第二十話
「お兄ちゃん騙したでしょ……」
翌日の朝。晴れ晴れとした秋の空の下で、シルヴァはリットの耳元で恨みがましく呟いた。
「騙してねぇよ。靴は買ってやったし、ハスキーとも一緒に歩いてるだろ」
「これは歩いてるんじゃなくて歩かされてるの……。みんな下向いて歩いて、腰の曲がったジジババの散歩みたいになってるんじゃん。こんなのデートじゃなくて、老人の集会だよ。子供も生んでないのに、孫の話をさせる気?」
「靴を買ってやったんだから、オレの仕事を手伝えってことだ。マックスのことを羨ましがってただろ。これで平等だ」
リットはわかったら石を探せと地面を指した。
フェニックスがハズレ島を雲ごと砕いた場所を考えると、この辺りに牙宝石は落ちているはずだ。
運が良ければ降ってきた衝突跡があり、そこから見つかるかも知れないが、今のところは見当たらない。秋の落ち葉に埋もれた中から探すしかなさそうだった。
ただでさえ小石が多い森の中ですぐに見つかるわけもなく、ただ時間だけが過ぎていく。だが、その中で疲労が溜まっていったのはリットだけだった。
「なんで……アイツは元気なんだよ……」
リットはぜいぜい荒い息を吐きながら、ぺちゃくちゃと上機嫌でハスキーに話しかけるシルヴァを見て足を止めた。
「シルヴァはケンタウロスだからね。元の体力はあるんだよ。ただ文句が多いだけ。ワンちゃんは鍛えてるみたいだし、私は森を歩き慣れてる。ね? もっと私に歩き方を教えてもらったほうがよかったでしょ」
クーはもっと頑張って歩きなさいと、励ます意味でリットの背中を叩いたのだが、それがトドメの一撃となってしまった。
リットは体制を崩してよろめくと、そのまま地面に座り込んでしまった。
「ごめんね……。うちのお兄ちゃんが情けなくて。私みたいに運動が趣味じゃないから」
シルヴァはここぞとばかりに、リットを出しに使ってハスキーへアピールをするが効果はなかった。
元から恋愛関係の感情に疎いのと、隣国の姫が一介の兵士に興味があるなんてことは夢にも思っていないので、シルヴァが予想するような反応など一つも返ってこない。
良い印象を与えるという目論見は外れ、逆にハスキーからリットの話ばかり聞かされていた。
主に闇を晴らしにテスカガンドへ向かった時のことだ。まさしく人生のハイライトなので、そこでリットがどういうことを成し遂げたのかということを、まるで自分のことのように語る。
そんな話ばかり聞かされていたので、ハスキーが休憩のための沢の位置を確認しに離れた途端。シルヴァはリットに「ずるい……」と睨むような視線を向けた。
「なにがだよ……」
「だって、お兄ちゃんばっかりハスキーに良い印象を持たれてるじゃん。飲んだくれでズボラで口が悪いだけなのに」
「なんなら真似してもいいぞ」
「お兄ちゃん……ハスキーに暗示でもかけたでしょ。お兄ちゃんが、そんなに良い印象持たれるの変だもん……。ねね、私にも暗示のかけ方教えて」
シルヴァは大真面目な顔でリットに詰め寄った。
「あのなぁ……確かにハスキーは大げさだけどよ。知らねぇ顔があるってのは普通のことだ。生きてる世界が違うんだからな。家が隣一軒違えば印象なんて全然変わるもんなんだよ」
「だって、お兄ちゃんがなにしてきたかなんて知らないもん」
「今もしてるだろ? 牙宝石ってのを探し出して獣人を救うんだ。立派なもんだろ?」
リットがおちゃらけて肩をすくめて言うと、シルヴァは鼻で笑った。
「どうせ、お酒かなんか奢られて気分良くなって引き受けたんでしょ」
「……まぁ、そんなとこだ。まぁ目的達成と答えは違うってことだな」
リットが含んだ言い方をすると、シルヴァは「意味わかんなーい」と呆れた。そして、ハスキーが沢を見付けたと戻ってくると、我先にと隣に並んで歩き出した。
その後を続いて歩いていると、クーがリットの脇腹を肘でつついた。
「人の言葉をいいように使ってくれちゃってまぁ。お金取るよ」
「人のことをいいように使ってくれてるけどよ。金出んのか?」
「おっと、そのことは既に話がついてるはずだよ」
クーは人差し指をリットの唇に当てて話は終わりだと打ち切ったが、リットがそれくらいで言葉を止めるわけがなかった。
なんとなくの話で、細かい取り決めをしていないことに気付いたからだ。ポンゴの村か出る報酬は獣人が作る酒『コボルドクロー』が十本。狂獣病の問題が解決すれば先に五本貰え、これはクーの取り分になる。残りの五本は他の客に行き渡ってからで、これはリットの分の取り分になる。
リットは売るわけではなく自分で飲むように欲しいので、値崩れした後に酒をもらうことに不満はないのだが、今回の依頼は自分で受けたわけではなく、クーの手伝いということになっていた。
クーから払われる報酬がないのはおかしいと、リットは考えていたのだ。
「普通に考えりゃ、オレは雇われてるってことだ。雇われてるイコール給金が発生するのが当たり前だろ」
「それも最初に話したでしょ。私はお姉ちゃんでリットは弟。可愛い弟っていうのは、ほいほい何でもお姉ちゃんの言うことを聞いて、深いことはなにも考えないことを言うんだよ」
「なら、弟の成長を喜べよ。別に金は期待してねぇけどよ。もう少しなんかあるだろ」
「もしかして……体目当てなわけ?」
「それも期待してねぇよ……」
「期待はずれの体だって言いたいの?」
クーは腰に手を当てると、小さな胸を張って心外だと怒った。
「あのなぁ……思春期の頃のオレならともかく、今更そんな言葉でオレが言いくるめられると思ってんのか?」
「あの頃のリットが一番扱いやすくてよかったよ。今じゃすっかりふてぶてしい男になっちゃって……」
「誰かに鍛えられたおかげでな。それで、なんかねぇのか? コンプリートにやった神の産物みたいな情報とか」
リットがあっちの世界の話をすると、クーは半眼で呆れてみせた。
「冒険者にはならないんじゃなかったっけ?」
「楽に移動できりゃ、商売が楽になると思っただけだ」
「あっちの世界は危ないんだよ。目が釘付けになって落ちちゃったら、どうなるかもわからないんだから。死ぬならまだしも、一生死ねない体でさまようことになるかも知れないし、苦痛があるかもしれない。リットを抱きしめて移動してるのにも、ちゃんと意味があるんだよ。でも、そこまで知りたいならしょうがない。今回の問題が解決した暁には、私とリットに関する秘密を一つだけ教えてあげちゃおう」
「そういうことが知りたいわけじゃねぇんだけどな……」
リットが肩透かしを食ったと背中を丸めると、その背中をクーが勢いよく叩いた。
「いつまでもグチグチ言ってないで。さっさと二人を追いかけるよ」
休憩場所に選んだ沢は、流れが緩やかな一枚岩を流れる沢だった。積もった落ち葉と焦げが反射して、川面はカラフルに染まっている。
お昼にしようということで、クーはあちこちに生えたキノコをとって、沢の水を汲んだ鍋で煮込んでいた。
それ見たシルヴァは眉をひそめて「うえー……」と舌を出した。紫色の如何にも毒キノコだと主張しているようなキノコを鍋に入れようとしたからだ。「まさか、それ食べるんじゃないよね……」
「食べるに決まってるでしょ」
クーはキノコを適当に手で割くと、ためらうことなくぽいっと投げ入れた。
キノコは熱に触れた途端に真っ赤に色を変えたかと思うと、すぐさま茶色いよく見るようなキノコの色に落ち着いた。
「絶対食べない……」
「美味しいのに。ほら、あーん」
クーは木べらでほぐしたキノコをすくって、リットの口元へと持っていた。
それを躊躇なく食べるリットを見て、シルヴァは信じられないといった表情で固まった。
「心配しなくても、クーは毒になるようなものは食わせねぇよ。……不味いけどな」
さらにクーはハスキーにも食べさせて、食べられることをアピールすると、シルヴァにも味見を勧めた。
「さぁ三対一だよ。どうする? シルヴァ論なら、皆と同じが最良の選択だと思うけど?」
「クー……それは違う。皆と同じじゃただの花畑理論だよ。色とりどりで様々な形をしていても、花壇に植えられてたらただの花。みんな全体でしか見ないの。じゃあ、どうするか? 立て札になるのの。なぜなら、みんなそれだけを見るから。立て札を見る時は、それだけに集中して花なんか見ないもんなのよ。なにより男は花なんて見ない。わざわざ立て札に書いておかないと、女の取り扱いもわかんないようなのばっかり。だからわかりやすく書いておくの。ちなみに今私の立て札に書いてあるのは、毒キノコに要注意。つまり食べない。バイバァイ」
シルヴァは沢で足の水をしてくると離れていった。
「いやぁ……的はずれなこと言ってても、勢いで通されちゃったね。仕方ない。シルヴァの分は別に作ってあげよう」
クーはキノコの代わりに木の実で採ってこようと、ハスキーに手伝いを頼むと、リットには火の番をするように言いつけて森の中へと入っていった。
その時シルヴァに向かって「苔が生えてるから、すべってコケないようにね」と注意をしてから行ったのだが、シルヴァは早々に転んでしまった。
「もう最悪! おやじギャグじゃん……」
リットは全身ずぶ濡れになったシルヴァにタオルを持っていてやるが、受け取ったシルヴァは髪を拭きながら納得がいっていない視線を浴びせていた。
「なんだよ」
「なんでお兄ちゃんなわけ? 普通はハスキーが助けに来るの、それで、ぴったり体のラインに沿って、張り付いたシャツを見て女を感じる場面じゃないの?」
「さぁな」リットは肩をすくめた。「今のところ見て感じるのは寒さだけだ。いつまでも水に足を入れてると風引くぞ」
「わかってるわよ」
シルヴァは体が冷えたと腕を擦りながら焚き火の元まで来ると、温めようと鍋に入ったキノコのスープを一口飲んだ。
そして、すぐさま不味いと吐き出した。
「……オマエを見てると、柄にもなく将来が不安になってくる」
リットがため息をつくと、それより遥かに大きいため息をシルヴァがついた。
「お兄ちゃんって暗いよね。美女を見たなら、勇気と希望とか。もっと湧いてくるものがあるでしょ」
濡れた上着を脱いたシルヴァが、焚き火の直ぐ側で絞ったせいで、熱をもった水蒸気と灰が一気に舞い上がった。
灰をかぶったリットは「怒りとかか?」と睨むが、シルヴァは自分のことばかり気にして、リットのことなどどうでもよかった。
「怒りたいのはこっち。もう……せっかく綺麗にマニキュア濡れてたのに剥がれちゃった……。最悪」
「安心しろ。真っ赤で派手な爪のまんまだ。……毒キノコより毒がありそうな色してんぞ」
「よく見て! トップコートが剥がれてるでしょ。もう……塗り直さないと。こんなのハスキーに見せられない。見られたら、この世の終わりだよ。世界を終わらせて私も終わってやる」
「たかが爪に世界を巻き込むんじゃねぇよ」
「たかが爪じゃないから騒いでるんでしょ。絶対沢で転んだときだよ……」
シルヴァは体や顔などあちこち手で触ると、最後に頬に手を当てて絶望の表情を浮かべた。
「今度はなんだよ……」
「イヤーカフ落とした。リゼーネで買ったばっかだったのに……」
シルヴァはリットの手を掴んで立ち上がらせると、無理やり沢に引っ張っていってイヤーカフを探しを手伝わせた。
しばらくすると、クーとハスキーが帰ってきた。
焚き火が消えているのに気付いたクーは「まさか沢遊びに夢中で、焚き火のこと忘れてたんじゃないだろうね」と声をかけた。
「いくらクーでも、遊びだなんて言ったら怒るよ。イヤーカフ落としたの! シルバーのシンプルなやつ」
それは大変だとハスキーはズボンが濡れるのも気にしないで、いち早く沢へと入っていった。
仕方ないとクーも沢に入って手伝ったのだが、水の中に落ちたイヤーカフを探すのは難しかった。
水面で見にくいということもあり、それらしきものを見つけて拾い上げても、ただの変わった形の石だったりで見つける気配がない。
リットとクーはもう流れていってしまったのだろうと諦めていたが、シルヴァとハスキーは探すのをやめることはなかった。
更に時間が経ち、クーが「ご飯が出来たよ」と呼ぶが、シルヴァが沢から上がることはなかった。
すっかり鍋が冷えて。太陽の色が変わり赤くなって来た時だ。
シルヴァが沢の中で光るものを見つけて「あった!!」と叫んだ。拾うと「見て見て! ほら、これ」と沢を上がってきたが、手に持っているのは石だった。
「ちょっと待て」とリットが手をのばすが、それより早くシルヴァは振りかぶっていた。しかし、手から離れていく前にクーが手首を掴んで止めた。
「いやー……間一髪だね。もう一回よく見せて」
シルヴァが首を傾げながら開いた手の中には、リット達が探していた牙宝石と思われるものが握られていた。
「ほら、これ! ここ光ってるでしょ。このせいで勘違いしたの」
シルヴァはただの石に見える表面の一部を指した。夕日を浴びて、そこだけは宝石のように輝いていた。




