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四神戦隊レイジュウジャー  作者: 沢木佑麗/雲月
第一章 都市連邦編
4/103

『首都グレイウォール』

 この二日と半日の行程は、リナにとって長いものにも短いものにも、楽しいことにも寂しいことにも思われた。

 というのも、首都に行くのはリナにとって初めてだったことも手伝い、大きな期待を抱いていたせいもある。それに拍車をかけたのが、この一緒に荷台に揺られている四人の存在だった。

 いや、特に一人の、と言ったほうが正しい。リナの視線は常に白井大牙のもとに集中していた。

 荷台の中は首都で売るための甘芋がぎっしりと詰まれていて、そこに五人が乗っているので、さらにそこはぎゅう詰めの状態だったが、それだけリナは大牙のそばにぴったりとくっつけたので、狭いことなど全く気にならなかった。

 もし彼女がもう少し大人だったら、こうもあからさまに大牙に接触してくることは控えたのであろうが、そこは所詮大人になり切れない子供だった。

 そんな、まるで動物の子供のように擦り寄ってくるリナに対し、大牙は拒否することもできず、皆の冷やかしの視線や『内線』からの通話などに耐えていた。

 一晩目は睡魔に負けて早々に眠ってしまったリナだったが、二晩目はどうあっても大牙の傍にいるといった決意を固めた表情で、交代の不寝番を買って出ていた四人の元に陣取った。当然大牙の隣にである。

《あら、リナちゃん、寝ていいのよ? あたしたちも交代で寝るし》

 鳳朱音が何気なく声をかけると、リナはぶんぶん、と首を振り、

《あたしもいるの、タイガのそばにいるの》

 ぽきり、と焚火の火の中に小枝を折って投げ入れた青山龍児がくすり、と笑って言った。

《そんなにタイガのそばにいたいのかい?》

 リナは龍児の眼鏡の向こうからの視線があまり得意ではない。今もやや身を引き気味になりながらも、勇ましく頷いた。

《助けられたから、今度はあたしが助けるの》

《はっはっ、こりゃ愉快じゃ。こんなちっこい子にまで助けてもらえて、タイガは幸せもんじゃのう》

 亀梨玄人が鷹揚な笑いを交えて言う。

《なんでリナちゃんはそんなにタイガのそばにいたくなっちゃったの?》

 と朱音が親身ながら、どこか裏のある口調で尋ねると、リナは素直に応えた。

《おうちが焼けた時に、パッと現れて、あたしを魔物から助けてくれたから……その…すごくかっこよかったの》

 所在なく座っていた大牙の表情に彼特有の「俺様」顔が現れたが、次の言葉でそれは渋面に変わった。

《見たこともない武器を持ってて、あっという間に魔物を倒して……あたしとそんなに歳、違わないのに、すごいなって思ったの》

 大牙以外の三人は爆笑を堪えるのに必死だった。大牙はリナをぎろりと睨み据えると、ぐい、と親指を自分につきつけ、言い含めるように言った。

《俺は17、お前は12のガキ。一緒にすんな》

 「え」とばかりにリナの表情が固まり、それがみるみる後悔に曇り、羞恥と謝罪の雨に打たれようとしたので、朱音が助け舟を出した。

《ま、あんたが勘違いするのもわかるわ。だって、タイガったらほんと、子供っぽいところあるし。背も低いし。でも、頼れるっていうのは当たってるわ。タイガは強いわよ》

《背が低いは余計だ》

 ぶつっと大牙が不平を挟む。

《じゃ、君は将来、タイガをお婿さんにしたいと思っているの?》

 と龍児がニコニコ顔で尋ねた。リナの頬がぽうっと赤く染まる。それだけで彼女の返答はわかりきっていた。

これに対し、大牙が食って掛かったのは言うでもない。

《ばっ、馬鹿か、リュウ、お前な、なんでそういうふうにしか、物事をな、くそっ、ばっかじゃねえの?!》

《こりゃ一つ問題ができたのう……わしらが戻る時、この娘さんをどうするかっつうのう?》

 玄人が大真面目に腕組みをして言ったので、大牙は余計感情的に何か言いつのろうとしたが、朱音にそれを止められた。

《ほら、リナちゃん、寝そうよ。大声出さないで》

 見ると、リナは頬を染めたまま大牙に寄りかかるようにして、うつらうつらしていたのである。栗色の柔らかい髪が頬にかかり、田舎娘の割に色白の頬はふっくらとし、サクランボ色の小さな唇はうっすら開き、寝息に近い呼気を吐いては吸っている。そうやって改めて見ると、大牙はどきりとなった。こんな気分は初めてだった。『四神戦隊』などという組織に入って以来、そういった年齢に見合った経験からは遠ざかっていた大牙である。だから自然と湧き上がったこの気持ちが一体何なのかわからなかったし、わかったとしても対応の仕方を知らなかった。

 その時大牙ができたことと言えば、リナの身体を軽々と抱きかかえ、荷馬車の荷台にしつらえてあったベッドロールの上に横たえてやることだけだった。彼女だけは年端もいかない子供であるため、用心のため狭い荷台の隙間にこうして寝る場所を確保してやっていたのである。

 戻ってきた大牙に、朱音が溜息をはいて言った

「別にタイガをからかうわけじゃないけれど、ちょっとリナちゃんが気の毒ね。明日にはお別れだもの」

 大牙はぷい、とそっぽを向き、

「仕方ねえだろ? いつまでもあの村にいるわけにいかねえっつのが俺たちの決定事項だったじゃんか」

「確かにその通りだ。ファンロンをいつまでもあそこに放置しておくにはいかない。いくら遮蔽装置があるにしても、また別の誰かが探しに行くかもしれない」

 と龍児が焚火の火を熾しながら淡々と話す。

「エネルギーだってじり貧になるのう。せめて空に上げるくらいにはしたいもんじゃが」

 玄人の現実味のある問題提起に、朱音がまたも大きなため息をついた。

「エネルギーねえ……魔晶石ってやつが手に入りやすいといいんだけど」

「魔力ってものは、まあ、これはファンタジー世界での暗黙のルールというか、概念なんだけれども、自然界に流れのように漂っているものなんだ。僕らの船やダイジンオーのエンジンは五行機構だろう? つまり、火、木、土、金、水の反物質反応から発生する五行パワーが燃料になっている。この五行パワーの元、五つの元素なんだけれども、これって、魔力の元素と似通っているんだよね。基本的には火、水、雷、氷、土、風になるんだけど、そのほか重力を操ったり、腐乱系のものもあったり、癒しの魔法もあったりする。それで、ボスに話してみたんだ。自然界から五行パワーを吸収できないかと」

 龍児の言葉に、皆が身を乗り出す。龍児は一息ついて続けた。

「確かに微量ながら五行パワーに反応する物質があるというんだ。ただ、ほとんど反応のない物質もあるというんだ。たとえば金とか火などがね」

「場所に関係するのかのう? あそこは山ん中じゃし」

 という玄人に龍児は頷き、

「それにしても、船の内部システムの復帰にはめどがたちそうなことは話していた。それと『ジルコン』の復帰も終わったそうだから、ファンロンの方の修復の速度があがることは間違いないよ」

「パワースーツは? 魔晶石ってやつを手に入れるには、モンスター退治しないとならねえんだろ? さすがにこのままで戦い続けるのはちっと頼りないぜ」

 大牙が尋ねたので、龍児は首を振った。

「それはもう少しかかるそうだ。だが『ジルコン』がいるおかげで数日のうちには、ということだった」

 すると、玄人が思い出したように言った。

「そういや、リュウ、お前、村長の家に入り浸っていたが、何しとったんじゃ?」

「…ああ、そのこと」

 龍児は眼鏡の位置を几帳面に直してから応えた。

「これから首都に向かうのに、少しでも文字を覚えておこうかと思ったんだ。識字率が高い世界ではないと思うから読めなくても疑われはしないと思うけれど、読めるにこしたことはないと思ってね。あの村とは雲泥の差の情報量があると思うんだ。後で僕が解読した単語や文章を君たちのスキャナに送信しておくよ」

「さすがリュウねぇ…食い意地だけの誰かさんとは大違い」

 朱音がちらりと大牙を見やりながら呟く。大牙は歯をむき出して「イーッ」と渋面を返したが、確かに龍児の努力は彼らを助けるに違いなかった。

「にしてもじゃ、できるだけ早くファンロンの痕跡を追えなくすることが肝心じゃな。わしゃ、あの衛士隊の中の魔道士っつうやつが気になって仕方なくてのう。さっきリュウが話していたこの世界の魔力の元を五行パワーに変換できるっつうんなら、魔道士っつう存在はどうにも危険な気がするんじゃ。そのなんつうか、『気』の流れを察知できるんやないか」

「もし、僕らがファンロンの方に連れていったら、その可能性はあったね。もちろんそんなことはしなかったけれど」

「でもよ、その魔晶石っていうやつに魔力を溜めれるのも魔道士なんだろ? 魔道士にも知り合いを作らなくちゃなんねえんじゃねえの?」

 と大牙が顎を両手の上に置き、焚火を見つめながら、珍しくまともなことを言った。朱音があの時の衛士隊の魔道士の様子を思い起こしながら、

「なんとなく、魔道士って高慢ちきな感じがするわ……そんな奇特な人がいるかしらね…」

「とにかく、僕らはまだあの村の中でしかこの世界を知らない。首都でどんな人々がいて、どんな暮らしをして、どんな社会構造をしているのか探ってからだね。それからでないと、どうにも動きが取れない」

 と言う龍児に、玄人が頷き返し、

「下手に目立つ行動を取って、誤解を招くわけにもいかんしのう。ただでさえわしらは変わった冒険者なんじゃからの」

 玄人は自分の着ている黒いパーカーにブラックデニムのパンツ、そしてスニーカーという姿を示した。

「そのうち嫌でも目立っちまうよ、クロト。俺たちは冒険者だぜ? 次から次へと巨大モンスターを倒しまくらなくちゃなんねえんだぜ」

 拳を固めてみせた大牙に、朱音が肩をすくめる。

「そうよね。「冒険者」ってのはそうやって生活費を稼ぐものなんでしょ? リュウ」

「そういうことになるね。街の人の頼みごとを請け負ったり、もし冒険者ギルドみたいなものがあれば、そこでの依頼を受けたりとかして品物や現金を手に入れる、これが冒険者の生き方だよ。もちろん、名声を得るためという理由もあるけれどね」

 その後、冒険者とはかくあるべき、という問題で意見交換(ただの言い合いともいうべきだが)をしていた四人は、交代で仮眠をとることなど忘れ、結局空が白むまで起き続けていた。

 明るくなっていく空に、地球にいた頃に見た明星のように輝く星をいくつか見つけた朱音が、大きく伸びをしてから、表情を引き締めて言った。

「さあ、いよいよ首都グレイウォールよ。ここから本番だと言ってもいいわね。気を抜かずにいきましょ」

 他の三人は朱音に賛同するように頷く。

 背後で村人たちが起き出す気配がしたので、四人はそちらの方へ行き、保存のきく硬いパンと塩辛いハムを準備するのを手伝い始めた。

 彼らは昼時にはこの地域をまとめる首都グレイウォールに足を踏み入れることになる。期待と興味、そして用心深さをもっての、まさに新天地であった。


*****


《いつもより入荷が遅れたからやきもきしてたんだぜ》 

 と野菜売りの親父が荷台にいっぱい詰まれた甘芋を吟味しつつ、馴染みの様子で言った。

《村でちょっとした災難があってなあ、ちょこっと遅れちまっただよ。んでも、そのせいで完熟したらしくてなあ》

 確かに芋からは蜜のようなしずくが漏れ出し、筋になっている。

 リナの父親が代表して応えると、親父は乱暴にも思える仕草でリナの父親の背中を何度もたたくと、

《こいつぁ、上物だ。やっぱり甘芋はエルダーのもんが一等優れとる。あんたんとこと契約できて、こっちぁ、大助かりさ》

 と、親父は荷台三台分の代金と、それに加えてかなりの金額を上乗せして支払った。

《今年のは特に上等そうだからな、その分だよ》

 リナの父親はその代金の中から一掴みの金と、余計に貰った分を四人にためらうことなく差し出すと、言った。

《これ、少ないけんど、お世話になったお礼です。本当はもっと差し上げたいんだけんども…》

《いえ、その余分にもらった分だけで結構です。あなた方には必要なお金だ。焼かれた家はまだ完全に建て直されていないし、家財道具だって焼失してしまったでしょう?》

 龍児が余計にもらった分だけを受け取ると、残りは戻してしまった。リナの父親を始め、芋を運んできた者たちの表情が一様に感謝に満ちる。

 その中で一人だけ、異なった表情をしていたのはリナだった。父親の手をずっと握っていたものの、今にも泣きだしそうな顔つきをしていたのである。

 すでにほかの村人たちは空になった荷馬車に乗り、それぞれ街での用事をしようと御者席についていた。父親もそれに倣って乗り込もうとした時、リナが飛びつくように大牙に向かって走り寄ったので、動きを止めた。

 大牙も面食らった。いきなりリナが泣きながら胸の中に飛び込んできたからだ。

《これでさよならなんて、いや、あたし、いや》

 まだ子供くさい、それでいてどこかそうでもない匂いが大牙の鼻腔に感じられる。それにこの体温と柔らかな感触。いやいやをするようにだきついてくるたびに、栗色の髪がさらさらと大牙の腕や手に触れた。

 父親が困ったような顔をしている。傍らの三人も、この現実は変えようがないと言いたげに見つめていた。

 大牙はため息を一つつくと、いつもの荒っぽい口調とは打って変わっての、優しささえ感じ取れる静かな口振りで言った。

《さよならは言わないよ、リナ。今はちょっとこの街に用事があるし、俺たちもいつまでも駆け出し冒険者でいるわけにはいかない。だけど、必ずお前のところには戻るから。約束するぜ》

《約束…?》

 リナの泣き顔が上向き、その明るい灰色の眼差しがじっと大牙を見つめた。

 その拍子に、仲間たちの『内線』が伝わってくる。

『そこでキスよ、キス!』

『別れと約束の誓いの口づけというやつだな』

『それが一番の思い出になるじゃろうのう』

 気分が台無しだったのは言うまでもない。大牙は『内線』で『っるせえっ』と一喝すると、

《ほら、小指を出せ》

《小指…?》

《ほら、出せ》

 おずおずとリナが小指を差し出す。それを大牙はややぶっきらぼうに自分の小指と絡めると、自国語で言った。

「ゆびきりげんまんうそついたらはりせんぼんのます、ゆびきった!」

 と、パッと指を離す。

 リナは何の呪文かときょとんとしている。大牙はニヤッと笑い返し、

《今のはな、俺の国のまじないみたいなもんさ。約束を守るまじない。だから俺は必ずまたお前に会いに行くから》

《ほんとに?》

《だから言ったろ、約束は守るって》

《……わかった、リナ、待ってる……タイガ、戻るの、待ってる》

《いい子でいるんだぜ。ほら、父さんが待ってるから、早く行け》

《タイガ、怪我なんてしないでね》

《するもんかよ。俺は強いんだぜ》

 リナは、何度も礼を言う父親に手を引かれ、馬車の御者台に乗せ上げられた。そして手綱が軽く馬を打ち、ぽくぽく、がらがらと石畳の道を走り出す。

 その馬車の一団がその通りから見えなくなるまで、リナの視線は大牙を追い続けていた。

「…さてと」

 と朱音がこの場の空気を切り替えるように、言った。

「どこから手をつける?」

「まずはこの街の地図を手に入れられないか、ボスに聞いてみる」

 龍児が市場のど真ん中から脇の方に身を寄せながら、応えた。

「『ジルコン』も復帰しているくらいだから、できるかもしれないだろう?」

 反対する者はいなかった。

『ボス、今大丈夫ですか?』

 少しの間があき、返答が戻る。

『問題ない。どうやら大きな街に到着したようだな。先ほどの愁嘆場はなかなか楽しませてもらったよ、タイガ』

 くつくつと笑う声が小さく聞こえ、大牙は思わず声に出して喚いていた。

『ボス、盗み聞きはひどいや!』

『『内線』でのやりとりはこちらに筒抜けなのはわかりきっていることではないか』

『だけどよぅ……』

『いや、悪かった、タイガ。だがそうやって地元の民と交流を持って行くことは先々役にたつかもしれん。重要視しておいて損はない。それでリュウ、用事はなんだ』

『はい、この街の見取り図というか、マップを作ってもらえないかと』

『ふむ、今すぐに作るというのは無理だな。『ジルコン』を飛ばしてその街を俯瞰させることができればすぐにできるだろうが、残念ながらそこまでの余剰エネルギーはない。申し訳ないが、その街の見取り図は君たちの脚で作り上げてもらわねばならん』

 龍児は落胆した様子もなく頷くと、

『わかりました。それと、ファンロンの方はいかがです?』

『君の話していた魔力の源ととなる物質だがね、確かに五行パワーに変換できることが判明した。おかげで僅かながらだが、エネルギーを蓄積できている』

『それはよかったです。では引き続き調査を兼ねて、この街の探索と今夜の宿でも探しにまいります』

『了解した』

『通信終了』

「つまり、自分たちの脚で座標埋めをしろってことね」

 と朱音が荷物の中からコムパッドを取り出し、画面をタッチする。そして素早く指を走らせると、ぽつん、と青い点が点滅を始めた。その周りが少しだけもやが晴れたように明確な地図を示している。

「どうせ情報集めやら何やらしなくちゃならないんだし、ついでよついで」

「その前にさ、俺、腹減ったよ! もうぺこぺこぺっこりーの!」

 見れば、太陽(おそらくこの世界では)は中天にかかり、食いしん坊の大牙でなくとも昼時であることはわかった。

 大牙は他の三人の先頭に立つように歩き出すと、ひくひくと鼻をうごめかせながら南西の方角に迷うことなく歩いていく。

 周囲は徐々に人影が少なくなり、あまり質の良くない住居や建物がごたごたと立て込んでいる地区に入っていった。

「ちょっと、本当にこんなところに食べる場所があるっていうの? なんだかあんまり治安が良さそうにも見えないけど」

 と辺りを見回しながら言った。居住している人々はいるらしく、狭い路地に橋渡しのように紐をかけ、そこにおおっぴらに洗濯物がぶらさがっている。道端には履き古したサンダルをつっかけた少年たちがたむろし、四人を眺めすがめつしている。道こそ石畳で舗装されていたが、大通りほど整ってはおらず、ところどころ陥没していたり、ごみクズが堆積していたりした。

「ちっ、こういうところに隠れた名店があるんだよ、黙ってついてきなっ」

 大牙は迷うことなくいくつか細い路地を曲がり、彼の言ったとおり、一軒の食堂を見つけた時には、三人はさすがに驚きを隠せなかった。

「お前、食い気センサーでもインプラントしたんか?」

 と玄人が控えめにジョッキと斧が浮彫のされた看板を見上げ、呆気にとられて言った。

「デフォだよ、デフォ。さあ、とりあえず腹いっぱいにしてから、今後のことを話し合おうぜ。でないといいアイディアも出ねえってもんよ」

 とさっさと埃がいっぱいたまったドアを押し開いた。

 申し訳程度のチャイムが扉の上で鳴り、それが虚しく店内にこだました。そう、そこはがらんと、客一人いなかったのである。

「……これが隠れた名店なわけ?」

 朱音がぼそりと非難めいた呟きを漏らす。さすがの大牙も首を傾げ、

「っかしいなあ…ぜってー、こっちだと思ったんだがなあ…」

 すると、ようやく店主らしき者がカウンターの中に出てきた。いや、最初はカウンターの上辺に額の辺りまでしか見えなかったのだが、何かの踏み台でもあるのだろう、ひょい、と顔を出したのである。

《客かね?》

 店を構える者にしては奇妙な尋ね事である。すると、彼らの怪訝な表情を見、彼らの奇天烈な服装を見、面倒くさそうに続けた。

《ここんとこ、偏屈で変わりもんのドワーフがやってる店だってんで、ひやかしにくる冒険者どもが多くてね。たいていそんな連中は追い返しちまうんだが。で、あんたらは客かね? それとも…》

 と言いかけた店主に、龍児が珍しくその表情に興奮の色をのぼせて口早に話しかけていた。

《あなたは本物のドワーフなんですか?! あの、地底に住むと言われるドワーフなんですか?! 鍛冶に優れ、戦斧を振り回すことに優れ……》

《おい、この兄ちゃん、何言ってんだ? ドワーフを見たことないのか? 冒険者だろ、あんたら》

《リュウ、ちょっと落ち着きなさいよ!》

 朱音が、今にも店主の頭や身体を撫で回しそうな勢いで話しまくる龍児をとどめるように腕を引っ張り、

「あんたのファンタジーオタクはちょっとひっこめといて! これでエルフのウェイトレスとか出てきたら、あんた、卒倒でもしかねないでしょ」

 龍児は夢から覚めたようにハッと言葉の奔流を止めると、滅多に見せない感情的な部分を見せてしまった後悔を、眼鏡のレンズを拭うことで相殺し、店主に改めて言った。

《い、いや申し訳ない……陸上(おか)に上がっているドワーフには滅多に会えないので……》

《今じゃそう珍しくもねえな。セラドンは旧態依然としすぎてやがる》

《とにかくさ、なんか食わしてよ、おやっさん。俺たち、腹ペコなんだ》

 大牙にとっては客がいようといまいと構うことはなかったし、自分の「勘」を信頼していた。

 店主は板に刻み込まれたメニュー表をどんとカウンターに陣取った彼らの前に置き、ぶっきらぼうに言った。

《どうせ突っ返されるだろうがよ、お前さんら、ちょっと変わってるから仕方ねえ、作ってやる》

 メニュー表には、この地方独特の、楔形文字とアルファベットをまぜこぜにしたような文字が並んでいる。

「どぉ? 読める?」

 朱音が心配そうに龍児に尋ねる。彼は必死に学んだことを思い出すようにしながら、いくつかのメニューを指さし、

「これは、パンにマッシュポテトを酢と塩で味付けしたものを挟んだ…」

「ポテトサラダパンじゃない、それ!」

「で、こっちは、麺状のパスタをトマトソースとベーコン、タマネギ、ピーマン…に似たもので炒めたもの…」

「ナポリタンじゃんか!」

「あとわかるのは、これ。練って薄く伸ばした小麦粉の皮に細かく刻んだ肉と野菜のみじん切りを香味の効いた香辛料とで混ぜたものを包んで焼くか蒸すかしたもの…」

 三人は声をそろえて言った。

「餃子!」

 店主は聞いたこともない言葉できゃっきゃっと話している彼らを物珍しく眺めた。様々な冒険者を見てきた彼はこのくらいで度肝を抜かれるようなことはなかったが、彼らが注文したものを嬉々として食べ始めたのを見、初めて驚きを隠せなかった。というのも、彼の発案するメニューは今までことごとく客受けしたことがなかったからである。

 朱音はポテトサラダパン『ラサポダパン』を二つ平らげ、大牙と龍児と玄人はナポリタン『タリナパスタ』を食べた。龍児だけが口元を汚すことなく美しく食べた。そして仕上げに餃子『ザーギ』の皿がカウンターに乗ったのを見、四人はあんぐりとなった。

《でかっ》

大牙の一言に尽きた。

人の顔ほどもあるサイズの餃子、というか、肉の包み焼が出てきたからである。

もちろん、彼らは食べきったが、最後に玄人がドワーフに言った。

《この『ザーギ』じゃがの、もっと小さい皮で包むと食べやすいし、中身の餡の味に飽きることはないぞ》

《小さく? おおっ! なるほどな! なるほどなるほど》

 と料理の思考にはまりこんでいるドワーフをそのままに、

《あー、まさかここでこんなメシにありつけるとはなあ!》

 と大牙が慨嘆さえこめて言った言葉に、店主は驚き半分嬉しさ半分で尋ねた。

《お前さんら、こいつを食って、変だとか不味いとか思わなかったのかい?》

 きょとんとした四人の様子に、逆に店主は拍子抜けしたようになり、突然豪快に笑い出した。そしていきなり四つのジョッキをどん、とカウンターに乗せると、一つずつに樽からエールを注ぎだした。

《こいつはわしの驕りだ! こんなに美味そうにわしの料理を食べてくれたやつぁ、今までいなかったぜ》

《あ、ちょっとまってください。一人、未成年なんで》

 と朱音が四つ目のジョッキにエールを注ごうとしたのを止める。店主は四人を一渡り眺め、「未成年?」という顔をしたが、きっと宗教か誓いかなにかの類だろうと考え、

《水なんか飲むやつの気が知れねえがね》

 と背を向きかけた店主に、大牙がすかさず言う。

《なあ、おやっさん、ジュースかなんかない?》

《ジュース…?》

 これに、龍児が説明を加える。

《果物や野菜などを絞った汁に甘味をつけた飲み物のことです》

《ああ、それならできるぜ》

 店主は僅かの間カウンターの奥の布で仕切られたところへこもっていたが、間もなく戻ってくると、その手にはガラスのグラスにしゅわしゅわと細かい泡がたつ橙色の飲み物があった。

 大牙の目が期待できらきらとする。

 店主はそのグラスと共に、中空の筒状のものも添えて言った。

《奥に氷室があるんだよ。そこでグラスをひやしてるんだ。暑い時期にゃ、くーっと冷たいもんが飲みたくなるだろ?》

 と説明するのもろくに聞かずに、大牙は筒状の物をつっこみ、ずーっと吸った。その顔がにんまりと笑む。そして一言。

「『オレンジーノ』そのもの」

「まじそれ?!」

 朱音がひったくるようにして大牙の手元からグラスをとり、一口すする。やはり彼女の表情もほんわかと和む。

「まじだわー……ここでこの味を味わえるなんて…」

 龍児が興味深く眼鏡を光らせ、そのグラスの中でしゅわしゅわと炭酸を出しているものについて尋ねた。

《この、炭酸を出している石のようなものはなんですか?》

 店主は肩をすくめ、

《炭酸石だよ。ろくに使い道がない石だがね、果物の絞り汁にいれてみたら、これだ。だがどうにも人気がなくてなあ》

《石焼鍋だの、石焼ビビンパだの、石をそのまま使うっつうことに慣れとらんのじゃろな》

 すると店主がすかさず食い付いてきた。

《なんだね、その石焼なんとかっていうのは?!》

 このままだと料理談議になりかねないと、龍児が店内の一角にある階段を見上げて尋ねた。

《あの、ここは宿も兼ねているのですか?》

 店主は頭をぼりぼりとかきながら、

《一応はな。だが中心街みてえなサーヴィスはできねえよ。その代わり格安だ。一晩15ディナル。朝食付き》

 四人が顔を見合わす。

『安いしメシがうめえ』

『ちょっと周りが物騒な感じだけど、料理で帳消し』

『むしろ人が多い場所よりわしらには都合がいいかもしれのう』

『決まりだな』

 というわけで、彼らはここ『双撃の戦斧亭』を宿に決めたのである。

 昼食代20ディナル(さすがに釣りは受け取れなかった)を払い、彼らは店主に案内されて二階へと上がった。

《しばらくここにいるつもりだから、おやっさんの名前、教えてくんねえかな》

 と、大牙の飾り気のない問いに、店主も何気なく肩をすくめ、

《ディミトリだ。そういうお前さん方は?》

《俺はタイガ、こいつはアカネ、こっちの眼鏡はリュウ、このでかいのがクロト》

 ディミトリと名乗ったドワーフは、その短躯をぐるりと回すようにして彼らを見やると、

《にしても随分荷物の少ない冒険者だな。得物はどこにあるんだい》

 確かにそのとおりだ。肩に掛けれるバックパック一つきりなのだから。彼らはその問いを適当にごまかし、閑古鳥がないていたらしい、やや埃っぽい室内に案内された。客は彼らしかいないので、豪勢に一人一部屋である。

 ベッドは硬そうだったが、シーツは清潔だった。風呂は週に二回湯を張ってくれると言う。これを聞き、少しだけ朱音が安堵したのは言うまでもない。

 昼食をゆっくりと取ってしまったので、太陽は傾き始めていた。今から情報収集をするには、まだ不案内すぎた。そこで、ここの店主ディミトリから聞き出せることは聞いておこうということに決まった。

 再び階下に降りると、ディミトリは一枚の葉を睨みつけるようにしてカウンターにいた。

 それが何かと玄人が覗き込むと、表情がパッと明るくなった。

《大葉じゃなかろうか、そいつは》

《オオバ? こいつはそこらへんにたくさん生えちょる雑草じゃい。確かプリラだかペリラだかいった名前だったか。とにかく雑草じゃ。だけどな、この香り、どうにか料理に使えねえかとおもってな》

《使えるどころじゃないのう、肉にならなんでも合うし、生魚との相性も最高じゃ》

《それに、その草の種からは油が精製できますし、塩と併用すると殺菌作用も得られます》

 と龍児が捕捉すると、ディミトリはぽん、と拳で手を叩き、玄人の腕を半ばとって強引にカウンターの中へ入れると、どん、と料理台を叩いて言った。

《その肉料理をちょっと作ってみろや、でかいの。わしが旨いと思ったら、今夜の夕飯はわしの驕りだ》

 玄人は困ったように仲間たちを見たが、大牙と朱音が唇だけで「作れ」と言っているのを見、苦笑して手を洗った。

《あの、ハムはあるじゃろか。それとチーズ。コショウはなさそうだから…塩味はハムのだけで足りるじゃろ。あと、ひき肉はあるかのう? 細かく刻んだ肉なんじゃが》

《あるぞ。チーズは後ろの棚に入っとる。待っとれや》

 再び奥に入っていったディミトリは、間もなく大きな肉の塊をどっこいしょとばかりにカット台の上に置いた。

《わしの特製ブタハムだ。風味も抜群、そこらの肉屋よりずっとうまい。それとほれ、刻んだ肉だ》

 玄人は思わず称賛の呻きを上げた。こんな完璧な生ハム(プロシュート)を現実に見られるとは思ってもみなかった。それも異世界で。

 さすがの玄人もこんなハムを目にしたことがなかったので、薄切りにするのはディミトリに任せた。ドワーフは慣れた手つきで細いナイフを扱い、みるみる生ハムのスライスの山を作った。その間に玄人はオレンジ色をしたチーズの塊を薄く切り、細かく刻んだ。

 ある程度のところで、玄人はそのハムをカット台の上に並べ、その上に大葉とチーズとを重ね、そこにまたハムを重ねた。これを三回ほど繰り返し、最後に一番外側にもう一度ハムを巻いた。

 次に大葉をみじん切りにし、それをひき肉に塩とともに混ぜ込み、粘りが出るまで練った。それを丸め、すでに見つけてあった串に次々と刺していく。

《これを、焼くんじゃ》

 と、玄人は言い、背面に釣り下がっている使い込まれたフライパンを二つとり、熾火に小さくしてあるかまどの上に置いた。

 薄い緑色をした油をひき、そこにそのくるくると巻いた筒状のハムを一つ、二つ、と並べていく。別のフライパンには串に刺した肉団子を。ディミトリがふうふうと空気を送り込んで火を強くした。

《うーん、いい匂いがしてきた。なんか懐かしい匂い》

 朱音が両手を顎の下で組み、目を閉じてくんくんとやっている。

 じゅうじゅうと肉の焼ける匂いとともに、ほんわりと大葉の香味が香ってくる。

《さ、できたわい》

 ディミトリがそれを覗き込み、ひょいと熱いにもかかわらず、素手でつまんで口に運んだ。

 と、ドワーフの奥深い瞳が刮と見開かれ、咀嚼する速度が上がった。そしてごくり、と飲み込むと、適当な皿に大葉チーズ入りハム焼きを並べている玄人の手を突然に握りしめた。

《お前さんは料理人かね?! あの雑草がなぜこんなに肉のうまみを引き立てるんだ?!》

 早速そのハムとつくねを口に放り込んでいる三人を見ながら、玄人は首の後ろをかきかき、苦笑した。

《そんなんじゃないんじゃがのう……それにこれは雑草じゃなくて、れっきとした香味野菜じゃ。ただ、客受けするかどうかはわからんがの》

《クロトは料理とか裁縫とか掃除とか得意なのよね。ほんと、女子力の塊》

 と、朱音が最後の一串を大牙から勝ち取ったことを誇りに感じているかのように高々と掲げてぱくりとやる。

《そういうお前は女子力欠乏症》

 と大牙がやり返すが、朱音はどこ吹く風。龍児が上品に最後の一口を飲み込むと、ディミトリに言った。

《そういうことを彼は得意でしてね。道中でもとても頼りになるのです》

 これは、過去の様々な戦いにおいて、玄人がひそかな心遣いとしてちょっとした菓子や飲み物などを手作り(フードサーバーにプログラミングするということなのだが)してくれたことに対する言葉だったのだが、ディミトリには当然別の意味に捉えられた。

《そりゃそうだろうよ、こんな料理人を連れてる冒険者なんて聞いたこともねえ。ということは、だ。倒したモンスターもアレンジ料理したりしてきたのか?》

 使ったフライパンを綺麗に拭っていた玄人がぴくりとその厚い肩を反応させたが、焦らず応えた。

《あ、いや、わしらはまだ駆け出しだもんで……出会ったのはゴブリンとそのキングだけなんじゃ》

《キングとはゴブリンキングかね?!》

《はい》

《それはお前さんらでやっちまったのかい》

《はい》

 ディミトリが再び彼らの普段着としか思えない異国の服装を眺め、突然に笑い出した。

《お前さんら、変わった冒険者だな! 気に入った! 今夜の夕飯はタダ!》

《そういうあんたも変わり者だと思うぜ? 儲ける気、ねえの?》

 大牙が尋ねると、ディミトリは片目をつぶり、

《商魂たくましいドワーフを見損なうなよ、若僧。ここはあくまでわしの趣味。郊外に土地を持っとるんじゃ。そこで人を雇って物を作らせとるよ。そして金が金を生む。それでわしはここで好きな料理の研究に打ち込めるというものさ》

 逆にディミトリは聞き返してきた。

《お前さんらこそ、どうして中心街の方の宿屋にしなかった? そっちの方が依頼板(クエストボード)だの個人的な依頼の張り紙だのがわんさかあるだろうが。宿屋でさえ依頼を抱えていたりするご時世だぜ》

《そんなにたくさん依頼があるのですか? こうした大きな街は初めてなもので…》

 と龍児が伺うような口調で尋ねる。

 ディミトリはカウンター席に戻った玄人の代わりに立ち、何か手を動かしながら言った。

《依頼は腐るほどある。もちろん、冒険者の腕前次第だがな。それこそピンキリってやつよ。最近のででかいやつは、芋畑に出た超巨大なワイルドボアの群れかな。牙が8本もあったらしいぜ。その猪突猛進がすごかったらしくてな、何組のもの冒険者が大怪我さ。最後はどこぞの冒険者たちと都市連邦の衛士どもが出張って、討伐隊を組んでね。あーあ、わしもその場にいたかったぜ……それで肉を少しもらってきたかった……そんなモンスター級のボアの肉なんてなかなか手に入らん》

 結局そこにいきつくのね、と言いたげに朱音が苦笑する。

 この話を聞き、龍児は思い出したことがあった。グレイウォールに来ることがあれば、衛士隊の詰め所に寄れと言われたことをである。明日にでも行くべきか? いや、まだだ。もう少しこちらの手札を多くしていったほうがいい。

 彼はいつの間にか目の前に置かれていたエールのジョッキに少しだけ口をつけてから、言った。

《ところで、この街の冒険者ギルドには登録する必要はあるんでしょうか?》

 あるとしたら厄介だと感じていた龍児である。登録をする際に様々なステータス情報を開示しなければならないからだ。まさか自分たちは宇宙から来ました、などと記入できるはずもない。

 すると、ディミトリは龍児の思いを杞憂に帰した。

《いや、そこらへんはお前さんたち次第だ。登録した方がいいこともあるし、手数料を取られるという不都合な点もあるからな》

 内心でため息をついた龍児に変わり、朱音が豪快にエールを飲み飲み、尋ねた。

《あたしたち、ここについてすぐ、ここに来ちゃったから、ろくに街をまだ見てないの。明日、見て回ろうかと思ってるんだけど、その前になんとなく街の様子とかわかってたらわかりやすいと思うの。教えてくれないかしら?》

 ディミトリは玄人以上に厚い肩をすくめ、

《この街はちょうど八角形の城壁に囲まれてる。南北には大門が、その他の六ケ所には小さめの門が開いとる。その北東の端に衛士隊詰め所があってな、その南側に聖イグナーツと聖アウロラを崇める教会がある。この二柱はな、夫婦になる寸前で夫のイグナーツが戦死してしまい、悲しんだ妻が自らを焼き、その灰で夫を蘇らせるという奇跡を起こしたそうなんだ。蘇ったイグナーツは自己犠牲までして自分を愛してくれた妻のためにその後一生巡礼の旅に出たという。その途中で天啓を受け、イグナーツもアウロラと同様聖人となった。で、それがだんだんと世俗にまみれて、夫婦円満の神だとか、不治の病を治すだとか、ま、いくら聖人でも無理だろってことを祈りに来る連中であふれてるところになっちまった》

 とここで一息ついたディミトリは、自分もエールをぐい、と呑み、続けた。

《ど真ん中は市場区だ。その言葉の通り、この街の台所だ。その北西側が商店区。道具屋や服地店、薬草屋や高級な食堂なんかもある。この街は隣のモーヴよりも貧富の差は少ないとは思うが、金持ち連中はこの北西側か、衛士詰め所側の北東側に住んでるな。その商店区に沿うように鍛冶木工職人の集まる区域がある。ここに武器防具屋もあるぜ。お前さんら、至急防具とか仕入れた方がいいんじゃねえか? そんな布の服一枚で、ドレッドベアの一撃を凌げるかってもんよ》

 ぎこちない無言の笑顔でこの言葉をやりすごした三人を尻目に、龍児は尋ねた。

《ここへ来る道々で聞いたのですが、魔晶石というものが道具屋などで売られているそうですが、相場はどのくらいなんですか》

《魔晶石か! 悪い時期に来たなあ、お前さん方。最近、魔晶石は品薄でなあ。逆に冒険者にとっちゃ、モンスターから手に入れた魔晶石の欠片が飛ぶように売れるから金儲けになっとるらしいがね。もし店に出ていたとしても、高嶺の花だよ。お前さんらごときが買える金額じゃないことは確かだ》

 龍児の優美な曲線を描く眉がきゅ、としかめられる。

《では、自己調達しなければならないということですね》

《ま、そういうことになるわな。だが、モンスターから手に入るのは欠片だ。それを魔晶石にするには魔力を借りんとならん。それも、モンスターによって欠片の属性が違う。同じ属性のものでないと結合できん》

《先は長そうねえ……その欠片のまんまで使えるといいんだけどな……》

 とため息とともに朱音がつぶやくと、『オレンジーノ』(勝手に命名した)をすすっていた大牙が言った。

《なあ、おやっさん、その魔晶石よりすごいもんってねえのかよ? もっとこう、魔力の塊、みてえなさ》

 ディミトリは一時ナイフを扱う手を止め、

《そうだなあ……サラドンだったらあるかもな。わしは見たことはないが、魔道士が常用するポーションの原料にもなるラディウム鉱石よりも強力な魔力を秘めたブルーラディウムなるもんがあるそうだ》

《それは、ドワーフの国に?》

《そうだ。というか、ドワーフにしか採れんしろもんだ。ラディウムはドワーフ以外には毒だからな》

《なんでドワーフは平気なんだよ》

 と大牙が聞き返すと、ディミトリはやや胸をそらして応えた。

《ドワーフに魔力はない。全くないんだ。だが人間にはその量には差があるが、魔力を備えとる。ラディウムはその魔力に反応して毒素を生み出すんだが、魔道士にはそのラディウムを自分の魔力に変えられるだけの魔力があるっつうか、うーん、説明が難しいな。つまり、だ。普通の人間にはラディウムの力に負けて火傷するが、魔道士はしないってことだ。で、ドワーフには魔力がない。だからラディウムが反応する余地がないんだ。ただし、強力なブルーラディウムとなると、ドワーフでもあぶねえかもしれねえけどな》

《ふぅーん、そういうの、あるんだ》

 大牙がずずーっとジュースをすすり続けながら、何を考えているのやらわからない表情で埃のたまった天井をぼんやりと見つめている。

 すると、玄人が話題を変えた。

《都市連邦の衛士隊とはどんな組織になっとるんじゃ? 魔道士もいるようじゃったが》

 ディミトリはざくざくと野菜を切り分けながら応えた。

《その名の通りだよ、でかいの。この都市連邦の最高意思決定機関の連邦評議会に各都市から評議員が4人ずつ選ばれるわけだが、その旗下に衛士隊が配属されとる。それが各都市に派遣されとるんだ。とは言え、たいていはその都市の生まれの者を配属するようにしているようだがね。その方が士気があがるというもんだろう? ただ、魔道士に関してはちょいと事情が違う。魔道士の人口は人間の比率からすると約一割ってもんだ。だから、都合よく故郷の街に配属されるとは限らんのだ。加えて、奴らはその数の少なさとか一般人にはできない技を使えるといって、高飛車になる傾向が強い。どうにも扱いにくい人種だよ》

《じゃ、お偉いさんなんじゃの?》

《ま、偉いことは偉いんだろうけど、街にとっちゃ、彼らが守りの要みたいなもんだからなあ。頼られとるよ。冒険者はそう言う時、頼りにならんからな。なんせ、根無し草みたいなもんだ。金づくの連中も多い。おっと駆け出しの冒険者の前で話すようなことじゃなかったな。冒険者にも冒険者の生き方っつうもんがあるのはわかるぜ。確かにモンスターを狩ってくれて助かるし、冒険者のおかげで宿屋は儲かり、酒は売れる。あんたらはどんな冒険者になりたいんだ?》

 四人は顔を見合わせた。

 唯一の目的は、地球に帰ることだ。

 どんな冒険者?

 そんな疑問符が顔じゅうに出ていたのだろう。ディミトリはナイフを片手に笑った。

《変わった連中だよ、お前さんらは。ところで何晩くらい泊まっていくつもりだね? こっちもそれに合わせて仕入れたりしなくちゃならねえからな》

 再び四人は顔を見合わす。

『魔晶石を一つくらい手に入れたいわ』

『でも欠片をいくつ集めりゃいいのかもわかんねえぜ』

『それを結合させる魔道士と言うものも見つけ出さねばらない』

『ふーむ…』

 玄人は唸るように考えてから、

《とりあえず10日くらい頼みたいのう。構わんじゃろか》

 と言った。龍児が準備よく、金の入った巾着からざらっと貨幣をテーブルの上に出し、100と刻まれている貨幣を6つ選び取ってディミトリに差し出す。

 その残量をディミトリが覗き込み、彼らに言った。

《お前さんら、早速依頼をこなしていかんと、胸当て1枚買えんぞ》

《あはは、だいじょぶだいじょぶ、俺たち、強いから》

 大牙の言葉はディミトリには大言壮語としか聞こえず、「これだから若いもんは」という嘆息と共に大皿に盛られた皿をどん、と彼らの前に置いた。

《ま、夕飯にはちっと早いがよ、あんたら、今日ついたばかりなんだろ? だったら早めに食って、寝ちまえよ。本格始動は明日からにしな》

 その皿には色とりどりの野菜が雑多に盛られていた。その上にはたっぷりのチーズが削り振りかけられている。

《まあ、『シーザーサラダ』みたい》

 野菜と果物に目がない朱音は嬉々としてフォークを伸ばした。野菜は驚くほどシャキシャキとし、チーズは濃厚だった。ドレッシングは香味が効き、油自体にも風味があった。

《これ、チーズじゃん……俺、嫌い》

 と大牙はチーズがかかっていないところから野菜を引き出して食べている。すると、玄人がしらっと言った。

《さっきの肉巻きにもチーズは入ってたんだがなあ。お前のは食わず嫌いっつうんじゃ》

《なんだってぇー?!クロトの詐欺野郎! 俺はな、あんな乳の腐ったような食いもんは食いもんだとは認めねえ!》

《正確には腐ってはいないのだがな。発酵だ》

 龍児が丁寧に野菜をつまんでいると、次の皿がきた。

 今度は銘々皿である。

 マッシュポテトと茹で野菜、ここまではエルダーでも見てきた。だが、主菜を見た途端、4人の顔がそれぞれにほころんだのである。

「トンカツだわ!」

「なんでこの親父、こんなもん作るんだよ!」

「シュニッツェルとかカツレツといって欧米にもあるにはあるが…こんな異世界で?」

「オリーブオイルで揚げてあるらしい、うまいぞ」

 異国の言葉でわいわいと盛り上がった彼らに、ディミトリが困惑したような誇らしげな表情で胸を張る。

《どうだい、わしの自慢の肉料理の一つ『ルツェニプル』だ。このトマトソースをかけてもいけるぜ》

 と赤いソースの入った小さなピッチャーを彼らの前に置いた。早速龍児がかけ、一口食べる。

「まるでミラノ風カツレツだ」

 ディミトリは惜しげもなく盛られた丸いパンの籠をカウンターの上に置き、空になっていた玄人のジョッキにエールを注ぎ直しながらも、まじまじと4人を見つめ、言った。

《にしても、お前さんらがゴブリンキングをねえ……キングっていうだから手ごわかったんじゃないのか? それ以前に、根城にたくさんの手下どもがいただろう。どうやって倒したんだい? 聞かせてくれよ》

 この話題は鬼門である。だがこの状況で言い逃れできない。こういう時、いつも話し手が振られるのは龍児である。 

 仕方なく、龍児は用心深くも冒険者らしく話し出した。

《根城はすでに手薄になっていたんです。エルダーの村襲撃でだいぶ倒していましたから。その残党は簡単に掃討できました。キングはさすがにその名の通り、僕らを圧倒しましたが、クロトの大盾が僕らを守ってくれました。その間にアカネとタイガがとどめを刺したんです》

 簡潔極まりない説明に、ディミトリは拍子抜けしたらしかった。冒険者はもっと大げさに誇張して喋るのが常だったからだ。しかし、それでもドワーフの興味心は治まらず、

《大盾? そんなもんは持ってなかったよな?》

 龍児は慌てず冷静に、しかし頭の中ではどう言い抜けようかとこれまで培ってきたファンタジックな領域を駆使しながら応えた。

《僕らの武器は、その、小さく収納できる秘力が備わっているんです。いつもは装備していないように見えますが、いざ戦闘と言う時になると、召喚されるといいますか……》

 ディミトリは唖然とした顔になった。

《なんだ、お前さんたち、選ばれし勇者かなんかか?》

 ここで朱音が話に割り込んだ。

《そういうんじゃなくて、なんていうか、家宝みたいなものなのよ、ね? タイガ?》

 衛士隊にも使った言い抜けである。大牙はトンカツをむしゃむしゃとやりながら何度も頷く。

《そうそう、家宝。その家宝つながりで俺たちゃ旅に出たんだ》

《そうなんです。その家宝を受け継ぐ者は一度は世界を見て回るという試練を受けなければならない、というのが僕らの故郷でのしきたりでして……》

 龍児は口からでまかせにうんざりとなっていたが、ディミトリは意外にも神妙に聞いており、なんども「ふむふむ」と頷いたりしていたが、いきなり4人の手を順番に握り締めると、感動ひとしおといった様子で言った。

「こんな純な冒険者は初めてだぜ! それにわしの作るメシもよろこんで食ってくれるときた! わしは大いに気に入ったぜ、お前さんたちをな! 好きなだけここに逗留していけ! 宿代は金ができ次第でいい。メシ代はわしの好きに作らせてくれるつうなら、いつでもタダにしてやる! 時々はそこのでかいのにまた何かアドバイスをもらうかもしれねえがな」

《そんなによくしてもらっては…》

 と龍児が遠慮をすると、大きな掌でばん、とその肩口を叩かれた。

《このディミトリに二言はねえんだよ、眼鏡の兄ちゃん。だから黙ってデザートを食いなっ!》

 ドワーフは氷室の方に駆け込み、その手には小さく見える器にオレンジ色のシャリシャリとしたものが盛ってある。

《すぐ溶けちまうようなもんに金が払えるか、と言われ続けた代物だがよ、のど越しすうーっと吸い込まれるぜ》

 彼らはそれがソルベだとすぐにわかった。木のスプーンですくい、一口。

 朱音がにんまりとなる。

《はあぁぁぁぁ…ここに来てこんなに美味しいものを、それも生の味で食べれるなんて…!》

 大牙はほんの数口で食べてしまい、まだ半分以上残っている龍児の器を物欲しげに見ている始末。玄人は食べ終わった器をカウンターの上に戻しながら、

《ご馳走様、おやじさん。これだけの味を出せるのに、客が入らないなんてもったいない話じゃのう》

《セラドンも旧弊だが、どこの街も固定観念で固まっとるんだよ》

 とここでディミトリは意味深なことを言った。

《だが、その固定観念をお前さんたちがぶち壊すような気がしてきたよ。これは期待すべきか危惧すべきか。だが新しいものを生み出すには既存のもんをぶち壊さんとならんことがある。それを、お前さんたちがやってのけそうな気がする》

《そんな大層なことをわしらが? まさか》

 と玄人は言ったものの、別世界から舞い込んだ時点でこの世界の何かを変え始めているのではないかと、はたと気付かされた気分だった。

 まだ外は夕闇が降りてくる時間帯だったが、彼らは早々に部屋に引っこみ、明日からの本格的な調査に備えて早めに休息をとったのだった。


*****


 翌朝は目にも鮮やかな朝食から始まった。

 ロールパンのような形をしたパンを縦に切り、そこに様々な食材を挟み込んである。ポテトサラダ、ハム、ローストビーフらしきもの、玉子サラダっぽいもの、パスタを挟んだものもあった。飲み物は濃いオレンジ色のもの。聞けば、どうやら人参のジュースらしい。大牙が嫌な顔をしたが、一口飲んでみて顔色が変わった。それを見てディミトリが図にあたったような顔つきになる。

《甘いだろ》

《うん、すげー甘い》

《わしのとこの農園の赤大根(人参)の甘さは他のどこのやつのとも群を抜いとると自負しとるよ》

 結局パンもジュースもすべて平らげてから、彼らは明るい気分で街の調査に出かけたのである。

「さて、どこから手を付けようか」

 と龍児がコムパッドを片手に尋ねる。

「そうねえ…教会の方からぐるっと回ってみる?」

 という朱音の提案に別段反対する者はいなかった。

 彼らは東側に方向を向け、てくてくと、気楽な気分で歩き出した。それほど、今朝はすがすがしく、自分たちがどういう状況に置かれているかということさえ失念させてしまうような朝日が照らしていたのである。昨日は薄汚いと思った裏通りも、生き生きとして見え、狭い通り越しに頭上から聞こえる大声の女たちの会話もかしましくも楽しげだった。

 しばらく歩くと、住居はまばらになり、背の高い灰色の壁が見えてきた。それはぐるっと何かを取り囲んでいるようで、その壁にそって行くと、青銅のドームに真鍮色の屋根をしたこじんまりとした建物が見えてきた。

「あれが教会なのね。意外に質素」

 世界各地を見てき、はては宇宙の知的生命体の宗教にも触れてきた彼らである。だからこの世界の宗教建築のあっけなさにやや驚いたのである。

「十字架みたいなのもないのね。ファサードもないし、扉もただの木の扉だし」

「宗教観の違いなんじゃないのか? 別に神の家が派手である必要はない」

 と龍児が言い、建物の隙間から奥を伺う。

「壁で仕切られているのはこの裏に墓地があるからだ。土葬か。これがファンタジーゲームなら夜な夜なアンデッドがうろつくんだがな」

「そういう依頼はないかしら」

 と、朱音が龍児のひそかなわくわく感を内心で笑いながら、教会の入り口にある掲示板のところに向かった。

 そこには薄い板に依頼事を書き込んだものが釘で打ち付けられていた。上手な字もあったが、下手くそな字も多く、龍児は読み解くのに頭を絞らねばならなかった。

「アンデッドはどうやら出没していないみたいだけど、墓荒らしはいるみたいだね。教会がその討伐ないしは捕縛を依頼してる。墓石の切り出しの護衛を依頼してる人もいるよ。なんでも、近くにグリフォンの巣があるらしくて、なかなか採掘に行けない場所のようだ。あ、でもこれはギルドに登録してないと受けられないみたいだ。聖イグナーツの復活祭用の卵の殻を欲しがっている依頼もある。目立ちたいらしくて、特大のをと指定してる。特大の卵って、ドラゴンか?コカトリスか?」

「ちょっと冒険者っぽくなってきたじゃねえかっ! じゃんじゃんやっちまおうぜ!」

 龍児と違い、情動がそのまま言動に出る大牙は、まるで子供がおもちゃをもらった時のような様子で立て看板の前で小躍りしている。それを止めるように玄人が言った。

「まだ街の様子もわからないし、ましてや街の外となれば、五里霧中もいいところじゃ。まずは調査探索が先決じゃ」

「うーっ、なんか動きたくって仕方ねえんだよっ! あのキングくらいじゃ物足んねえっ!」

「わかった、わかったから暴れまくるためにも、下調べしましょ」

 まるで子供をあやすような口ぶりで朱音は言うと、変わった四人組を好奇の眼差しで見ていく参拝者たちの間からすり抜けるようにして教会をあとにした。

「ヨーロッパの城塞都市みたいだな…この細い路地、連なる建物、揃いのオレンジ色の瓦屋根…」

 と龍児がつぶやく。そして何か考え込んでいたかと思うと、独り言のように続けた。

「……もしかすると、過去にもこうやって異次元移動をした人がいるんじゃないだろうか……」

「どういうこと?」

 朱音がコムパッドの中のマップが出来上がっていくのを確認しながら聞き返した。

 龍児は自分の考えの中から顔を上げるように朱音を見、眼鏡の位置を直しながら言った。

「いや、なに、僕、よくファンタジーものの小説とかゲームとかやるだろう? そういう世界って、その作者の想像が生んだものだと思っていたわけだけれど、今こうして、そのまさにファンタジー世界が広がっているのだと思ったら、その作者という人たちも、異次元トリップをして、こういう世界を垣間見たんじゃないかって。そこで経験したことを地球に戻ってただ書き記しただけなんじゃないかって考えてみただけさ」

「そうなると」

 と玄人が言葉を挟んだ。

「その個人個人がわしらみたいにワープエンジンやら戦艦やらを持っていたわけやないから、移動した先にも戻る「抜け道」か「出入り口」があるってことにならんじゃろか」

「そのことだよ、クロト。僕たちは空間の歪みに飲まれてここに来てしまったけれど、歪んでいたにせよ、ここへ来るような「道」があったと推測しても的外れでもないと思うんだ。宇宙に時折現れる「ワンダーホール」みたいなものさ。もちろんその「ホール」の先にどんな宙域が広がっているかは行ってみないとわからないけれど、この世界に縛られるよりかはましだと思うんだ」

「たとえこの世界にそういう次元の歪みがあったとしてもよ、ファンロンが飛べないとどうにもならないんじゃない?」

 朱音があちこちにコムパッドを向け、スキャンさせながら言った。龍児は肩をすくめ、

「そうなんだけどね。それにこれはあくまで僕個人の推測でしかないし。あるかないかわからない次元の歪みを探すより、ファンロンのエネルギーを手に入れて、早急に(そら)に戻る方が早い気はする」

 そんなことを話しているうちに、街の雰囲気が変わってきていた。一般住宅が多かった区画から、いきなり広場に出たのである。その中央に一際大きく両翼を備えたような建築物が建っていて目を引く。飾り気はない。窓は小さく、壁の白さが目立つ。その両翼に囲まれるようにして、こじんまりとした建物が軒を連ねているのが伺えた。

「あ、ここが衛士隊の詰め所みたいよ。ほら、あそこ、鎧着た人が門番してる」

 朱音が目ざとく、その両翼を持った建物の入り口らしきところに立つ兵士を見つけていた。

 四人の胸のうちに、似たような考えが去来する。あの村で出会った衛士隊の人物に会うべきかどうか、という問題である。

 そこは長くチームを組んできただけあって、目顔だけで彼らの意思は決まっていた。今はまだ尚早だと。

 彼らは素知らぬ顔で詰め所の前を通り過ぎ、そこにもあった掲示板を確認してみることにした。

 先ほどの教会よりも、中心地に近いせいか、あるいは詰め所の傍に冒険者ギルトがあるせいなのか、彼らのほかにも掲示板に打ち付けられた依頼の札を覗き込む者たちが多くいた。

「へえっ、冒険者ってこういうかっこをするもんなのか」

 と大牙が、周囲にいる者たちの姿を見、何とも言い難い口調で言った。

「こんな重いもん来て、動けるのかよ、ほんとに」

「普通はこういうのを着てないと敵の攻撃を防げないのよ。あたしたちとは違うの」

 朱音がこそこそとたしなめたが、大牙はどこ吹く風で傍若無人に周囲を見回し、

「でも、あの兜の飾りはかっけーな。あの脛当てのきらきらもかっけー」

 自分たちのパワースーツにごてごてとプロテクターがついた姿を想像した朱音は、ごめんだと言いたげに首を振り、

「あんた、何とかっていう昔のアニメの見過ぎじゃない?」

 と言ってやると、大牙はぷうっと頬を膨らませつつ、ポケットから『スニッパーズ』を取り出し、むしゃむしゃと食べながら言い返した。

「『聖闘士銀河』をディスるやつぁ、許せねえぜ。あの熱さはほんと、燃えるぜ」

「……ばか」

 朱音はそんな大牙を放置し、自分なりの目で周囲に気を配った。

 確かに皆、種類は様々だったが、武装し、鎧や各種の防具を身に着けている。顔に傷跡がある者や、鎧にこれまでの戦いでついた傷や凹みがあったりする。女性の姿も少なくなかった。この世界では男女の別なく冒険者という者になれるのだと思う。

 その中の一人が掲示板に打ち付けられた薄板をべりっと引きはがしていった。つまり、その依頼をこなすつもりなのだ。ああやって請け負うのね、と考えていると、隣から視線を感じ、そちらを見た。

 自分より10センチ以上は背が高い。背中にとても幅広の大剣を背負い、鎧は比較的ぴかぴかとしていた。兜はかぶっておらず、嫌味なほどきらきらとした金髪をしている。

《君も冒険者?》

 いきなり話しかけられ、朱音は戸惑ったが、頷いた。

《ええ、そうよ》

 すると、その男はじろじろと朱音のシャツとショートパンツ姿を眺め、最後に失笑をこぼした。

《君なら、ここのクエストボードじゃなくて、市場区か商店区のところに行ったほうがよくないかい? そこなら簡単な収集依頼とかばかりだから》

 最初はどういうつもりでこんなことを言ってきたのか理解できなかった朱音だったが、つまり、自分の力量ではそれくらいが妥当だと値踏みされたと気づき、思わず『炎舞扇』を閃かせてその高い鼻先から血でも滴らせてやりたいと思ったところに、龍児のひんやりとした指先がカッカとしていた朱音の手首をとったので、衝動的な行動に出ることはなかった。

 半ば龍児に引っ張られるようにしてその掲示板の前から立ち退いた朱音は、その嫌味な冒険者を睨みつけることを忘れなかった。

「アカネ、落ち着けよ。名声が上がれば増長する冒険者も多いんだ。それに、僕らの格好はまるで冒険者らしくないんだからね」

「あたし、上から目線てやつされると、むかっとくるのよね。ボスだってそんなふうにあたしたちにしてこないのに」

「ボスが特別なんじゃないかのう。他の支部の話をたまに聞くが、結構高飛車な幹部もいるっていう話じゃがの」

 と玄人が現実的に話す。そんな二人を見、朱音は肩でため息をついた。

「あたしもタイガじゃないけど、ストレス溜まってるのかしら。一日が過ぎるのが早くて、そのくせ、情報量は少ないでしょ。それだけファンロンのエネルギーがどんどん減ってるかと思うと、焦っちゃうっていうかね…」

「へえっ、お前の鳥頭でもそんなこと考えてるんだ」

 と大牙がチョコバーの最後の一口を口の中でもぐもぐとやりながら言った。

「ちょっと、鳥頭はないでしょ、あんたこそそのツンツン頭の中、食い気以外はからっぽのくせに」

「けっ、それだけ俺様の脳みそはフル回転してるってことよ。だからエネルギー源が必要になるってわけ。だけどよ、アカネ、そういう時はよ、信じるんだよ、自分をな。それと仲間をな。信じてればぜってー道は開ける。信じられなくなったら終わりさ、だろ? 一歩が踏み出せねえ、戦いの時に躊躇いが出る、ちゃんとした状況判断ができなくなる」

 朱音は豆粒をくらった、まさに鳥のような顔になって大牙を見た。

「あんたにしちゃ随分考えたことを言うのね」

「俺を馬鹿扱いするな」

「でも馬鹿は馬鹿じゃない」

 いつもの朱音に戻っているのを、龍児と玄人はホッとしたような様子で見守っていたが、さらに人混みが多くなっている一角の手前で足を止めた。

「あそこが冒険者ギルドだ」

「すごいのねえ、冒険者の数って」

 という朱音の素直な感想に、龍児は今もすぐ脇を革鎧のにおいをさせて通り過ぎていく一団を見送りながら応えた。

「それだけこの都市が繁栄しているということだよ。人の流れがあるところに物も集まる」

「それで、登録とかはしないでええんか?」

 と玄人が尋ねる。龍児は首を振り、

「それはしない方が良いと思うんだ。たぶん、色々と僕らのステータスを尋ねてくるだろうし、登録すれば管理される側になってしまって、こちらから正体を露呈することにすらなりかねない。それに僕らは別に名声が欲しいわけでもないしね。「冒険者」の肩書はあくまでこの世界での隠れ蓑でしかないんだし」

「規則とかに縛られるのはごめんだぜ」

 大牙が肩をすくめて言う。

「フリーの冒険者もいるみたいだし、このままで問題ないと思うよ。でもちょっと掲示板を見てこようかな。周辺の状況をはかるにも役立つからね」

 と、龍児を先頭に彼らはギルドの中に入った。中は人々の熱気でむんむんとしていた。それだけではない。甲冑や皮のにおい、体臭、そんなものが長い間に染み込んだような空気がそこに充満していた。

 そこそこに広い室内にはカウンターが設けられ、数人のギルドの職員らしい者たちが冒険者相手に早口で会話している。戦利品の買取もしているらしく、巨大な牙だの爪だのをカウンターにざらりとさらけ出している者もいた。

 二階へと上がる階段もあり、おそらく宿の機能もしているのだろうと龍児は推測した。

 すると、先ほど朱音を見下した冒険者がゆうゆうと入ってくるのが見えたので、そっと伺っていると、カウンターに近づき、何やら話し始めた。職員の態度からしても名うての冒険者なのだと判断できる。周囲の冒険者たちもその者が誰か知っているのか、ひそひそと囁き合ったりしている。ネットゲームの世界でも自分の強さを誇示するプレイヤーはたくさん見てきたので、こうして実際に出会ってみると、どこの世界でも人の行いや情感は同じなのだと感じた龍児だった。

 掲示板に視線を戻す。

「穀倉地帯に出没する巨大イナゴの巣の発見と掃討、家畜を荒らす未確認の魔物の正体とその討伐、モーヴへのキャラバンの護衛任務、ここでもグリフォンの巣の排除の依頼があるね。この街のそばの山沿いにピクシーが住み着いて近くの村に悪戯を仕掛けているからどうにかしてほしいというもある。ここのクエストはきりがないね。下の方になってしまって読めないものもたくさんあるよ」

「ここ、息苦しくて仕方ないわ! 出ましょ! あのいけ好かないやつもいるし!」

 確かに女性の朱音にはきついにおいで満ちていたかもしれない。龍児は苦笑し、彼女の言う通りに外へ出た。

「ふう~、ここの人たち、お風呂に入るっていう気はないの?!」

「地球だって大昔は風呂なんか入らなかったんじゃ。せいぜい水浴びじゃな。湯に浸かっていたのは一部の人種じゃ」

 と深呼吸を繰り返す朱音に、玄人が諭すように言う。

「でもあのにおいは公害レベルだわ!」

 朱音が息巻くのをよそに、大牙の意識は一点に集中していた。そして一言。

「なあ、腹減らねえ?」

 大牙の大食漢は慣れっこである。そしてそれを止めようがないのもわかりきっている三人だった。それに朱音も何か食べて先ほどのギルドの中のにおいの余韻を消したかった。

珍しく意見の一致を見た二人の様子を面白がるように、他の二人は迷いのない足取りで食堂を目指す大牙たちのあとに従うのだった。


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