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“K”iller  作者: YOHANE
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名前?

Kは改めて少女と向き合った。何も分かっていない無垢な顔が苛立ちを誘う。

「名前、どうしても言えないのか?」

「駄目って…。怒られるもん」

困ったように少女は俯く。

両親に怒られた経験があるのか、それともきつく躾けられたのか、目を潤ませる。すぐ感情が表に出るのは分りやすいが、こうまではっきり困った顔をされるとこちらも困っているような気がしてくる。

一度深呼吸をして気を治めてからもう一度聞いた。


「両親には言わない。俺にだけ教えてくれるか?」

極力優しく言った。けれど相変わらず眉間にしわが寄っているし、声も硬かったので、ただゆっくりと言葉を発したことにしかならなっていなかった。

「ほんとう?」

けれど少女は躊躇いがちにKを覗き込む。

「あぁ」

言う相手はもうこの世にはいない。死後の世界ですら、俺とあの夫婦が会うことは無いだろう。

世間一般には許されず、非人道的な事をしている自分を自嘲した。

榊原も決して褒められる生き方をしたわけではないが、暗殺者ほどではない。殺した人の数も苦しめた人の数もKの方が圧倒的に勝っている。


少女は背伸びをして耳を貸すように促す。Kは仕方なく身を屈めてやった。

「あのね、アイラっていうの」

こっしょっと言った。

「アイラ?」

日本人には珍しい名前だ。声が大きかったのか、すかさずアイラはシーっと口の前で指を立てた。

「榊原、アイラ?」

まわりには誰もいないと知りつつも先程より声を抑えて確認した。

「うん」

名前を呼ばれて嬉しいのか、にっこりと彼女は頷いた。

それを眼の端で捉えながら確信しする。アイラは先刻殺した夫妻の娘に間違いない。

厄介なことだ。Kは盛大な溜息をついて眉間を押さえた。

ここでこの娘を殺すのは理念に反するが、姿を見られた以上生かしておくのはやはり危険かもしれない。

殺す理由も、殺さない理由もある。どちらを優先するか迷っている自分に困惑した。

裏の世界では一瞬の迷いでも命に関わると分っているのに。


「あの…お兄さまは?」

「何か?」

いろいろ考えていた時にそれを遮断され、思わずきつく聞き返してしまうと、アイラは口ごもりながら続けた。

「…お名前……」

あぁ、とKは頷く。

まだ名乗ってもいなかった。そう言えば何度か名前の事や怪我をしているのかと聞かれていたような気がするが、考えに集中していてすべて無視してしまっていた。


「俺に名前は……」

「?」

名前が無いなんておかしな話だ。自分が普通じゃない事を教えるようなもの。

いくら小さくて閉鎖的な家で育ったアイラでさえそれくらいのことには気づくだろう。

「……、K…」

少し間を空けて考えた後、Kは口にした。名前と言われて浮かぶのは暗殺者としてのコードネームのみで仮名も咄嗟には浮かんでこなかった。

「け…?」

「K」

聞き取れなかったらしく、もう一度Kは言った。

「ケイお兄さまね!」

分ったと言わんばかりに笑顔を見せて、アイラは笑った。

“K”と“ケイ”では少し違う気もするが、そこは敢えて否定せずに別の指摘をすることにした。

「お兄さまは要らない…」

そんな紳士キャラではないし、落ち着かない。もっとも、少女からそう呼ばれる所以は無い。教養あってのこそだろうが、自分にそこまで気を回す必要はない。


「ケイ、はどうしてここにいるの?」

唐突な質問にKははっとする。最初にその質問を流したのでもう触れられることはないと思っていた。

少女の疑問は当然のものなのだが、もちろん正直に答える訳にもいかず、Kは押し黙った。

「ケイ?」

それを不思議そうに見つめてくる瞳は無垢。汚れを知らず、きっと大切に守られてきた証。

同じく裏社会の籠の中で育ってきたというのに、環境の違いではこうも何も知らずに生きてこられるのか。それは無知だと蔑みたくも幸せなことだと笑ってやりたくもなる。

両親が殺されたと知ったら、この瞳はどんな揺らぎを見せるだろうか?例外なく憎しみや悲しみに染まるのだろうか。

それを確かめるのも一興かもしれない。フっと笑みが漏れ、口の端が不敵に上がった。


「お前を、迎えに…」

「わたしを?」

「あぁ」

首をかしげて確認を取るアイラをKは何となく直視できないでいた。嘘を吐くことへの後ろめたさと、自分が言った事への驚きが混乱を起こす。


「どこにいくの?いま?お父様とお母様は?」

「――今すぐ。俺と二人だ」

Kは少女の腕をとった。そしてアイラを真っすぐに見つめる。

「行先は知る必要はない」

冷たく暗い色の瞳に支配されて、アイラは何も言う事が出来なかった。ただ手を引かれるままについていった。

戸惑うアイラをよそにKは出口を目指す。

近くの窓から飛び降りてもよいが、それでもしアイラに叫ばれでもすれば暗殺の意味がなくなる。


Kの手にさっきまでの不快なぬめりは無い。その約半分はアイラの手首に付着して、今は乾いてカサっとしていて擦れる度にぱらぱらと落ちる。色も鮮やかな赤から赤紫に変色している。


彼女の一歩前を行くKの闇色の髪はわずかに靡いていて、自分の毛先の丸まった髪を見てそれが羨ましくなり触ってみたい衝動に駆られたが、今はKについていくことで精いっぱいだ。


足音は1人分。アイラの躓きそうな不規則な足音。

無音歩行に慣れているKにはとても耳障りな音でもあった。さらに浅く息を吐く音まで混じり始めている。

明らかに運動不足の幼い少女と訓練を受けている自分との体力の差は承知しているが、やはり思い通りに進まないとペースを乱されてしまう。

「…くそっ」

少女を引っ張る方の腕には重さがかかる。

自分の歩く速さについて来れていないアイラ。しかしそのペースもKにとっては充分ゆっくりな速度で、十分苛々させられている。これ以上たらたら歩くことなど考えられない。

仕方なくKはおろおろするアイラに構わず荷物のように横抱きにした。

「ケイ、怖いよ…」

びっくりして目を見開きながらアイラが身じろぐ。

「大人しくしてろ。落っこちるぞ」

Kがそう言うとアイラは動きを止めた。子供にしては聞き分けが良いのかもしれない。

好都合でもあるが、こう反抗がないのもやりにくい。癇に障る事をすればすぐにでも殴って大人しくさせるし、殺す理由にもなるのだが。

現状はどちらの理由もないので、不本意だがこのまま連れ去ることになりそうだ。


Kとアイラは人知れず榊原邸を後にした。

一生戻ることはないだろう我が家をアイラは振り返ることすらせずに連れ去られていく。



これからアイラが見る世界は決して穏やかなものばかりではない。

むしろ広いようで狭い世界のさらに影の差す部分に巣くうKが見せる世界は暗く厳しいものであることなど、不安交じりの期待を膨らませるアイラに知る由は無い。



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