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第十四話

 車輪を土に食い込ませている音に混ざり、マーチのような楽しげな蹄の音が響くが、馬車を引いているのはシルヴァではなくハスキーだ。

 シルヴァはすっかり散歩気分で、重い馬車を引き、シャツが弾けそうなほど筋肉が膨らんだハスキーの腕を抱いて歩いていた。

 パッチワークがよこした迎えというのはハスキーのことで、馬がいないのに馬車で行くという手紙の内容を不審に思い、様子を見に歩いて来たのだった。

 強面な犬顔に、屈強な体。知性を思わせる小さな丸メガネ。そんな頼れる男が、自分の代わりに馬車を引くと率先するものだから、シルヴァはすっかり心を奪われてしまっていた。

「――それで、私も頑張ったんだけど。この道でしょ? 誰も手伝ってくれないし、意地悪ばっかり言ってくるの。言い出したのはオマエだろとか、馬を連れてこなかったのはお前のせいだろとか、お兄ちゃん超うるさいの。じゃあ雨が降りそうなのも私のせいかっての。私を助けてくれたのはハスキーだけ」

 シルヴァは上機嫌な表情で、ハスキーの肩に頭を預けた。

「そうですね。この道は慣れていないと大変だと思います。雨の時に山の泥が運ばれてくるので、それが固まるとでこぼこしてるんですよ」

「おい、ハスキー。バカ正直にバカ娘の相手をしなくていいんだぞ。迷惑してたら、遠慮なくケツでも蹴ってやれ」

 リットが不機嫌に言うと、ハスキーはとんでもないと慌てた。

「迷惑だなんてありえません。ディアナ国の第二王女。シルヴァ・クリゲイロ様のお世話と警護が出来るなんて、兵士冥利に付きます。帰ったら皆に自慢できます」

「なら、オレの代わりにケツを蹴ってくれ……」

 リット達は馬車に乗るではなく、馬車の横を歩いていた。三人も四人も乗ったままでは、力自慢のハスキーでも馬車を引くことは出来ないからだ。

 道端に馬車を置いていくわけにもいかず、無駄に時間をかけてポンゴへ向かうことになり、リットは苛立っていた。

「でも、シルヴァもケンタウロスなんだねぇ」とクーは感心していた。「完走は出来なくても、馬車を引けるんだもん。やっぱり下半身の筋肉が凄いもんね。広葉樹並にカチカチだもん」

「ちょっと! クー! 人の脚を太いみたいに言わないでよ! ハスキーに勘違いされるでしょ」

 シルヴァが脚を隠すようにスカートの裾を直すので、ハスキーは自分は気にならないとすかさずフォローした。

「シルヴァ様の脚はお綺麗ですよ。誰もが思うはずです。大地を蹴るにふさわしい素晴らしい脚です。羨ましい限りです。自分も一度は風のように走ってみたいものです」

「でしょ? 私も趣味は走ることなの。汗に火照った体が、ディアナの川風に吹かれる瞬間なんかたまらないよ。朝日の爽やかさとか、季節の変化の素晴らしさとか、真っ青な空の高さとか。体を鍛えることはもちろん。毎日の自然との調和がたまらないんだよね」

「大変素晴らしいお考えだと思います」

 ハスキーがシルヴァに尊敬の眼差しを送ると、クーは肩をすくめてリットにだけ聞こえるようにつぶやいた。

「ありゃりゃ……シルヴァったら適当なこと言って……。後でボロが出なきゃいいけど……」

「嘘は言ってねぇから、押し通すつもりだろ。ありゃ、どう考えてもマックスからの受け売りだ。あんなのずっと聞きながら歩けってのか?」

「なら、文句を言わずに手伝うべきだね。私もシルヴァを連れて野宿はちょっとね……。絶対文句を言われるもん」

 クーは押すよと、リットを連れて馬車の後ろに回り込んだ。



 ポンゴの村につく頃にはすっかり夜になっていた。雨が降り出したことにより、空からは光が消え、まずハスキーの家へと向かったのだが、

「……これは一体全体どういうことですか?」

 ペルセネスのメガネの奥の瞳は穏やかに細められていたが、明らかに怒りと苛立ちに満ち溢れているのがわかった。

 その瞳はべったりとハスキーにくっついているシルヴァに向けられたものだ。

「このお方はディアナ国の――」

 ハスキーがシルヴァを紹介しようとするが、ペルセネスは「知っています」と遮るように言った。

「パッチワークからの手紙を読んで大体のことは知っています。私が聞いているのは、なぜ濡れた服のままハスキーちゃんに抱きついているのかです」

 ペルセネスの不機嫌な物言いに、パッチワークこれはまずいと慌てて割って入った。

「そうニャ!! 風邪でも引かれたら大変なのニャ! 早く体を乾かして着替えないとニャ!! 野郎共は外に出てるから、お姉さんもお着替えよろしくなのニャ」

 パッチワークはリットとハスキーを押し出すように家から出た。

 ハスキーは体を冷えさせてはいけないと、外にいる時間を利用して薪を取りに行った。

 その後姿をニャハハとネコ笑いを響かせた陽気に見送ったパッチワークだが、ハスキーの背中が見えなくなると重い溜息をついた。

 強くなり出した雨に打たれたリットは「いったい……なんなんだよ……」とパッチワークを睨むと、水気を絞るように髪をかきあげた。

「ペルセネスは怖いのニャ……町長という名の山賊のボスみたいなものニャ。答えはイエスかはい。独裁者なのニャ。村には話し合いは存在せず、拳で語るのが決まりなのニャ……。なにより恐ろしいほどのブラコン。ハスキーに女の影が!? なんてことがあったら……」

 パッチワークはぶるぶると身震いをして、毛に染み込んだしずくを盛大に飛ばした。

「そんなことはどうでもいいんだよ」

「どうでもよくないニャ! とばっちりは全部ニャーにくるのニャ! 一緒に木登りして落ちた時も、後から呼び出されたのは面白がって木を揺らしたニャー。一緒につまみ食いしてお腹を壊しても、後から呼ばれたのは落ちてる美味しそうな木の実を見付けたニャー」

「余計なことをするから、怒られてるようにしか思えねぇよ。そうじゃなくて、昨日からパッチの様子がおかしいって話をしてんだ。急に本物のネコみてぇに鳴いたり、ヒステリックになったり。身に覚えがないっていうなら、よりおかしいぞ」

 リットはパッチワークを不審に思っていた。昨夜の酒場での振る舞いもそうだが、今朝はあれほど急かして出発させたというのに、道中からはすっかりほっとしたようにのんびりしだした。

 パッチワークなら隠し事はもっと上手くやるはずなので、取り繕えないほど切羽詰まっていたのはなんだったのかと、リットは問いただした。

 だが、パッチワークは頑なに「ニャーは隠し事なんてしてないのニャ」と否定した。

「別になにをやってようが構いやしねぇけどよ。誤解を解くのが面倒くせぇことは勘弁してくれよ」

 リットは言いながらを空を見上げた。急に雨足が弱まったからだ。

 空の月は溶けるように風に流れる雲の薄衣に透け、夜は繊細な輝きを取り戻し始めていた。星が一つ、また一つと夜空に小さなヒビを入れるように光ると、月は完全に顔を出して、書き終わりの墨のような薄い影の分身を足元に伸ばした。

 リットがふと足元を見たのは、パッチワークがあの時の晩のように「なーう」と完全なネコ声を上げて、ふくらはぎに体を擦り寄せてきたからだ。

「オマエなぁ……」と、話を一向に聞かないパッチワークにリットが呆れていると、薪を抱えたハスキーが戻ってきた。

 ハスキーは薪とランプを落として驚愕した。

「そんな……まさか……。リット様! 見ないでください!」

 すぐさまパッチワークにかけより、彼を隠すように立ちはだかった。顔は真剣そのもので、必死になりすぎて低い唸り声まで上げいる。

「なんだってんだよ……。ポンゴじゃ客の前でドタバタもんの喜劇でも披露するのが決まりなのか?」

「これは演技ではありません……狂獣病です……」ハスキーは恥じ入るように目を伏せた。「まさかパッチワークが……。こうしてはいられません! 姉さん!!」

 リットの「おい――」という止める声も聞かず、ハスキーはパッチワークを抱えて家の中に入っていた。

 聞こえてきたのはどこか嬉しそうなシルヴァの悲鳴と、ペルセネスの「ハスキーちゃん……出ていきなさい」という不機嫌な声だ。

「着替え中だぞ」

 リットが言うと、ハスキーは「すいません気が動転してまして……まさかパッチワークが発症しないまま街に出ていたとは」

「……狂獣病ってのは、野生に戻るって言ってなかったか?」

「はい……理性をなくし、獣そのもの行動を取ってしまうのです」

 ハスキーは腕の中でフーフーと威嚇して暴れるパッチワークを抱いたまま、不憫でならないという表情を浮かべた。

「どう見ても……野生に戻るってよりも、野生をなくした猫だぞ」

「こんな姿を人には見せられません。リット様にも見せたくないはずです」

「そりゃそうだろうな。オレだったら街を出る」

 リットが昨夜のパッチワークの異変の謎がわかったと、心のモヤを一つ晴らしていると、ペルセネスが家に入るように言ってきた。


「これが狂獣病ね……本当にただのネコちゃんになったんだね」

 クーが床で薪を転がすと、それにあわせて右へ左へ、パッチワークは完全にあやされていた。

 なにも話を聞かずについてきたシルヴァは「全然わかんないんだけど……」と首を傾げると、ハスキーに寄り添った。「ハスキーも狼になっちゃうってこと? がおーって。私襲われちゃう?」

「自分は幼少時に発症しているので、もう症状が出ることはないです。安心してください。それに自分は犬の獣人ですので、狼にはなりません」

 ハスキーが優しい声で言うと、シルヴァは「あそ……」とつまらなさそうに返事した。

 その二人の間にペルセネスは無理やり割って入ると「困りましたね……獣人の掟を破って村を出るから、人に見られるんです」と片方の手を腰に手を当てシルヴァを押した。

「ネコがネコになったって誰も気にしないんじゃないの? 私も狂獣病でネコになっちゃうかも!? にゃーん」

 シルヴァはネコ手を作るとハスキーの頬にじゃれた。

「ケンタウロスはかかりません。なぜなら純獣人が発症する病気だからです。よかったですね。安心してくださいお姫様」

 ペルセネスは汚れがついたとでも言うように、ポケットからハンカチを取り出してハスキーの頬を吹いた。

「じゃあ――」と。ハスキーに再び寄り添うとするシルヴァの首根っこをリットが掴んで引っ張った。

「やめろ……話が進まねぇ……。それで、それだけなのか? 狂獣病の症状ってのは」

「はい。それだけと言いますが……獣人にとっては屈辱的なものです。リットさんが今ここで赤ちゃんのように振る舞うようなものですから」

 ペルセネスは出来るものならやってみろとでも言うように床を指した。

「なんなら昔みたいにオムツ替えてあげようか? よりなりきれるように」

 クーがニヤニヤして、過剰にシルヴァが反応を見せるので、リットは早々にこの話題を打ち切った。

「まぁ、パッチワークには悪いけどよ。症状が見られたのはよかった。これがヒントになるかどうかはわからねぇけど、実際に見れたことによって何かは変わるはずだからな」

「なら、よかったです」

 ペルセネスはパッチワークの首を掴んで持ち上げると、ハスキーに離れへ連れて行くようにと渡した。

 ハスキーが家から出た瞬間、ペルセネスはメガネを取ってシルヴァに詰め寄った。

「さて……お姫様。この村にいるなら、この村のルールに従ってもらおうか?」

 シルヴァは素直に「わかった」と頷いた。「私の部屋はハスキーと同じでいい」とにっこり笑う。

 その笑顔はルールは王族が作るとでも言いたげな、嫌味でゲスいものだった。

 思わずリットが手を出すと、シルヴァは「あいた!」と頭をおさえてうずくまった。「ちょっと! お兄ちゃん! 暴力さいてー。私女の子だよ。それも可愛くてセクシーで、若くて偉い」

「ありがたく思え、オマエがディアナの名前を出してわがままを言わない内に止めてやったんだからよ」

 リットは国際問題にするつもりかと怒ったが、シルヴァは心外とでも言うように頬を膨らませた。

「ちょっと見くびんないでよね。国際問題なんてダサいことするわけないじゃん。これは女の戦いだよ。私燃えてるの、煮えたぎってるの」

「燃やしすぎて煮すぎてるから、中身がドロドロしてんだよ。傍から見て男が一番引くのが、女の喧嘩だ」

「男だって同じようなもんでしょ」

「いいや、違う。男は仲間をけなすが、女は敵を褒める」

「お兄ちゃんの言いたいことはわかるよ。清らかさとスケベは両立するってことでしょ」

「……その言葉はあってる。でも、今にあった答えじゃねぇよ。なにが言いてぇんだよ……」

 シルヴァは「聞いて!」とペルセネスを睨んでいた瞳をリットに向けた。「まじさいてー。ウィルをスケベなシスターにとられたぁ! まじで意味わかんない。最強の甘えた顔でデートに誘ったのに断るわけ。学者になるための勉強があるから遊んでる暇はないって。歴史を解く暇があるなら、少しは女心を解けっての。そのくせ、シスターフォスターのところには毎日顔出しに行くの。月の神と月の国の成り立ちを知りたいって。意味わかんなくない? だって月の女神が目の前にいるんだよ。それも好き好きアピールしまくってるってのに。女の我慢の限界かける鈍感な男イコールだよ。答えは何でしょう? はい、お兄ちゃん答えてー」

「付き合ってられるか……」

「そう! マジそれ! 付き合ってられるか! ってやつ。だから、ウィルが謝ってくるまで絶対にディアナに帰らないって決めたの。普通手紙の一つでもよこすじゃん――」

 タガが外れたシルヴァはもうすっかりペルセネスのことなどどうでもよくなり、のべつ幕なしに不平不満をぶちまけた。

 クーは「はいはい、話はゆっくりテントで聞くからねー」とシルヴァをあやしながらドアへと向かった。

「気が削がれちまったよ……」とペルセネスはどかっと椅子に座った。

「そりゃよかった。もしなにかあったら、オレはあちこちからどやされるとこだ」

「あんな小娘ごときに、本気でやりあおうなんて思っちゃいないよ。そんな心配をするより、依頼をどうにかするんだね。この村はまだ半数は狂獣病を発症していないんだ。あまり遅くなるようじゃ、こっちも条件を変更させてもらうこともあるからね」

「そりゃ仕方ねぇけどよ。小娘に嫉妬して、八つ当たりだけはやめてくれよ」

 リットはやっぱりシルヴァを連れてきたのは間違いだったと、ため息をつきながら家を出た。






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