第十二話
「――だから、それが真理なわけ。若いうちしか若い肌はないんだよ? セレネママとかは確かに肌は綺麗だけど、年を取ったらそれは若い肌じゃなくて、若く見せた肌。どんなに綺麗になっても若さだけは取り戻せないの。これマジ絶対だよ。浮気バレした夫が、家庭での地位を二度と取り戻せないくらい確実な話。だから今のうちに若い肌を見せなきゃ」
シルヴァはエミリアの屋敷の応接間で、ドレスのぱっくり開いた胸元を強調して言った。
「あのなぁ……。オレが聞いてるのは、なんでシルヴァがリゼーネにいるかってことだ」
「だから今話したでしょ。若い肌を見せるためだって」シルヴァは「ははーん」と意味ありげな笑みを浮かべると「お兄ちゃん知らないんでしょ。私はここリゼーネでも超イケてるお姫様なわけ」
「知ってる」
リットはクーが買った誇張と改変を重ねたシルヴァの肖像画を開いて見せた。
「妹の肖像画を買うとか超キモいんだけど……。しかも、これ初期の肖像画じゃん。リゼーネに行くなら淑やかにとか、もー! とにかくモントお兄ちゃんが口うるさいから、それならどうすればいいか紙に書き出してって言ったら、それが長いのなんのって……まじ長いよ。一流シェフの秘伝のレシピかっての。だから私もだんだんイライラしてきて、その文字通り絵描きに描かせたってわけ。こんな女いるわけないって見せれば納得すると思ったんだけど、描かせて驚き。なんと、ここにいたの! レシピ通り作ったら、こんなに美味しそうなのが出来ちゃうんだから、私って凄いよね。素材の良さって言葉をマジなめてたわ……。私ならきっとどんな料理にも生まれ変われるよ」
シルヴァは誘惑するように腰をくねらせてポーズを取るが、リットから見れば頭が痛くなることでしかなかった。
「……残飯にもな。いいか? オレが聞いてるのは、リゼーネと外交してるのはゴウゴだろってことだ」
「ゴウゴお兄ちゃん? 仕事してるに決まってるじゃん。外交って遊びじゃないんだよ。知らないの?」
リットはシルヴァだと話が通じないと、なぜ一緒にいたのかをエミリアに聞いた。
シルヴァはゴウゴに無理やり着いてきて、リゼーネを観光するということを続けていた。最初はお付きの者と買い物や食事をしているだけで楽しかった。ヴィクター譲りの人懐っこさのあるシルヴァは、すぐにリゼーネでも人気になった。
一回目は大満足でディアナに帰っていたシルヴァだが、二回、三回とリゼーネに来ると、新鮮味がなくなり一回目ほどの満足度はなかった。その時にぽろっと退屈だとシルヴァがこぼしていたのを聞いた兵士が上に報告したところ。
今回の四回目には、年の近いエミリアがシルヴァに付き添うことになったのだ。
「年が近いってか? あのバカ娘とか?」
リットはエミリアとシルヴァを見比べて驚いた。
「近いと言っても、シルヴァ様とは四歳は離れている。城勤めで警護も出来る女性が私しかいなかったのだ」
「もう、シルヴァでいいって言ったじゃーん。オジンに片足突っ込んでるお兄ちゃんなんかほっといてさ。街行こうよ。もっと肌を出さないともったいないって」
シルヴァは味気ない格好をしているエミリアを連れて、街で服やアクセサリーを買い、化粧をして、男達に見せびらかしに行こうとしきりに誘っていた。
他国の姫の要望を無下に断ることも出来ず、エミリアはリットに助けを求めていた。
「クーでも連れてけよ」
リットが助け舟を出したのだが、シルヴァはきっぱりと「嫌」と口に出して断った。
「ありゃあ……そんなにはっきり嫌って言われると、私だって傷付くよ。小さい頃はあんなになついてたのにさぁ」
「だって、クー絶対に着替えないし、反応もいつも同じなんだもん。私がなにを選んでも「いいんじゃない?」とか「可愛いから何でも似合うよ」とかばっかりじゃん。倦怠期を迎えたカップルの彼氏だって、もう少しまともな反応をするっての。マジ気を付けないと、イジリーナもそれで別れたって。アイツ最悪だってさ。それ私も同意見で、男なら百個くらい褒め言葉用意しとけっての。女なんて「すごーい」の一言をどれだけ使い分けて褒めてやってるかってこと」
シルヴァは早口でまくしたてると、最後にクーも気を付けないとと念を押して肩をすくめた。
「ありがと。女の子に興味が出来たら参考にするよん。今の話も、服のこともね」
「ほらー聞いたでしょ? クーはこんなんだからつまんないの。そのおっぱいに似合う服を見つけに行こう。絶対に鎧なんかじゃないって……。女は忘れても、捨てちゃダメだよ。まじ髭生えてくるよ」
相変わらず助けを乞う瞳を向けてくるエミリアに、リットは「これも仕事なんだろ? 行ってこいよ」と背中を押した。
その手が押したのはエミリアだけではなく、クーの背中もだ。
「私は仕事じゃないんだけど……」
面倒くさがるクーにリットは耳打ちをした。
「仕事だ。昨日の説教の続きを聞きたいなら別だけどな」
リットは無断外泊と手続き無しで城の書庫を出たことは、エミリアに絶対に怒られるとわかっていた。だが、ここで恩を売っておけばある程度は有耶無耶に出来るので、女三人で街に出て来いということだ。
クーは「まぁ……いっか」とシルヴァを見た。「シルヴァとも久しぶりだしね。お買い物して、ついでにご飯でも食べに行っちゃおっか」
クーに肩を抱かれたエミリアはもう一度リットを見たが、クーがいるならシルヴァに振り回されることもないだろうと、諦めて街に出ることを決心した。
「いいけど、二人ともまず着替えからね。このまま街に出たら、お姫様と兵士と冒険者だよ、そんな三人組なんておとぎ話の中だけ。せめて、周りからは女三人で歩いてると思われないとつまんないじゃん」
立場上それは出来ないとエミリアは拒んだが、もう楽しむと決めたクーに「まぁまぁ、エミリアは固そうだからハメを外せとは言わないけど、肩の荷くらいは下ろさないと」と着替えのために無理やり部屋を連れ出されてしまった。
お出かけが決まったシルヴァはウキウキした様子で、鼻歌を響かせて待っていた。
「お兄ちゃんは本当にいいの? 今なら両手に花だよ」
「オレの腕は二本だ。持ちきれねぇよ。一個余ったらかわいそうだろ」
「腕が二本あるなら全部抱きかかえればいいのに。モテる男はみんなそうしてるよ」
「別にいいけどよ。重量制限があるから、一人ひとりの体重を聞くぞ。重い女に当たると人生積むからな」
「お兄ちゃんて、よくそういう言葉がぽんぽん口から出るよね……」
「そりゃ、耳からは出ねぇからな。……オマエは軽そうだな」
リットは露出度の高いシルヴァのドレスにため息をついた。こんな格好でディアナから出ることは許されないので、ゴウゴと別れた後に勝手に着替えたのだろう。
今となっては、生前ヴィクターが頭を悩ませていた理由の一つがわかってきた。
「なに? 妹に気を使ってるの。でも……ありがと」と、シルヴァが満更でもない顔で笑うので、リットはますます不安になっていた。
「意味わかってねぇだろ……」
「わかってるって。痩せててナイスバディ。つまりイケイケの女」
「……当たらずとも遠からずだな」
「お兄ちゃん風に言うなら、むんむんまってやつでしょ」
「ぜんぜん違う。むんむんまってのは大人の色気だ。あばらが浮いてるような――オレはなにを熱弁しようとしてるんだか……」
項垂れたリットを無視し、シルヴァは戻ってきた二人と一緒に「ミニママから聞いたの。浮遊大陸に、爪が宝石みたいになるマニキュアがあるって。それで――」と出ていった。
リットはフルーツムーンツリーであまり眠れなかったのと、レプラコーンが持つ神の産物を利用した『あっちの世界』の移動で疲れたせいもあり、部屋でおとなしく寝ていた。
目覚めたのは、冷えた秋風が夕焼けに浸すための雲を運んで来る頃だ。
夕日に顔を照らされていたリットは、わずかな暗闇が作られると、その違和感から眠りが覚めてしまった。
屋敷は静かで、まだ街に出ていった三人が帰ってきていない。
なにか魂胆があって連れ回すクーも、なにかと口うるさいエミリアも、なんにでも好奇心が旺盛なシルヴァもない。
リットは一人で静かに飲みに行くチャンスだと、メイドにはなにも伝えずに屋敷を出て酒場へと向かった。
先程まで太陽を隠していた雲は既に遠くまで風に流され、靄がかったオレンジ色の光が街を照らしていた。
そんな染まった街を楽しむことなく、酒場に入ったリットは早速酒をと思ったが、まだ今日なにも食べていないことに気付くと、途端にお腹が空腹の合図を響かせてきたので、まず食事を頼むことにした。
適当に用意してくれと頼んで出てきたものは、リゼーネ特産のイモを蒸したのがまるごと二個入ってる薄味のスープと、たっぷりの香草とニンニクを加えて焼いた腸詰めだ。それに、どうせ頼むだろうとビールが置かれた。
リットは出されたのならしょうがないと、まずは腸詰めをかじった、口の中で香草と肉汁が混ざりあって広がると、それをビールで流し込んだ。
濃い味付けの腸詰めは、酒にもイモのスープにもよく合った。
料理を半分ほど食べ、ビールを飲み干したところで、今入ってきたばかりの客がリットの隣に座った。
「お兄さんがビールとは珍しいのニャ」
パッチワークは爪の先で、腸詰めが入った皿のソースを取って舐めると顔を渋めた。同じものニンニク抜きでと頼むと、自分の分のお酒とついでにリットのおかわりを頼んだ。
「なんだ?」
「ここの店はその日の仕入れによって香草の量を変えるから、味見したんだニャ」
「そうじゃねぇよ。なんか用があって、オレを探してたんだろ。それも一杯飲んだ頃を見計らって」
「いやーお兄さんは話が早い。どうだったニャ? 様子は」
パッチワークが含みのある言い方をするので、リットは眉間にシワを寄せた。
「そっちこそ話が早えな……どこで聞いたんだよ」
「どこでもなにも、ニャーの庭ニャ。どんな情報でもニャーのプリチーなお耳には入ってくるのニャ」
「まぁ、悪いところじゃねぇよ。ただ獣人ばかりでな」
「獣人の村なんだから当たり前ニャ」
「あとサービスが良すぎて気持ちわりいよ」
「サービス? たかだか冒険者にサービスかニャ。あの村も落ちぶれたものニャ……。お客ならともかく、対価を払う冒険者に媚びを売るとは……」
パッチワークは心底がっかりしたように肩を落とした。
「こっちは客として行ったんだ。まぁ……金は払ってねぇけどよ」
「お金? お兄さんはさっきからなにを言ってるのニャ?」
「なにって、フルーツムーンツリーに言ってきた話だろ。もうちょっと普通の部屋ってのはねぇのかよ」
「あるわけないニャ。フルーツムーンツリーは獣人ための宿ニャ。だから人間に……は……」パッチワークの目は徐々に大きくなって言葉が止まった。見開くだけ目を見開くと「フルーツムーンツリー!?」と大声を出した。
「そうだ」
「ニャーがしてたのはポンゴの話ニャ! でも、そんなことはどうでもいいのニャ! なんでお兄さんがフルーツムーンツリーに行くなんて――まさかあのブラコンのペルセネスと恋仲に!?」
「ちげえよ」
「なら、ハスキーかニャ!? あのブラコンの姉に殺されるのニャ……」
「クーとだ。なんでオレがハスキーと連れ合い宿に行くんだよ」
リットが言うと、パッチワークはほっと胸をなでおろした。
「いつものお兄さんのジョークかニャ……。よく考えれば、すぐに行って帰って来られるような距離にある場所じゃないニャ。それに、フルーツムーンツリー は招待制なのニャ。場所はたとえ獣人でも知らされていない。お金を持った獣人がまっ先にすることは、あの場所を招待してくれるコネを作ることだって言われているくらいニャ。他の方法は、町に偶然辿り着くくらいなのニャ」
パッチワークはすっかり騙されたと、リットの背中を叩いた。
「まぁ、それが本題じゃねぇから信じようが信じまいがいいんだけどよ。どうにも故郷の土地で採れる宝石しか効果がないみてぇだな。だから今後の予定は、ポンゴ周辺でお宝探しだ」
リットが酒を一口飲んで、長くかかるかもなと肩をすくめると、シャツについた赤い羽毛が舞った。
その羽毛の切れ端は、パッチワークの目の前をゆっくりと踊るようにしてカウンターへと落ちていった。
「お、お兄さん……これは……もしかして……ハーピィの羽毛では?」パッチワークは羽毛の匂いを嗅ぐと顔をとろけさせた。「南国の匂いニャぁ……。それもとびきり美味しそうな雌鳥ちゃんの匂いニャ」
「パッチワークが言うと、どっちの美味そうの意味かわからねぇな」
リットが笑っていると、酒を持っている左手にパッチワークが顔を擦り付けてきた。
「お兄さんもお人が悪いニャ……本当にフルーツムーンツリー行ったなら、そう言ってくれればいいのニャ」
「オレはそう言ったぞ」
「確かに! ニャーが全面的に悪いのニャ。謝罪とお礼を言いたいので、是非ともニャーに紹介してほしいのニャ。フルーツムーンツリーの招待なら、どれだけの獣人が食いつくことか……」
「無理だ」
リットが言うと、パッチワークはますます顔を腕に擦り付けた。
「また意地悪を……ニャーとお兄さんの関係は深めるには、これ以上ない条件ニャ」
「くっついてくるなよ……別の関係に思われんだろ。だいたいな……言ったろ? 金は払わず逃げてきたって。詳しくは言えねぇけどよ、それが短期間で行って帰ってこれた理由だ」
しかしリットがなにを言っても、パッチワークは顔どころか全身を擦り付けてきた。
酔っ払い過ぎだと何度注意してもくっついてくる。それどころか、「なーなー」とうるさく猫の声で鳴くのでリットとパッチワークは酒場から追い出されてしまった。
もうすでに夕闇は夜に姿を変えて、空に月を浮かべていた。
「おい……なんだってんだよ。頼んだ飯だって全部食ってねぇんだぞ」
リットが睨みながら言うと、パッチワークは四つ足で走り去っていった。
「人間があの酔い方をしたら終わりだな……」
リットは酒場に戻るわけにも行かず、飲み足りないと思いつつもエミリアの屋敷に戻っていった。