第十九話
「ネコネコネーコ。ネコネコやーい」
クーはしゃがみ込み、片手に薄焼きのパンを持ち、もう片手で長く硬い雑草を木箱の隙間に向かって振った。なにも反応がないと、パンを一口かじりながら立ち上がる。そしてまた別の隙間で、猫に向かって呼びかける。
それを何度も繰り返すが、猫の姿はどこにもなかった。
なぜ野良猫を探しているのかと言うと、ゴルドーの町にいる誰にも聞いてもジェミーという猫の獣人はいないと言われたからだ。
だがそんなはずはないと、野良猫を探して案内させようとしているところだ。
「ネコちゃんなーうなーう」クーは地面に頬をつけて馬車の下に呼びかけるが、ここにも猫はいない。
立ち上がってため息をつくとリットを睨みつけた。「リットも探してよ。ほら、なーうなーうって」
「やってられるかよ……。クーが自分で言ったんじゃねぇか。ここは嘘と真実が入り乱れる町だって。もう少し、誰かに話を聞いたほうが利口だ。そんな化粧をしてたらシルヴァに笑われんぞ」
リットは土に汚れたクーの頬を見て言った。
「なら、聞いてみればいいじゃん」
クーが無駄なことだと肩をすくめたので、リットは少しムキになって、通りかかる人に聞き込みをしたのだが、答えは二つ。知らないか無視のどちらかだ。
「嘘か真実なら二分の一だろ。誰か一人くらいは……いるって言ってもいいんじゃねぇのか?」
「まったく……私の話を聞いてたんでしょ。なら、訳ありさん達がいっぱいいるって言ったのを思い出してよね。訳ありさんの名前がぽんぽんと出てくるわけないでしょ。どんな場所にもルールがあるんだよ。たとえそれが無法地帯と呼ばれる場所でもね。リットもいい加減に目的達成と答えは違うってことを覚えないと」
クーはリットの頬を軽くつまむと、子供をあやすように動かした。
「これはなにが目的でなにが答えなんだよ……」
「目的はリットに猫を探させること、答えは……向こうから勝手に歩いてくるってこと」
クーはリットの頬から手を離すと、その手を屋根の上に向けた。
リットが視線を向けるより早く、屋根の上で猫がニャ―と鳴いた。その猫は二人に見られると、ぷいっと顔を背けて歩き出した。しかし、尻尾はまるで手招くように動いている。
クーはリットの手を掴むと、猫を見失わないようにと屋根屋根を見上げながら歩いた。
猫の歩く速度は一定。時折振り返って二人の姿を確認する。どうやら、案内しているのに間違いはなさそうだった。
案内された場所は町の中心部にある空き家だ。
元は誰かが住んでいたらしく家具は残されたままで、家具はすべて東の国のものに似ており、部屋の中心には囲炉裏があった。
囲炉裏には火がついており、誰かがいることには間違いないのだが、爪とぎの跡から見るに今は猫の城状態になっていた。床にも猫。タンスの上にも猫。リットを気にしたり、無視したり、自由に過ごしている。
リットはどうするかと声には出さず、目を合わせることでクーに問いかけようとしたのだが、クーはずんずんと家の中に入っていくと、一匹の猫に話しかけた。
「ここへ案内されたってことは、話を聞いてくれるってことでいいんだよね?」
縞模様の猫は黙ったままクーを見上げるだけだ。
「おい、クー探してるのは獣人だ。普通の猫じゃねぇよ」
というリットの言葉にかぶせるように猫は数回えずくと、急に吐き出した。
そして大きく深呼吸をすると「失礼……毛玉だ」と喋った。
「あなたがジェミー?」とクーはパッチワークのひっかき手形を見せながら聞いた。
「そうだ。どう伝わってるか知らないがオレがジェミーだ」ジェミーはひっかき傷を確認すると、囲炉裏の中に放り投げた。「それで、なんのようだ?」
言葉を話すが、四つ足で座るジェミーの姿もサイズも猫そのものだ。とても獣人には見えなかった。
「獣人の狂獣病を直す石のことを知りたいんだけどよ。知ってるか?」
「知らん。獣人のことは獣人に聞け。猫のことなら私に聞け。オレを獣人だと思っているなら大間違いだ。オレは妖怪だからな」
ジェミーは二本の尻尾を別々に動かすと、自分は猫又だと言った。
「……あのひっかき手形にはなんて書いてあったんだよ」
「人間の力になってあげてほしい。猫仲間のリングベルよりと書いてあった。リングベルとはここ最近知り合ったんだ。東の国の上等なマタタビを入手して貰った」
リングベルというのはパッチワークのもう一つの名前だ。裏取引に使っている名前で、リゼーネから出ると彼をリングベルと呼ぶ者のほうが多い。
「アイツは獣人だと言ってたぞ……」
「向こうがそう思い込んでるだけだ。お互い猫を使ったやり取りしかしていないからな」
リットは行き違いがあると思いつつも指輪をジェミーに見せた。
「その指輪の宝石について知りたい。アンタに聞けばわかるって」
ジェミーは指輪を手に取ると「ふむ……」と頷いた。「別れの涙か。確かに知っているぞ。これは魔力の結晶だ」
あまりにもあっさり答えを出したので、リットは「……本当か?」と思わず疑った。
「当然だ。オレは元魔女の使い魔だぞ。浮遊大陸にだって住んでいたんだ。疑うのなら、なんだって質問してみろ。そんじゃそこらの魔女よりも魔女のことに詳しいぞ。まぁ、ボケてあまりに昔のことは覚えていないがな」
ジェミーは自分の言葉に大笑いした。
そのあまりの胡散臭さに、リットは信じ切ってはいないが話を聞く価値はあると判断した。
「結晶ってのはどういうことだ?」
「魔力の具現化だ。形状変化とも言う。魔力は液体化や結晶化することがある。一つは精霊の気まぐれで作られたもの、もう一つは植物や鉱物が偶発的に作り出すものだ。前者は魔力の塊そのものだが、後者は魔力はほとんどない抜け殻のようなものだ。そして見つかるのは後者のみ。なぜなら、前者は精霊から離れると分解され元の魔力に戻ってしまうからだ。わかるか?」
ジェミーは毛づくろいしながら、話についてこれているかと確認した。
「なんとなくはな」とリットは頷いた。魔力の結晶を作るという水草の話を聞いたことがあるからだ。
「よし、話を続けるぞ。抜け殻には魔力はないが作用はする。条件が揃えば魔力を反射するものになる。見たところ、その指輪についてる宝石はただの抜け殻だ」
「条件ってのはなんだ? 魔女の力がいるんじゃねぇだろうな」
リットの真面目な質問にジェミーは嘲笑した。だが、リットをバカにしたわけではない。魔女をバカにしたのだ。
「あんな愚かな者を頼ることなんてない。どう足掻いても手の届かないところのものだ。まぁ、つまり頼るところはないということになる。必要なのはもう一つの抜け殻だ。それも、同じ結晶ではなく液体。手には入らないが、答えを一つ出してやろう。探している牙宝石というのは、魔力が具現化して偶然作られたものに間違いない」
「なんで言い切れるんだよ」
「なぜなら浮遊大陸は世界を回るが、ハズレ島は一定の地域だけを回るものもあるからだ。月の光も太陽の光も地上と同じものが降り注ぐ。わかるか? 上で作られようが、下で作られようが同じ地域で作られたものということだ」
「つまり、ハズレ島でたまたま作られたものが、たまたま地上に落ちてきた。それをたまたま獣人が拾って治療に使ってるってことだろ。……それじゃあ、探しても見つかんねぇわけだ。三つもたまたまが重なるってことは、奇跡って呼ばれるものだからな。神にでも祈るか……」
「神より龍に祈れ。結晶は龍の餌だ。奴は魔力を餌にする。植物や鉱物によって具現化された魔力は空気に触れるまでは、精霊が作り出したものと同じだ。だから、龍は空に浮かぶ大地ごと噛み砕くんだ。溜まった魔力を食うためにな。知ってるか? 過去に魔女が好き勝手大地を浮かばせたせいで、浮遊大陸は現在奴らの餌場だ」
「知らねぇな。フェニックスがハズレ島に突進しているのなら、見たばかりだけどな」
「龍も鳥も同じ霊獣だ。奴らは食いこぼすからな。運が良ければ結晶は落ちてるかも知れないぞ」
突然出されたヒントに、リットの心臓が高鳴った。
「おい、クー!」
リットが大声で呼ぶと、クーは猫と遊ぶ手を止めた。
「なに、良いことでも聞いたの?」
「聞いてなかったのかよ……石が手に入るかも知れねぇ」
「なんとなくは聞いてたよ。石じゃなくて、結晶が手に入るかもって話でしょ」
「同じようなもんだ」
「結晶と液体が必要って言ってたじゃん。このネコちゃんのように、簡単には液体にならないんだよ」
クーは猫のワキを持って抱き上げると、溶けるように伸びる猫を揺らした。
「結晶を手に入れとけば、液体を手に入れるだけだろ。少なくとも、この話を信頼する材料にはなる」
「そうとも言えるけどね……」
クーはジェミーの顔を見た。ペラペラと話し過ぎなのが気になったからだ。嘘を言っている雰囲気でもないが、信頼できる雰囲気も持っていないからだ。
「気にするな。パッチワークに恩を返しただけだ。長く生き過ぎて、マタタビくらいしか楽しみがないからな。猫をかぶって愛想よくしたが、人間は嫌いだ。二度と来るな」
「それを聞いて安心したよ。欲に溺れたなら、嘘はつかないからね」
「欲に溺れるのは人間だ。それも魔女が特に酷い。もう一度言う。人間は嫌いだ。二度と顔を見せるな。まぁ……会いたくても、もうオレを見つけられないと思うがな」
リットはなんのことだと思いながらも、クーと一緒に家を出た。
「もしかして、オマエ……」と、リットはあることを思って振り返ったが、そこに家はなかった。大きな木が一本あるだけだ。
土地に踏み込んでも再び家が現れることはなく、木に触れてみてもそれは本物だった。
「猫に化かされたのか……オレ達は」
「化かされたってより、バカにされてた感じだね。猫から見たら、人間もダークエルフも同じなのかねぇ。それで、なにを言おうとしたの? あのネコちゃんに」
「もしかしたらアイツ……ガルベラの使い魔だったんじゃねぇかってな」
「ガルベラって聖女ガルベラ?」
「浮遊大陸に住んでたって言ってたし、魔法のことも詳しければ、錬金術のことも詳しかったからな。液体化や結晶化なんては錬金術の範疇だ。ガルベラは錬金術師とも呼ばれてただろ。ってことは――」と話したところでリットは言葉を止めた。クーがニヤニヤ笑っているのが目に入ったからだ。「なんでもねぇ……関係ねぇしな」
「うそうそ。なんでもあるでしょ。謎が繋がる瞬間が気持ちいいのは知ってるもん。さぁ、遠慮なくお姉ちゃんに話してみなさいな」
「いいんだよ。オレの中で解決したんだから」
「よくないよ、言ってみなさいって。ガルベラ伝説なんて、謎を解いたら有名になれるよ。ディアドレの天魔録の手がかりになるかも知れないんだもん。答えは次の謎のヒント。そうやって冒険者の輪廻は続いていくの」
「だからいいんだよ……」
「照れちゃってもう」
リットとクーはレプラコーンに運ばれている最中も、同じ問答を繰り返してポンゴに戻ってきた。
そして、戻ってくるなり「よくないよ!」とシルヴァが話に混ざってきた。
「どうした? 話してみろ」
リットはこれでクーとの問答を終えられると、珍しくシルヴァの話を聞いた。
「今のレプラコーンの旋風でしょ? もう……なんで呼んでくれないの? 靴買うなら私も呼んでよ。欲しい靴いっぱいあったのに。聞いてよ、昔は私も木笛持ってたんだけど、呼び過ぎだってレプラコーンに取り上げられたの。まじ酷くない? 一日に五回呼んだだけだよ。仕方ないじゃんね? だって着替えたらそれに合う靴が欲しくなるんだもん。超お得意様だったのに……まじショック。だって私ケンタウロスだよ? 普通の人より倍買うっていうのに、まじあいつら上客逃したね」
「そうかもな。まてよ……靴か……」リットは少し考えると「買ってほしいか?」と聞いた。
「お兄ちゃんってば……それって飢えてる人にお腹が空いたか聞いてるようなもんだよ。もちってこと」
「ハスキーと一緒にいたいってことは、歩きやすい靴がいいな」
「わお、お兄ちゃんわかってるじゃん。どうしたの? 急に私が可愛くなったの? だとしたら遅すぎ。一回妹って先入観捨てて私のこと見てみ? 私が妹だったことに後悔するから。でも、大丈夫。尽くす相手に、女も妹も関係ないから」
「そうだな。クー、木笛を吹いてくれ。可愛い妹に靴買ってやるから」
リットが言うと、シルヴァはリットの腕を抱いて「やったー!」と声を上げた。
「下心が見え見えだけど……人数が多いに越したことはないね」
クーにはシルヴァが石探しの要員に使われるのが目に見えていた。明日は声を張り上げる元気もなくなるぞと思いながら、木笛を吹いてコンプリートを呼んだ。