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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

夢で会えるなら・・・A

作者: 小真希

 ポケットから取り出した合鍵を手に、扉の鍵穴に差し込む。

 カチャリ。

 まるで我が家のように脱いだコートを掛け、ブーツを脱ぐ。 

 パンパンに膨らんだ鞄を玄関に置いたまま、ニヤつく顔を押さえて、足音を殺し忍び足で階段を上っていく。

 目的の部屋の扉の前で静かに一度深呼吸し、そして、ゆっくりとドアを開いた。



 


 時刻は午前8時過ぎ。

 突然の着信に、普段より遅めの朝食を一時中断し、ディスプレイに表示された名前に小首を傾げた。

 

『もしもし、恵ちゃんおはよ~』


 聞きなれたいつもの優しい甲の母親の声。しかし早朝からというのは珍しく、何かあったのかと不安な気持ちが押し寄せてくる。

 

『おはよ~って、どうしたのこんな時間に!?』

 

 本人から敬語を禁止されているのもあるが、母親同然の相手であり、同時に自分の恋を応援してくれる友人のような存在に、あえて、親しみを込めて接していた。


『今日からパパと二人で三日家を開けるから、悪いけど、甲の事お願いできない?』


 それは突然のお願い、という名目のご褒美。


『お任せくださいッ!!』


 恵は鼻息荒く、即答した。




 

 忍び足のままベッドで寝ている甲へ近づいていく。

 昨晩、甲からメールで、

 ''明日少し会えないか?''

 と、連絡をもらっており、甲の母親からは『帰ってきたらお赤飯炊くね』とプレッシャーを掛けられ、大義名分を得た恵は勝負に出た。

 

「(寝起きしっぽりの時間ですよ~)」


 カメラこそないものの、お約束といわんばかりに衣類に顔を埋める。

 スンスン―――うん??

 けれど、嗅ぎ慣れた柔軟剤の香りしかしない事で、恵のテンションを下げてしまう。

 ならばとベッドへ近づき、さも当然のように甲の寝ているベッドへと侵入する。

 窓側に顔を向け寝ている甲の背中に顔を埋め、抱きつき、ホールド状態に。


 なかなか起きない甲に、恵のエスカレートする行為。

 上に着ていたジャージを半脱ぎにさせ、シャツの中へと手を滑り込ませていく。

体の線は細いものの、男らしいゴツゴツとした骨格。適度に引き締まった身体。

 ハァ…ハァ…

 恵の息は荒く、ベッドの中でモゾモゾと足をくねらせる。

 後ろから回していた手で臍の位置を確認し、更に下腹部へと指先は滑り落ちていく。

 

「(コレ脱がすの大変…)」


 ポソリと小声で呟いた恵の言葉を聞き届けたかのように、甲が寝返りを打ち、仰向けになった。

 恵は身体の半分を潰される形となり、甲を起こさないようにゆっくりと抜け出して一息ついた。


「(起きてないよね…?)」


 ゴクリと喉を鳴らし、顔を近づけ、頬に軽く唇を押し当ててみるも反応はない。

 

(なんという背徳感!それに、やばいよコレ!!)


 恵は葛藤していた。


(奪うんじゃなくて、奪ってほしい!)


 そう思う反面、感情の昂ぶりから来る欲求は強く、そんな儚い願いは今にも流されそうだった。

 

「うぅぅぅ………んーっ!!」


 胸を掻き毟りたいほどの葛藤。

 自身の中の天使と悪魔の闘いを振り払うかのように身体を捩じらせ、歯痒い気持ちに指を噛み、その痛みで気持ちを紛らわせようとした。

 しかし、ふと視界に入った甲の肌蹴た腹部に、恵の中で理性という鎖が引き千切られていく。

 瞳を爛々とさせ、再び腹部へと指を這わせ、指は臍から次第に下腹部へと滑り落ちていく。


(ズボン邪魔!)


 腰骨の辺りにあるズボンの端と端を掴み、先程までの傷口に触れるような優しい手つきとは打って変わって、荒々しく、強引に寝ている甲のズボンを脱がせようとしていた。


「ハァ…ハァ…ハァ…」

 

 寝ている間にズボンを脱がされ、上半身の半分を露出する、あられもない痴態を晒すことになっている甲。

 そして、そんな甲の姿を見下ろし、理性という鎖の最後の一本が引き千切られようとしていた。

 ブラに締め付けられ、苦しそうに、まるで悲鳴を上げているかのように激しく脈打つ心臓。

 全身の血が沸騰しそうな激しい欲求が恵を掌握しようとしていた。




 

 肌寒さに薄めを開け、数度の(まばた)き。

 無意識に視線は違和感を感じた腹部へと注がれる。

 そして、また数度瞬き。

 下着の両端を掴み、ゆっくりと脱がされる、布と肌の擦れる感覚が寝ぼけた脳を覚醒させた。

 口より先に反射的に手が伸び、下着を押さえた。


「なにやってんだッッ!?!?!?」


 乾いた喉の奥が擦れ合うような感覚と戸惑いに怒鳴っていた。


 互いにパニックになり、冷静さを欠いた二人が落ち着きを取り戻すのにしばらくかかった。


 ………


「おにぃ……ごめんなさい」


 二人の間にあった沈黙は、恵の謝罪で終りを告げた。

 

「いや、なんていうか、俺も怒鳴ってごめん」


 むしろ被害者側なのだが、俺の心は何故か罪悪感に塗りつぶされていた。

 寝ている俺に悪戯をしていた、というよりは、求められていたと考えられるからだ。

 恵の上気した頬、荒い呼吸、爛々とした瞳、そしてスカートの下…。

 俺は顔を背け、なるべく今の恵を直視しないようにしていた。 

 しかし、その仕草が誤解を与え、傷つけてしった。

 そして、


「~~~~ッッ!」


 悶えるような、涙を押し殺した声にならない声を上げ、慌てて部屋を飛び出して行く恵。

 俺は、恵の背中をただ黙って見送ってしまったのだ。

 気持ちは追いかけたいものの、なんて言葉をかけていいのか、うまくまとまっていなかったのだ。


 ……


 いや…それは言い訳であり、紛れも無い嘘。

 本当は、恵の気持ちを受け入れる事で、理性という箍が外れ恵を求めてしまう自分が、そしてそんな自分を恵が好いてくれるのか、嫌われるのではないかと不安を感じたからだ。


 …もっとプラスに考えよう。

 今は恵を追いかける方が先。後はもう、なるようにしかならない。

 そう考えると俺の脚は恵の後を追っていた。


 階段を滑るように駆け下り、玄関へと向かった。

 そこでチラリと恵の履いていたブーツが視線に入るも、気にせず玄関の扉に手を掛ける。

 押し開こうとするが、鍵がかかっており、開かない事に気付いた。同時にそれは、まだ恵が家の中にいる事を意味している。

 俺は探し、リビングで恵の姿を見つけ、


「恵っ!?」


 固まった。

 右手に包丁を持ち、虚を見つめるような目で涙を流し、佇む恵の姿がそこにあった。

 ―――殺される。

 咄嗟にそう考えたが、恐怖で身体が硬直し、冷たい汗が流れ落ちる。


「やっぱり、女の子の方が好きだよね」


 そう口にした恵は、左手を自らのスカートの中へと入れ、履いていたショーツを脱ぎ捨てた。


「何、どういう……」


「女の子になったら、ボクを好きになってくれる?」


 恵のその言葉に俺は頭を抱えそうだった。

 こいつほんとバカだな、と。

 自分の性器でも切り落とそうとしてるのだろうか、コイツは。

 

「…お前…人ん家の包丁でソーセージ切んなよ?」


「じゃあ食べてくれる?」


 …ダメだこりゃ。


「一瞬でもシリアス展開なのかと思った俺、悲しいよ…」


「ボクはいたって本気だよ。ずっと女の子に憧れているから」


 そんなの昔から知ってる。

 

(本気、か)


 俺は心の中で笑みを浮かべた。


「人の人生だからとやかく言うつもりはないけど、男だとか女だとか、そんなの関係なく今の恵が良いよ」


「えっ…」


 何かを言おうとして口を噤んだ恵に、


「お前が思っている以上に俺は随分前から……いや、その話はいいや。包丁は置いて、パンツ履いて戻ってこい。部屋で待ってる」


 そう言い残して俺は部屋へと戻り、その後を泣きながら恵がついて来た。


「恵、可愛いよ。男でも女でもどっちでもいい。そんな事関係なく俺はお前が好きだよ」


「おにぃ…ボクも好き」

 

 月並みな台詞。

 二人の想いは同じだった。

 全身に熱が走り、過度な緊張で手が震える。

 男同士だなんだと蔑む者もいるかも知れない。けれど、それを恥じるつもりはない。

 心のつかえが取れ、今では胸の奥に強い熱を感じていた。


 …しかし、不満があった。俺の気持ちを一滴残らず伝えるには、言葉だけでは不可能。 

 ならばと恵の腰に手を回し抱き寄せ、流れを察して目を閉じた恵に、口付けた。

 それは覚悟と誓いを込めた、精一杯の意思表示。そして、愛だった。


  

 この日を境に二人の関係は、今までとは少し違った物へと変わる…そう感じていた。

 幼馴染、友人、兄妹、先輩後輩、恋人。より複雑で、形容し難い関係へ。

 

 そして、恵の頭を撫でながら俺は切り出す。

 

「もう一人、好きなやつがいるんだ」

 

 と。


 ………

 ……

 …


「約束のカタチ…か」


 こうして言葉にすると感傷的な気がして嫌だが、事実二人の夢は繋がっている。

 ガキの誓いから生まれた約束が、夢を通して二人を繋ぐ理由はなんなのか。

 約束のカタチという言葉の明確なところはわからない。

 普通の夢と違うのは認識しているし、おそらく医学的な解明も難しいのだろう。


 俺は先程の過剰な幸せを吐き出す溜め息とは別の、諦め、感傷的な溜め息をついた。


 ふと隣に視線を送ると、疲れて眠りに落ちた恵の姿に目が行く。

 そんな恵の髪を撫で、起こさないようにと静かに部屋をでた。

 

 時刻は昼過ぎ。

 シャワーで汗を流した後、キッチンへと向かい、冷蔵庫の中を覗き込む。

 食材を確認し、


「………」


 黙って閉じた。

 何か調理してあるものがないか、レンジで温めてすぐに食べれるものはないかと思っていたのだが、ザ・食材の冷蔵庫の中身に不満げな視線を送った。

 

 ―――数分後。

 

「おにぃ~ど~こ~?」


 甘ったるい声と共に階段を降りてくる足音。

 廊下からひょっこりと顔を出し、リビングを覗き込んだ恵は俺の姿を見つけて嬉しそうに歩み寄ってくる。

 

『もう一人好きなやつがいる』


 神妙な面持ちでそう口にした俺に、恵は笑顔で受け入れてくれたのだ。


『…知ってる。相手がなつ姉ならボクから文句はないよ?』


 と。

 そして、困った時は手伝うからいつでも頼ってくれと付け足して。

 その言葉が嬉しく、反面申し訳ない気持ちもなくはない。

 ならば俺は自分の気持ちに素直になって、全力で愛するしかないのだ。 


 けれど、まだ気持ちを伝えていない人がいる…。

 

 そんな事を考えているとポケットの中のスマホが震えた。

 

「誰から?」


 恵の問いを他所に、メールを開いた。


「静馬」 


 二人でメールの内容を見て、驚愕した。


「「えッ!?!?」」






 

 カーテンを閉めた昼夜問わず暗い部屋、今日も少年は画面を見つめていた。

   

『わぁ、髪切ったんだぁ!すごく似合ってるよ。今の方が絶対良いよ!……他の女の子に見せたくないなぁ』


 伸びた髪が視界を遮り、野暮ったい印象を与える容姿をした主人公。その主人公を自分と重ね、衝動買い。

 しかし、ストーリー序盤でまさかのイメチェン。


『どうして…?』


『だ、だって……恋敵(ライバル)がこれ以上増えたら私………ッ!?今のナシ!なぁぁあああし!』

 

 以前から周りの友人達に髪を切れと言われていたのを思い出した。


(髪、切ろうかな…)

  

 桜色の髪をなびかせ、大きな瞳で優しくはにかむ自称嫁(メインヒロイン)

 静馬はそんな嫁の好みに合わせる為に、散髪に向かったのだった。

 

 理想の女性は?と問われたならば、真っ先に浮かぶのはゲームのキャラクター達。

 子供の頃は特撮やロボット物が特に好きで、趣味の合う甲とはよく遊んだ。

 年齢を重ねるにつれ好みのジャンルの幅は広がり、やがて美少女ゲームへと手を伸ばした。

 ゲームの中の彼女達は優しく微笑み、愛をささやいてくれる。

 現実の女はがさつで、冷たい。

 現実は直視せざるを得ないが、幻想は直視しなくていいのだ。そこにあるのは優しい世界。

 選択肢を誤ってもセーブした場所からリスタートできるのだから。

 

 散髪を終えた帰り道、周りから妙に視線を感じて気恥ずかしさが奔流のように押し寄せる。

 早足で帰宅し、逃げるように自室へ。

 そして、ゲームを再開。


 ……


『好きだッ!桜さん!俺と付き合ってくれ!』


『……ごめんなさい。私達、友達のままでいましょ…』


「は?」


 ありきたりなバッドエンドだった。

 

「クソゲーかよ……ったく、眩しいなぁ」


 コントローラーを投げ捨て、何故か感傷的な気分になり横になった。


 それは三年程前の春。

 最初の出会いは確か図書室だった。

 図書委員だった先輩に本の返却が遅い事を注意され、休日アニメの映画を見に映画館で顔を合わせ、趣味が似ていたこともあり、そこから次第に仲良くなった。

 先輩が卒業を迎え、勇気を振り絞り告白。

 けれど、先輩の答えは無言だった。

 落ち込んでいたその背に、明るく声をかけ、その日甲は半ば強引に家に押し入ってきて、朝までゲームに付き合わされた。


「告白ってさ、友人から恋人へ関係を変えたいからするんだろ?静馬はすごいな。俺じゃ怖くてできないや。俺別れたときのことばっか考えちゃうよ。まだ付き合ってもいないのにな!」


「考えすぎだよ。甲は誰かと付き合わないの?」


「言ったろ。別れるのが怖いから、関係を壊すのが嫌なんだよ」


「一生彼女作らない気?」


「欲しくないとは言わないけど、たぶんできないだろうね。あぁ、まぁ別にいらんや彼女なんて。こうやって遊んだりできなくなるの嫌だし」

 

 そう言って少し照れくさそうに笑う甲の姿を思い出していた。

 …気が付けば、長袖の手首が拭った涙で冷たくなっていた。

 連絡先から甲を選択し、メールを―

 ''髪切った''

 ――送信した。





 「ん~~~~っ!」


 日曜日。

 弟達の世話もしなくて良い日曜日。開放感と気だるさの混じった朝が訪れた。

 夢を見た朝は何故か充実感があり、一日の活力に変わっていた。毎日のように夢を見ていただけに、夢をみない朝は不安でしょうがない。

 何より、甲の顔が見れない。

 寂しさを感じて再び布団を被り、目を閉じるがなかなか眠りに落ちない。

 

「どこか…」


 そう呟きながらメールを開き、画面上に表示された時刻を確認し、思考を巡らせた末に黙って閉じた。

 気合を入れるようにベッドから飛び起き、シャワーを浴びる。

 急に思い立ったのに理由はなかったが、どうせまだ寝ているだろうという予想と、二人きりの時間を求めたからだった。

 時間に余裕はあるので、いつもより入念に洗ったりなんかして、いつもよりメイクに時間かけたりして。

 

 午前8時半すぎ。

 少し遅くなったかと思いながらチャイムを押すと、家の中で足音。それは次第に玄関へと近づき、薄っすらと見えた人影が玄関の扉を開けた。

 回覧板か何かだと思って開けた恵と、甲の母親だと考えていた棗。二人の視線が交わった。

 

「「お、えっ?」」


「…おはよー、どうしたのこんなに朝早く…」


 恵は子供の頃から甲に懐いており、甲の家に泊まっていく事も多い。


「………」


 不思議に思うこともないのだが、何故か違和感を感じて見つめていた。  

 ふいに視線を逸らす恵の姿に、何か隠したり、後ろめたいことがあると判断する。

昔から変わらない恵の癖。

 

「おはよ。甲起きてる?」


 けれど、この場合隠しているというよりは、後ろめたい何かだろうと判断できる。

 そんな事を考え、問い詰める事もせず、扉に手をかけ家の中に入ろうとすると、


「ま、まだ寝てるんだ、おにぃ。起きたらボクから伝えておくよ!」


 兄弟の時間を邪魔されたくないのか、矢継ぎ早にそう口にした。

 けれど、今日は伝言を頼みに来たわけではない。 

 

「あたし起こしに来ただけだから――お邪魔しまーす」


 そんなの私には関係ないとばかりに口にし、家へと上がり込む。

 これには恵も返す言葉が見つからなかった。

 階段を上り、二階の甲の部屋へ我が物顔で入っていく。

 そして、甲が眠るベッドの前までやってきた棗の背に、


「あのねなつ姉……ボクとおにぃ、付き合い始めたから…」


 恵はそう言って口をつぐんだ。

 

「ふーん…そう。でも、男同士じゃ甲も可哀想…」

 

 苦し紛れの戯言だった。

 無意識のうちに飛び出したその言葉に、心のどこかでそうやって男である恵を見下していた自分がいた事に、胸が締め付けられるような、強烈な罪悪感に苛まれた。

  

 棗の言葉に恵は一瞬目を見開くと、目を細め、涙を流して家を飛び出していった。

 

 泣いたところでどうにもならない事はわかっていた。けれど止め処なく涙がこみ上げてくる。

 一度壊してしまった関係が修復できないのも知っていたはず。でも、壊してしまったのだ。

 悔しかったのかも知れない。自分ではない誰かが選ばれた事が。

 憎かったのかも知れない。自分の好きな男を、妹のように可愛がっていた人物に取られたことが。

 恵の気持ちには薄々気付いていたものの、許せなかった。

 けれど、知っている。この気持ちはただの嫉妬だ。

 嘘でも祝福していれば、こんな関係にならずに済んだのかもしれない。


(最低だ…あたし……嫌な女)







  鼻水でも啜るような酷い雑音と、それに混じって微かにしゃっくりのように繰り返す音が耳を刺す。

 何なのかと、起きて部屋を見渡すと、そこには座り込んで泣いてる棗の姿があった。


「何やってんだ棗…」

 

 状況が全く見えず、とりあえずリビングへ連れていき、温かいココアを差し出した。

 恵の荷物は部屋にあったが、姿は見えず。

 一体どうなっているのかと頭を抱えていると、ようやく落ち着きを取り戻した棗が口を開いた。

 

 …


 俺は話を聞いて絶句した。

 いつの間にか渦中に放り込まれており、要約すると一人の男を二人の女が取り合う、他人事であればなんとも男冥利に尽きる羨ましい展開だった。

 更に付け加えるなら、本当の姉妹の様だった二人。共通の幼馴染である男を妹に奪われ、姉は妹を精神的に傷つけたという。

 俺はその幼馴染の男、という位置づけになるのだが。

 俺の寝てる間に棗が恵の大型地雷を踏んでるなんて誰が想像できようか。

 タイミングが良いのか悪いのか…俺は溜め息しかでなかった。

 昨晩考えていた事も、二人がこの状態じゃ言い出せなかった。

 

 しばらく経って俺は神妙な面持ちで切り出した。


「俺、棗と恵のことが好きだ。でも、喧嘩してほしくない。けど、今まで通りってのもたぶん無理なんだってなんとなくわかるよ」


 こうなってしまったのは自分の甘さ、どちらにも良い顔しようとしてたツケ。自分への罰だ。

 なら、俺の取るべき行動は―――


「棗、心配しなくていい。俺から恵に話しておくから。でも明日会ったらとりあえず一言謝っておけよ?」


 ――明るい表情で慰めるものの、沈んだ棗の気持ちはなかなか戻ってこない。

 俺はひとまず無言の棗を家まで送り、その足で恵を探しに行くことにした。


 通話もメールも返事はなく、公園と家にいない事を確認し、途方に暮れた。

 他に行くであろう場所を予測できなかったのだ。

 ポケットの中でスマホが振動し、慌てて画面を確認すると、なぎさからの着信だった。

 

『甲くん、急いでウチまで来て』


 一方的に用件だけ伝えると、すぐに切られてしまったが、声のトーンがいつもより低く、少し不気味さを感じたが、仕方なくなぎさの家に向かうことに。

 なぎさの家に着くと、庭にある小さなテラスで二人がティーカップを片手に寛いでいた。

 散々走りまわされ、挙句の果てにコレは酷い仕打ちではないだろうか。


「遅いよ!…ふふ。いらっしゃい」


「これでも急いで来たんですがねぇ」


 電話越しで怒っているような印象を受けたなぎさだが、普段のほんわかとした空気に疲れがドッと押し寄せてくるのを感じた。

 

「これ、どういう事なんだ?」


 状況が全く飲み込めないまま、二人の表情を窺うように聞いてみた。

 

「なつ姉には悪いけど、少し試させてもらったの。おにぃをどれだけ想ってるのか、ね」


 恵の言葉を聞いて、俺まで試されていたんだと理解し、最大級の大きな溜め息を投下した。

 

「なぎさの入れ知恵か?お前等夫婦はほんと俺に当たりが強い気がするぞ?もう少し加減したらどうだ?」


 バチーンッ!!


「うわっ!?ちょっ…おにぃ、大丈夫?」


 近所に木霊する張り手音と、突然の横方向からくる衝撃、頬が腫れ上がるような痛みと共に、俺は腰掛けていた椅子の上から崩れ落ちた。


「やだ~もう。夫婦は早いよ~」


 なぎさは顔を両手で覆い隠し、腰を左右にくねらせていた。

 どうやら、地雷は種類が豊富らしい。

 心の底から佑介を尊敬する。できる事ならもっとリードを短く持っていて欲しいものだと、心の中で付け加えておく。

 照れ隠しでビンタではなく張り手をかましてくる女なんて…。


 帰り道、俺は事の顛末を報告する為にメールを送信し、謝罪の機会を逃さない為にと恵をつれて夕暮れの公園で棗と待ち合わせた。

 しばらくすると棗がやってきた。


「なつ姉、ごめんなさい。なっちゃんにいろいろ相談に乗ってもらっていて、その……おにぃも何か言ってよ!」


 頭を下げて謝る恵だったが、何故か俺までグルだったみたいな扱いに。

 

「は?いや、俺は…」


 戸惑う俺を見兼ねた棗は溜め息をつくと、恵に負けじと深々と頭を下げた。


「あたしも、ごめん!!言い訳にしか聞こえないと思うけど、あれは本心じゃないの」


 互いに謝って泣きながら抱き合う二人。

 そんな二人の姿を見て、晴れやかな気持ちが訪れる。

 男同士の喧嘩なら夕焼けというシチュエーションは、間違いなくクロスカウンターだろう。

 

「おにぃは言わなくていいの?告白するなら今だよ?」


 恵の考えるタイミングは間違っているんじゃないかと疑問を抱くも、俺が言いたい事もかなり身勝手な頼みなので、なんとなくこの流れで頷かせてしまえばいいのかもしれない。などと邪な考えが過ぎるが、そこに賭けるしかないのかもと、恵に同意し、覚悟を決めた。

  

「棗、俺は二人と付き合いたい。二人と一緒にいたい!棗が…好きだ」


 わがままな事も分かっている。

 けれど、それでも、どちらか一人を選ぶ事なんてできなかった。

 不安が安堵に変わるタイミング。受験を終え、合格発表当日に自信の受験番号が貼り出され、今までの辛い勉学を思い出し、不安であった気持ちが合格を確認して安堵と歓喜へと変わるタイミングだろうか。

 この状況に歓喜があるかは棗次第なので分からないが。

 

「どうせ…約束は守ってもらうつもりだったし、それに、そういう優しいところが甲らしい。…でも、どっちかを贔屓するのは無し。その条件でなら…別に……いい……」


 棗は顔を真っ赤にしてゴニョゴニョと語尾を濁し、顔を背けた。

 面と向かって言って欲しいところだが、横を向いてるせいか、頬が紅潮してるのがよくわかる。

 言葉にしてほしい事もあるのだが、その表情が答えだと俺は受け取っておく。


(ったく。この前は積極的だったのに……二人きりでないとはいえ、いるのは恵だけなのになぁ) 


「ありがとう、二人とも」


 多少思う所はあるものの、俺は二人に感謝の言葉を贈った。  

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