草原 竜の章 第11話 樹の願い
―――4月11日(月)PM0:25―――
――神葉病院・103号室―――
「……ん…。ここ…は?」
私が目を明けると白い天井が見えた。
「?…病…院?」
そこは個室の病室のようだった。自分を見ると点滴のチューブや呼吸器等がいくつも繋がっていた。
「お。茜ちゃん目覚めたんか?」
「あ!ナースコールするわ!看護婦さーん」
「え??」
ベットに横たわったまま横を見ると、竜君とち〜ちゃんが椅子に座って何か言っている。頭がまだ朦朧として良く分からなかった。ち〜ちゃんはナースコールが何処にあるのか分からない
のか、外に出ていってしまった。多分、私のすぐ後ろにあるのに…。
「茜ちゃん二日間目覚めんかったんやで?まあ良かったわ」
「2日…間?」
呼吸器が邪魔で上手く発音出来なかった。しかし、竜君はそれをちゃんと聞き取ってくれたみたいで、ウンウンと頷いている。
「そうや。…これもチホのおかげやな…」
「チ…ホ…?」
「ああ、チホ言うてもウチのチホやけどな」
そういうと竜君は少し寂しそうに笑った。
「茜ちゃんが集中治療してる時の話なんやけど…」
竜君は何処か遠くを眺めるようにして語った。
・・・・・・・・・・・・・・
語り終わるのを待たずに私は、呼吸器を外して点滴の針も抜いた。
「茜ちゃん!?」
「竜君。心配かけてゴメン。もう大丈夫だよ」
呼吸器を外して少し苦しかったし、針を外した所から出血してるけど、私は寝ていられなかっ
た。
「よっ……わっ!」
ベットから滑り落ちるように降りると、スリッパを履いて外に向かおうとしたが、すぐに足に力が入らなくて倒れてしまった。
「茜ちゃん!?ムリしたアカンって!血ぃ一杯抜けたんやから!」
「でも!…私行かなきゃ」
竜君は私を支えてくれながらベットに戻そうとするけど、それを押しのけて私は言った。
「公園へ…守矢公園へ…竜君お願い…連れて行って…」
「…チホちゃんの所やな…分かった。いこか!」
竜君は分かっているみたいだ。良かった。
「ゴメンネ…」
そうして竜君の肩を借りながら、私達は守矢公園へとゆっくり歩き出した。
―――PM1:15―――
―――守矢公園―――
引きずられるように竜君に運ばれながら、私達はやっと公園に着いた。殆ど背負うようにしてくれたので、竜君は大分息が切れていた。ありがとうね、竜君。
「チホ…」
いつの間に切られていたのだろうか?
そこにあったプラタナスの樹は切り株になっていた。
私はそのプラタナスにすがるように抱きついた。
「貴女にまた…助けられたんだね…」
「千穂…」
竜君がもう一人の「チホ」の名前を呼んでいるようだった。
―――4月9日(土)PM8:51―――
―――神葉病院・待合室―――
あの日、茜が手術室に居る時の話だ。
森川千穂は告白した。
自分が人間では無い事を。
そして、自分が木の精で、茜の友人のチホの記憶を読み取って実体化した事を。
茜はあの日、とても危険な状態だった。そして、手術室で…一度死んでしまった。
しかし、それを救ってくれたのが「千穂」さんらしい。彼女の生命力を全て使って…「奇跡」を起こした。
「竜さん…。私は茜さんが助かるなら命は惜しまないよ。…元々…無かった命なんだから…」
「千穂! でも!」
「折角竜さんとも仲良くなれたのに…ちょっと残念だよね…あはは」
「千穂!」
竜は毛布から出る。…しかし、そこに居るハズの千穂が見えなかった。
いや、半透明で確かにそこに「居た」
「竜さん…生まれ変わりって信じる? …今度生まれ変わったら人間がいいな…」
「あぁ! 千穂は今でも人間やん! 何言うてるねん!」
竜は涙が流れるのを構わず千穂を抱き締めようとするが、その手は空を切ってしまう。
「…ありがとう…。竜さんお願いがあるんだよ。最後のお願い」
「…なんや?」
涙をトレーナーの袖で拭って見上げた。
「生まれ変わったら…友達になってね」
そういい終わると…。千穂の体は完全に消えてしまった。
「…それは違うで千穂…」
誰も居なくなった部屋で一人、冷たい床を叩いて崩れる竜。
「生まれ変わってもや………それに…竜さんやなくて、俺はお前のお兄ちゃんやで…」
その1時間後、茜の手術は無事終了し、後は彼女の生命力に掛けるという事になった。
―――4月11日(月)PM1:35―――
―――守矢公園―――
「信じられないよね…」
「そやな…」
プラタナスの木の切り株に二人は座り込んだ。
「チホ」への礼を済ませて急に疲れが出てしまったので、2人共後数分は動けない感じだ。
「結局何だったんだろうね…」
「…全部夢やったんとちゃうか?」
「夢?」
茜は自分のお腹に巻かれている包帯を指差して笑う。
「これが?」
「……」
「矢崎には逃げられたんだよね。ちょっと口惜しいなぁ」
「そやな…でも命あってのモンや。一応警察に届けたんやから、後は捕まってくれるんを願うだけやな」
あの日の後、竜は事情聴取を受けた。顔は見ていないが、被害者の証言――茜の証言――を元に調査をしてくれるらしかった。一度逃げられているので何処まで信用して良いか分からないが、素人が口を出す事は出来ないので仕方ない。
「でも…夢だったら素敵な夢だよね」
「怪我してて素敵もなんもあらへんやろ」
「これはこれだよ。チホと会えたんだから私は満足だよ」
「チホ…か…」
森川千穂、いや、山下和帆との事は、竜と茜二人の思い出となった。風が吹いても消える事の無い、大事な思い出と…。
「生まれ変わっても友達になるって約束したんやチホと…」
「そう…」
プラタナスの切り株。あの日を境にこの木は枯れてしまった。そして役場の者が、腐って倒れる前に切ってしまったらしい。
「生まれ変わるんやったら早よしてほしいなぁ。お爺さんなってからやったら遅いで」
「何言ってるんだよ。竜君。生まれ変わりってすぐに何処かで産まれてるんだから、もう0歳だ
よ」
「そ…うなんか?」
「そうだよ。10年もすれば何処かですれ違うかもしれないね」
「……10年か…」
その頃の自分を思い浮かべてみる。きっと就職して頑張って仕事しているのだろう。この町に居るんだろうか?
出来ればこの町で就職したいと思う。竜はこの数日でこの町が好きになっていた。
《…ますか》
「…ますか??」
「うん? どうしたの竜君?」
風がざわめいていた。
「いや…何か聞こえたような気がしたんやけど…」
《き…えないの?》
風が急に強くなった。その風が木々を揺らし、ザワザワという音が強くなった。
「…聞こえたで…」
「ん? ん? どうしたのホントに?」
茜は首を傾げているが、竜には分かった。風が葉を揺らす音…、それは「声」に聞こえたのだ。
《よかった…。聞こえたんですね》
「ああ、よう分からんけど誰や?」
「え? ええっ? 誰と話してるの竜君?」
《私は…今貴方達が踏んでる木です》
「わっつっ!?」
驚いて飛びのく竜。そのまま茜も手を引いて立たせる。
「わわ? 何?」
《すいません。ええと、貴方達の彼女への思いを受け止めました。これを授けようと思いまして》
木―切り株―は少し緊張感の無い声でそんな事を言ってきた。
「さずける?」
《手を出してください》
「手…」
竜が言われた通り手を出すと、その上に一枚の葉が現れた。
「ええっ!? 何何? 竜君マジック?」
茜には全く「声」が聞こえていないようで、終始竜の奇行に驚いている。
「葉っぱ??」
《それを使えば…「彼女」は戻ります》
「つ…使ういうても…ゲームちゃうんやから…」
《…それを、持って祈って下さい…》
「祈る…」
「ねえねえ! 竜君! 精神病の末期症状なのは分かったからどうしたの?」
酷い事を言われて流石に茜の方を向いて説明する。
「今座っとった木がな、コレ使えばチホが戻ってくる言うんや」
茶色い今にも崩れそうな枯葉を振り、茜に苦笑してみせた。
「えっ!? 木の声が聞こえたの?」
「祈ったらええらしい…茜ちゃん」
「………うん。分かった竜君一緒にやろっ」
こちらの言葉を茜は信じてくれたようだ。竜の手を包むようにして、目を閉じた。
それに倣って竜も目を閉じて祈る。
『戻れ』
二人は一心に祈った。疑いも無く祈った。この公園には普段人があまり来ないが、人が通りかかったのなら変な二人だっただろう。しかし、そんな事は二人共構わなかった。ただ、「彼女」が戻る事を祈り続ける。
「…………」
「…………」
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クシャ!
「……なんも起こらんやないか〜〜〜!」
竜は激昂しながら葉を握りつぶした。元々乾燥していた葉は粉々に砕けてハラハラと手から零れ落ちる。
「む…竜君騙したな!」
茜は頬を膨らませて拳を挙げてきた。
「いやっ!? 俺やなくてそこの木に言うてくれや! 俺知らんてっ」
「そんなのに言っても、私は反応分からないよっ!」
もっともだ。
「ケンカしちゃいけないよ〜」
「そ…そうやで!千穂の言う通りやケンカはアカン!……え?」
「……」
「お兄さん達ケンカしちゃだめだよ。…ふえ? どーしてこっち凝視してるの?」
声がした方を見ると、少女が居た。見た感じは普通の少女で髪型も普通のストレートだ。
「チホ…?」
茜は目を丸くしてその少女を見る。しかし、千穂とも和帆とも似ていなかったようで、すぐに溜め息をついた。
「…じゃないみたいね。貴女だれ?」
「ええ? 私は私だよ〜。名前は……アレ? なんだっけ?」
少女は腕を組んで必至に名前を思い出そうとしている。
「は?」
「うーん。思い出せない…。…でもお兄さん達は覚えてるんだけど…あれれ? 何処であったんだろ?」
なるほど。彼女はやはり「生まれ変わり」なのかもしれない。自分の事は分からないが、竜達は覚えているという。この娘は「チホ」の生まれ変わりなのだ。
「何処に住んでるかも分からへんねんな?」
「ふえ? うーん…そういえば私何処から来たんだろ? はにゅぅ〜…」
「茜ちゃん。この娘やっぱり生まれ変わりみたいやな」
「え?……なるほど。そっか…」
茜も得心したように、笑顔を少女に向ける。姿形は違うが、、この娘は二人の大事な思い出の結晶だ。
「それやったら記憶戻るまでウチ来たらええよ。ウチ家の部屋空いとるから大丈夫や」
千穂の部屋が空いている。母にはどう説明するか悩んだが、どうにかなるような気がした。
「ええ? 竜君大丈夫なの?」
「ああ。千穂は前からウチの家族やからな」
「でも…姿違うんだよ?」
「なんとか…なるやろ」
娘を得た時の母の顔を思い浮かべると、上手くいきそうな気がする。
「ええと?…いいのかな?」
少女もとまどいながら、しかし、記憶が無いが、何故か知っている者の側に居る事を望んだようだ。照れながらも竜の手を取った。
「ふつつかものですが〜お願いします♪」
「あはは。調子良いねこの娘」
「そやな♪ しかし、名前無いと困るな」
「あっ!それ考えたんだけど、薫でいいよ」
「カオリ?」
「うん。においたおやかな薫♪」
「よう分からんけど、それでええんやったら…。ほな、薫行こか」
「うん♪」
「あ…竜君。私も病院に戻るね。一応抜け出したから怒られそうだけど」
「あ、大丈夫なん?」
「うん。大分落ち着いたから一人で行くよ。じゃあまたね〜」
茜は足取りがやはりフラフラしていたが、倒れるような事は無かった。その足取りは何かが吹っ切れたようにしっかりしているようにも見える。清々しく空は晴天だった。
「ふう。ほな行こか…」
その後姿を見送ってから改めて薫の手を取った。
「うんうん。おねがいしまぁす♪」
手を取られても全く嫌な顔もせず、薫は逆に笑顔で握り返してきた。
「ほな、行くわ…またな…」
「?誰に言ったの?」
「気にせんでええ」
竜達が去った後の公園。一陣の風が吹いて、その風は声となる。
《私の子を…よろしく…竜さん》