第八十八話 話された過去
ソウジの目の前に来たその少女のことは、一目で誰なのか分かった。理屈ではなく直感で。サラサラとした長い黒髪。それを見た瞬間に、一気にあの頃の記憶が蘇る。忘れるはずもない。自分の大切な妹のことは。
妹――――クリスは、ソウジのことをじっと見つめる。だが自分の中で何かを核心すると、一気にそのタガが外れて瞳に涙を浮かべていた。
「兄さん、兄さん、兄さん……!」
クリスはこれまで押さえつけていた何かを一気に解放させると、その存在を確かめるかのように走り、そのままソウジの胸へと飛び込んだ。ソウジは困惑しつつも、妹の元気な姿にほっとしながら彼女を受け止めた。
「兄さん、兄さぁん……!」
クリスはそれだけを言いながら涙を流す。ソウジはそんなクリスを受け止めつつも、そろそろ周りからの視線が気になりはじめていた。フェリスとオーガストは、かつてのクリスを見たことがあるのだろうか。驚きつつも、この少女が誰なのかを理解している。だがわけのわからない他のメンバーたち、それに生徒たちはソウジとクリスの関係性が分からず困惑していた。特にルナ、クラリッサ、チェルシーからは「知らない女の子と抱き合っている……ふーん。へー。そうなんだー……」というような視線を送られてとても居心地が悪い。
「く、クリス。あの、そろそろ離れて……」
「いやですっ! もう、もう……わたしは兄さんから離れませんっ! ずっとここにいます!」
『ソウジ(さん)、その女の子は誰 (ですか)?』
フェリスを除く女子メンバーからの視線や他の生徒たちからの視線もそろそろ辛くなってきたので、ソウジは苦渋の決断をした。
「……………………ま、またあとで!」
それだけを言い残すと、ソウジはクリスを連れて転移魔法で逃げた。
転移した先はギルドホームである。ここならばとりあえず周りの視線を気にせずに話が出来る。そう思っていたのだが、ソウジはここには同居人がいることを忘れていた。
『………………』
ライオネルとユキである。二人は『再誕』から身を隠すためにこのギルドホームに住み着いている。その二人が、リビングに転移してきた、ソウジとクリスをじっと見ていた。当のクリス本人はまだ泣き続けているし、ソウジは二人の住居人からの視線にどう言い訳しようかと考えるばかりでどうしようもない。
「あの、ソウジさん……その方はいったい……」
「おいソウジ、オレたちはここに住まわせてもらってる身分だから偉そうなことはいえないけど愛人を連れ込むのはユキの教育に悪いから出来れば夜にしてほしいんだけど……」
「違うからな!? つーかこの子は妹だ! 妹!」
☆
その後、ライオネルたちには二階に行ってもらい、ソウジとクリスはあらためて話をすることになった。この頃になるとクリスもちゃんと話が出来る程度には落ち着いていた。ソウジは彼女をソファに座らせると、自分もその向かい側のソファに腰を下ろした。そして飲み物をテーブルの上に置き、あらためてクリスを見る。彼女はあの頃とはぜんぜん違っていた。ソウジの知るクリスはもっと小さかった。でも妹であるせいか、成長した彼女を一目見てそれがクリスだということが分かった。
「兄さん……生きて、いたんですね……」
クリスはじっとソウジの目を見つめていた。その存在をしっかりと確かめるかのように。ソウジはそんなクリスの目を見つめ返しながらこくりと頷いた。
「うん。生きてたよ」
「よかった……。本当に、よかった……。わ、わたっ、わたしっ。もうずっとずっと兄さんが死んだと思ってて……」
気を抜くとまた泣いてしまいそうになるのかクリスはぐっと堪えながら言葉を紡ぐ。ソウジはそんな彼女を少しでも安心させてあげたくて、自分の事を話した。
「俺はバウスフィールド家から追放された後、父親……いや、エイベルから放たれた追っ手の攻撃を喰らって、『龍の大地』に強制的に転移させられたんだ」
「はい。その部分はわたしもエイベルから聞かされました。だからもう、助からないと思って……でも、どうやってあそこから生き延びたんですか? それにあのソフィア・ボーウェンの弟子になっているなんて、知った時は驚きました」
「転移させられた後……」
あの後、ソウジはドラゴンに襲われた。そして殺された――――はずだった。だが謎の回復能力のおかげで助かったのだ。吹っ飛んだ体がみるみる再生し、ソウジの命を繋ぎ止めた。
(そういえば……)
あの時ソウジは前世の記憶を思い出したのだ。回復能力はこれまで何度もお世話になってきたが、あんな風に頭の中に映像が浮かんだのはドラゴンに殺された時と、あとは最強の魔人、リラの力で大ダメージを受けた時だけだ。あの時も一瞬だが死んだかと思った。
(もしかすると、死ぬぐらいのダメージを負った時だけあの映像が視えるのか……?)
最初に視た映像は前世のもの。だが次に視た映像は覚えがない。顔のよくわからない女の子が不思議な衣を鎧に変えていた映像。
――――その力が、あなたを守る盾となりますように。
(盾、か……)
ソウジは自分の中にある二つ目の星眷、『スクトゥム・デヴィル』を思い出す。あの鎧はちょうど『たて座』の力。彼女のもたらしたのもまた同じ鎧だったのだ。自分が星眷を二つ有している理由は分からないが、もしかするとあの少女が関係しているのかもしれないとソウジは思った。
「兄さん?」
不思議そうな顔をしたクリスに話しかけられて、ソウジは現実に戻る。
「て、転移させられた後、偶然そこにいた師匠……ソフィア・ボーウェンに助けられたんだ。俺は師匠の弟子になって、色々なことを教えてもらったし、強くしてもらった。ある日、師匠が昔この学園に通っていた頃の話をしてくれてさ。俺をこの学園に通う事を勧めてくれたんだ。その時は別に興味なかったんだけど……でもちょっと事情が変わっちゃってさ」
「事情?」
首をひねるクリスにソウジは一瞬だけ口を噤んだ。ソフィアがソウジのせいで呪いにかかってしまい、弱り、今や全盛期の半分の力もないことを言いたくはなかった。クリスがそうみんなに吹聴する子ではないということは分かるが何かの拍子にこのことが広まってしまうと、ソフィアを狙う不穏な輩が出ないとも限らない。
「色々、あったんだよ。とにかく、そういうわけで俺はこの学園にやってきたんだ」
そこでふと、ソウジはこの学園の来た時の頃を思い出した。あれからもう四、五ヶ月ぐらいだろうか。とても昔の事のように感じる。
「ここで、エイベルにも会ったよ」
エイベル・バウスフィールド。ソウジの弟にして、クリスの兄。生まれた日にちが微妙に違うだけなので兄だの弟だの言うのもおかしいのかもしれないが。
クリスはその名を聞いた瞬間に緊張を帯びたような顔をした。クリスからしても、エイベルには悪い思い出しかないのだろう。
「……そうですか。あの人は確か……犯罪を犯していたのがばれて、騎士団に連行されたとか」
「ああ。今頃、牢屋の中にでもいるんじゃないかな」
そう言うと、クリスはほっと安心したかのように息をついた。彼女も話しだけ聞いていたのだがこの王都に来てソウジの口からそう言われたからこそ、安心したのだろう。もうあの男の影におびえなくてもいいのだと。
「クリスは、どうしてたんだ? エイベルは、どこかに養子に出したって言ってたけど」
「はい。その通りです。兄さんが死んだと聞かされてからすぐに、わたしは隣国フィルネルスにある、とある小さな貴族家に養子に出されました」
「大丈夫なのか? その、何か変なことされたりとか……」
「ふふっ。心配性ですね、兄さんは。でも安心してください。バウスフィールドみたいな、あんな家とは比べ物にならないぐらいに素晴らしいところです。わたしを引き取ってくださったノーティラス家の人達もみんな良い人たちです。小さな領地もあるのですが、のどかで自然が豊かな、わたしの大好きな故郷ですから。兄さんも一度、遊びに来てください」
そう言って、クリスは笑った。成長した彼女の笑顔が見たのはこれがはじめてで、彼女が笑ったのは引き取ってもらった家の事を話した時だ。どうやらエイベルがてきとうに放り出した家は、図らずもクリスにとっての幸せをもたらしてくれたようだった。
「そっか。なんか、安心したよ」
「わたしもです。今の兄さんはとても楽しそうですから。この学園も、兄さんにとっての大切な居場所なんですね」
「そうだよ。ここは俺にとっての、大切な場所だ」
そのことに迷いはない。ここに来て、生徒たちに歓迎されたわけじゃない。むしろ蔑まれた眼で見られてきた。でもそんなことはソウジにとってとるにたらないことで、ここに来たからこそ今の仲間たちに出会うことが出来た。その事実だけが大切なことで、その事実さえあればこの場所がソウジにとって大切な場所であるということは変わりない。
「やっぱりここにいた!」
話がちょうど一区切りしたところで、ギルドホームにクラリッサたちが乗り込んできた。
ソウジは、驚くクリスにくすっと笑いつつ。
「紹介するよ、クリス。俺の大切な友達をさ」
☆
二階からライオネルとユキを呼び戻しつつ、あらためてソウジはみんなと向かい合った。クリスにクラリッサたちを紹介する前に、自分にはやらなければならないことがある。
自分が、かつて『十二家』の一つ、バウスフィールド家にいたことを、話さなければならない。
「みんな、聞いてほしいことがあるんだ」
そう前置きして、ソウジは一気に話した。
自分がかつて『十二家』のバウスフィールド家の人間だったこと。クリスが自分の妹であること。エイベルのこと。
「それで、この子が妹のクリス」
「クリス・ノーティラスといいます。えっと……よ、よろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げるクリス。ソウジはじっと話を聞いてくれていたみんなに視線を移した。もとから知っていたフェリスや、このことを話したことのあるクラリッサ、チェルシーはともかくとして、他のみんなにバウスフィールド家のことをはじめて話したのだ。どんな反応をされるのか分からなかった。
だが、結果的にみんなはすぐに受け入れてくれた。フェリスは元から知っていたし、クラリッサとチェルシーには話したことがある。他のメンバー的には……特にルナは、そのことが不満のようだが。
「どうして黙ってたんですか?」
「あー……えっと、話すタイミングが無かったっていうのと、ぶっちゃけた話、俺にとってもうあの家はどうでもいいことだったっていうのもあるし。でも……やっぱり、ちょっと話しづらかったんだ。あんな家で生まれたことが」
「生まれた家がどこだろうと関係ありません。ソウジさんはソウジさんです。そんなことぐらい、このギルドにいたのならわかるはずです」
「…………うん。そうだな」
ソウジは静かに頷きつつ。
このギルドが自分の中でどれだけ大きな存在であるのかを再認識した。