『Engage』
『紫電の魔道士ヨティス』ら一行が生還した一報は、瞬く間に町中に広がった。その後ろから、最近しばしば街中で見かけることの多くなった風変わりな四人組がついてきていても、あまり気にかけられなかった。
しかし、ヨティスから彼らにもギルドへ同行してほしいと言われ、ついていった時から、その注目度は逆転した。さらに、彼らの冒険者然としていない姿や、丸腰の装備などから、不信感や好奇の目も手伝い、倍加していたと言っても良かった。
ヨティスはギルドの窓口で依頼札を出すと、こう報告した。
《我々はこの依頼にある廃教会の地下で、先に調査に当たっていた冒険者と思われる遺体を発見したが、その死亡原因たる物の討伐には至らなかった。いやむしろ、この依頼は失敗したと言うべきだろう。何故なら、ここにいる四人の者たちの到来がなければ我々は確実に命を落としていたはずだからだ》
ギルド内がこのヨティスの言にざわめく。ヨティスは龍児が腰のベルトに挟んでいた錫杖を示し、続けた。
《この者たちが、あの闇騎士を配下とする不死者の女王を討伐したのだ。この錫杖がその証拠。そしてこの私の言葉こそもその証だ。この依頼の報酬は、この者たちが受け取るべきである。尚、教会側に伝えてほしい。あの廃教会は、それ自体に封印魔法がかけられている。最奥にいた物は倒したが、念のために封印を重ねるべきだと》
ギルドの係員は、龍児の持つ装飾華美ながら忌まわしい感じのする杖を見、ヨティスに視線を戻して言った。
《あなたがそう証言されるのであれば、そのように取り計らいましょう》
と、一度別室へ行き、戻ってきた手には金袋の他に、小さな革袋があった。それを龍児に手渡そうとしたので、彼はヨティスを見、遠慮がちに言った。
《別に僕たちは報酬のために
あなた方を探しに行ったわけではないのです》
ヨティスは首を振り、その尊大さがただの自己顕示欲と過信からのものではないことを示すように応えた。
《私はそこまで厚顔でも恥知らずでもない。確かに私たちはお前たちに助けられた。そしてあれを倒したのも見た。この事実は変えられぬ。さあ、受け取れ》
四人は顔を見合わせ、目顔で了解し合った。
《…あなたのお気持ち、いただきます》
龍児は差し出されていた袋を受け取ると、係員が指し示す依頼札の下側の箇所に受け取りのサインをした。几帳面な字体で「青山龍児」と。
係員がその達筆でありながら理解不能な文字に首をひねりながら依頼札を持って下がって行くのを見ていると、ヨティスが予想外の提案をしてきた。
《どうかね、このあと朝食でも一緒に》
人の好意は断るべきではないと思われたし、大牙がすでに「朝食」と言う単語に反応し、舌をだらりとたらしそうな顔をしていた。それに、言外には彼らの特異な能力についても聞きたがっていることも感じ取っていた。彼らが『紫電の魔道士ヨティス』を凌ぐ力を持つ冒険者らしいことは知れてしまったのだし、戦闘を目の当たりに目撃されているのだから、今更拒否する方が余計に怪しまれるというものだった。
連れだってギルドをあとにした一行を、いつまでも好奇と驚きのざわめきが追っていたのは言うまでもない。
ヨティスの先導で向かったのは、『双撃の戦斧亭』とは大違いの高級宿兼酒場だった。
彼らが入っていくと、下にも置かぬ対応でテーブルに案内された。そして人数分のエールのジョッキが運ばれてきたので、毎度のことのように朱音がそのひとつをおしとどめ、言った。
《一人、未成年なんで。アルコール抜きのをちょうだい》
大牙が「ちぇーっ」と唇を尖らすが、替わりに運ばれてきたのが果実の絞り汁だったので、ひとまず満足したようだった。
料理の皿が次々と並べられていく。特上のハムやローストビーフ、見た目にも鮮やかな茹で野菜、無粋なマッシュポテトなどは出てこず、スパイスの効いた鶏肉のグリルやピッツァのような料理、そして高価そうなフルーツの盛り合わせなども運ばれてきた。
まずは一息にエールを流し込んでから、ヨティスは改めて四人に礼を言った。
《今こうしてあるのは、お前たちのおかげだ。すでにあの時、正直諦めていた。私の結界が消えるのも時間の問題だったのでね。ありがとう、恩に着る》
《たいしたことしてねえよ、ただぶちかましただけさ》
大牙の誰に対しても変わらない大胆不遜な態度に、ヨティスは納得もしつつも、愉快さも感じたような淡い笑みを口元にのぼせながら、最も気にかかっていたことを尋ねた。
《お前たちはあそこへ来た時、なんの装備もしていなかった、そう、今と同じ異国の服装だった。しかし、何かの文言を唱えた途端、異国の装束に身を包み、立派な武器を持っていた。あれは一体どういう仕掛けだったのだ? それに、あの魔法の総攻撃をどうして大盾で凌げたのだ? まさか、あの大盾には失われたエンチャントマジックでもかけられているのか?》
魔道士であるヨティスにしてみれば興味をそそられて当然だと思われたし、実際に目撃しているのだからごまかしはきかなかった。
それにこの場には、彼ら以外にも冒険者たちがいた。先ほどから心なしか店内が静かなのは、皆、ヨティスの言葉に耳を澄ませていたからだ。
『あの隊長に使った言い抜けをするしかないな。だが相手は魔道士だ。どう反応するかは全くわからない』
と龍児がやや懸念をこめて内線で言った。
『見物人が多すぎやしない?』
朱音が視線だけで周囲を伺い、躊躇いを示す。龍児は、表面上は素知らぬ顔でローストビーフを二枚ほど皿に取りながら応えた。
『この魔道士と一緒にいるだけでもう僕たちは注目の的だよ。クロト、見せるしかない』
『わかった。じゃが、目立つぞ、ここじゃ』
と、玄人は肩をすくめながら、ヨティスに向かって言った。
《こういうわけなんじゃ》
彼は自分の手首に装着されているブレスを見せると、そこに蛇をまとった巨大な亀がレリーフされたカードを差し込んだ。
軽いビープ音のあとに、映像が徐々に投影、実体化されて行き、数秒後には太い二つの突起のついた黒い大盾が威圧的にその場に現れていた。
ヨティスを始め、この現象を見た者たちから言葉が失われ、表情が抜け落ちる。
《こ、これは……》
さすが魔道士であるヨティスは、この非物質的な現象の不可思議さから現実に立ち返る時間が早かった。片手を大盾にかざしながら、彼は続けた。
《これは、物質召喚か何かで呼び出したものなのか? その手首のアクセサリーが召喚具なのか?》
ヨティスの言葉が次第に熱を帯びてくる。
《この盾からは強い水の波動を感じる。強いどころか、精霊でも封じられているかのごとき強さだ。なるほど、これだけの「気」がこめられている盾であれば、魔力を跳ね返すこともできよう》
と、魔道士の手が盾に触れんばかりになったので、玄人はすばやく武器を消し去った。が、ヨティスはいまだそのあたりに手をかざしたまま、言った。
《これほどのものを持つ者が、なぜこのような場所にいる? たまたま今回のような事件が起きたが、グレイウォールは比較的平和な地域だ。お前たちの腕ならもっと強い魔物が潜んでいる地域に移ったらどうだ? その方が稼げるし、名声も手に入る》
金と名声には興味はなかったが、強い魔物と言う言葉に四人は興味をもった。なぜなら、強ければそれだけ大きな魔晶石が手に入りやすいという話だったからだ。
龍児がそのあたりを確認すべく、ヨティスに尋ねた。
《そういった強い魔物から魔晶石が出やすいと言うのは本当のことなんでしょうか》
《なんだ、お前たちは魔晶石が狙いなのか》
ヨティスが意外そうな顔をしたので、龍児はとっさに考え付いたことを口にした。
《僕たちの武器には確かにあなたが見抜かれたとおり、「気」というべきものが宿っています。僕たちの武器は代々受け継がれた宝と言うべきもので、旅をしながらその「気」を集め、威力を高めると言う目的もあるのです。ですから、「気」と似た波動をもつ魔力のこめられたものや魔晶石には、大変興味があるのです》
《ふむ、なるほど》
龍児のファンタジー知識から出た捏造ごとは、まさにそのような世界で生きている魔道士を納得させたようだった。
《ならばますますこの街から外に出ることを勧める。我々がここにいるのも、別にあの廃教会の魔物討伐のためではなく、この街から発着している南のグリアナンへの船に乗るためだったのだ。あの国はさらに南側に砂漠地帯が広がっている。そこはかつて古代帝国があったという話が伝わっていてな、遺跡や地下秘所のようなものが点在しているという。お前たちも、魔晶石を求めているのならより大きな依頼を受けるか、自ら魔物の巣窟へでも飛び込むくらいのことをせねばならんな。そうしていれば自然と名もあがる。名が上がれば、依頼板以外からの特別な仕事も入るだろう。もちろん報酬も大きいはずだ。そうだ、さきほどの依頼の報酬をみせてみろ》
龍児はすっかり忘れていた革袋と金のつまった袋をバックパックから取り出して見せると、ヨティスは小さい方の袋をひらいて、テーブルの上に出した。それは透明の八面体をしており、両端に金色の装飾がされたものだった。
《これが空の魔晶石だ。まあ、今回の依頼の報酬としては十分なサイズだろうな。これに魔力をためれば、その属性の魔晶石となる》
ヨティスは四人を見回し、
《命を助けてもらった礼がこの報酬の金と空の魔晶石では釣り合わん。どうかな、この魔晶石に魔力を溜めてみせようではないか。いかがかな?》
これは意外な申し出だったし、もちろんそうしてもらいたいところだった。
《どんな魔法をこめられるんだい?》
大牙がパンをむしりとるようにして食べながら尋ねた。ヨティスは少し考えるようにしていたが、サラダを食べるのに没頭していた朱音に視線を向け、言った。
《お前は確か炎を使った攻撃をしていたな?》
突然話を向けられ、朱音はむせ返りながら頷いた。
《え、ええ、まあ、そうだけど》
《ならば》
とヨティスはその空の魔晶石に両手をかかげ、目を閉じて念じ始めた。
その両手の間に陽炎のような塊が浮かんだかと思うと、それはふいっと魔晶石のガラスのような容器の中に吸い込まれた。そのとたん、何かに引火したように小さな火種のような炎をあげたのである。
4センチほどの容器の中で小さく輝くそれを不思議そうに眺めていた四人に、やや疲れたような面差しになりながら、ヨティスは言った。
《そのくらいのサイズだと溜められる量はせいぜいそのくらいしかできぬ。だがその魔晶石自体を破壊するような使い方をしなければ、魔力を溜める容器としてなかなか便利だぞ。ささやかながら私からの礼だ》
《いいえ、とんでもない、過分なお気遣いになんと言葉をお返ししたらいいかわかりません》
龍児のかしこまった物言いに、ヨティスは魔道士にしては人の好さそうな表情を返し、
《それは私が言いたい。お前たちこそ、我々を、いや、この街を救った英雄なのだ。そうなのだろう? 闇騎士を倒したのも、お前たちなのだろう? 『双刃カルロ』も『金色のハリー』も太刀打ちできなかった相手をたやすく討伐したと聞けば、あとはお前たちしか考えられん。あのような戦い方を見ればなおさら確信する》
この言葉に、宿の中は騒然となった。
四人がじっと黙っているのを見たヨティスは謎めいた笑みを新たに浮かべ、小声で付け加えた。
《…魔力を全く感じ取れない人間に出会ったということは私の胸の中にしまっておくことにしよう。さあ、彼らがお前たちを質問攻めにしないうちに、ここから立ち去れ。裏口は開いているはずだ》
と、ヨティスは店主に意味深な目配せを送り、それに応えるかのように主が四人を手招きした。
四人はこれ以上根掘り葉掘り聞かれるのはたまらなかったので、ヨティスたちに軽く一礼すると、店主の示す奥の小部屋から外に出る扉を見つけ、危うく冒険者たちの好奇の的になることから逃れたのである。
自分たちの宿に帰る道々、玄人がぽつりと言った。
「…そろそろ潮時かもしれんのう」
これに龍児が頷き、ベルトに挟んでいる錫杖を手にし、そこに嵌っている玉石を見ながら言った。
「これも手に入ったし、一度ファンロンに戻らなければならないと思うしね」
その玉石はすでに色を失い、薄い乳白色に変化していた。
「あたしたちが闇騎士まで倒したって話が広まったら、身動きがとれなくなっちゃうものね。あたしたちの目的はモンスター退治ではなくて、あくまでここからどうやって地球に帰還するかってことなんだから」
とは言ったものの、朱音の口調には少しだけ寂しさのようなものが含まれていた。それを素直に代弁するかのように大牙が両手を頭の後ろで組み、言った。
「意外にいいやつだったな、あの魔道士のおっさん。魔晶石も小さいけど、一個、手に入ったしよ。でもなあ、なんだかあっという間だったようなそうでないような、妙な気分だぜ」
四人の胸に複雑な思いが去来する。自分たちは完全な異邦人であるにもかかわらず、この場所に馴染み、人々と触れ合ってきた。そしてそこから去らねばならないと言う現実は、彼らの中に芽生え始めていた愛着心を痛感させた。
『双撃の戦斧亭』に戻った四人は、早速ディミトリの早耳情報に翻弄された。しばらく街での噂や評判、『紫電の魔道士』のお墨付きの冒険者だの、廃教会の奥にいたおぞましいアンデッドのことだの、のべつまくなしに喋りたてたのだが、不意に彼らの様子に気付き、いったん言葉の矢継嵐をとめた。
《ん? どうした、神妙な面しやがって》
《おじさん》
朱音が改まって言った。
《あたしたち、明日、出発するわ》
ディミトリの太い眉がぐい、と上がったが、それ以上の感情の発奮はなく、達観した物腰で頷いた。
《…その方がいいかもな。お前さんたちは冒険者だが、その目的はモンスター退治じゃねえ。チキウってところに戻るためだったもんな。ここにいつまでもいたんじゃ、故郷は近づいちゃこねえ》
そしていきなりぱちん、と指を鳴らし、続けた。
《よぉし、今夜は戦斧亭の大盤振る舞いでぱぁーっとやるとするか! この辺りの連中や、あの隊長さんも呼んでよ、どうだい、ナイスアイディアだろ? そうと決まったらあちこち手配りしねえとならねえな。おい、でかいの、お前さんにゃ、料理を手伝ってもらうぜ。赤毛のねえちゃんは、そこらでたむろってるガキに今夜のことを伝えて歩けって言ってこい。連中ならはしっこいからこの辺りにゃすぐ伝わる。眼鏡のにいちゃんとつんつん頭は、足りねえもんを市場に買い出しに行ってもらおう。そのついでにあの隊長さんに伝えてくればいい。さ、さ、ちゃっちゃと動きやがれ、若僧ども》
《なんだよー、俺たちの餞別会なのに、パシリさせんのかよ? 俺たち、寝てねえんだぜ~?》
と大牙が口を尖らせて言うと、ドワーフに有無を言わせない手つきでメモ書きされた薄い板を押し付けられた。
《立ってるもんなら親でも使えっていうくらいだ。若僧ならなおのことこき使うぜ。そら、ちゃっちゃと行ってきな》
《行こう、タイガ。僕たちの手でも最後の晩を楽しいものにしようじゃないか》
《ちぇーっ、仕方ねえなっ》
と、二人が出て行き、朱音が崇拝されているストリートキッズたちのたまり場へ出かけ、玄人が体格に合わない前掛けを付けているのを見つめるディミトリの眼差しには、宿屋の親父以上の感情が込められているように見えた。
*****
その夜の『双撃の戦斧亭』は、開店以来初の満員御礼になった。
食堂のテーブルには風変わりながら美味しい料理が並び、エールやワインはいくら飲んでもなくならないほどに用意されていた。
その中心に、異国の四人の若者がいた。それぞれ、別れを惜しむ言葉をかけられては、手を握り合ったり、ハグされたり、果てはキスされたりと、彼らの旅立ちを激励もし、同時に名残惜しむ表現を自由奔放にされたのだった。
突然、大牙が頭を抱え込んで「わああぁぁぁぁっ」と喚いたので、傍にいた者たちが驚いて彼を見た。一番近くにいた朱音がどうしたのかと近寄ると、大牙は自分の口を押えながら悲愴感さえ漂わせて気の抜けた声で言った。
「俺の……ファーストキス……」
「それがどうしたのよ」
「……ババァにとられた……」
「……プッ」
朱音は思わず吹き出し、
「あんた、まだだったの」
とニヤニヤし続けながら問うと、大牙は顔を真っ赤にして喚いた。
「俺の青春はレイジュウジャー一色だったんだぜ、んなことしてる暇なんかねえじゃんかっ」
朱音はキャハハと笑い、
「じゃ、経験できてよかったわね」
「よかぁねえ!」
と、その時、その場の空気が少し変わった。室内にいた人混みが自然と割れ、中央付近で人々と歓談していた四人のもとへ、二人の人物が近づいてきたのである。
それはイーディアス・グラントとアラン・ギルスターであった。平服を着てはいたが、衛士としての職業柄なのか、何かしら滲み出るものがあるらしかった。
イーディアスは四人を前にすると、軽く咳ばらいをしてから話しかけた。
《明日、グレイウォールを発つそうだな。次、向かうところは決めているのか?》
四人は顔を見合わせ、ほぼ同時に首を振った。これを見てイーディアスが驚いたような、それでいて全くこの四人の若者らしいと言いたげな苦笑を浮かべ、言った。
《ならば、隣のモーヴに行ってみるというのはどうかな? ここ最近になって、魚人どもとの争いが絶えないらしく、冒険者の力を必要としている状況なのだ。もちろん、君たちの本来の目的が別のところにあることは承知しているが、各地から多くの冒険者が集まっている今のモーヴなら、様々な情報も入手できるのではないかと思ったのだ》
そして、三つ折りになった羊皮紙を差し出し、続けた。
《もし行く気があるのなら、この証書を都市境の関所の衛士に見せれば、モーヴにせよ、ブリックレッドにせよ、煩雑な手続きいらずで通してくれよう》
折りたたまれた書面を開いてみた龍児が、その飾り文字を交えたそれが都市連邦公認の立派な通行証だとわかり、ハッと顔を上げ、イーディアスに言った。
《こんな便宜を図ってもらっては…》
《何を言うか。廃教会の救出劇のことも聞き及んでいるぞ。君たちは街の危難を二度も救ったのだ。このくらいのことをするのは当然のことだ》
《あなたたちはグレイウォールの英雄なんですよ、今や。僕、忘れません。あなた方が闇騎士と戦ったところを。すごく、かっこよかったです、とっても!》
その口調の中に大きな憧憬の念を隠し切れないアランが言葉を挟む。そんな部下の様子を、イーディアスもたしなめきれないような物腰で、
《正直なところ、君たちを引き留めたいくらいだがね、英雄殿。だがそれがかなわないことは重々承知している。だからもし何か私にできることがあれば、いつでも言ってくれ。我々は君たちの活躍を風の便りで聞くのを楽しみにしているのでね》
と言った彼の手に、ディミトリがエールのジョッキを手渡し、その場に響き渡るような声で言った。
《英雄たちの今後の活躍を祈って、また乾杯といこうじゃねえか! 乾杯!》
わあっという歓声と共に、グラスやジョッキが打ち鳴らされる。そしてぐーっと中身を飲み干す。
ディミトリは準備よくカウンターに並べてあった新しい飲み物をさし、
《どんどん飲んで、食って、この若僧勇者どもを送り出そうじゃねえか、新天地へとな!》
こうして『双撃の戦斧亭』の夜は更けていった。
*****
曙光がさすまえに、バックパックを肩にかけて階段を降りてきた四人を、ディミトリは片づけ途中の汚れた皿の山の中から見上げ、言った。
《もう行くか》
《はい。あまり騒がれたくないもので》
龍児が淡々と応えると、ドワーフは短い脚でトットッと奥に引っ込み、ずしりと重い金袋を手渡した。
《そらよ。ま、お前さんたちなら途中で追いはぎなんかにやられるわけもねえだろうがな》
袋の紐をとき、そこから超過分の宿代を出そうとする龍児の手を、ディミトリはおしとどめて言った。
《そいつは、また今度来た時までツケといてやるよ。何か予感がするんだ。きっとまたお前さんらはここに来るってな。それにツケにしときゃ、どうあってもまたここに来ざるを得ねえだろ?》
これがドワーフの精いっぱいの陽気な別れの言葉であることは四人に伝わった。
10日ほどの滞在ではあったが、ここに戻るとホッとできる場所になっていた。ディミトリと話すと自然と笑いがこぼれた。冗談も飛び出した。それだけこことこのドワーフには思い入れが築かれていた。
《またおやっさん、暇になっちまうな》
大牙が少しだけ感傷的に言うと、ディミトリは彼のつんつんとした銀髪をくしゃっとやって言った。
《お前さんたちがまた来るまでに、新しいメニューを山と考えだしておくさ。むしろ自分のことを心配しやがれ、小僧》
ドワーフはそのまま大牙を軽く抱き締め、それから他の三人とも抱き合った。もちろん、彼らは身体を屈めなければならなかったが。
《……では行きます。長らくお世話になりました》
龍児が本格的に感傷の波にのまれる前に言い切り、彼らはそこをあとにした。
朱音は何度か後ろを振り返りたい気分に陥ったが、それを察したかのように龍児が『内線』でファンロンに通信を入れたので、その感情にとらわれる余地は無くなった。そうなのだ、自分たちは振り返る理由も、時間もないのだ。
『早朝から失礼します、ボス』
先方はすでに起きていたらしく、すぐに返答があった。
『どうした、リュウ』
『はい、今日、一度ファンロンに帰艦しようと考えています。二つ目の魔力を秘めたものを手に入れたこともありますが、当地での僕たちの存在が前面に出始めたこともその理由です』
『詳しい話は帰艦してからにしよう』
『はい。わかりました』
通信を終えると、四人は周囲に人目がないのを確認してから、霊獣チェンジャーにカードを入れ、パワースーツだけを装着した。そして、全速で疾駆し始めたのである。それはまるで曙光に輝く四色の旋風のようだった。
*****
ファンロンに帰艦してすぐに、龍児はバックパックから例の錫杖を取り出し、キリルに手渡しながら、
「この先端に嵌っている玉石が使えると思います」
「前のより大きいな。早速やってみるか」
とキリルは四人とともにメインエンジンがある基部へと下るエレベータに乗り込む。
「あ」
不意に龍児が忘れていた、というようにもう一度バックパックを探り、革袋に入っている赤く光るものを出してみせながら言った。
「これが魔晶石と言うものだそうです。中には炎の魔力がこめられています。これも五行パワーの足しになるかと」
「ほほう、これがねえ?」
キリルはその小さなハンディライトのように光るものを眺めていたが、エレベータが止まったので、先頭にたっておりると、五つのエネルギータンクに囲まれ、ひときわ大きな円筒状のワープエンジンを前に立った。
すると、どこからかばさばさと羽ばたきの音がし、傍若無人極まりない声が割り込んできた。
「なんだよ、おまえら、帰ってきたのかよ? え? みやげの一つくらい、もってきたんだろうな?」
オウム型ドロイドのジルコンが、キリルの肩に舞い降りて止まりながら言ったので、朱音が言い返した。
「一つどころじゃないわよ。これで船が飛べるかもしれないんだから」
「へっ、それもおいらの力がなけりゃこううまくはいかなかったんだぜ、感謝しな、おまえら」
胸の部分を盛大に膨らませて威張って見せたジルコンを、失笑気味に見ながらキリルは言った。
「確かにジルコンのおかげなのだ。この世界が我々の地球と違い、五行パワーに似た「気」に溢れていることはわかったが、この艦のエネルギー補給法ではそれらを有効活用することはできなかった」
「それをやってのけたのがこのおいら様なのさ」
えへん、とばかりにジルコンが言葉をはさむ。キリルはこの口調にもだいぶ慣れたらしく、説明を続けた。
「転送装置を応用し、この世界に満ちている「気」を一度位相変換し、そこから五行パワーとして使えるエネルギー粒子のみを取り出し、タンクに転送するという工程を考え出してくれたのだ。ここにある装置もジルコンの頭脳があっての結果だ。少々不格好だが、仕方ない。パーツのつなぎ合わせで作ったものだからね」
と指さしてみせたものは、銀色の台座の上にアーム状の先にスキャナ機能がついているらしきドーム型のカバーのついた装置で、むき出しのコードが何本もエンジンのコンソールパネルと接続されていた。
キリルはその装置を試すかのごとく、龍児が手渡した錫杖をその台座の上に置き、ドーム状の蓋を閉めた。そしてドームの全面にある簡単な制御盤に入力をしてから、メインエンジンの方の制御盤に向かう。
すると、ドームの中から鋭い発光が放たれ、彼らは一瞬目をつぶっていた。そして目を開いた時には、その錫杖の玉石は完全に輝きを失っていた。
「これもどうやら属性のないものだったようだな。五行パワーが平均的に蓄積されている」
「今ので終わり?」
一瞬のできごとに、大牙が拍子抜けしたように言った。キリルは魔晶石の方もそのドームの中に入れながら、応えた。
「私の想像するに、この世界の人々は息を吸い、肌を空気にさらすだけで「気」、つまりこの世界で言う魔力を吸収できるのだろう。そして同時に排出もしているのだと思う。その蓄積をできるのが魔道士、という存在なのだと考える。我々はその「蓄積」という作用を機械的にやっていることになる。「気」は空気のようでもあり、化合物の一瞬一瞬の結合体のようでもあるゆえ、捕捉蓄積する際に一瞬のタイミングが必要になるのだ」
そして魔晶石の中身を取り出すべく、コマンドする。
今度はドームの中が真っ赤に燃え上がったように染まり、それもまた一瞬で終わった。
「これは火か。ふむ。少々金が足りないが、上昇し、反重力システムを作動させての慣性による航行は可能になるだろう。雲の上から君たちを捕捉し、必要な際は転送装置も使用できる」
「じゃ、もう街から走って戻らなくてもいいってことかよ?」
と大牙が、ファンロンが停泊し続けていたエルダー村外れの山腹まで走りに走ったことに対する不平をこめて言うと、キリルは微苦笑をし、
「そうだ。すぐにソニックシャワーやお前の大好きな「カツ丼」を食べにも戻れるぞ」
「うおおおおぉぉぉぉぉ、忘れてたぁぁぁぁぁぁっ、カツ丼食いてぇぇぇぇぇっ!!」
大牙は心から絶叫するかの如く言い放つと、他の三人を残してエレベータに飛び乗っていた。
そんな大牙を微笑ましく見送りながら、キリルは空になった魔晶石を龍児に返し、
「ところで、このあとはどうするつもりなのだ。行く場所は決めているのかね」
三人は顔を見合わせ、
「グレイウォールの隣の街、モーヴというところに冒険者が集まっていると聞きました。それにそこは水運都市だそうです。五行パワーの水が手に入るのではないかと、推測しています」
と龍児が言うと、朱音が続けた。
「街自体も困ってるみたいなんです。魚人が現れてるらしいです」
「どちらが正しいかは実際に見てみないとわからんじゃろが、困ってるもんを放ってはおけんからのう」
キリルは彼らをエレベータに誘いながら微笑した。
「君たちはどこにいても四神戦隊だ。だがやりすぎないようにな。中には君たちの力を悪用しようと考える輩がいないとも限らん」
「わかっています」
キリルはそう断言した龍児に頷いて見せ、メインデッキに戻ると、早速コンピュータに命じた。
「コンピュータ、メインエンジン起動、高度1万メートルまで反重力システムと併用して上昇する。その後、慣性のみで西方に巡行を開始」
「了解。メインエンジン始動。反重力システムスタンバイ」
「…発進!(Engage!)」
足元に久しぶりのエンジンの響きが伝わる。
大牙はカツ丼の二杯目を食べながら、そのほかの三人は、メインビューアからのぞめる景色がみるみる下方に小さくなっていくのを見ながら、自分たちの進むべき道がさらに続いているのを感じるのだった。