第二十二話
「結局……ここに置いて試してみるしか、確かめようがなさそうだな」
リットは森の中にある台座を触りながら言った。台座の周りだけ開けており、温かい陽の光を存分に浴びせている。木に影を作られることもないので、草花も生き生きと思うがままに育っていた。
「姉から止められているわけでもないので構いません。しかし、また盗まれるようなことがあってはならないので、自分がここで寝ずの警備をさせてもらいます。影の一つも見逃しません」
ハスキーは鼻息荒く、眉間にシワを寄せて周囲を睨みつけた。
「まだ昼間だぞ。そこら中が影だらけだ。そんな顔して、今から木の枝の一本一本を数えるつもりか? そんなの数えてる内に寝ちまうぞ」
リットは無駄に気を張って緊張状態のハスキーにもっと楽にしてろと言ったが、夜に見張りをつけるというのには賛成だった。
牙宝石を盗んだ者の目的がわからない以上。再び盗難に合う可能性は否定出来ないからだ。
「やはり……なんらかの価値があったってことですかね? 別れの涙は高価なものらしいですし」
「土竜の牙、牙宝石、別れの涙。異なった呼び方が複数あるってことは、人によって価値が違うってことだからな。別の獣人の村で見た牙宝石と、別れの涙は別もんだった。別れの涙は宝石に見えるけど、牙宝石はただの加工した石にしか見えねぇ。盗むとしたら同じ獣人だろうな」
リットは相手が魔女ということも考えたが、もし牙宝石が魔女的価値があるものならば、グリザベルが過去に何度も話をしているはずだ。それに、魔女が宝石に求めるものは、魔力をこめやすいかどうかだ。魔宝石というのは魔力が光のように反射する性質を使っているので、カットされて美しく輝く宝石が丁度いいのだ。
角のない丸い宝石や、特殊過ぎる形の宝石は使われることなく、牙宝石はその両方の性質を持っていた。
なので、牙宝石の詳細を知らず、症状が出ないまま村を出た獣人が発症し、盗んでいった可能性が高いと考えていた。
「恥ずかしながら、その可能性はあると思います……」
ハスキーは自分のことのように恥ずかしげに言った。
「多いのか? パッチワークみたいに嘘をついて村を出ていく獣人ってのは」
「増えているとは聞きます。昔と違い、種族交流が盛んになったことによって、職業の幅が増えましたから。村を出ることが目標の若者もたくさんいます。若い内に出た方が、人生で有利だと考える者は多いようです」
「リゼーネはポンゴの村以外からも獣人は来るだろ? 今まで、急に発症した獣人はいなかったのか?」
「そうですね。自分の記憶ではいないです。パッチワークの事例が初めてですね。大事にならずによかったです」ハスキーはほっとした表情を浮かべるが、すぐに眉間にシワを寄せて、元々怖い顔を更に怖くさせた。「ただ……自分にもわからないことがあるんですよ。獣人の村では生まれていない獣人はどうしているのかと」
獣人にも様々な種類がいる。その中で狂獣病を発症するのは『純獣人』だけだ。体の一部だけ獣人だったり、シルヴァのように人間の体と獣人の体を併せ持つケンタウロスのような獣人は『半獣人』と括られており、狂獣病が発症することはない。
元々が半獣人と呼ばれる種族と、他の種族と交わり半獣人となった獣人は心配するようなことはないのだが、獣人の村以外で生まれた純獣人の子供がどうやって狂獣病を抑えているのかは謎だった。
「確かに謎だな……。子作りのために、いちいち村に戻るわけじゃねぇんだろ?」
「出産の為には、故郷へ戻ってきますよ。ですので、種族交流が盛んになっても、獣人の村はなくならないんです。村との繋がりはずっと持ったままです。ですが、事故や事情などが原因で、故郷の村との繋がりが途絶えてしまう者もいるのは確かです。その者達に治療法があるのかが心配です……。自棄になって、ボー・ギャックミートのような悪名高い山賊になる獣人もいるので」
狂獣病の治療には生まれた土地で採れた牙宝石が必要だが、生まれた土地が村ではない獣人もいるということだ。
「過去に試したことはあるのか? 別の村生まれの獣人の治療ってのは」
「自分が直接見たわけではないですが、過去何度もそういった事例があり、故郷の村へ送り届けるのに苦労したらしいです。なにせ月夜に症状が出るので、他の種族に隠しながら移動するのは大変ですからね」
リットはハスキーの話を頷きながら聞きつつも、台座にある牙宝石をはめ込む深いくぼみを指先でいじっていた。
牙宝石の尖った部分を撚るように差し込む形になっているので、動物が引き抜いていくのは不可能だ。やはり、誰か人の手で抜き取られたことになる。
「つーか、なんで牙宝石を土竜の牙なんて呼んでたんだ?」
「それは……」と一度口ごもったハスキーだったが、リットにならば話しても構わないだろうと決意の表情を浮かべた。「それは――治療方法にあるのです」
「治療方法って、反射した月の光を浴びるだけだろ。違うのか?」
「それはその通りです。自分がリット様に嘘を言うわけがないです。ただ……浴びてすぐ治療が終わるわけではなく……恐ろしい副作用があるのです……」
リットは「ああ……」と納得して頷いた。「それって、アレだろ? 獣人的に恐ろしいってやつだろ」
リットにしては気を使って珍しく言葉を濁した。アレというのは、獣人の動物化のことだ。獣人としての理性をなくし、そのまま動物のように振る舞ってしまう。これを他の種族に見られるのは、獣人に取って不名誉なことだという。
「まさしく……。実は治療中というのが一番……あの……その症状が色濃く出てしまうのです。ですので、副作用が消えるまでは、縄で繋いでおくという非人道的なことをしなくてはならないのです。その姿が強気者に怯える弱者のように見えるので、畏怖の念を込めて竜に例えたと聞いています。それともう一つ……。リット様は東の国の勾玉というものご存知ですか?」
「なんとなくな。昔コジュウロウから名前を聞いた程度だ。龍神信仰がなんたらって言ってたな」
「その勾玉と牙宝石は似た形をしているんですよ。東の国の場合は二つの勾玉を使って、龍の形を作るものらしいです。すぼまった部分の先を背を向けるように合わせて、うねる龍をあらわすと聞きました。東の国の獣人は、夫婦でこの勾玉を分け持っているようです。獣人の歴史の始まりはどこかと言うのは知りませんが、このような各地の伝承が交わり、土龍の牙と呼ばれるように鳴ったんだと思います」
ハスキーの話を聞いてリットは引っかかることがあった、話の内容ではなく、話を聞いて思い出したことにだ。
コジュウロウがいるシッポウ村は獣人とハーピィが多く住む村だ。勾玉のことは調べてもいないので覚えていないが、狂獣病の話など一度も聞いていないし、ポンゴのように牙宝石をはめ込む台座もなければ、フルーツムーンツリーのように町全体を照らすような高い場所に牙宝石を設置しているわけでもない。
なにより特産がなにもない村だ。ポンゴは酒、フルーツムーンツリーは果物と、牙宝石の月の光の反射を利用したものが売りだ。
もしそんなものがシッポウ村にあればコジュウロウが放っておくわけがない。やらしいことを言えば、大灯台を直したリット達に振る舞うはずだ。
それがないということは、牙宝石という概念が元々ないようなものに思えた。だが、それでは狂獣病も存在しないことになる。
リットは新たな謎が増えたことにより頭を悩ませたが、これは今は関係ないことだと考えるのをやめた。受けたのはポンゴの狂獣病を治すことであり、狂獣病の謎を解くことはないからだ。
「なるほど……勾玉ねぇ……」
そう呟きながら突然現れたクーに、リットはもう驚きもしなかった。
「また隠れて聞き耳を立ててたのか?」
「聞き耳を立ててたなら、わざわざ姿を現さないよ。リットが寂しそうにしてから、わざわざ追いかけてきてあげたんだよ。感謝の言葉一つくらいあってもいいと思うけど?」
「誰が寂しそうにしてたって?」
「私がついて来ないのが気になって、家に戻って様子を確認したのは誰だっけ?」
「あれは――」
反論しようとしたリットだが、何を言ってもからかわれるのは目に見えていたので、諦めてハスキーの家へと戻ろうと背を向けた。
「あらら、もう戻るの? 来たばっかりなのに」
「オレはもう見たからな。見たけりゃ、ゆっくり見ろよ」
「男の反抗期は大人になってから、もう一回あるって言うけど……どうやら本当みたいだね」
「結局からかわれるのか……」
「からかってるんじゃなくて、じゃれてんの。私も発症したかな? なーう」
帰り道。クーはさんざんリットをからかって、猫手で頬にじゃれるようにして歩いていた。
「それにしても、リット様の勘は当たっていましたね」
ハスキーはさすがとでも言いたげな表情で言った。
「シルヴァがフラれるって勘か? それとも、クーに振り回されるって勘か?」
「牙宝石が魔宝石に近いものだという話ですよ。最初にここへ案内した時に言っていたではありませんか」
「ワンちゃん。それは違うよ」クーはちっちっちと、口元で人差し指を振った。「牙宝石は魔力を引き寄せて反射させるものだからね。リットの気を引き締めさせるためにも、あえて厳しくね。それが姉心ってやつだよ」
「わかります。背伸びではなく、しっかり地に足を付けてからではないと、高く跳躍できませんからね。自分もより一層気を引き締めようと思います」
クーは偉そうに「うむ」と頷いた。
「なんでそんなに機嫌がいいんだ?」
「リットと一緒にいられるから」
「……なにを隠してる?」
「リットこそなにを疑ってるのさ」
「わかんねぇけどよ。なんかずっと違和感がある。特にここ最近だ」
クーは「リットにもその時がきたんだねぇ」と何度も頷いた。
「なにがだよ」
「異性の種が、恋心に花を咲かせたってことだよ。つまり、私を姉ではなく女として見始めたってこと。最近誘惑もいっぱいしちゃったしねぇー……。それも仕方ないか」
「元から姉じゃなくて女だろ」
「あら!」クーはわざとらしく仕草で、衝撃だと胸を押さえた。「まさか、そう口説いてくるとは……」
「どうあっても誤魔化すつもりだな」
「聞きたいことがあるなら、答えてあげてもいいけど……。その聞きたいことが何かわからないんでしょ? そこまで面倒見てあげるほど、リットを子供だとは思ってないんだけどなぁ」
「いつか追い詰めてやるぞ……」
リットが悔しそうに言うと、クーは満面の笑みを浮かべた。
「楽しみにしてる」
ハスキーの家へ戻ると、そこにはシルヴァとペルセネスの姿があった。
二人仲良く寄り添ってなにかしている。
「なにやってんだよ。出てったんじゃねぇのか?」
リットが探してたんだぞと言うと、シルヴァは鞄を顎で指して、再びペルセネスの爪を磨き出した。
「テントに道具を取りに行ったの。だって、ペルセネスの爪汚いんだもん。会ってからずっと気になってたの。獣人で毛が邪魔で化粧できないんだから、爪かアクセサリーくらいしっかりしないと。知ってる? ネイルって爪の補強にもいいんだよ。割れた爪にも、割れにくくするのにも向いてるの。力仕事してるって言っても、お洒落しちゃダメなんて法律はないし、あったら私が絶対に変えるね、マジで」
「あのなぁ……オレが気にするべきは牙だ。爪じゃねぇんだよ」
「女は爪が大事なの。だからお兄ちゃんはモテないんだよ。ほら見て、このピンク超可愛くない? 子猫の肉球みたいっしょ」
シルヴァは塗ったばかりのペルセネスの爪を見せた。
「とても似合っていますよ、姉さん」
ハスキーが褒めると、ペルセネスは頬に手を当てて照れ、シルヴァは自分の爪も褒めてもらえるように見せつけた。
その光景にクーは「春だねぇ」としみじみつぶやいた。
「秋だっつーの。マニキュアしながらでいいから聞け。オマエの友達に、魔力のことに詳しいやつとかいねぇか?」
「お兄ちゃんの友達にいるじゃん。あのヤバい魔女」
「人間じゃなくて、別の種族がいいんだ。魔力に縁あるな」
「お兄ちゃん……」とシルヴァは呆れた。「パパ化してんじゃん。あちこちで色んな種族と子供作るつもり? 勝手にしていいけど、私の友達ばっかり孕まされるのはちょっと……」
「いつ誰が女を紹介しろって言ったんだよ……。いいか?」
「ダメ。今からトップコート塗るんだから集中させて」
シルヴァがペルセネスの爪にひと塗りしたところで、クーが「ちょーっと! ちょっとちょっと!」とシルヴァの手を掴んで、ペルセネスの爪を覗き込んだ。
「なに? クーも塗ってほしいの? なら、後でやったげるよ。だから、手を離してよ」
クーはなにも言わず、空いたほうの手でリットを招くと、近づいてきたリットの頭を脇に抱え込み、自分と同じ視線でペルセネスの爪を見せた。
「なんだよ……」
リットが文句を言うと、クーは「……牙宝石出して」と言った。
「なんだよ……」
リットがポケットから牙宝石を出すと、クーは奪い取ってペルセネスの爪の隣に置いた。
「これどこで手に入れたの?」
クーに聞かれると、シルヴァは「聞いてなかったの?」と、少し不機嫌に眉を寄せた。「リゼーネだよ。クーも一緒にいたじゃん。エミリアと三人で買い物言った時。浮遊大陸に、爪が宝石みたいになるマニキュアがあるって。マジ超キラキラすんの。トップコートだけでも決まるくらい。超高いんだけど、高いのも納得みたいな? だってさ――」
いつもの勢い任せの話をするシルヴァを無視して、クーは浮遊大陸産のトップコートを牙宝石に塗った。
すると、ガラスの汚れを落としたかのように、トップコートを塗られた部分が透明になった。その透明は、元から透明だった部分と全く同じだった。
このトップコートこそが、求めていた魔力が液体化したものだったのだ。
シルヴァが沢で転んだ時に、剥がれたトップコートがたまたま石に付着したのだった。
「シルヴァ……。大事な話はちゃんとしてよ……」
クーは珍しく全身の力が抜けたと、その場にへたりこんだ。
「なに? 私の話をちゃんと聞いてないのはそっちでしょ」
「ごもっともです……」
クーは降参だと白旗を上げた。