草原 竜の章 第10話 記憶
―――PM7:49―――
―――神葉病院―――
そのまますぐに手術室に運ばれる茜。
「ご家族の方?」
手術室の前で待っていると、少し老けた看護婦が現れて、心配そうにこちらの顔を覗き込んできた。
「いえ、友人です」
「そう。貴方も酷い顔よ。少し横になった方がいいわ。ウチの海洞医師は優秀な外科医だから安心して」
そういうと看護婦は優しく微笑んで、手術室の近くにある待合室の椅子に毛布を持ってきてくれた。千穂の方はわりかしと元気で家に電話しているようだった。
「お兄ちゃん。お母さんが学校に電話して聞いて、茜さんの親御さんに連絡してくれるみたい」
「そっか…。千穂もお疲れ…ありがとうな」
横になりながら礼を言う。あの状況で取り乱さずにいてくれた千穂に心から感謝した。見た目は少し抜けているように見えたが、意外にしっかりしていたのには驚いた。
「ううん。言ってなかったけど、私、茜さんは前から知ってるから」
「ん? そうなん?」
「うん。友達だったんだよ。昔ね」
「…そう…なんか?」
数日前に二人が対面した時にの茜の反応を見ると、どうも面識が無いように感じたが、千穂がそう言うのだからそうなのだろう。本人も忘れているのかもしれない。
「茜さんはね。ずっと、あの公園に来てたんだよ。一年間毎日…」
「ふーん」
聞きながら疲れが出たのか眠くなってきた。欠伸混じりに耳を傾ける。
「あの日からずっと…茜さんは自分を責めているんだよ。チホを止めれなかったのは私のせいだ!って…」
「ああ、お前と同じ名前の子が亡くなったって事件のヤツな。聞いたで」
「……うん。同じ名前……。お兄ちゃん…。ううん。竜さん。変な事言うようだけど…」
「ん?」
急に呼び名と口調が変わったので、眠い目を擦りながら体を起こして千穂をに向き合う。
手を揉みながら、千穂は下を向いていて前髪で顔が見えないが、口元だけ見えた。
「私が死にそうになったら…茜さんみたいに助けてくれる?」
「は? 何をいうとんねん?」
こんな時に何を言うのだろう。呆れた声で聞き返すと、千穂は唇を噛むようにして、もう一度聞いてきた。
「助けてくれないの?」
「……冗談はヤメえ。そんなん考えたくあらへん」
「で…でも…」
「ええか。千穂。お前はもう家族やで? なんでこうなったか理由はわからへんけどな。初めて会った時な、あの時お前に会って新しい土地で暮らすっていう不安が少し薄れたんや。そして、今日こんなに頼りになってくれたんや。お前はもう家族やし、友達や」
正直な気持だった。素性の知れない彼女と出合った事は少し不安だったが、彼女が自分を無条件に慕ってくれた事、家でも、学校でも少なくとも一人じゃない事。
不満は無い。感謝の気持は一杯ある。
自分の事を兄と呼ぶ事も完全に了承した。
「そっか…ありがとう…」
「…なんでそんな事聞くねん。照れくさいやないか」
実際照れて、毛布を頭から被った。
「それじゃ、全部話すね」
静かに呟く千穂。
「全部?」
毛布に包まりながら声だけ聞いていた竜は、その声の真剣さに余計に毛布から出れなくなってしまった。
「あのプラタナスの木はね。ずっと昔からあそこにあるんだよ」
「は? 何言って――」
イキナリ木の話をした千穂に訝って、意味が分からなかったので聞き返すが
「聞いて!」
「はい!」
激しく言われて黙るしかなかった。
「木はね。色々な思いで育つんだよ。早く大きくなって欲しいという思いに葉を揺らして答えたり、悲しい事があった時は優しく微笑むんだ」
「……」
何を言っているのか分からなかったが、千穂の声は今にも泣き出しそうに震えていた。
「ずっと…見てたよ。茜さんが泣いているのを…。でも、私は動けなくて…。慰める言葉も知らなくて」
「…私は?」
千穂はその声に答えず続ける。
「チホさんが…死んだ時も私は見ているだけだった…。何も出来ずに…。動けない事が、こんなにもどかしいと思ったのは初めてだったよ」
「千穂…お前まさか…」
「うん。私は木…プラタナスの木…」
「……」
静寂の中に千穂の声だけが響いた。
―――時間軸不明―――
「チホ…何で死んじゃったの…」
「………」
「私達親友だったでしょ?どうしてちゃんと話してくれなかったの…。ううん…ちゃんと私が聞い
てなかったんだよね…」
「………」
「矢崎は逃げたって…。それ以外は分からないのゴメンね…」
「………」
「チホ…私どうしたらいいのかな…。貴女が居なくなって一人ぼっちで…どうしたらいいのかな…」
「………」
「うん…。友達出来ないのは私が悪いんだと思う…。でも、どうしても友達出来ないんだよ」
「…………」
「オカルトってそんなに気持ち悪いかなぁ…。私は私だよ…」
「……………」
「チホ…どうして死んじゃったの……」
「………わたしはここだよ」
「チホ……わたし…」
「……ここに居るんだよ」
「私も貴女の後を追うね…」
「…ダメ!アカネヤメテ!」
「私なんか生きていても仕方無いもんね…チホ…今いくから…ね」
「アカネダメ!」
「…え?」
「アカネダメダヨ…。私は此処にいる…。ずっと貴女の側に居るから…」
「チホ?…チホなの?」
「ウン。ずっと一緒だよ。私は目の前に居るよ…」
「目の前!? 何処!チホ!」
「目の前のその……プラタナスの樹に……」