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ヤマダヒフミ自選評論集

カフカ 誠実な犠牲者 (批評)

 カフカの「判決」という作品のラストは次のようになっている。


 「(略)しかし、彼はもう走り去っていた。門から飛び出し、線路を越えて河のほうへひきよせられていった。まるで飢えた人間が食物をしっかとつかむように、彼は橋の欄干をしっかとにぎっていた。彼はひらりと身をひるがえした。彼はすぐれた体操選手で、少年時代には両親の自慢の種になっていた。だんだん力が抜けていく手でまだ欄干をしっかりにぎって、欄干の鉄棒のあいだからバスをうかがっていた。バスは彼が落ちる物音を容易に消してくれるだろう。それから低い声でいった。

「お父さん、お母さん、ぼくはあなたがたを愛していたんですよ」そして、手を離して落ちていった。

 その瞬間に、橋の上をほんとうに限りない車の列が通り過ぎていった。」



 カフカというのは太宰治と同様に、話のオチの付け方、もっと言えば物語の最後の一行がかなり独特である。最近そういう事に気がついた。次にあげるのは「断食芸人」のラストだ。



 「(作中の主人公である断食芸人が芸をしている檻の中で死ぬ) 断食芸人はわらといっしょに埋められた。例の檻には一頭の若い豹ひょうが入れられた。あんなに長いこと荒れ果てていた檻のなかにこの野獣が跳廻っているのをながめることは、どんなに鈍感な人間にとってもはっきり感じられる気ばらしであった。豹には何一つ不自由なものはなかった。豹がうまいと思う食べものは、番人たちがたいして考えずにどんどん運んでいった。豹は自由がないことを全然残念がってはいないように見えた。あらゆる必要なものをほとんど破裂せんばかりに身にそなえたこの高貴な身体は、自由さえも身につけて歩き廻っているように見えた。歯なみのどこかに自由が隠れているように見えるのだった。生きるよろこびが豹の喉もとからひどく強烈な炎熱をもって吐き出されてくるので、見物人たちがそれに耐えることは容易ではないほどだった。だが、見物人たちはそれにじっと耐えて、檻のまわりにひしめきより、全然そこを立ち去ろうとはしなかった。」


 青空文庫の訳は多少わかりにくいと思うが、どちらも構造的には完璧に同じである。カフカという作家は、世界中で研究、批評、解釈されているだろうが、実際かなりわかりやすい作家だ。というより、わかりすぎてつまらなく感じるほどだ。

 

 「判決」と「乞食芸人」はどちらも同じ構造を持っている。それは作者に似た人間が最後に死ぬという話である。「判決」では若い商人は父に傷つけられて死に、乞食芸人では芸人がやせ衰えて死ぬ。どちらも、世界から疎外された人間の死がテーマとなっている。

 しかし、ただ死ぬ事が(カフカの)目的ではない。カフカに似た主人公は作品内では世界から嫌われ、傷つき、犠牲者として死ななければならない。その事をカフカは一貫して描き続けた。なぜなら、それが世界から(主に父親から)傷つけられた人間の唯一の自己慰安だったからである。


 しかし、ここでもう少し、両作品の最後の部分を見てみよう。どちらも全く同じである。「判決」のラストは、バタイユの批評から引用するとこうなっている。


 「その瞬間に、橋の上には、文字どおりに雑踏をきわめた車馬の往来があった。」


 これは主人公が橋の欄干から飛び降りて自殺した後の一行だ。本来、こういう一行は文学的には不要である。しかし、カフカは本当はこの一行を書きたいが為に、「判決」(バタイユの本では「死刑宣告」)という短編を書いたとも言える。では、ここでカフカが言いたかった事は何か。それは僕には極めて簡単な事に見える。カフカが言いたかったのつまり次のような事ーー自分は今一人の犠牲者として、罪が無いにも関わらず世界に傷つけられた人間として死のうとしている、そして実際に死ぬーー今、私は死んだ。『しかし』、世界はその犠牲者たる私に無関心である。世界は、この私を傷つけ、私を亡き者として、犠牲にした。しかし『それにも関わらず』その世界はこの私には無関心である。どうだ! 諸君! 見てくれたまえ! 私はこの世界の理不尽な犠牲者であり、今、死に赴こうとしている。しかし、それをした張本人の世界は、その私に対しても今、無関心であるのだ! 諸君ら見てくれ!

 

 これが僕が想像するカフカの叫びである。もちろん、この叫びはかなり誇張している。しかし、こういう思想がカフカになければ、最後の一行は決して現れなかったはずだ。カフカが「橋の上には雑踏があった」と書くのは、雑踏は主人公には何の興味もないからである。一人の悲劇に対して世界は無関心である…。



 しかし、ここから更に、カフカの構造の「ねじれ」の問題が起こってくる。なぜなら、カフカは世界がこうも自分に無関心で、自分をこうも理不尽に傷つける事を、またその世界に向かって訴えているからだ。だから、カフカは本質的にバタイユの批評を一歩もはみ出ていない。バタイユの言う通り、カフカは自分が認められていない事、自分が犠牲者だという事を、それをそのような状態にしている世界そのものに再度訴えている。では、そもそもそのようなカフカの願いとは何かというのは一つの謎になる。そもそも、これは矛盾以外のなにものでもないからである。



 ここで、簡単に答えを出しておく。カフカは結局はこの矛盾から逃れられなかった。カフカは世界の犠牲者になっている己を認めてもらいたいと再び世界に訴えるというかなり奇妙な方法に打って出た。それはカフカにとって逃避と同時に抜け穴だった。だから、カフカの作品は本質的に、一人で孤独に作られ、孤独に読まれるべきものだ。僕が滑稽だと感じるのはカフカ作品が国立大学で『研究対象』にすらなっているという事実だ。カフカは実はそのような対象にもっともそぐわない作家なのだ。


 

 話を進めよう。それでは、カフカの究極的な願いは何だったかーー。実はそれはカフカにもわからなかった。もっと言えば、カフカは矛盾の中で逡巡し続ける事を望んでいた。無論、カフカも問題を解決したかっただろう。カフカ自身の生活を見てもそうだ。恋人を作りはするものの、結婚する勇気はない。一人でいるには忍耐がない。親に対して反発したいが、親を乗り越える勇気はない…。カフカにとって迷う事が彼の望みであったが、同時にそこから出たいという願望もあった。こうした二律背反の中にカフカは終生閉じ込められていた。しかし、カフカは最後に親友のマックス・ブロートに「自分の作品を全部燃やしてくれ」と頼んだ。カフカにしては、これは英断だったと思う。なぜなら、カフカはついに絶望に希望を見出すという事をやめたからである。カフカは、自分の作品を世界の『裏側』として作っていた。それは孤独な作業であり、また、もしそれが陽の目を見るにしても、その作品はその本質からして表舞台的なものではないのだ。カフカの作品は永遠の反抗であり続けるが、これは同時に永遠の子供である事を意味する。



 カフカが自分の作品を燃やしてくれと言った事…。これは先に言ったように、絶望に望みを持つ事、いや、絶望を表現する事に微かな慰安を感じるという事すらにも絶望するという事態だったのだ。カフカは確かに、絶望していたものの、彼はその絶望に甘い誇りと感慨と慰安を抱いてた。彼は常に犠牲者だが、自分が犠牲者だという事を世界に(密かに見せつける)という形では犠牲者ではなかった。そこで彼は小さな王でいられた。しかし、そうした子供の遊びとしての文学、子供のようなカフカにとって大切な大切な文学ーーそれ自体にもカフカはとうとう絶望する時がやってきた。おそらく、それがカフカの死の時だった。こうしてカフカの文学と生は一つの円環を閉じた。つまり、カフカの作品とは本来世界に開示されるはずのない作品であり、我々が見ているのはそういう作品なのだ。これが残ったのは偶然の作用が大きいと私は見ている。



 この最後の偶然が何かというのは、カフカの文学を論じるだけでは処理できない問題である。カフカからすれば、自分の生涯の終わりを持って、犠牲者としての生涯を終えたと感じた事だろう。しかし、カフカはカフカ自身最後に書けなかった一行があった。それはカフカの死後に「人々が雑踏を作って彼の墓の上を通行した」という事実である。これはカフカには描こうとして描けなかった一行だった。彼は彼の運命を処理し終えたと信じたかもしれないが、親友の裏切りによって彼の作品は生きながらえる事となった。



 それでは生きている我々はカフカをどのように読めばいいのか。それはまだ問いとして残る。その問いに、この私はどう答えればいいか。



 実はそれに対する答えを私は持っていない。一つ言えるのは彼は犠牲者であり、非常に誠実な犠牲者だったという事だ。人は犠牲者であるばかりではないが、この世界において自らを犠牲者として感じる者はこれから先もカフカの文学に慰安を感じ続けるだろう。



 しかし、それを読み、理解するとはどういう事なのだろう? 私にはこの問いがまだ残っている。そしてこの問いに答える事はおそらく、カフカと決別する事なのだ。私はカフカの運命に敬礼するが、彼と道を共にしない。しかし、とにかくもカフカは受難者としての人生ーーそしてその文学を全うしたのだ。それがカフカという人物だった。私はそう思う。  

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― 新着の感想 ―
[一言] 悲しみは書くことで慰められるかもしれない。しかし、慰められるべきではない悲しみがあるということにカフカは気づいていたのだ。
[一言] 「物語の最後の一行がかなり独特」だというのはわかる気がします。彼の死ではなく、その周囲を描写するという方法。語り手は主人公の元を離れ、特殊から普遍へと移動する。閉じた世界から開かれた世界へと…
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