第九十話 日常のその裏で
留学生たちが来たことで、新学期の盛り上がりは学園の中は前年と比べて桁違いに大きくなった。各留学生たちは種族間交流という名目のもと、各クラスへと振り分けられる。とはいっても、それは主にAクラスやBクラスという『太陽街』に住まう者たちの所属するクラスなのだが。ソウジたちのいるEクラスや、Cクラス、Dクラスには留学生たちは振り分けられない。そのことを、C、D、Eクラスの生徒たちは嘆いていた。また、そのことはクリスも悲しんでいた。久しぶりにソウジと出会い、同じ教室で勉強できるかもしれないと楽しみにしていたのにと本人は言っていた。
「いやぁ、でもビックリしたぜ。まさかソウジに妹がいたなんてよ」
朝の一限目の授業終わり。席も近いソウジ、レイド、フェリスは集まって雑談を開始していた。休み時間の見慣れた光景である。
「わたしは知っていたのですが……でもあまり交流も無かったですし、気がついた時にはノーティラス家の養子になっていたのであそこで現れた時にはわたしも驚きました」
「正直、俺も驚いたよ。もう会うことはないかと思ってたから」
エイベルから話を聞かされた時、ただただ生きていたことに安堵していた。元気に生きていてくれたらそれでいいと。もうそれだけで満足だった。
「よかったなぁ、ソウジ。妹に会えて」
レイドのその言葉には強い気持ちがこもっていた。弟と妹がおり、その二人を大切にしているレイドが言うと心配されてたんだなと実感する。
「でもソウジくん、ここからが大変そうですね」
「大変って?」
フェリスの言葉にソウジはきょとんとした顔をした。対するフェリスはというと、レイドと顔を見合わせて苦笑している。そして次に口を開いたのはレイドで、続きをかなり言いにくそうにしている。
「あー、ほら、ソウジ。お前ってあの後、クリスちゃんと転移魔法でギルドホームに戻っちまっただろ? だから知らないんだろうけど……」
「う、うん」
あの時はあの場所でゆっくり話をすることもできないと思い、食堂からギルドホームへと転移したのだった。
「そんで、その前にクリスちゃん、お前のことを……えーっと、その、『兄さん』って呼んでただろ?」
「確かにそうだな」
「そのせいというかなんというか……」
ソウジとしては首をかしげるばかりである。言いたいことがよく分からない。そしてレイドの言葉の続きを引き取ったのは、フェリスであった。
「えと……クリスさんは今、ノーティラス家の娘さんということになっていますよね? だから、周囲の方たちから見るとソウジくんとクリスさんは家族ではなく、ただの他人同士に見えているわけです」
「えーっと……つまり、クリスがその状況で、かつたくさんの人がいるあの場所で俺のことを『兄さん』と呼んでいたのがまずかったってこと?」
「要約すればそういうことなんですが……」
どうやらフェリスが言う『大変』の本題はそこではないらしい。ではいったいどういうことなのだろうか? ソウジがそのことをたずねようとしたその時だった。
教室の扉が開き、外からクリスが教室に入り込んできた。そしてきょろきょろと辺りを見渡し、ソウジの顔を見つけるとぱっと笑顔になる。
「兄さんっ!」
クリスのその「兄さん」の一言にレイドとフェリスが苦笑い。どういうことなんだろうと思っていると、周囲の生徒たちから声が聞こえてきた。
「ほら、やっぱり……」
「じゃあ噂は本当だったんだ。あいつが――――」
またいつもの呪いだの化け物だのというひそひそ話かと思っていたら、
「――――クリスさんに『兄さん』プレイを強要しているのって」
(ちょっと待て)
そんなのは初耳である。兄さんプレイ? なにそれ意味わかんないとレイドとフェリスの方に首を向ける。二人はというと、さっと顔をそらしていた。が、いたたまれなくなったのかフェリスが苦笑交じりに補足を加える。
「ええーっと、実はあの場でクリスさんがソウジくんのことを兄さんと呼んでいたことで何がどうなったのか、ソウジくんが、クリスさんを出会ってすぐに籠絡し、彼女にして兄さん呼びをさせる、に、兄さんぷれいというものをクリスさんに強要させているという噂が一気に広がったみたいで……」
顔をやや赤らめながらそんな補足を付け加えるフェリス。ソウジとしてはまだ意味が分からない。何がまかり間違ってそんなことになっているのか。
「で、でもでもっ、悪いことばかりじゃないんですっ!」
「俺にとっては史上最悪の事態になっているんだけど……」
「だ、だって、この噂のおかげでソウジくんの悪評はもう誰も言わなくなってるんですよ? ユーフィア様の護衛を務めた件や交流戦での活躍もあったので、もうみんながソウジくんを認めてるんですっ。今回の噂で悪評もうやむやになりましたしっ」
「でもその代わり、出会った女の子をすぐに籠絡して兄さんプレイを強要させる変態になっちゃったけどね……」
本来ならば喜ぶべきことだろうがソウジとしては喜んでいいのか微妙なラインである。悪評が無くなった代償として変態の烙印を押されてしまったのだから。とはいえ、代わりにソウジの周りにいるフェリスたちを悪評に巻き込まれなくなっただけ喜ぶべきことなのだろう。そういう意味では、クリスに感謝しなければならないのかもしれない。まあ、そのクリス当の本人はソウジにすぐに籠絡されて彼女になって兄さんプレイを強要されているという立場を手に入れてしまったわけだが。
「兄さん? どうしたんですか?」
「えっ、あっ……」
気が付けばもうクリスが目の前にやってきていた。きょとんとした表情でソウジのことを見ている。その表情からはソウジに兄さんプレイを強要されているという噂をされているということに気付いているのかどうか怪しい。
「な、なんでもないよ。うん。なんでもない」
そのことは放課後にギルドホームできっちり話し合わなければならない。
「と、ところでどうしたんだ。昼休みでもないのに。すぐに授業がはじまるぞ?」
「兄さんと少しでも一緒にいたくて来ちゃいました。迷惑でしたか?」
「迷惑じゃ、ない、けど……」
その『兄さん』という一言で周りの生徒からのソウジを見る視線が変態を見る視線に変わっていることに彼女は気付いていない。これは放課後を待たずして早急に話をする必要があるとソウジは決意した。
☆
昼休みのギルドホーム。イヌネコ団のメンバー全員+クリスが出揃ったその場所で、ライオネルの笑い声が響き渡っていた。
「あははははははははは! で、出会ったばかりの女の子に兄さんプレイを強要させる変態になってるのかソウジ。こりゃ傑作だ!」
「笑いごとじゃないんだけど!?」
後輩ことライオネルに盛大に笑われている。かくいうクラリッサやチェルシー、そしてオーガストまでもが笑いを堪えている様子だ。
「もうっ、お兄ちゃん。笑ったらソウジさんに失礼でしょっ」
「わ、悪い悪い。でも……くくっ……は、腹いてぇ……」
ちょっとこの後輩殴りたい、と思ったものの、そこはぐっと堪えるソウジ。
「ううう……まさかこんなことになっているなんて思ってもいませんでした……」
しょぼんと落ち込むクリス。まさかこんなことになるとは夢にも思わなかったのだろう。
「えーっと、クリス。これからは『兄さん』って呼んでくれるのは控えてくれた方がいいかもしれないんだけど……」
「そ、そうですよね。兄さんに迷惑がかかりますし……」
口ではそう言っているものの、クリスはどこか残念そうだった。ようやく兄であるソウジと再会できたのだ。実際に会えた時はとても嬉しかったし、また兄としてソウジを慕うことが出来ることが嬉しくて仕方が無かった。だから正直、『兄さん』と言えなくなるのは悲しい。まるで自分とソウジがただの他人にしか見えなくなってしまうのではないかという不安がある。
目に見えて残念そうに肩を落としているクリスを見たイヌネコ団のメンバーたちはじっとソウジに視線を向けた。
「…………クリス、かわいそう」
「そうよ、せっかく会えたのに。『兄さん』呼びぐらい許してあげなさいよ」
「うぐっ……」
それを言われるとソウジも弱い。クリスの気持ちも分かるだけに。
「ソウジ、せっかくなんだから兄さん呼びぐらい許してやったらどうだ? せっかく会えた兄妹なんだからさ。会えなかった分の時間や思い出を埋めてやるのも、兄としての務めなんじゃないのか?」
「ライオネル……」
「なーに、兄さん呼びを許してもソウジ一人が兄さんプレイを強要させる変態の烙印を押されるだけなんだからさ。ぷくく……」
「おい」
どうやらライオネル的には今回のソウジの噂はかなりツボに入ったらしい。
しかし、会えなかった分の時間や思い出を埋める、という言葉でもう完全に逃げ道を塞がれた。
自分は兄として大したことをクリスにしてやることが出来なかった。自分が変態の烙印を押される程度で済むのならば、安いものだろう。
「ていうか、生き別れの兄妹ってトコぐらいは言ってもいいんじゃないか?」
「いや、それは……ダメだ」
クリスは元『十二家』である。そのことを知っている人間はいるだろうし、知らないにしても少し調べれば分かることだ。生き別れの兄妹という部分だけでも話してしまうとソウジが元『十二家』のバウスフィールド家出身であることもバレてしまう。
このことはあまり他の人には知られたくなかった。正直、あの家とはもう関わりたくないし、この学園で事件を起こしたエイベルのこともある。バウスフィールド家は今やあまり評判は良くない。元々、秘密主義なところがあり、当主をはじめとする者たちの態度も良くなかったので評判は悪い。
自分だけならまだいいが、また巻き込まれたりとばっちりでフェリス達にも悪評がいくことは避けたい。
更に言うならば自分は黒魔力の持ち主だ。そのことで兄妹であるクリスにあらぬ疑いをかける輩が出ないとも限らない。
なので今の噂のままの方が一番安全と言える。まあ、その分、変態扱いは免れないが。そんなことは些細なことだ。
「正直、あの家とはもう縁を切りたいんだ。クリスやみんなにまた迷惑がかかるのも嫌だしさ」
フェリスをはじめとするみんなは迷惑がかかる、という部分で不服そうな顔をしたがそれはあえて押しとどめる。言いたいことは分かる。自分たちは別に構わないといいたいのだろうが、ソウジからすれば嫌なのだ。自分のせいでみんなに関係のない悪評がついてまわるのは。
「…………うん。わかった。いいよ、今のまま呼んでも」
「ほ、本当ですか兄さん」
「ん。本当」
くしゃっとクリスの頭を撫でてやる。すると、クリスは心地よさそうな表情をしていて、「ありがとうっございます、兄さん」と幸せそうに呟いた。
「これで晴れてソウジも変態の仲間入りだな」
「オーガスト、わたしを見ながらそんなことを言うのはやめてください」
フェリスがげんなりとした表情で言う。変態という言葉とオーガストがこちらを見てくるのとで自分の姉のことを思いだしたらしい。
☆
「へっくちゅ!」
「あら、どうしたの?」
「んー。これは愛しのフェリスたんがわたしのことを考えた感じね。ちょっと妹の部屋に行ってくるわ」
「通報するわよ」
☆
「っ!?」
フェリスは不意に背筋に悪寒が走るのを感じた。それが気のせいであってくれと願いつつ、改めてクリスの方へと向き直る。
「あの、クリスさん」
「はい。なんでしょうかフェリスさん」
「あなたの他にもう一人、同じ学園からやってきた留学生の方がいましたよね?」
「ええ。フレンダですね。わたしの大切な友達です」
その妹の何気ない一言がソウジにとっては嬉しい。どうやら大切な友達もちゃんとできていて、少なくともバウスフィールド家にいた時よりは幸せな生活が出来ているということだ。
「わたしもフレンダのことは知っています。家同士の事情でよく会う事もありましたから……。ところでフレンダは、どうしてこの学園に来たのでしょう?」
「えっ?」
フェリスの疑問にクリスが困惑したように首を傾げている。
「どうしてって……」
「なに言ってるのよフェリス。なんか、上の偉い人たちの思惑があるとかなんとか、そういう事情だったんじゃないの?」
「確かにそうだろうし、それもある」
「…………本命は別にある?」
「そうだ。この場合、問題はフレンダのヤツがあの歳で騎士団に所属しているということだ」
クラリッサの言葉に応えるように放たれたオーガストの言葉にソウジをはじめとした、フェリスとクリスを除くその場の面々が驚いた。
「騎士団に入るのって確かそれなりの実力が必要だよな。そこらの下っ端兵士ならともかく」
「少なくとも、ただの学生に入るなんてことは絶対に無理だと思うんだけどよ」
ライオネルとレイドが目を真ん丸にしている。実際、騎士団に入るには相応の実力と魔法力や知識、経験が必要になってくる。
この学園の学生ですら、卒業後に騎士の道へと進む者は限られている。
「キャボット家は特殊だからな。ヤツは幼いころから特別な訓練を受けている。が、問題はそこじゃない。ヤツが戻ってきたということは、余程のことがある」
「オーガストさん、どうしてそんなことが断言できるんですか?」
ルナの疑問に対し、オーガストはフンっと唇を尖らせる。
「ヤツは騎士団の人間として特別な仕事をこなしているはずだ。学生という立場を利用した調査活動と、危険人物の排除がそれにあたる」
「実際に、フレンダは騎士団の特務隊の隊長だからな。そもそもあいつが他国に留学していたもの、何かしらの調査活動の一環だろうし、それを中断してまで戻ってきたということは、余程重要な案件があるとみた」
どうやらオーガストにはフレンダに対して何かしらの複雑な感情があるようだ。不満そうな表情をしている。そして、対するクリスはというとそういう事情は何も聞かされていないと首を横に振る。
だがソウジにはなんとなく、そのフレンダなる少女が呼び戻された『余程重要な案件』がなんとなく分かる気がした。ライオネルも同様のようで、ソウジと視線を合わせるとこくりと頷いている。
フレンダがこの学園に来た理由。それは、
☆
「『黒騎士』の調査、ですか?」
フレンダ・キャボットは騎士団の本部内にあるとある一室にて、上司にあたる父親から任務を言い渡されていた。
「ああ。正確には、『黒騎士』、『白騎士』と市民たちが呼ぶ存在の正体についての調査だ」
フレンダの父は騎士団の団長だ。キャボット家は代々、王都を守護してきた家であり、そしてその役目は今も受け継いでいる。だからこそキャボット家は、王都を騒がせる謎の二人の騎士について調べる必要があった。
「この二つの存在が王都にとって害を成すものなのかどうか、見極める必要がある」
「しかし、話に聞いたところによるとこの二人は『再誕』を名乗る犯罪組織を次々と撃退しているようですが……味方、ではないのですか?」
「確かに。市民も彼らを英雄視している。だが、そう決めつけるにはまだ早い。正体も分からないものを信用することは危ういことだ」
王都を守護する使命は重い。それはフレンダも分かっている。だからこそ、自分たちは慎重に行動しなければならない。自分たちの行動ひとつで王都を危機に陥れる可能性だって考えられるのだ。
「……わたしがレーネシア魔法学園に留学させられた、ということはつまり?」
「ああ。既に正体の目星はついている」
言うと、父は机の上に数枚の写真を広げた。そこにいたのは、二人の少年。片方には見覚えがある。この辺りでは、特に学園の中で彼は有名人だ。
「ソウジ・ボーウェンとライオネル・ブレイバー。まずはこの二人に接触して黒騎士と白騎士の正体を探れ」
「なぜ、彼らだと?」
フレンダが気になるのはその部分だ。『黒騎士』の力は絶大。それがよもや学生の身で振るえるレベルではない。
「『黒騎士』は黒魔力を使う。それだけでかなり候補が限られてくる。それに加えて……これまでの情報を統合すると、その『黒騎士』が現れる場所にはほぼ必ずといっていいほどソウジ・ボーウェンが存在する」
「こちらのライオネルという少年に関しては?」
「こちらはまだデータが不足している分、確率は低いが……白騎士が現れた時期とこのライオネルという少年がこの王都に表れた時期がほぼ同じだ。それに、彼は『白騎士』が身に着けているブレスレットと同じものを持っている」
確かにこうやって状況だけを考えてみれば怪しいのはこの二人である。
だが、フレンダにはどうやっても解消できない疑問がある。
「ですが……『黒騎士』のあの鎧は明らかに星眷魔法のソレです。そしてソウジ・ボーウェンには『アトフスキー・ブレイヴ』という星眷魔法がある。本来ならば星眷魔法は一人につき一つ。一人の人間が二つの星眷を持つなどありえません」
星眷魔法とは、自身の心や魂とも呼ぶべきモノを糧にして生まれる存在、星霊と契約し、眷属とすることで使用することのできる魔法。星眷が二つということは魂が二つ無いとおかしい。だが普通の人間に魂は二つも存在しない。
「その辺りの部分も含めて調査してほしい。彼らが怪しい状況にいたにも関わらずこれまで調査されなかったのは『星眷が一人につき一つ』という常識に縛られていたことに原因がある。ならばここは視点を変え、『星眷を二つ有する人間がいる』という前提をもとに行動してもらいたい。頼めるか」
いつものフレンダならば特に逆らうこともなう了承しただろう。だが調査対象は自分の友達である……大切な友達である、クリスの兄だ。彼女がずっと会いたがっていた、もう会えないと思っていた大切な人だ。
「もし……」
フレンダは気がつくと、了承を行わずに父にたずねていた。
「もしも、二人の騎士がこの王都に害を成す存在だったという事実が判明した場合、どうなるのですか」
その言葉に、父は瞼を閉じた。
「……その時は、消すしかない。害ある者達から王都を守護するのが、我らキャボット家の使命なのだから」
フレンダはぎゅっと拳を握りしめ、静かに了承の返事を呟いた。