勉強も執筆活動もそれが目的か手段かで違うが高い評価を求めすぎるのは不幸を呼ぶように気がしてならない
さて、私の場合は勉強も執筆も良い成績や高いポイントを得ての評価を得るため手段ではなくそれそのものが楽しいから行うというものなので、基本的にやりたいときにやりたいことしかやれなかったりします。
なので勉強に関しての全体の成績自体はそこまで悪くなかったのですが英語は壊滅的でした。
丸暗記とかはホントつまらないので、できないのですよね。
そしてなろうの作品も基本的にはかきたいことをかきたいように書くだけで評価とかはさして気にしていません。
無論、昔は高いポイント評価がほしいなと思っていましたが、読者に合わせて自分が書きたくもないことを書くというのは自分には無理だし、そもそも向いていないということに早々に気がついてしまいましたしね。
そして思うのですがお金とか評価とかは多く高く求めるとそれなりの代償が必要ですし、適当なところで妥協したほうが楽しめるように思うのですが。
逆に高い評価を求めすぎるのは結果として不幸を呼ぶように気がしてならないのですね。
自分の才能の身の丈がどのくらいなのかを推し量って、現実的にそれがあまり高くなくてもそれを認めると楽になれますよ。