もうひとつの取り引き
「今回も、いい記憶は手に入ったか?イカれ記憶屋。」
記憶屋が熊野の記憶を買い取って数日が経った頃、設楽がallagiにやってきた。
「えぇ。きっと設楽様に気に入って戴ける極上の記憶を手に入れまして。」
そう言って、記憶屋は設楽にロッキングチェアに座るように促した。
設楽はロッキングチェアに腰かけると
「…さて。勿体振らずに、その極上の記憶の持ち主を教えてくれないかい?」
と、ロッキングチェアを揺らして問いかけた
「えぇ。きっとお気に召すと思いますよ。
新しく仕入れた記憶は、歌舞伎役者 熊野十吉郎 様のモノです。」
「ほう…。数日前から行方不明の
あの男か。」
なにか思い付いた様に設楽は呟いた
「はい。御本人様が世間に対する自分の記憶も消したい…と仰っていたのですが…」
「イカれ記憶屋は、そうしなかった…。俺が彼の事を覚えているのが、何よりの証拠だろ?」設楽は記憶屋を真っ直ぐ見つめた
「仰る通りです。記憶を自ら売るには、それ相応のリスクや対価が必要でして。
熊野様の場合、"御本人が熊野十吉郎の記憶が世間から無くなっている"…と思い込んだまま、熊野様は熊野様では無くなりましたが、私は
一流の歌舞伎の技。そして、日本の伝統を多少なりと築いた者の記憶が消えてしまうのは、私の本望ではありません。」そう言って、
記憶屋は前日に城之内が来た時に置いていったコーヒーを入れ始めた
「確かにそうだな。問題を起こす人間であろうと、歌舞伎の名家の男の記憶には、文字では伝えきれない技術もあるだろうからね。」
「設楽様が話の解る方で助かります。
…コーヒーが入りましたがいかがですか?」コーヒーの入ったコップを設楽に手渡した
「ありがとう、いただくよ。
…復讐鬼となったあの青年の記憶はやはり、売ってくれないのかい?」
設楽は冷静に話を切り出した
「申し訳ありませんが
何度もお伝えしておりますように、あの記憶だけはお売りする事は不可能でして。」記憶屋は鋭い目付きで静かに設楽を睨んだ。
「残念だな。彼の記憶はいいネタとして使えそうなんだが…」
設楽は記憶屋から記憶を買い取り、その記憶を自分自身に取り込み自らの記憶として自分自身の記憶を含め、3人の人間ストックできる、特異体質の人間である。
一般的な多重人格とは違うのは
見た目や年齢 過ごしてきた月日が違う"本当に存在した人間の記憶"を特異体質自身の記憶と共有できることだろう。
設楽はこの能力の保持者であることを、一部の人間以外には公表せず、
色々な記憶を使い
リアリティーのある様々なジャンルの小説を執筆し、人気作家として活動している。
「…貴方以外にも、あの記憶に興味を持っている方がいらっしゃいましてね…。その方が私にたどり着いたら
『どの様な形でもいいので渡して欲しい。』と、ある方からご依頼がありまして。」そう言って記憶屋はカウンターの椅子に腰かけコーヒーを飲みはじめた
「…取り引き済みなら、仕方ない。
今回仕入れた記憶は、幾らで売ってくれるんだ?イカれ記憶屋」設楽は鋭い視線を記憶屋に向けた
「熊野十吉郎の記憶…ですね。
25億でどうでしょうか?」何処からか取り出して設楽に差し出した小切手には、手書きで金額の欄には【二十五億円】と書いてある
「25億?あの男の記憶にはそんな大金の価値が付くとは思えないが…」
「では、20億でどうですか?貴方なら、熊野様の記憶を使って小説を書けば、
相応の金額の儲けが出るとは思いますが。」
記憶屋は胸ポケットに挿していたペンで、差し出した小切手の金額を20億に書き直した
「…いや 最近の出版業界は厳しいくてね。映画化して世界的にヒットしなければ、
そんな大金は入ってこないさ。
…10億でどうだ?」設楽はスーツのポケットから出てきたペンで更に10億と書き直した
「…10億ですか。買い取り金額やその他の費用を考えると、もう少し高値であるべきでして…15億が妥当かと。」
新しい小切手の記入欄に15億円と書き直して設楽に渡した
「では、15億で手を打とう…こちらの金の準備ができ次第、記憶を渡してくれ。」
そう言って設楽は小切手を受けとると、コーヒーを一口飲んでallagi を後にした。