『ここは、どこだ』
腕が痛んだ。とても。いや、それ以外の場所もすべてだ。
それで意識が現実に戻った。が、彼は視野がぼやけていることに気付き、習慣的になっている仕草で眼鏡を探そうとした。それが奇跡的に無傷で目の前のコンソールパネルの際に押しやられていたのを見つけ、ほっとなった。とはいえ、極度の近視の彼にも現況が全く楽観視できないことくらいはわかった。それは、眼鏡をかけ、はっきりとした視界で見ると余計に強まった。というのも、コクピット内が相当に破損していること、自分がパワースーツを装着していないことなどからも、ダイジンオーのシステムの損傷が激しいのではないかという推測と、あの時の戦いが壮絶であったことが今さらながらに思い起こされたのである。
周囲を見れば、仲間たちがコンソールパネルに突っ伏したような体勢でいまだ意識を取り戻していないこともわかった。
とりあえず仲間たちの意識を取り戻さんと、青山龍児は全身打撲傷を負ったかのような痛みを感じながらも、セーフティの留具を外した。
久しぶりの自らの体重を感じながら、長い青みがかったような黒髪を翻して、手近にいた亀梨玄人の、ぐったりとした肩を揺さぶる。
「おい、クロト、おい、起きろ」
切れ長の目をし、どことなく中性的な面差しをしている龍児だったが、その声音は低く、冷静だった。
何度か名前を呼ぶと、その本人が意識を取り戻した。そして自分と同様、今の状況把握に努力しているようだった。
他のメンバーたちにも声をかけて回った龍児は、玄人がシステムを復帰させようとしているのに気付き、肩をすくめた。
「スーツが消えている以上、そのシステムもダメになっている可能性が高いと思うよ」
「だから身体中が痛いのね? ああもう、それにこのめちゃくちゃぶりはどういうこと?」
と、鳳朱音がトレードマークの紅い髪をぼさぼさにしたまま、マイクロショート丈のデニムパンツとぴったりとしたシャツ姿で不平をこぼした。
「仕方ねえだろ? 最後はぎりぎりだったんだからさ、悔しいけど」
とさも無念と言ったのは、白井大牙だ。綺麗に染め上げた銀髪が印象的な青年である。だが身長は朱音より一回り低い。
「でもあと少しだったじゃない。万魔大宮殿まで肉薄して、四天王のコントン、トウテツ、キュウキ、トウキを全員倒したと思ったら、妲己の奴が虫の息で宮殿の自爆シーケンスを作動させるなんて、卑怯よ」
「卑怯とか言う問題ではないんじゃがのぅ……」
と玄人が朱音の激憤をおさめるような口調で言う。
「あの自爆に完全に巻き込まれなかっただけ……って、ボスは?!」
四人は初めてここで気付いた。
彼らを最後まで見捨てずに待機し続けてくれた、彼らの司令官であるキリル・リムスキーはいずこに?
四人は足元に90度移動しているコクピット口から、なんの疑いもなく外へと飛び降りていた。
だが幸運にも肺に入ってきたのは普通の酸素だった。風景も、どこかの山地のような感じだった。近くに都市や人家があるようには思われなかった。
四人はその時、自分たちが乗っていたダイジンオーが激しく損傷していることを知った。
「腕がない……それに脚も……これじゃシステムが動くはずもないのぅ…」
玄人が愕然と呟く。そんな彼の肩をぽんと叩いた龍児が落ちついた物腰で言った。
「僕らが無事だっただけでもよかったと思わなくては。ダイジンオーが助けてくれたと思おうよ。でもとにかく今はボスの所在を探さなくては」
四人は何とか「生きて」いたスキャナを片手に、四方に散って辺りを探索した。ダイジンオーがあそこに不時着しているならば、その母艦である時空戦艦ファンロンも近くにあるはずだった。だが誰もが、最悪のことを考えまいとして、それがうまくいかないでいた。
彼らの司令官であるキリル・リムスキーは、四人のようにパワースーツを着用しての戦闘には参加しない普通の人間だった。ダイジンオーをあそこまで損傷させる威力のあった万魔宮殿の自爆の威力に、たとえプロテクトシールドを完備している艦とは言え、どこまで耐えうるかということなのである。そしてここに落ちた衝撃である。
「あ、ファンロンのエネルギー源をキャッチしたわ! あたしのいる座標から5キロほど先よ」
朱音からの音声通信がほかの三人に届く。それぞれに安堵の反応が返ってくる。
「エネルギー反応があるってことは、ボスも船も生きてるってことなんだよな」
と大牙がすでに方向転換をし、灌木の続くなだらかな勾配の山間部の斜面を小走りに走りながら尋ねる。
「だと思うわ。きっとあたしたちの所在を捉えようとしていると思う」
「ならばこちらから連絡をつけたらどうだ」
龍児が的確な指摘をした。しかし朱音はため息を返し、
「とっくにしたわよ。でもね、船のエネルギーが弱いのか、コミュニケータが壊れているのかわからないけど、できないみたい」
「じゃ、わしらが行くしかないのぅ」
と玄人が簡潔な回答を導き出す。他の者たちに否やはなかった。
彼らの脚で約半時間あまり、馴れない山間部の道なき道を走り、駆け抜けたところに、彼らの母艦があった。
だがやはり想像通り、それも無事とは言えない状態にあった。ながながとついた地面を削り取った痕が痛々しく、そのまま重力制御できずに横転したらしく、左翼が破損して停止している。
メインゲートは開いたままになっていたので、彼らは一目散に駆け込み、キリルの所在を確認しに向かった。
はたして、彼はメインデッキで、必死にコンソール盤とビューアに向き合い、忙しなくデータ入力をしているところだった。
「ボス!!」
四人の声で、キリルはその混じりけのないウェーブした金髪の頭を振り向け、それまで深刻に煙っていた表情を初めて明るいものに変えた。
「無事にいることは船のコンピュータで知っていたのだが、どこか不具合があるようでね、双方向の連絡をとることができずにいた。すまなかったな」
キリル・リムスキー。彼は通称『麒麟』と呼ばれる、一種の強化人間の秘密工作員をまとめあげる組織の幹部の一人である。そして、彼が直接統率しているのが、ここに揃った『玄武』『青龍』『朱雀』『白虎』というコードネームで通る四神戦隊レイジュウジャーの四人の若者なのである。
『白虎』、つまり白井大牙が艦の後部にある艦長室兼会議室兼談話室にあるフードサーバーに向かっていたが、それをキリルが見咎め、首を振って言った。
「今は使えないよ、タイガ。メインエンジンも稼働しないのだ。おそらく、あの自爆の衝撃波に対するプロテクトシールドのレベルを最大に引き出したせいもあるのだろうが、とにかく、今は故障個所だらけだ」
すると、『朱雀』鳳朱音が、その男前な性格にもかかわらず気遣いを垣間見せて言った。
「ボス、どこか怪我などされなかったんですか?」
キリルは、この男勝りで熱血漢の女性が、実はとても気のつく、最も仲間思いであることを見抜いていたので、心からその思いやりを受け止めるように応えた。
「幸運にも軽い打撲傷程度で済んだよ。外宇宙用防護服も着用していたが、あの衝撃波が船に到達する際に、ダイジンオーごとプロテクトシールドで覆うのと同時に私の生命維持を図るためのシステムも発動されていたらしくてね。あの衝撃波がきた時、私は緩衝材バブルの中にいた。まあ、そのことも艦のエネルギーを余計に使用してしまったことに繋がっているのだろうし、こうして、『ジルコン』も全く稼働していない」
と、ひとまず置いた、というように、人工知能を搭載するオウムを模したドロイドが動きを止めている。これはキリルの司令官としての指揮、判断を仰ぐのに重要な相棒であった。
「まずはボスが無事でいて下さっただけで十分です」
と『青龍』青山龍児が、眼鏡の位置を直しながら、淡泊ながらも安堵感を隠しきれない口調で言った。
すると、『玄武』亀梨玄人が、メインビューアに映し出されている地図のごときものを見上げ、首を傾げた。
「船のメインコンピュータは無事だったんじゃのぅ? にしても、これは、なんじゃろか?」
この疑問符に、他の三人もビューアに視線を向ける。そして一様に不思議な顔つきになる。
これに対し、キリルは重いため息を返して応えた。
「私にもすぐには信じられなかったのだがね。これはおそらく、この場所の大陸図だ。ここに落下する際にコンピュータが記録していたらしい」
「へ?」
「どういうこと? ここは地球じゃないの?」
「つまり、ここはどこか別の惑星ということなのですか?」
「なぜこんなところにわしらが?」
四人はそれぞれ驚きの表情でビューアに見入っている。キリルはその画面をズームインさせ、コンピュータが細かなデータの羅列をはじき出すに任せながら今までにわかったことを説明した。
「おそらくあの衝撃波がおおもとの原因だろうと思う。それに様々なファクター、亜空間や次元の接続面、要塞自体の引力やそれに反する力場、磁場、そして我々のプロテクトシールドの周波数やワープエンジンとの相互作用、挙げればきりがないが、とにかくそういったことが作用して、どうやらこういうことに陥ったと考えている」
「まじで?! じゃ、俺たち、異次元に飛ばされちまったってことなのかよ?」
大牙が大袈裟な身振りを添えて言った。これに続けて対照的に冷静な態度で龍児はキリルに向けて尋ねた。
「ここから戻る手立てはあるんですか、ボス」
核心をついた問いに、キリルは肩を落として首を振った。
「残念ながら今の段階では皆無だと応えるしかない。まず、この船のエネルギー残量がわずかしかないということ。ワープエンジンが停止していること。そして、たとえワープ航行が可能になったとしても、ここがどこの宙域で、我々の宙域とどのくらい離れているかが判明しなければ、我々はこの場所に囚われの身だ」
「ダイジンオーの動力を使っても足りんのじゃろか?」
と、玄人が提案をしたが、キリルは悲観的に応えた。
「君たちの生存は確認していたし、ダイジンオーの状況も認識している。ダイジンオーの動力炉は半ば溶解している。エネルギーを引き出すことは不可能だ。だが、損傷箇所の少ない、頭部、腰部の『朱雀王』と『玄武王』の使用はできそうではあるが、やはり現状ではエネルギー不足と言っていい」
「八方ふさがりじゃねえか!」
大牙が誰もいない誰かに向かって拳をたたきつけるようにして言った。
そこでキリルはメインビューアに映し出されているものを示した。
「そこでだ、これを見てくれ。ここからおよそ10キロ先のこの山の麓に、村落のようなものがあるのだ。スキャン結果からすると、どうやら人型の生命体が住んでいるようだ。どの程度の文化レベルかはわからない。しかし、集落を築くほどなのだから、社会性を持っていることはわかる。まずはここを手始めに、我々が今後何をし、何をすべきかを探っていこうと考えている。とりあえずは携帯食でもたせるつもりだが、長引くようなら現地調達するしかあるまい。なるべく早急にフードサーバーは復旧させるつもりではいるがね」
「マジっすか?! ずっと携帯食……うんざり」
「こんな時まで食い気が先なわけ?」
と、自分たちが置かれた状況の重大性に気づいていないような発言をした大牙に、朱音は批判と皮肉をこめて言い返した。そしてそんな子供じみた仲間など知らないと言いたげにぷい、と視線をキリルに向け、
「もしそこでなんらかの生命体とコンタクトできたとしても、コミュニケーションはどうするんです? ここはどこともわからない星なんでしょう?」
キリルは頷き、
「そのことは私も悩んでいるところだ。コミュニケータに翻訳学習機能を追加し、先方のコミュニケーションを取り込んで、語彙や文法を記憶させ、それを君たちに伝達するというくらいしか考えつかん」
「コミュニケーションもそうですが、もしここに経済観念があるとすれば、通貨が存在しているはずです。食料の調達にせよ、何にせよ、僕らが何も持っていないというのは不自然に映るでしょう」
と、龍児が眼鏡の位置を直しながら指摘する。するとこの意見に頷きながら玄人がさらなる指摘をする。
「外部との接触も重要じゃが、このファンロンの故障箇所の修理も課題だと思うのぅ。まずはエネルギー源の確保じゃないかのぅ」
キリルは目頭を押さえるような仕草をし、太くため息をついた。
「そうなのだ。エネルギー源。これをどうするかで、私は行き詰まっているのだよ」
彼はキャプテンズシートに座ると、放心したかのように空を見つめた。
「この船もダイジンオーもだが、その動力源は五行エレメントを用いた五行機構だ。その各エレメントをどう調達するか、それが難題なのだ。我々の科学力ならばそれは可能だ。だがここでは? はたしてエレメントは存在するのか? たとえあったとしても、それを抽出するだけの科学力があるのか?」
誰もがその事実の重大性に言葉を失った。背後からひたひたと深刻な暗闇が迫り来るような心地になった。
と、その時。
きゅーぐるぐる。
その場違いな音は、玄人から聞こえた。
ハッとしたように彼は自分の腹を押さえたが、またもそこから音が鳴った。
ぐー、きゅるきゅる。
朱音がぷっと吹き出す。大牙は自分の腹を触り、龍児は呆れたようにため息をついた。
「えーっと、これは、あの、すまんのぅ…こんな大変な時に…」
キリルは微笑んで赤くなった玄人を見、心持ちを切り替えるように言った。
「考えてみれば、あの戦いに臨んでから何も食べていなかったな。まずは目先のことから一つずつ取り組んでいこう。とりあえずは我々の腹を満たすことだ」
「待ってました! あ、でもフードサーバーは使えないんだっけ…」
大牙が飛び上がって喜びかけながら、すぐにがっかりとなるのを、馬鹿にしきった眼差しで朱音が見、
「携帯食があるだけましだと思いなさいよ。でなけりゃ、このどこかもわからない場所で食べ物探しをしなけりゃならなかったんだから」
「食べ物なんかな、そこいらの山ん中入りゃ、きっと腐るほどあらぁ」
あまりの楽観論に朱音がさじを投げ、壁面パネルを開けてパウチされた携帯食をそれぞれに配る。そしてその封を切りながら、早速硬いショートブレットのような携帯食をぼりぼりとやる大牙に続ける。
「でもほんとにそうなるかもね。携帯食のストックもたいしてないわ」
「まかしとけ。モンスターハントはお手のものだぜ」
「得体の知れないものはごめんだぞ」
と、龍児が大牙とは対照的な食べ方で携帯食を咀嚼しながら意見した。すると大牙はいい気になったような態度で、龍児のとりすました顔をのぞきこみ、
「爬虫類はなかなかうまいって話だぜ? え? 共食いはいやか?」
これに対し、龍児は剣呑極まりない視線を浴びせたが、大牙は馴れたもので、今度は玄人に矛先を向け、
「亀ってのはうまいかな? 蟹ならうまいんだがなあ」
「お前な、黙っていられないんか?」
玄人が嘆息と共に言う。朱音が肩をすくめて、
「どうせあたしはフライドチキンにでもしたいんでしょ。ほんと、あんたって、食欲魔人ね」
「腹が減ってちゃ戦はできないってやつだろ」
「いつもはらぺこじゃない」
「それだけ全力で戦ってるって証拠」
「その割にはキュウキ相手に苦戦していたじゃない。リュウがあの一撃を引き受けてくれなかったら、あんた、胴体からそのおバカな頭が離れてたわよ」
「う、うるせえ! 別にリュウが助けに来なくたってな、俺様の素早い一撃がキュウキの野郎のどてっぱらに一発お見舞いしてやってたさ」
やいのやいのと騒ぎながら携帯食をかじる四人の若者を見つめていたキリルは、解決の糸口の見えない諸問題からわずかの時間ながら心を離すことができた。そして同時に、どうあってもこの部下であり、今では親愛の情さえ抱くようになっていた若者たちを必ず故郷に戻さねばならないと、固く心に誓ってもいた。それが自らの責務でもあり、願いでもあった。
こうして、彼らはこのどこともわからない未知の世界への第一歩を踏み出すことになるのである。