取り引き開始。そして…
「いらっしゃいませ…お待ちしておりました。熊野様」
記憶屋はロッキングチェアに腰をかけて、記憶コンダクター 城之内 そして 歌舞伎役者 熊野十吉郎を招き入れた。
「…では。熊野様、俺はこれで失礼いたします。」いつも記憶屋と話す時と違った口調の城之内が立ち去ろうとした瞬間…
「本当にこの男に任せて大丈夫なのか?」と問いかけた
「えぇ。ご安心ください。俺もこの男…記憶屋も貴方のことを、警察やマスメディアに引き渡したりはしませんから。
…それに、俺からすればらこの場所までパパラッチに撮られずに来れた事を褒めて戴ければ…とは思いますが…」とため息をついた
「やれやれ…。あまり熊野様を困らせるのは良くありませんよ。記憶コンダクター」呆れた様に城之内に話しかけた。
「熊野様
コンダクターには、貴方が記憶をお売りになれた後の手配を私の方から頼んでおりまして…私の店はアフターサービスも充実しておりますので、ご心配なさら
ないで下さい。」記憶屋は軽く会釈をした
「そこまで言うなら、君たちを信じてやろう…しっかりやってくれるんだよな?」
熊野は怪しんでいるが、記憶屋に自分に関する世間と、自分自身の記憶を売れば、
煩わしいパパラッチや梨園のしがらみ
そして、莫大な金が入るのは魅力でしかなかった…
「では、改めて…俺はこれで失礼いたします
ではまた後程…お会いできるのを楽しみにしております、熊野様。」そう言って城之内は去って行った。
「…それでは後程、よろしくお願いいたします…。では熊野様
少しお話をお伺いした後に買い取りをさせていただきます。」
そう言って記憶屋は微笑んで、ロッキングチェアから立ち上がった。
「…それにしても、この店に置いてあるものは
中々の名品が揃っているみたいだな。」アンティークのレコードプレイヤーを見た熊野がぽつりと呟いた。
「貴方が価値が解る方でよかったです。
一応この店は"骨董屋"ですから…。表向きとして…ですが。
こちらも買い取りしておりまして。
昨今、闇の住人も闇だけに紛ぎれて日々を過ごす事は儘ならないのですよ。」やれやれ…と記憶屋は肩をすくめた
「ふん。よくいう…人から依頼代として、5000万の金をせしめ取っておいて…」先程まで記憶屋が座っていたロッキングチェアに今度は、熊野が腰かけた。
「まだ実際に、"熊野十吉郎様…いや赤坂仁様"の記憶を拝見していないので、申し上げられる事は少ないのですが、
赤坂様の記憶は、10億程度の価値があると思っておりまして…
歌舞伎界の名家 熊野家の方の記憶となれば、日本…いや、世界に誇る歌舞伎の技術も買い取る事になるのですから…妥当な金額ですよ。」
記憶屋はいつの間にか手に持っていたブラックコーヒーの入ったコップを熊野に手渡した。
熊野は一口コーヒーを飲むと
「ありがとう…うん。中々上質なコーヒー豆を使っている様だな。これは、君の趣味か?」ロッキングチェアを揺らしながら、記憶屋に問いかけた。
「残念ながら、コーヒーは私ではなく
先程のコンダクターの趣味でしてね。
…ここに出入りする度このコーヒー豆を置いていくのです…困ったものですね。」記憶屋はまた、やれやれと肩をすくめた
「成る程…あの男もやはり"価値の分かる男"と言うことか。
…このロッキングチェアも長年使われていい趣だな。」
「…ありがとうございます。
こちらは私の趣味でして…年月を感じる風合いと懐かしい佇まいが、気に入っているのですよ」
「そうか…記憶ではなく、私の家にあるコレクションを″骨董屋の君に″譲る…というのもよかったかも知れないな。」
熊野は記憶屋をギラリと鋭い眼光で見つめた
「ご希望であれば、"赤坂様が赤坂様で無くなった時"に、貴方がおひとりで住まわれているご自宅にあるモノもこちらでお引
き取りさせて戴くことも可能ですが…どうなさいますか?」
「…いや。今は遠慮しておくよ。
マスコミや梨園の者が私が居なくなったとなれば騒ぎ立てて、私の家まで押し掛けるだろうから、君にとってはリスクが高すぎるだろ?
私の騒動が落ち着いた頃にでもお願いするさ。」
熊野はまっすぐ一点を見つめて、記憶屋に告げた。
「かしこまりました。では…"熊野十吉郎改め 赤坂仁様"
貴方の記憶…買い取らせて頂きます。」
そういった記憶屋が指をパチンっと鳴らすと、熊野の目がゆっくりと眠る様に閉じていった…。
「では…
この世で一番の悪があるとするならば、
それは人の心だ。
この世で一番儚く、脆いものは人の記憶だ。
そんな貴方の記…買取りさせて頂きます。」