第八十七話 プロローグ
交流戦が終わってからしばらく。夏休みも明け、レーネシア魔法学園に秋の季節がやってきた。だが今年の秋はいつもに比べて生徒たちの心は浮ついていた。ただ新学期が訪れたというわけではない。今年の秋は特別だ。なぜなら、今年の秋は新しい生徒たちがこの学園にやってくるからだ。
夏休みに行われた交流戦の結果は、魔人たちの襲撃によって中止という結果に終わった。
だが五つの種族が結束して行われた第一回の交流戦を中止のまま放置しておくわけにはいかなかった。そこで、各大陸の代表者たちは話し合いの結果、レーネシア魔法学園に各大陸の学園の代表者たちを留学させることによって、五つの大陸、五つの種族同士の交流を行う機会を設けた。それが今回の留学というわけだ。中止させたまま放置しておくと後々、各種族間で疑惑や疑念がわきおこり、種族間交流に亀裂をもたらす恐れがある。それを回避する必要があったからこそ、留学という緊急処置をとったのだ。
「あー、でも良いかもしれないわね。こういうのも」
などと食堂の片隅でのんきな声を出しているのはクラリッサである。彼女はいま、ルナが作ってくれたパンケーキを美味しそうにもきゅもきゅと頬張っていた。彼女の特徴の一つであるイヌミミが幸せそうにピコピコと揺れている。
「交流戦って、名前の割に交流する機会が少なかったしね。むしろ今回みたいな留学制度があった方が、よっぽど交流できるんじゃないの」
「確かにそうだが、伝統というものもあるからな」
肩をすくめるオーガストの言葉に、レイドが何か思い当たるかのような表情で呟く。
「そういえば、交流戦ってずぅーっと昔からやってるんだよな。けっこー歴史あるみたいだし」
「百年戦争が終わり、四つの種族が共に歩み始めた際に友好の証として開催されたのが交流戦ですからね。それはもう長い長い歴史がありますよ」
「……そっか。魔法を使った戦闘系の競技なのも、戦後間もなかったから?」
「そうですね。戦後間もない頃でしたから、どの種族も戦うための技術しか競い合えるものがなかった。だからこそ、もう魔王のような存在に支配されない為に共に学び、鍛錬することを誓う為の交流戦ですから」
どうやら交流戦というものはソウジの想像していた以上に歴史のあるものだったらしい。ソウジは朝食を堪能しつつ、フェリスが披露してくれた知識をインプットしていた。
「でも、留学っていってもどういう人が来るんだろうな」
「お、なんだソウジ。興味あるのか?」
「そりゃな。マリアさんやエドワードは知ってるけど、それ以外の人とはあんまり関わってなかったし」
実際、クラリッサの言うとおり交流戦では他の種族の者達と関わる機会が少なかった。かろうじていくらか話せたのはマリア、エドワード、アーベルト、そして不本意だがギデオンぐらいだろう。少なくとも、マリアやエドワードが留学してくることは確定しているらしい。それと、なぜかギデオンも。
「マリアさんやエドワードは良いけど、ギデオンか……」
「あら。なんでそんなに嫌そうな顔してるのよ、ソウジ」
「……ソウジ、あのバカにがて?」
「そりゃ、二人にあんなことしたやつだし。まだあんまり許せないよ。俺としては」
交流戦が中止になり、種族間交流のフォロー的な面もあるお別れ会のようなパーティが最後に開かれたのだが、その場でギデオンはクラリッサとチェルシーに頭は下げた。クラリッサとチェルシーは一応、謝罪は受け入れたのだがソウジとしてはそう簡単に許したくはない。
「というか、むしろお前たち二人はよくアッサリ許せるな」
オーガストもソウジと同じような気持ちなのかどこか複雑そうな表情をしている。
だがクラリッサ当の本人はというと、えへへと笑いながらイヌミミをピコピコとさせていた。
「だって、ソウジがわたしたちの面倒見てくれるっていうから、怖くなんかないわよ」
「…………責任とってもらう」
「えへへ。わたしとチェルシーのこと、支えてくれるのよね、ソウジ」
「…………わたしたち、がんばる。幸せな家庭を築こうね」
『……………………はい?』
ソウジはこの場の空気が凍りつくのを感じた。正確には、フェリスと、丁度良い(?)タイミングでやってきたルナの空気が凍りつく。
おかしい。クラリッサとチェルシーの言葉を、フェリスとルナは変な風に捉えている。二人の背後からゴゴゴゴゴゴゴゴ……と擬音のようなものが聞こえてくる。それもかなり殺気立ったタイプの。というかどうしてクラリッサにしてもチェルシーにしてもぽっと頬を赤くしているのだ。『責任をとる』『支える』にそんな恥ずかしがるような意味は無いはずだ。というか幸せな家庭とはなんだ。
オーガストとレイドはだんまりを決め込んでいる。というか、ソウジとしては何もしていないのにどうして自分が責められているのだろうか。
「……ソウジくん。責任をとるとか、支えるとか、幸せな家庭とか……どういうことですか?」
「……わたしも、詳しい事情をお聞きしたいのですが。支えるというのは仕事の面でという意味ですか? それとも家事の面でという意味ですか? それとも……育児の面で、なんてことは言いませんよね?」
魔人をも凌駕しているであろうフェリスとルナの謎の静かな怒りの矛先がソウジに向けられた。頼れる仲間はいない。この場にライオネルがいてくれれば場を何とかしてくれたかもしれないとソウジはこの場にいない後輩にして相棒を恨んだ。とはいえ、仮にライオネルがこの場にいたとしてもレイドやオーガストと同じようにだんまりを決め込んでいただろうが。
(いやいやいや。ちょっとまてなんだこれ。というか、あの時の会話がなんでこんなにも発展しているんだ!?)
濡れ衣をきせられたソウジはだらだらと嫌な汗が流れ落ちていくのを感じる。こんなプレッシャーは魔人と戦った時ですら感じたことが無い。なんということだ。目の前に二人も魔人を超える存在が出現しているとは。
「ソウジがお金を稼いでいる間、わたしたちは家事をがんばるのっ」
「……金銭的な面で面倒をみてもらうから、家庭はわたしたちがまもるね」
『………………………………………………………………へぇ。もうそこまで話が進んでいるんですね』
完璧なシンクロを見せたフェリスとルナ。だがソウジにとっては嬉しくもなんともない。むしろ二人の阿修羅が目の前に誕生してしまったことに嘆きすら覚えていた。ていうかいつの間にそんな話が進んでたんだ。初耳だ。だが問題は目の前の阿修羅二人をまともに相手をすれば確実にやられるということだ。ソウジはこの場を離脱する術が何かないもんかと周囲をみながら模索してみると、不意に食堂の入り口からざわめきが聞こえてきた。
周囲の生徒の話し声から察するに、どうやら件の留学生が食堂にやってきたらしい。
「あ、あー。ほらみんな見てみろよ、あそこにいるのって留学生じゃないか?」
苦し紛れの話題逸らし。だがフェリスとルナのジトッとした視線は未だ感じるままである。
しかし、他のメンバーは留学生に興味があるのか食堂の入り口に視線を向けた。
そこにいたのは二人の女子生徒。種族は……人間だ。レーネシア魔法学園の生徒を留学生と誰かが見間違えたのかと思ったが、制服が違った。別の学園の制服だ。
一人はアクアブルーの髪に凛とした表情が特徴的で、一本の剣を髣髴とさせる存在感を持った少女。
もう一人は、ちょうど人の陰に遮られて顔はよく見えないものの長い黒髪が特徴的な少女。
二人とも着ている制服がレーネシア魔法学園のものではない。
「あれ? あの二人って人間……だよな?」
「そうみたいね」
「……制服が違う。交流戦にいたどの学園のでもない」
レイド、クラリッサ、チェルシー、そしてソウジが首をひねっているとオーガストが補足をいれた。
「ああ、あれは『王立ヴェルディア魔法学園』の制服だな」
「『王立ヴェルディア魔法学園』? 別の魔法学園の生徒がどうしてここに?」
「まあ、それはいろいろと事情があるんだが……いま僕たちがいるステジア王国だが、ステジア王国と同盟を結んでいる国の一つにフィルネルスという国がある」
「確か、人間族の大陸で二番目に規模が大きい国だったっけ」
クラリッサの言葉にオーガストが頷いた。
「そうだ。そして今回の多種族留学の件が出てくるのだが、この多種族留学は言ってしまえば他の種族とのコネクションを作る大きなチャンスともいえる。レーネシア魔法学園が掴んだそのチャンスのおこぼれをいただこうと、今回フィルネルス最大の学園である『王立ヴェルディア魔法学園』からの留学生を二名ほど派遣してきた形となる」
「へぇ。そんなこと、よくできたな。そんなんだったら他の国も黙っちゃいねぇんじゃねーのか?」
レイドの言葉にオーガストは勿論だと頷いた。
「そうだろうな。だが、今回の留学生二人は事情が特別だ」
「……特別?」
「今回フィルネルスから来た留学生二人はもともと、こちらの国の出身だ」
「なるほどな。里帰りって名目で留学させたわけだ」
よくもまあそんなこと考えるもんだとソウジは半ば呆れながら感心していた。第一、留学させたからといって上手く他の種族とのコネクションが作れるとも限らないのに。とはいえ、実際に留学だろうとなんだろうと実際に接触してみなければどうなるかもわからないのでさせてみるだけ得ということだろうか。
「でもオーガスト、アンタよくそんな詳しい事情を知っていたわね」
「……そういうのはフェリスの担当かと思ってた」
「おい、僕もフェリスと同じ『十二家』だからな。それに……」
オーガストはどこか悔しげな表情をしつつ、アクアブルーの髪の少女へと視線を向けた。
「あの女も『十二家』の、見知った顔だ」
その言葉に、ソウジたちはどこか緊張した面持ちとなった。『十二家』。『皇道十二星眷』を有する魔法の名門、上位貴族たちのことを指す。それほどの実力者が国外の学園に通っていたという事実が驚きだ。そんなソウジたちの反応を読み取ったのか、オーガストはあのアクアブルーの髪の少女へと苦々しげな視線を送り続けながら説明を続けた。
「フン。やつの家は『守護のキャボット家』と呼ばれている。『武のソレイユ家』と対を成す、代々この王都を守護し続けてきた騎士団の家系だ。この街の騎士団長もキャボット家の者だったしな。国外の学園に通っていたのも、剣技の名門である『王立ヴェルディア魔法学園』で剣技を鍛えるという目的と、何かしらの国外調査も兼ねているのだろう。フィルネルスはステジア王国の隣国だから、調査も密に行う必要があるだろうしな」
流石は同じ『十二家』ということなのか、オーガストはやけにあのアクアブルーの髪の少女の事を知っているようだ。とはいえ、ただ同じ『十二家』ということだけなのだろうかという疑問もあるのだが。
「へぇ。オーガスト、お前ってやっぱすげぇんだな! そんな色々と知ってるなんてよ!」
「そ、そうでもないさ。ま、まあ? レイドがもっと教えてほしいというのなら教えてやらないこともないぞ」
キラキラと瞳を輝かせるレイドにまんざらでもない様子のオーガスト。ソウジは頭の中で「なんかオーガストってチョロそうだなぁ」と思ったのは秘密である。
「じゃあ、あのもう一人の女の子は誰なんだ?」
「そ、それは……分からない……。ただ、過去にこの国のどこかに住んでいたらしいということぐらいしか知らん」
しゅんと落ち込むオーガスト。
その件の黒髪の少女を見ていると、何やら生徒たちと話しているようだ。話している、というよりも何かをたずねているように思える。ここからだと生徒たちの雑談の声もあってよく聞こえないのだが。
「そういえば、わたしも名前までは知りませんでした」
というのは、ようやく会話に参加してきたフェリスである。
そうこうしているうちに、ソウジは件の黒髪の少女がこちらの席に近づいてきているということに気がついた。もしかしてこの学園に知り合いがいて、その人のところに向かおうとしているだけなのかもしれないと思ったが、違った。その少女はただただじっとソウジのことだけを見ていた。その視線がなんだか落ち着かなくてソウジは少女から顔を逸らし続けていた。
だが、その少女からどこか懐かしい感じがしたソウジは、つい黒髪の少女へと顔を向ける。
視線が合う。
お互いの姿を、確認する。
ソウジはその少女の姿を見た瞬間、思わず呼吸が止まってしまった。なぜならばそこにいた少女は、ソウジがもう二度と会うことが出来ないと思っていたからだ。
少女の方もソウジの事をじっと見ており、まるで何かを確認するかのように見つめ続けたあと。
「――――――――兄さん」
「――――――――クリス」
かつて同じバウスフィールドの名を有していた兄妹が、九年ぶりの再会を果たした。
とりあえず念のため。
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