閑話 償いと日常と
時系列的には第一章と第二章の間ぐらいです。
僕、オーガスト・フィッシュバーンはかつてとても愚かな人間だった。住んでいる場所が違うというだけでその人の人間性を決めつけ、他種族の血が混じっているというだけで差別をする。そんなロクでもない、とても愚かしい人間だった。今はそうではない、とはっきり言い切れる自信が無い。情けないことに。僕自身が過去とは違うと思っていても、周囲からの評価はそうではないと思ってしまう。
事実、僕はこの春までは『下位層嫌い』の名で通っていたぐらいだし、同時に『半獣人』や『黒魔力』を嫌うことでも有名だった。
だがこの春、僕は変わった。愚かな僕に償うチャンスをくれただけでなく、あまつさえ受け入れてくれたギルドに僕は身を置いている。
イヌネコ団。
この学園では色々と有名であり、やたらとファンシーな名前のこのギルド。ここが今の僕の居場所である。ここに同じく籍を置いているメンバーたちに僕は迷惑をかけてばかりだった。それなのにここのギルドマスターであるクラリッサ・アップルトンは僕の事を受け入れてくれた。完全に許したわけではない、とはいうが表だって憎しみを向けることは一切ない。
いっそのこと思いっきり罵ってくれた方がよかった。なのにそれがない。罵るどころか「オーガスト、アンタちょっと最近寝不足みたいだけど大丈夫なの?」と心配される始末。こうまで受け入れてくれると逆に……なんというか、こう……罪悪感のようなものが湧き上がってくるのだ。いや、まあ、罵ることに快感を覚えるような趣味は無いのだけれども。
だからAクラスにおける朝のホームルームの際、まずは同じクラスであるチェルシーとクラリッサにみんなの前で頭を下げて謝った。これで許してもらえるなんて思っていないが、これまで散々みんなの前で侮辱してきたのだから、みんなの前できっちりと謝罪しておくのも大事なことだと思ったのだ。が、放課後に「朝のなにあれ。ちょっと引いたわ……」「…………どん引き……」と言われ、なぜか引かれた。挙句の果てに「きっちり謝ってくれたんだし、別にそう何度も謝ってくれなくてもいいわよ面倒ね」と言われる始末。
このギルドにいる連中はのん気というか何というか……僕はあいつらをあれだけ醜く、不当に、理不尽に罵っただけでなくその家族まで侮蔑したというのに。僕はどうすればいい。なぜ罰を与えてくれない。そのことで毎晩悩んでいた。僕はどうすればいいのだろう。いや、最初から答えは決まっている。このギルドにいる者達の為に働くことだ。罪を償う事だ。…………が、その前に。
僕にはもう一度、しっかりと謝らなくてはならない相手がいる。
レイド・メギラス。
あの黒い結晶の力で魔物化した際、僕はレイドを殺しかけた。
春のランキング戦も終わった今、またもう一度しっかりと謝罪するべきだ。
そういうわけで、僕はギルドのメンバーとして昼休みの食堂で集まり、ギルドのみんなと同じテーブルに着いた際にレイドに放課後、講堂裏に来るように言った。これからご飯時だというのに僕がレイドに謝罪して、彼にあの時のことを思い出させたくは無かった。僕はこの食堂で、彼と彼の大切にしている家族を侮辱したのだから。
レイドは不思議そうに首を捻っていたが、ニカッと笑って了承してくれた。くっ……この笑顔を見ていると不安になってくるぞ。仮にも自分を殺しかけた相手に対して無防備過ぎるだろう。心配だ……変な詐欺師に引っかかったりとかしなければいいのだが。その時はフィッシュバーン家の名に懸けて全力で守ろう。
「よっす、オーガスト。話ってなんだ?」
放課後の講堂裏。
レイドはちゃんと来てくれた。
「あ、ああ……まあ、その、なんだ……」
いざとなると緊張する。ただ謝るだけというのに……否、これはただの謝罪ではない。少なくとも僕にとっては。
「……すまなかった!」
僕は腰を折り、頭を下げた。
「え、あ? な、なんだぁ?」
対するレイドは戸惑っている。どうやらなぜ僕が謝っているのか分からないらしい。ええい、この鈍感め!
「君のこと、君の家族を侮辱したこと、そして……君を殺そうとしたことを謝罪させてくれ!」
「あー……そのことかぁ」
レイドはようやく僕の謝罪の理由を知ったらしい。そこでようやく僕は地面に膝をつき、額を土につける。土下座、というものらしい。かつての勇者様の故郷における誠心誠意の謝罪の仕草と聞いている。
「謝って許されることではないのは承知している。だが、それでも。ケジメとして謝罪だけはさせてくれ。たとえそれが僕の自己満足だとしても……でも、これから罪を償っていく前に、レイドだけには謝っておきたかったんだ」
「そっか、ありがとなぁ。うん、許す!」
「ちょっと待てぇええええええええええええええええええええええええ!」
なぜ謝罪する側の僕がツッコミを入れなければならないのか。それはさておいてだ。
「んぁ? どうしたんだオーガスト?」
「軽すぎるだろ! 仮にも僕はお前を殺そうとしたんだぞ!」
「オーガストは操られてたんだろ? だったら仕方がないじゃねぇか」
「そ、それでも! 僕がやったことに変わりはない!」
「でも謝ってくれた」
「っ!?」
思わず僕はぽかんと口を開く。何を言っているんだコイツは。謝ったからなんだっていうんだ? 謝ったからと言ってそんな簡単に許してもいいのか? そもそも人は死んだら戻らないんだ。母が殺された時の事を忘れない。死んだ母はもう二度と戻ってこなかった。レイドだってそうなりかけたんだ。それなのに許す? バカじゃないのかコイツは。
「お前が本当に悪い奴だったら、謝りもしねーで素知らぬ顔をしてただろうな。でも、お前はオレやソウジ、他のみんなにもちゃんと謝ってくれた。そして謝った上でギルド戦に出て力を貸してくれたし、オレにポイントまでくれた。だったらそれで十分じゃねーか」
「そんなの、償いとして当然の事だ。そんなことで償ったことにはならないし、許されない」
「いーや、違うぞオーガスト。償ったとか許すとか、そういうのを決めるのはお前じゃない。オレたちだ。そしてオレたちはお前を許す!」
……僕自身、そんなことで許されるつもりは無い。こんな程度の事で許されるなんて片腹痛い。
第一、
「そもそも、僕が本当に悪い奴じゃないという証拠がないだろう。実は謝罪したフリをしてお前たちを騙し、心の中では嘲笑っているかもしれないぞ」
「そういう器用なことが出来るとは思えないけどなぁ。その眼の下にある隈を見ると特に」
「ば、バカっ! これは化粧だ! お前の同情をひく作戦だ!」
「へぇ~」
ニヤニヤとした顔をするレイド。
くそっ! こ、こんなはずではなかったのに……!
「ええい、ニヤニヤするなこのバカっ!」
若干、寝不足気味で頭が回らないせいか「バカ」しか言葉が出てこない。
「でも、そうだなぁ。もしそれでもまだ自分が許せないっていうのなら……オレの特訓にでも付き合ってくれよ」
朗らかな笑顔と共に言われたその言葉。
僕は空いた口が塞がらなかった。
しかし、これ以上なにを言っても譲るつもりは無いという思いを感じ取った僕はがっくりと肩を落とした。
「……仕方がない。いくらでも付き合ってやる」
ここはまあ譲ってやるさ。
でも、僕はまだ自分の事を許したわけではない。
許すには僕の犯した罪は大きすぎる。
しかし……レイドがこの調子だと真正面からの謝罪は受け入れてくれそうにない。ならばこれからの行動をもって償いをしていくべきだろう。
☆
そこから僕はソウジと共にレイドの特訓に付き合ってやることになった。基本的にメニューはソウジが決めて、僕はそれに従うのみである。そしてそのソウジの考えたメニューは流石の一言だ。レイドの現状に合わせた無理のない構成で、尚且つ星眷使いになる為には効率的なものである。
「よっしゃ! なんか今の、結構上手くいってなかったか!?」
「フン。調子に乗るな。ただのマグレだ」
「うん。そうだな。それにしてもありがとな」
「なにがだ」
「わざわざオレの特訓に付き合ってくれてよ」
「か、勘違いするなよ。これはあくまでも償いの為だ! それに、特訓に付き合ってやるのは約束だからな」
そうだ。これは僕自身の為だ。決してレイドの為などではないのだ。
☆
「うーん……さっぱりだ……」
「おい、何をしている」
今日の授業でレポート課題が出た。今回の課題はそれなりに難しいので長期戦を覚悟して資料集めに図書館に行ってみると、レイドが一人で頭を抱えながら唸っていた。机の上には大量の本が積まれている。
「オーガスト」
「なんだこれは……見たところ、課題か?」
「そうそう。レポートの課題なんだけどな……オレにはどうもさっぱりだ」
「お前のクラスにはソウジとフェリスがいただろう」
「普段から二人には勉強を見てもらってるし、レポートぐらいは邪魔したくないんだよ。ソウジのヤツ、いつも図書館から色んな本を借りてきて調べものしてるだろ? かなり必死そうだからさ。出来るだけ時間とらせたくないし。それにフェリスさんも、この頃頑張ってるみたいだからな。とにかく、二人の邪魔をしたくはないんだ」
ソウジに関しては調べものをしていることは知っている。そしてフェリスの方もこの頃、一人で猛特訓をはじめていることは知っている。その二人を邪魔しないように気遣っているのだろう。
まったく……。あの二人ならば嫌な顔一つせずにレポートぐらい見てやるというのに……やれやれ。仕方がないやつだ。
「……………………」
僕は無言でレイドの隣の席に座り、彼のレポートを半ば強引に奪い取った。
「お、おいオーガスト。なにするんだよ」
「うるさい。どうせこのままだと明日になってもレポートが終わらんだろう。仕方がないから僕が手伝ってやる」
「ま、マジ? でもここに来たってことはお前もレポートがあるんじゃ……。確かクラリッサとチェルシーが難しいって苦戦してたけど」
「フン。そんなもの、僕は既に終わらせている」
レイドの書いたレポートに目を走らせていると、レイドはきょとんとした表情をした後にこう僕に告げた。
「…………ありがとな、オーガスト」
「かっ、勘違いするなよ。これはあくまでも暇つぶしなんだからな! それに僕はあくまでも手伝うだけだ。実際に書くのはお前なんだからな!」
ちなみにレポートは夜の図書館の閉館ギリギリまでかかってしまったものの、レイドは見事に自分の力で完成させた。これでこいつも少しはコツを掴めただろう。
「ほんっとうにありがとな、オーガスト! じゃあな、また明日!」
「うるさい。さっさと風邪をひかないように寝ろ。明日はくれぐれも寝坊するなよ。せっかく僕が手伝ってやったレポートを提出出来ませんでしたじゃ許さないからな」
そう言いつつ、僕はレイドに軽く手を振ると寮の自室へと戻った。
どうやら今日は徹夜になりそうだ。
☆
夜。
部屋の中でレポート課題を仕上げていると、ふと窓の外の景色が目の中に飛び込んできた。雲一つない空には、無数の星々が輝いていた。こうしてゆっくりと星を見ながら学生らしく課題に追われることが出来るのも、ソウジとレイドのおかげだ。彼らが僕を助けてくれなかったら、今頃こうしてはいられなかっただろう。そして居場所をくれたクラリッサたちギルドのみんなにも感謝しなければならない。
「…………?」
考え事をしていると、部屋の外から物音が聞こえてきた。誰かが走り去っていく足音だ。もしかしたらイタズラか何かかと思いつつドアを開けてみると、そこにはレポートに必要な何冊かの資料と共に包まれたサンドウィッチが乗せられていた。どうやら夜食らしい。
「……さっさと寝ろと言っただろうが、バカめ」
これを置いていったのが誰かぐらいは想像がつく。
僕はそれを持って部屋に戻り、口の中にサンドウィッチを放り込んだ。
不思議と元気が出てきた僕はそのまま徹夜でレポートを仕上げた。それと同時に、僕は出来る限りのことをしていこうと心に誓った。償いの為だけではなく、僕自身がこの日常を護りたいと思ったから。