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苦手な方はご注意ください。

音楽の獣たち

作者: 桜田葵

 

 1

 ここはとある音楽大学の一室。主にピアノなどの自主練習用に貸し出されている防音室だ。

 その中に一人スーツ姿の女が使い古されたメモ帳にいろいろと書きこんでいた。

 今朝、この一室で遺体が発見された。スーツ姿の女――樋口はこの事件の調査を任された刑事の一人だった。

 と、ちょうどその時だった。開けっ放しの扉の先から足音が聞こえた。

「入江さん」

 振り向きざまにスーツ姿の男が目に入った瞬間、樋口は状況が状況にもかかわらずつい微笑んでしまった。

「不謹慎」

 案の定、樋口の先輩でスーツの男――入江は樋口の表情をたしなめた。「すいません」と樋口が頭を下げるのを横目に入江は被害者の近くまでやってきた。

「南無」

 入江は腰を低くし、手を合わせる。

 入江の目線の先には、血に塗れた一人の男の遺体があった。

「被害者の名前はハイカワアキラ。二十二歳。大学生でありながら天才ピアニストとして知られ、卒業後にはヨーロッパでプロとして活動することが決まっていました。若さやルックスから若い世代を中心に人気がある人物でした」

 樋口の説明に入江はため息をついた。

「遺体の状況は?」

「正面から腹に一刺し、そのまま少し揉み合ったのか頭に切り傷が一つ、倒れたところにとどめの背中に一刺し。計三か所です。死亡推定時刻は夜十時から一時の間。朝、清掃員に発見されました。金品が盗られていないことから私怨からの殺人と思われます」

 樋口はメモをちらちらと見ながら報告を続ける。

「私怨ねぇ……」

 入江は顎に手を当てる。

「この若さでそれだけ活躍してるならどこかしらで恨みを買っていても不思議じゃない、か」

「そうなんですよねぇ」

 樋口も入江の横で同じように顎に手を当てる。

「容疑者は浮かんできてるのか?」

「四人、容疑者として挙がっています。今週中に話を聞くように高橋さんから言われてます」

「そうか」

「どうしますか?」

 樋口はメモ帳をとじ、入江を見た。

 入江は少し考えこんでから

「一旦帰るか。容疑者にアポは取っとけよ」

 と告げて部屋から出ていった。


 2

「はじめまして」

 事件から三日後。

 樋口と入江が一番最初に向かったのは同じ音楽大学の一室、講師の部屋だった。

「芦屋幸一と申します」

 挨拶をしてきたのは初老の男性だった。髪は白髪が交じり銀縁の眼鏡をかけている。

「入江と申します」

「樋口です」

 警察手帳をかざしながら二人も挨拶をする。

「どうぞお掛けください」

 二人は勧められた椅子に並んで座る。男も向かいあうように座った。

「芦屋幸一さん。五十三歳。細かい経歴は省かせていただきますが日本ピアニスト界を牽引してきた人物です。現在はこの大学で講師をしながら後進の育成をしている。間違いございませんか?」

「はい、おおまかはその通りです」

 樋口はメモを見ながら芦屋の経歴を確認する。

「では、お話聞かせていただきます。まず、ハイカワさんとのご関係は?」

「教え子でした。大学ではもちろんのことですが、小学生の頃からピアノを指導していました」 

 芦屋は質問にスムーズに答えていく。あまり感情を見せないように努めているように樋口には思えた。

「昨夜の十時から一時の間何をしていましたか?」

 入江の質問に芦屋は少し考えてから

「昨夜は学園祭の練習がありまして……九時から十時半までそちらに参加していましたね。その後はそのまま家に帰りました」

「練習にいたというアリバイはどなたか証明できますか?」

「練習に参加した学生ならみんなできると思います。その後はさすがに無理ですが」

「なるほど」

 芦屋の答えを樋口がメモ帳に書き込んでいく。

「ハイカワさんに最近何か変わったことはありませんでしたか?」

「先ほども言いましたが、学園祭が近くて……。アキラは個人で二度、グループで一度演奏する予定がありまして、かなりスケジュールを詰めていました」

「そのグループというのは?」

「私の教え子たちと私で行う軽いミュージカルのようなものです。昨夜もその練習でしたがアキラはスケジュールを細かく決めてましたから参加していませんでした」

「一応、内容をお聞きしても?」

「オリジナルのものです。動物の国を舞台として動物に扮してミュージカルをする予定でした」

 ほら、あれです、と芦屋の指差した先には犬のような顔をした被り物とその色合いに寄せた衣装が置いてあった。

「私はレッサーパンダの役だったんです。出番は生徒たちにほとんど譲りましたが」

「……ハイカワさんは何の役だったんですか?」

「パンダです。主役ではありませんでしたがメインの登場人物だったんです」

 芦屋はそう言って少しだけ下を向いた。

「本当に……いい奴だったんですがねぇ……」

 芦屋からこぼれた声に二人は何も言えなかった。


「どうですか?芦屋さんは」

 聞き込みの帰り、樋口は車を運転しながら入江に尋ねた。

「まだ何も言えんな」

 入江は窓の外を見ながらそんな言葉を返した。

 既に日は落ち、町の街灯が二人の顔をうっすらと照らしている。

「私はまだ慣れませんね、ああいう人の顔を見るの」

「そうか」

 樋口の言葉に入江はただ相槌を打つだけだった。


 3

 さらに翌日。

 入江と樋口は喫茶店で人を待っていた。

 樋口は紅茶を、入江はコーヒーを頼んでいた。

「遅くなりました」

 少し世間話をしながら待っていた二人の目の前に、一人の女性が現れた。

 髪は黒く、顔は薄く化粧をしている。低く細い体には白を基調としたコーディネートの服装だ。

 二人は立ち上がり、頭を下げる。

「初めまして。夏目嘉穂さんでお間違いありませんか?」

「はい、そうです」

 樋口の質問に女性――夏目嘉穂は頷いた。

「私は樋口といいます」

「入江です」

 警察手帳をかざしながら二人は挨拶をした。

「かけてください、何か飲み物をどうぞ。代金は持ちますので」

「あ、ありがとうございます」

 しばらくして、夏目の頼んだ紅茶が届いた。

 一口、口をつけたのを見て入江は本題に入った。

「今回は先日亡くなられたハイカワさんのことで参りました」

「……」

 夏目はその言葉を聞いた瞬間、顔を曇らせた。

「まず、ハイカワさんとの関係をお伺いしてもよろしいですか?」

「学科は違いましたけど、同じ大学の学生で……恋人、でした」

「そうですか。ちなみに貴女は何の楽器を演奏しているんですか?」

「私は演奏しません……。オペラ歌手を目指しているんです」

「ああ、それは失礼をしました。なるほど、音楽学校は楽器を演奏するだけじゃないんですねぇ」

 入江は適度に夏目をリラックスさせようとしながら会話を続ける。

 樋口はその横でメモを取っていた。

「最後にハイカワさんとお会いしたのはいつですか?」

「……前日です。彼が学園祭で忙しいのは分かってたんですが、その、最近うまくいってないことで口論になってしまって。彼はその日も練習があったのでそのままそっちに向かってしまって……。」

「……なるほど」

「まさか……、こんなことになるなんて思ってもいなかったから……!私……私……!」

「落ち着いてください」

 入江はハンカチを手渡し、紅茶を勧めた。

 ハンカチで涙を拭き、目を腫らしながらも夏目が落ち着くまでには少し時間がかかった。

「それでは……これは全員に聞いていることなんですが」

 落ち着いたところを見計らって、入江は質問を再開した。

「当日の午後十時から午前一時まで何をしていらっしゃいましたか?」

「……疑っているんですか?」

「全員にお聞きしていることなんです、お答えできませんか?」

「いえ……。確か、家にいたと思います」

「一人暮らしですか?」

「はい……」

「それを証明できる方はいらっしゃいますか?」

「……いません」

「分かりました、では最後に一つ」

 入江は一息ついてから言った。

「最近、ハイカワさんの周りで何借りませんでしたか?なんでも大丈夫です。普段と違う行動をとったとか、何か言っていたとか」

「……そういえば、愚痴を言ってたと思います」

「愚痴?」

「はい……。学園祭が忙しいって。特にグループで発表するみたいだったんですけど希望してた配役と違ったって」

「配役……ですか」

「個人の方に専念したかったらしくて、出番の少ない役を希望してたらしいんですけど、なんかメインの配役になったって。断るにもう衣装とか業者に依頼してたらしくって」


「彼女はどうでしたか?」

 車を運転する樋口の問いに入江は

「……二股かけてたな」

 といった。

 西日が車内を照らしていたがトンネルに入りぐっと暗くなる。

「……嘘」

「最近の若い奴は左手の薬指に指輪はめるファッションがあるのか?」

「はめてなかったですよ」

 メモしましたもん、と樋口は言うが

「跡が残ってた。おそらく被害者の方が遊ばれてたんだろう」

「分かりませんよ?もしかしたらプロポーズしてたのかも」

「だったら結婚する予定でした、って言うだろ」

 にしても、と入江は続ける。

「在学中で結婚するなんてのが普通になりつつあんのか、最近は」

「自分が結婚できないからって他人に当たるのはみっともないですよー」

「うるせぇ」

 トンネルから抜けると西日は雲に隠れて見えなかった。


 4

 その日はあいにくの雨だった。午前中は雷が鳴っていたが昼を過ぎたあたりから徐々に落ち着き、今では小雨がぱらつく程度である。

「俺はあいつが嫌いでしたね」

 しかし、入江と樋口が尋ねた男の心はだった。

 二人は音楽大学の防音室を訪れていた。もちろん、殺害のあった部屋とは違う部屋だ。

 男の名前は赤鳥純一郎といった。ハイカワと同じピアノ専攻であり、同期のライバルであり、芦屋の教え子であり、そして比較の対象だった男だ。

 背が低く、女性の中でも低めの樋口とそう変わらず、髪も伸ばしていた。

「俺とハイカワ、それにあと一人。『日本ピアノの若き三銃士』なんてしょっちゅう騒がれちゃいましたけど……うんざりしてましたね」

「……というと?」

「決まってね、どこも同じ結論を出すんですよ。『ハイカワの音に比べて赤鳥は細かさが足りない』ってね。マスコミだけなら気にしなかったですけどね、当の本人が一番それを真に受けてたんですよ。それからというもの無駄に上からの目線になってきましてね」

「なるほど」

「だからといって殺すほど嫌いだったわけでもなかったですけどね。ピアノの腕は確かでしたし、努力家でもあった。嫌いでしたけど認めてはいたんです。」

「当日は何を?」

「グループの練習に参加してそのまま帰りましたよ」

「何かハイカワさんに変わったことはありませんでしたか?」

「学園祭で忙しくしてただけでしたけどね。グループの発表で先生の愚痴をよく聞きました」

「先生というのは……芦屋さんのことですか?」

 入江は少しだけ顔を曇らせた。しかし、赤鳥はその様子に気づくこともなく質問に答える。

「ええ、『俺が掛け持ちで発表するのを知ってるくせにあんな配役にするなんて』って」

「そのミュージカルの配役は芦屋さんが決めたんですか?」

「最初に、グループリーダーが先生に全体で決定した案を見せたんですけど……最終決定は先生だったみたいです」

「そうなんですか」

 樋口のメモを取る手が少し早くなったのを、入江は耳で感じた。

「そういえば、赤鳥さんは何の役で出られる予定だったんです?」

「俺ですか?俺はキリンでしたよ。ただアキラの代役でもあったんでパンダになると思います」

 自分でいうのもあれですけど、あいつのピアノの代役は俺ぐらいしか務まらないですよ、と赤鳥は悲しそうに笑った。


 5

 その日の夜、とある高級レストランに二人は向かった。

「お待ちしていました」

「遅くなりました」

 完全な個室、見た目はシンプルだがその一つ一つがどれも気品にあふれるデザインの個室だった。

 どうやら、洋食を中心に扱っている店のようだ。

 待っていたのは一人の男。スーツを着ているがそのスーツも一目で安物ではないということが分かる。髪は少し茶色に染め、ピアスを空けていた。

「突然、呼び立てて申し訳ありません。あまり予定が空いていなくて」

「鹿井雄介さんですね、初めまして、入江といいます」

「樋口です」

 二人は、勧められた椅子に並んで座り向かいに男――鹿井が座った。

 鹿井はハイカワ、赤鳥と同じく、芦屋のもとでピアノを習った人物だ。赤鳥の言っていた「日本ピアノの若き三銃士」としてとり上げられた人物でもある。

 ただし他の二人とは大きく違うことがあった、

「どうぞ、お好きなものを。お支払いは僕が持ちますよ」

 鹿井はにこやかな笑顔を見せながら手でメニューを勧めてくる。

「いえ、お構いなく。すぐに終わらせますので」

 しかし、今までの聞き込みと違い入江は冷たい態度で接した。

「まず、お聞きしたいのは当日何をしていたかです」

「ええ、あの日は所用があって大学には来ていなかったんです」

「詳しくお話しできませんか?」

「まぁ、端的に言えばヴァイオリンの稽古ですよ」

 そう。

 鹿井の専攻はピアノではなくヴァイオリンだった。

 鹿井が裕福な家庭で生まれ、教養として様々な楽器を演奏する、ということを入江は樋口から聞いていた。

 専攻するヴァイオリンは日本でもトップクラスの腕であることも。

 その次に長けているのがピアノであるということも。

「正直なところ、ハイカワとはあまり喋ったことはないんです」

 鹿井は大きく身振りをしながら溜息をついた。この短時間ではあるが入江はこの鹿井という男は動きが多く、大きい男だと感じていた。

「何度か話しかけたことはあるんですが、なぜか嫌われていたようで」

 だろうな、と樋口はメモを取りながらチラと鹿井を見た。

 入江さんはどう思っているかは分からないが私はこの男が好かない、と樋口は印象を抱いていた。

「一度、彼に二重奏をしようと持ち掛けたんです。僕のヴァイオリンに見合う腕を持つピアニストはなかなかいなかったんですよ」

「実現したんですか?」

 入江の言葉に鹿井は肩をすくめた。

「いいえ。『てめぇとだけは絶対に組まない』と言われましたよ」

「ハイカワさんに最近何か変わったことはありませんでしたか?」

「最近、と言っても実は彼にはここ一週間ほどあってなかったんですよ。それでも前のことでいいなら一つ」

「何でしょう」

「芦屋先生と口論をしているのを一度だけ見ましたね。内容は確か……学園祭がどうとか。結局ハイカワが折れて収まったみたいですが」

「なるほど」

 ありがとうございました、と入江は席を立った。

「ほんとにいかがです?食事。僕も一人で食べるのは少し寂しいんですよ」

「本当にお構いなく」

 やれやれ、という仕草の後、鹿井は樋口の方を向き

「そちらの貴女は?スイーツもつけますよ?」

 と言った。

「それは……大変魅力的なのですが……」

 ちら、と入江を見ると「好きにしろ」と顔に書いてあった。ちなみに樋口、極度の甘党だ。

「上司が断っている手前、私だけ残るわけにもいきません」

 と、答えた。

「そ」

 鹿井はそれだけ言うと二人のことなど忘れてしまったかのようにテーブルに向き直った。

 その目は、明らかに二人を興味の対象から外してしまったようだった。


 6

「入江さんは鹿井さんが気に食わなかったんですか?」

 樋口は警察署の捜査本部に戻ってきて一息つこうとしていた入江に尋ねた。

 入江はコーヒーを入れようとしているのを止めて言った。

「気に食わなかったってのは……ちっと違うな。あいつはハイカワに一切の興味が感じられなかった。過ぎたことは気にしない、って態度に腹が立った」

「気に食わなかったんじゃないですか」

 でも、安心しました、と樋口は自分のパソコンに打ち込み作業をしながらそう言った。

「何が?」

「入江さん結構ドライな人だと思ってたんですけど嫌いな人は嫌いっていうんですね」

「ふん、うるさい」

 入江がコーヒーを淹れようと再び前を向いたときだった。

「こーら」

 入江は頭に軽い衝撃を受けた。

 ちら、と視線だけを向けると入江は明らかに嫌そうな顔つきになった。

「見ろ、樋口。こんなにも嫌な顔をする奴がドライなわけがないだろう」

「高橋さん」

 高橋と呼ばれたのは、ガタイがよく身長が百九十㎝に届きそうな巨漢だった。

 歳は五十に近く短く刈り上げた髪はすでに白髪交じりで顔にも少し皴が目立ちつつあった。若いころは柔道で良いところまでいった、という話は何度も周囲から樋口は聞いていた。

「入江も、部下にそんな口をきくな」

「へいへい。で、何の用です?」

 入江はコーヒーに口をつけながら、高橋に尋ねた。

「お前らの分の聞き込みは終わったのか聞きに来たんだよ」

「あ、はい。今、資料が出来上がりました」

 印刷しますね、と樋口が作業を続けながら言う。

 やがて、がたがたと音を立てて印刷機が動き出し、自然と三人とも印刷機の前に集まっていた。

「……相変わらず細かいなぁ」

「おかげで俺は聞き込みに集中できますけどね」

 出来上がった資料は細かい以外の台詞が出てこないほど詳細に書かれていた。

「メモ魔なのも大概にしとけよ」

 高橋は笑いながら資料を持って行ってしまった。

「メモ魔って……そんなんじゃないのに」

「十分メモ魔だよ、お前は」

 入江はコーヒーを飲みながら資料に目を通す。

 当日の状況やアリバイ、その裏付け。人物の背丈、恰好、身につけていたものの色や種類までびっちりと記されていた。

 樋口の観察力、洞察力、状況判断力はおそらく署内で断トツだと入江は常々感じているが、こういった資料を見る度にげんなりしてしまう。

「はぁ……、さて、考え――」

「至急、至急。遺体が発見されました。被害者はアカトリジュンイチロウ。担当は現場に向かってください」


 7

「発見したのは清掃員です」

   そう告げる樋口の顔には少し疲労の色が見えた。今日はほとんど休めていないのだから当然である。

「腹部を二回刺されてますね。死亡時刻は午後四時から五時と見られます」

「目撃者は?」

「いません」

「だれか一人でも見ててくれれば楽なんだけどな」

  ついつい、入江は本音をこぼしてしまう。幸い、ここにはうるさい上司はいなかった。

「入江刑事」

 遺体の確認をしていると、一人の鑑識が話しかけてきた。

「どうした」

「これを」

 差し出してきたのは一枚の写真だった。

 それは、アカトリの手先を写した写真だった。

 そこには血で文字が書かれているように見えた。

「パ……ンダ?」

「パンダに見えますね」

 その字はどう見てもパンダとしか読めなかった。

「パンダっていうとあれだ。確かハイカワがグループでやる劇の役だったろ?」

「はい、ハイカワさんが亡くなったためにアカトリさんが代役を務める予定だったパンダです」

「……つまりどういうことだ?」

「ええとパンダが殺したとか?」

 はぁ、と入江はため息をついた。

「それと、これも見つかりました」

「ん?」

 鑑識は小さな袋を持ってきた。中には小さいねじが入っていた。

「これは……?」

「どうやらメガネのねじのようですね」

「メガネ……?」

 樋口、芦屋さんにアポ取れ。

 入江の声に樋口はすぐに動き出した。

 翌朝、二人は芦屋のもとを訪れていた。

「本日はどういったご用件でしょうか?」

「昨日、ハイカワさんに続きアカトリさんが殺害されました」

「それは……本当ですか?」

「ええ、それで聞きたいことは色々あるんですが、一つだけお聞きします」

「何でしょう、私に答えられることな――」

「メガネ」

「え?」

「変えられたんですね」

「……」

「前は銀縁、今は少し太めの藍色です」

「……署で詳しくお話お聞かせ願えますか?」


 エピローグ

 犯人は芦屋だった。

 動機は嫉妬。

 年々積み重なる老いによる衰え。

 かつての自分よりも才能ある若者たち。

 その張り詰めた糸はある時にぷつんと切れた。

 芦屋は


「結局」

 樋口と入江は捜査本部から引き揚げ自分たちのオフィスに戻ってきていた。

 窓から見える空は青空が広がり、雲一つなかった。

「パンダって何だったんでしょうね」

「……パンダってのは」

 樋口の質問に入江はコーヒーを淹れながら言った。

「今でこそ白黒のジャイアントパンダのことを指すが元々レッサーパンダのことを指していたんだよ」

「……」

「それがここ百年足らずであの白黒に乗っ取られた。それと区別するために『小さい』って意味のレッサーがつけられた。現在では蔑称にも取れるため別の言葉の使用が検討されてるらしい」

「へぇ……」

「そこで出てくるのはグループの発表だ。芦屋に与えられた役はレッサーパンダ、ハイカワがパンダだった。

 芦屋は普段から教え子の才能に嫉妬していた。そこに大した意味はなくても芦屋には別の意味に捉えちまったんだろ。そしてそれは代役だったアカトリにも及んだ。下手すれば鹿井にも被害がいってたかもな」

「じゃあ、アカトリさんは」

「その話を聞かされたのか、はたまたホントにパンダの被り物でもして殺したのか」

 そこまでは知らん、と入江はコーヒーに口をつけた。

「そんなもんだろ、知りたきゃ本人に聞け」

「いや、別にいいです」

「……ドライだな」

「入江さんほどじゃないですよ」

 樋口は話を切り上げ、自身の手帳のメモに一つ印鑑を押した。


 本件 解決済み


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