな……」
それからクーはしばらく姿を現さなかった。
その理由はやることがないからだろうと、リットは思っていた。
ここからはただ待つ作業だ。世界各地にあっという間に移動できるクーは、余った時間を有効に活用できる。ただ待っているなんてことは性に合わないのだ。
自由人のクーのことよりも、牙宝石のことが気にかかるリットは深く考えることはしなかった。
台座に置かれた牙宝石は毎夜月の光を浴びて、日毎色を変化させていくからだ。
一日目はわずかに濁るくらい。二日目白茶色に。三日目は亜麻色に。五日後には薄茶色にまで変わった。
そして、黄褐色にまで色を変えた頃。再びクーがリットの前に姿をあらわした。
戻ってくるなり「いい感じじゃん」と牙宝石を覗き込んだ。
「月夜の時だけ透明に戻って、月の光を赤く反射させるようになりゃ、この村で効果のある牙宝石になった証拠だとよ」
リットはいちいち驚いていられないと、クーがいなかった今日までのことを淡々と話した。
「今日にもって感じだね。あっ、そうだ。これお土産。シルヴァだけに買ってきたらかわいそうだから、リットにもね」
クーがリットに渡したものは龍の絵が描かれた扇子だった。
「東の国に行ってたのか?」
「そうだよ。お祭りの最中で賑やかだったよ」クーは近くにいるシルヴァにも「はい、お土産」と髪飾りを渡した。
「うそ!? クーにしてはセンスいいじゃん!! ありがとう! もう大好き!」
抱きついてくるシルヴァの頭を撫でながら、クーは「いやいや、こっちこそありがとうだよ。助かっちゃった」と意味深なお礼を返した。
「いいか? シルヴァ。これが当てつけってやつだ」
リットはため息をついた。
クーのチラつかせる発言はわざとであり、リットに挑戦してこいと挑発をしているのだ。
クーが裏でなにかしているのは間違いないのだが、リットには見当が付かない。行動範囲が広すぎるせいで、絞り込むことが出来なかった。
「当てつけって言えば、ウィルが酷いの! 聞いてクー! お兄ちゃんももう一回!」
シルヴァはリットとクーを連れてテントに戻ると、自分の魅力について、その魅力に気付かないウィルについて、今冬の流行についてなど、延々と喋り続け、気付けば夜を通り過ぎて朝になっていた。
リットはいつ寝たのかも覚えていないが、いつの間にかクーとシルヴァにお腹を枕にされていた。
ハスキーの家から出たリットはまず空を見た。時間は早朝。朝焼けも既に終わり、わずかに夜の名残を雲に残すくらいだ。
「いニャー……お手数をかけたニャ」
リットの姿を見付けたパッチワークが小走りに近付いてきた。
「人前に出てきたってことは治ったのか?」
「おかげさまで、獣人の誇りを取り戻したのニャ。昨夜は一生分の猫真似をした気分ニャ。でも、これで安心ニャ」
パッチワークは首元の毛をかき分けて小さな痣を見せた。
「なんだそりゃ」
「治療の証ニャ。牙宝石を首元に二回押し当てるのニャ。一回目で体に魔力を注入し、二回目で暴走する魔力を吐き出されるらしいニャ。言っとくけど、これは内緒の話で頼むニャ……。治って心配事が減って気分がいいから、ついつい口を滑らしただけなのニャ。ペルセネスに知られたら、ニャーはこってり絞られて、使い古しの雑巾みたくされるニャ……」
「わざわざ言わねぇよ。それにしても、くっきり痣が残ってるな。まるでヴァンパイアに噛まれたみたいだな」
「獣人は毛で隠れるから、気にならないニャ。ところでお兄さん……」
パッチワークは手のひらをすり合わせて、リットに寄り添ってきた。
「本当に狂獣病が治ったんだろうな……」
「これはビジネスの為の猫かぶりニャ。話は聞かせてもらったのニャ。シルヴァ様の持っているマニキュアが、石ころを別れの涙に変えると……。つまり、それがあればニャー達は大金持ちニャ。ドゥゴングに別荘だって買えちゃうのニャ。チャコールに自慢できるのニャ」
「ただの石ころじゃねぇよ。牙宝石の元だ」
「同じことニャ。牙宝石の原石に気付いてない奴はいっぱいいるニャ。アホな冒険者に探させて買い取って、マニキュアでお化粧して高額で売り払うのニャ」
「オレじゃなくてシルヴァに聞けよ」
リットがテントの中に入ってシルヴァを起こすが、シルヴァが家から出てくるのはかなり時間が経ってからだった。
そのことにリットが文句を言うと、身支度はしっかり終えた顔のシルヴァは呆れたとため息をついた。
「お兄ちゃん……女の朝は時間がかかるものなの。それでなに?」
「シルヴァ様……折り入ってお願いがあるのニャ」
「あっ、ネコじゃん。ネコがいるってことは、お兄ちゃんが受けてた依頼は解決したってこと? うそぉ……つまんな。なんの盛り上がりもないじゃん。寝て起きただけで解決だもん。冒険者ってこんなしょうもないことに人生かけてるの? アボーナと見たフェニックスアローの方が盛り上がったじゃん。冒険者やーめた」
「そりゃよかった。あの世で親父に殴られないですむ。パッチワークが浮遊大陸産のトップコートを売って欲しいんだとよ」
「無理」シルヴァきっぱり断ると、自分の爪を見せた。「さっき塗ったので最後だもん」
「もっと残ってなかったか?」
「わかんないー。私も塗ろうと思って驚いたんだから。でも、残り少ないからって躊躇うような女じゃないの私は。マジいるんだよね。高いものを買って、残り少なくなるとなかなか使えない女って。買ったなら使わなきゃ。で、また買うの。オシャレは女の力なんだから、そこで使わないでどうすんのって感じ。女のお洒落一つで国を動かせるんだから。偉い奴の隣で、ノーメイクでシャツ一枚の女っている? いないでしょ。つまりオシャレは最強。今日もさっそく、昨日クーからもらった髪飾りつけちゃった。可愛くない? 今度東の国の着物も買っちゃお。ねぇねぇ、お兄ちゃん。ケンタウロスでも来られる着物ってあるかな? そうだ、お兄ちゃんが東の国行くときは絶対に教えてね。私もついていくから。それでマニキュアの話に戻るけど、お試しようだから探してももう売ってないよ。それに超高いの。あれ買ったからお金がなくなったんだもん。帰ったら、モントお兄ちゃんにお小遣いもらうか、絵師に新しい肖像画描いてもらおう」
シルヴァは一人で喋り喋ると、ご飯までゆっくりすると家の中へと戻っていった。
がっくりと肩を落とすパッチワークに、リットは「そうそう上手い話は転がってねぇってことだな」と声をかけた。
「今回は狂獣病が治っただけでも儲けものと思っておくニャ……。それともう一つ、今夜からコボルドクローの生産に入るニャ。報酬はもう少しだけ待ってもらうことになるニャ」
「先に手に入るのは、どうせクーの分だけどな」
「ニャー達にも生活があるのニャ……そこはわかってほしいのニャ。代わりに、どうやってコボルドクローが作られるか見るのはいかがかニャ?。お兄さんの好奇心を刺激するかも知れないニャ」
「そうだな……どうせやることはもうねぇんだ。見学させてもらう」
リットはパッチワークと再び夕方に落ち合おうと約束をした。




