第十七話
「おい、シルヴァ……本当に手紙を出したのか?」
数日経っても手紙の返事すら来ないのでリットは心配していた。
クーがコンプリートを使って手紙を出すのに頼んだのは、ビードルド・ウルエ運送だ。ハーピィとケンタウロスが経営しているもので、運送料が高い分手紙や荷物などかなり早く届けられる。
「出したわよ。いくら早いっていっても、それなりの時間が掛かるに決まってるでしょ。目を閉じて一二の三で移動できるわけじゃないんだよ。手紙を持つ時間も恋の時間なの」
「そう言えばそうだったな……」
神の産物を使った移動方法を体験したせいか、リットはせっかちになっていた。
「お兄ちゃん。クーのおかげだと思ってるでしょ。違うからね、私がビードルド・ウルエ運送のお得意様だから、特別便を出してくれてるんだよ。私が今まで何通手紙を出して、何通手紙をもらったかわかる? まじで家建つね。なんならお兄ちゃん用の家を建ててあげようか? どうせ暇だし」
「女の嫉妬と、野郎ども恋文に囲まれる家か……一晩寝るだけで呪われそうだな」
「そんなことはどうでもいいの。私の最後の一言に注目して。暇なの。暇ってことは、やることがないってこと。乙女の一大事だよ、大事な若い時間が無駄に流れていってるんだから。なんでポンゴってこんな田舎なの」
シルヴァは草の上にごろんと横たわった。
ハスキーは姉の手伝いをしに杜の中へ入っていき、クーはどこかへ行ってしまったので、話し相手がいないとシルヴァは不満に口をとがらせている。
「暇なら狂獣病の治し方でも考えろよ。オレはそれが目的でここに来てんだからな。のんきに時間が流れてるけど、村の連中に取っちゃ不安な時間なんだ」
「それはお兄ちゃんが受けてる依頼でしょ。私は着いてきただけ。ねね、このマニキュア可愛くない? きらめき半端ないんだけど」
シルヴァは太陽に向かって手をかざして見せるが、リットが興味を持つわけもなく、手を枕にして寝たままただ空を見上げた。
空は青く澄んでおり、雲が浮かんでいる。群れをなす鳥の影が三つ。太陽を引き裂くように高く飛び、のどかな秋の空に明るいアクセントをつけた。
空は転調を見せたあと再び静けさを取り戻すと思われたが、一つの大きな影が騒々しさを引き連れてやってきた。
影が鳥の群れの間を割って入ってくると、鳥は爆発したかのように四散して飛んでいった。
散り散りになった鳥は、一つの生物だったかのように元の編隊をとると、何事もなかったかのように飛んでいった。しかし、影は違った。スピードを落とすことなく真っ直ぐに地面へと飛んできたのだ。
その影は太陽を背負い、自身を影に染めると、地面に衝突するわけでも降り立つわけでもなく、何事かと思って立ち上がっていたリットの頭の上に止まった。
ハーピィの少女は「やほっ! シルヴァ!」と、笑顔を見せて片翼を大きく上げて振った。
「はぁい、アボーナ。一応言っとくと、それ私のお兄ちゃん」
「うそぉ!? あまりにボーッと突っ立ってるから、ちょうどいいとまり木だと思ったよ」
「まぁ、唐変木ではあるね。オシャレの一つも理解できてないの、マジで」
「うそ?」
「マジだってマジ」
「うそぉ、本当?」
「マジマジ」
「……降りて話せよ。肉屋に売り払うぞ」
リットが頭を振ると、枯れ葉のようにふわりとアボーナは地面に降りた。
「うわー……こわっ」
アボーナはふさふさの白い翼で口元を隠すと、逃げるように身を捩った。
「なに言ってる。その頭の方がよっぽどだ」
リットはアボーナの髪を見て言った。基本は翼の色と同じく白いのだが、頭の中心だけ赤い色をしているので、モヒカンにしているように見えた。
アボーナは「シルヴァ……」と耳打ちした。「お兄さん出来るよ。この髪型に反応したもん」
「オシャレ心なんてないから、目につくもの全部にケチつけてるだけ。このままいったらまじオヤジ一直線だよね」
「陰口ってのはな。人のいないところでやるから盛り上がるんだ。オレの陰口なら存分にやってくれ、見えないところでな」
「なに言ってんの。お兄ちゃんが女を紹介しろって言ったから来てくれたんでしょ。お望み通りのオシャレなハーピィだよ」
「よろしくね、お兄さん。私は『アボーナ・コー』だよ」
アボーナは一度翼を多く広げると、何度か羽ばたいてから姿勢を直した。
その時リットには内側の翼の色が、若干青みがかっているのに気付いた。
「その羽の色……。期待してなかったけど、本当に浮遊大陸の常連らしいな」
「わお……やっぱりお兄さん出来るよ。翼のインナーカラーに気付いたもん。これ流行りなの。内側だけ染めるやつ。天使のとこで染めないと、羽根の油分まで落ちちゃってパサパサになるの。髪にもいいよ」
「まじで? ほらぁ! お兄ちゃんが連れてってくれないから、私は世間知らずのまんまだよ」
「そりゃよかったな。それで、浮遊大陸のことなんだけどよ」
リットが本題に入ろうとすると、アボーナは「そうだ!」と声を大きくした。
「空の話してて思い出した! シルヴァ大変だよ! 早く行かなきゃ! 『フェニックスアロー』が始まっちゃう!」
「まじ!? ヤバいじゃん! お兄ちゃん急ごうよ! 見ないと流行から外れちゃうよ。外れるってわかる? すれ違った若い女の子にコソコソ笑われるオヤジになるってこと。そうなったらまじ悲惨だよ……。妥協が始まった時点で終わりだね。人生下り坂。後は一生老いとの戦い」
シルヴァとアボーナはリットを挟んで、あーだこーだと好き勝手に喋り始めた。
「頼むから……話題は一つに絞れよ。まずなんだ? フェニックスアローってのは。オレが聞きたい話と関係あるのか?」
アボーナは「知らない」と首を傾げた。「私達が見たいってだけだもん。お兄さんも絶対見ておいたほうが良いよ。これ逃したら、もう一生見ることが出来ないかもよ。雲が虹色に染まってすごい綺麗なの」
「彩雲だろ。言うほど珍しくねぇよ」
「違うの。フェニックスアローって言ってるでしょ。シルヴァ、お兄さん頭悪過ぎない? 私達の話に全然ついてこれてないよ」
「それ、たぶんパパの血。うちの男連中は皆考える力がないの。誰も、私の話に着いてこれないんだもん。説明してあげてアボーナ。うちのバカなお兄ちゃんに」
シルヴァは自分だけが正しいかのように、肩をすくめてリットをバカにした。
「しょうがないなぁ。フェニックスアローって言うのは、フェニックスが雲を突き抜けて飛んでいくこと。雲に矢を射るみたいだからそう呼ばれてるの。雲が黒く砕けて、虹色の塵になって消えてくの。これ見たって言えば、若い子は食いつくから絶対見ておいたほうが良いよ。私もたまたまここに来る時に別のハーピィから聞いたの。これって凄い偶然。だって、呼ばれなきゃ私も見れなかったんだもん。ってことは、お兄さんは私の運命の人? それはちょっと……野蛮そうだもん。せめてワイルドじゃないと」
「でも、ハスキーは私のだからダメだよ」
「それって、手紙に書いてあった。獣人のこと?」
「そう。まじ筋肉が凄くて、割れたお腹の線から、こう汗が伝って流れてくの」
「いいか……」とリットはため息も一緒に吐き出した。「小娘共よく聞け。これ以上無駄に話を広げると、この服はお前らに選んでもらったって言いふらして街を練り歩くぞ」
リットがよれた自分のシャツを指して言うと、シルヴァは信じられないと頬に手を当て、アボーナは絶句した。
「やめてよ。私達のセンスが疑われるじゃん。もしそんな噂が広まったら、私達ダサい女だよ。お兄ちゃん、ダサいってわかる? 死ぬってことだよ。そこで青春は終了。無の時代になっちゃう」
「なら話を聞け。いいか?」
リットは浮遊大陸のことを聞こうとしたが、アボーナに腕を掴まれて引っ張られた。
「話は後で聞くって、本当にもうこれ見逃したら終わりなんだから急いで。友達も待たせてるんだから」
「そうそう。普通はお金払ってでも若い子に囲まれたいってのに、ただなんだから、お兄ちゃんこそ黙って着いてきてよ」
シルヴァは空いている方のリットの腕を取って引っ張った。
その頃。クーはハスキーと一緒にいた。
「ですから、話すわけにはいかないのです。決まりですから」
ハスキーは言いながら木に斧を入れた。
「でも、使い方がわからないと探しようがなくない?」
「それでも決まりなのです。狂獣病を治すには、牙宝石の光を浴びるだけです」
クーがハスキーに聞いているのは牙宝石の使い方だった。
牙宝石に反射した月の光を浴びれば狂獣病は治ると聞いているが、それが正しい使用方法ではないと知っていたからだ。
「なかなか口が堅いワンちゃんだね……。それじゃあ、あの台座に秘密があったりするのかな?」
「台座は至って普通の台座だと聞いています。十数年に一度、職人が新しく作り直すものです。もしも、特別な秘密があればその職人は牙宝石のことに詳しく、お二人のお力になれたはずですから」
「それじゃあ、台座の場所がなにか特別とか? 精霊の通り道だったり」
「どうでしょう。特にこれと言ったことは聞いていませんが、伝承の類もありませんし」
「なるほどなるほど……やっぱり牙宝石に秘密がありそうだね」
「あの……本当に話せませんよ。どうしても聞きたいのならば、姉から聞いてください。村長なので、最終判断は姉がするので」
ハスキーは木が倒れるので危ないと付け足してクーを離れさせると、最後の一振りをお見舞いした。
木はミシミシと音を立てて倒れ、地面にぶつかると森を少しだけ騒がせた。
倒れた気はそのままに、ハスキーは次の木を切り倒す準備を始めたので、クーも移動してまた同じようなことを聞いたのだが、頑なにハスキーが牙宝石の使い方を喋ることはなかった。
クーからしてみればなぜ使い方を話せないのか不思議だったが、ハスキーからしてみればなぜクーが牙宝石の使い方を知りたいのが不思議だった。
ハスキーがそのことを聞いてもクーははぐらかすだけだ。
クーが牙宝石の使い方を知るには本物を見付けるしかないかと思っていると、疲れた様子のリットがやってきた。
「ここにいたのか……」
「お疲れのご様子だね」
「疲れるのはこれからだ……」
リットはクーの手を握ると歩き出した。
「あらら……デートのお誘い。強引だね」とおちゃらけていたクーだが、シルヴァ達がいる場所まで連れて行かれると肩を落とした。「ハーレムに加えられるのはちょっと……。そんなとこはヴィクターに似なくていいんじゃないの?」
「頼むよ。こいつらと一緒にいたら、頭がおかしくなる。これなら魔女の本を読んでるほうがましだ」
リットはころころ話題を変えるわりには、同じような会話で盛り上がるシルヴァの友達に疲れ切っていた。まるで失われた言語を使う種族にあったかのようだ。
「いいけどさ。なにをしに行くの?」
「なんでも、フェニックスアローとかいう現象が見れるらしいぞ」
「あらら、火の鳥ちゃんが暴れてるんだね。私も何度か見たことあるよ。あれはフェニックスの鬱憤晴らし」
クーが話してる間に、リットの体は持ち上がった。ハーピィの一人が掴んで飛び上がったからだ。すぐにクーもハーピィに掴まれて飛んだ。
リットとクーが話すのと同じように、二人の上ではハーピィがぺちゃくちゃと化粧品の話で盛り上がっていた。
「鬱憤晴らしって、雲を突き破ることか?」
「そうそう、厚い雲を突き破るの。フェニックスの炎で蒸発した雲が、虹色に輝いて消えていくってやつ。今頃浮遊大陸は大慌てだろうね。たまに大陸をかすめたりするから、空害対策に追われてるはずだよ」
「空害ってのは、浮遊大陸が龍に襲われるっていう龍害みたいなもんか?」
「空害の一つが龍害。リットが解決した、闇に呑まれた地域に出来た闇の柱も空害だったんだよ。雲の上の暮らしっていうのはけっこう大変だってさ」
リットと話し終えたクーは、どうせならもっと良いところで見ようと、ハーピィにもっと高度を上げるように言った。
落ちたら死ぬという考えがどうでも良くなるほど高いところまで飛ぶと、リットの目には赤く燃える太陽が見えた。
本物ではなく、フェニックスが翼と尾羽根を抱き込むようにして構えていたのだ。
初めて見る本物のフェニックスの姿に、リットの鼓動は興奮に飲まれて早くなった。
頭上ではシルヴァとハーピィ達が騒いでいるが、そんな言葉など一切耳に入らないほど心臓が音を立てて耳の奥で脈打っていた。
子供のように期待に満ちた瞳をフェニックスに向けているリットを見て、クーは優しい笑みを浮かべていた。
しかし、その視線はすぐにリットから離れた。
フェニックスが体制を変えたからだ。そこからは一瞬もなく、光の線だけを残してフェニックスは姿を消した。
フェニックスの光が消えた、上空はまるで明るい夜のようだった。それほどまでにまばゆい光を放っていた。
そして雲は焦げるようにひび割れたかと思うと、そこから閃光が生まれた。閃光に目がくらみ、一瞬の瞬きの間に、雲は蒸発して砕け散っていた。
明るい夜に咲いたような虹の星は、風にのってリット元までやってくるが、体をすり抜けるようにして消えてしまった。
その美しくも幻想的な光景の余韻に浸ったのは僅かな時間。
リットの目に変なものが映ったので、すぐに現実に引き戻された。
リットは「ありゃなんだ?」と落ちていく影を見た。
「あらら……どうやらやっちゃったみたいだね。人も乗れないような小さなハズレ島だろうけど。さっき話して空害だよ。フェニックスの炎には魔力があるからね。害のない炎は転生時の炎だけ。フェニックスに焼かれた大地は、浮遊大陸の理から外れて落ちていっちゃうの。まぁ、あの程度なら地上にも被害はなさそうだね」
クーは帰ろうとハーピィに話しかけたが、興奮したハーピィは友達同士で盛り上がりに盛り上がりクーの声が全く聞こえていたない。
結局地上に戻ったのは、夕方になってからだった。