第七十三話 プロローグ
ソウジ・ボーウェンは現在、選択を迫られていた。
その選択肢は二択だけの実にシンプルなもの。
退くか退かないか。
たったそれだけ。
だがその二つはソウジにとってとても難しいものだった。
下手をすれば以前、戦った魔人と名乗る者よりも今ソウジの目の前にいる敵は手強い。否、敵ではない。目の前にいる人物はソウジの大切な仲間であり、我らがギルドマスターなのである。そしてもう一つ正確に言うならば、我らがギルドマスター、クラリッサ・アップルトンがいるのはソウジの目の前ではなく、胸の中だ。
今現在、ソウジは朝のギルドホームにある部屋の中にある、ベッドの上で寝転がっている。布団をかぶり、さあこれから起きようというところで違和感に気づいたのだ。なぜか同じ布団の中にクラリッサがいた。しかもすやすやと気持ちよさげに眠っている。
「んむぅ……まーがれっと……」
しかもソウジのことを、毎晩夜を共にしているぬいぐるみであるマーガレットと勘違いしている。
どうしてこうなったのかは分からない。分からないったら分からない。
(…………そういえば)
ふと、こういうことが前にもあったことをソウジは思い出した。チェルシーとはじめて出会った時のことだ。彼女はクラリッサに言われてソウジを当時、立ち上げようとしていたイヌネコ団にスカウトしにきたのだ(籠絡してこいと言われたらしいが)。それで何を思ったのかチェルシーはソウジを籠絡するためにソウジの寝ている布団の中に潜り込み、なぜかそのまま寝てしまっていたのだ。朝起きたソウジは今のようにとつぜん布団に入り込んできた美少女に困惑したものだ。
イヌネコ少女二人はこうして誰かの布団の中に入るような習性でもあるのだろうかと思っただが、今はそんなことを考えている時ではない。
今は選択の時なのだ。
退くか、退かないか。
なにも無防備なクラリッサにへんなことをしようというわけではない。
このまま退いてそっと布団の中で眠らせておくか、それとも退かずにゆっくりと起こしてやるか。
前者を選べば起きた時にクラリッサはとてもとても恥ずかしい思いをして下手をすればソウジに何かしらの被害が降りかかってくるだろう。かといって起こしたらそれが早まるだけのような気もする。ここからソウジだけひっそりと布団から出ようにもクラリッサはぎゅーっと抱きついてきてそれも出来ない。転移魔法を使おうかと真剣に悩んだがクラリッサがこうも抱きついてきては転移しようが一緒に転移されてしまう。
あれ? これってどうしようもなくない? と思わなくもないが、しかしこのまま退いてクラリッサの目が覚めるまで待つと誰かがソウジを起こしに来るかもしれないという。やっぱりどうしようもないとソウジが絶望しかけたその時だった。
「うにゅ…………」
マーガレットちゃんが大好きなギルドマスター、クラリッサ姫がお目覚めになってしまった。
「んー……? そーじ……?」
どうやらクラリッサはまだちょっと寝ぼけているようだ。ぴくぴくと可愛らしくイヌミミを動かしながら上半身を起き上がらせ、ふにゃっとした表情のまま両手をソウジの方に伸ばす。
「だっこ……」
「えっ」
どうやら寝ぼけているようで、頭がぼーっとしているようだ。どういう経緯でこうなったのかはいまだに分からないソウジだが、とりあえず応じられるがままだっこしておく。クラリッサは半袖のブラウスを着ているのだが、少しはだけているのでだっこはよろしくないのだが、我らがギルドマスター、クラリッサ姫に言われては仕方がない。
「ま~がれっと~♪」
どうやらソウジのことをマーガレット(ぬいぐるみ)と勘違いしているらしいクラリッサがぎゅうっと更に抱きついてくる。クラリッサの小柄ながらも柔らかいからだや小ぶりながらもやわらかい感触。女の子特有の甘い香りに思わず変な声が出そうになるがぐっと堪える。
(そ、そもそもどうしてこんなことになったんだ? 覚えが……)
……ない、と思ったがおぼろげになぜこうなったのかの記憶が蘇ってきた。昨夜はソフィアの力を取り戻すために行っている調べものを夜遅くまでしていて寝不足になったのだ。今朝はそのせいでいつもよりも起きる時間が遅くなってしまった。そこでクラリッサがこの部屋に入ってきて……ソウジを起こそうとしていたような、そんなおぼろげな記憶がある。その時に何がどうなって今のような状況になったのかは不明だが兎にも角にもきっかけはそういうことになる。
一度、クラリッサと同じ布団で寝たことがある。その時にクラリッサはもうソウジよりはやく起きていたのでこういうような状況にならなかった。
(いや、そんなことはこの際どうでもいい。今はどうやってこの状況を切り抜けるかだ)
何しろ、ベッドの上でクラリッサを抱っこしているソウジというこの光景を誰かに見られたら絶対に良くはならない。ライオネルが冒険者としての依頼か何かで出かけていて助かった。あとはねぼすけさんのクラリッサをいかにして上手く引きはがすか――――
「……………………………………………………」
「…………………………………………や、やあ。チェルシー……」
「……………………ソウジ、おは」
「お、おは……」
「…………クラリッサと、何してるの?」
「なんでしょう……」
「…………らぶらぶちゅっちゅ?」
「違うからな!?」
「……じゃあ、わたしとする?」
「しないよ!?」
「……ソウジ、クラリッサとはしてるのに。ひどい」
「だからしてないって!」
「……冗談」
「冗談でもそういうこと言っちゃダメ!」
「……クラリッサ、寝ぼけてる?」
「そうみたいだ……」
無表情のまま淡々と会話をするチェルシー。冗談と言っている割に不機嫌そうなのはこの際おいておくとして、さすがはチェルシーといったところだろうか。クラリッサが寝ぼけていることにすぐに気がついてくれた。
「……クラリッサ、寝起き直後はまともじゃないから」
「それは出来ればもっと早く教えてもらいたかったな」
「……でもすぐに目を覚ますよ?」
「それも早く教えてもらいたかったなぁ!」
この際もう何でもいいからはやくクラリッサをベッドに戻そうとしたソウジ。
だが、もう遅かった。
「……………………」
「……クラリッサ、おはよ」
「…………おはよう。チェルシー」
顔を真っ赤にしたクラリッサが、ソウジの目の前にいた。
「…………おはよう。ソウジ」
「お、おはようございます……」
「…………ねぇ、これってどういう状況なのかしら……」
「それは俺にも分かりません……」
「……クラリッサ、ソウジにぎゅーってしてた。まーがれっとって呼んでよ?」
ソウジが必死にごまかそうとしているところにチェルシーがいらぬ一言をぶち込んできた。
「ち、違うのよ! そ、ソウジが起きないから起こしに行っただけなの! そ、それでソウジ、ぜんぜん起きないし……それに昨日は夜遅くまで頑張ってたから寝かせてあげようと思ったの!」
「それでなんで布団の中に……」
「そ、ソウジがあんまり気持ちよさそうに寝るからつい……それにチェルシーもこの前、気持ちよかったって言ってたから……」
「そ、それでお布団の中に入られたんですか……」
「だ、だって気になるじゃない……はっ!」
どうやら自分が色々なことを口走ってしまったことをようやく理解したらしい。
クラリッサは顔を真っ赤にして今にも泣きそうな表情になっていた。
「う、うううううううう~~~~!」
「待ってクラリッサ。落ち着こう」
「お、お、お、落ち着けるわけないでしょ――――!? は、はやく降ろしなさいっ!」
ぽかぽかとかわいらしい威力でソウジの胸を叩いてくるクラリッサにソウジも慌ててクラリッサをベッドに降ろそうとするも、
「うわっ」
「きゃあっ!?」
クラリッサがあまりにも暴れるからかついバランスを崩してしまい、半ばクラリッサをベッドに押し倒すような形になってしまった。
「……わお。ソウジ、だいたん」
「ご、ごめん。これはあくまでも事故で……」
「……でもちょっとむかむか。クラリッサ、ずるい」
チェルシーは何やら不機嫌だし、クラリッサはクラリッサで顔を真っ赤にしているし、もう何がなんやらだと混乱していたソウジだったのだが、
「――――朝からとても面白いことをしていますね。ソウジくん」
「…………フェリス、さん……?」
ギギギギギ……と油が切れたロボットのような動きで振り向いたソウジ。そこにいたのは、ニコニコとした笑顔を保ったフェリスだった。
「お、お帰り……」
「ただいまです。うふふふふふふふふ」
笑っているのに目が笑っていない。それに全身から強大な怒りのオーラのようなものを出している……ような気がした。
この後ソウジはフェリスに正座させられ、お説教された。
☆
お説教が終わると朝食がはじまる。フェリスに続いてギルドホームに帰ってきたオーガストと、更にライオネルを加えて、ライオネルとユキがこのギルドホームに住むことになった経緯をフェリスとオーガストに説明する。二人は快く同意してくれたので、ライオネルとユキはほっとしていた。
「それにしても……十二家である僕やフェリスが勇者様の子孫の方にお会いできるとはなぁ……」
オーガストは感慨深そうにライオネルとユキを眺めていた。
「おいコラ。人の妹をじろじろ見てんじゃねーぞこのボンボン」
「い、いや、そういう意味じゃないですっ!」
ギロッとライオネルに睨まれて慌てて訂正するオーガスト。
「お兄ちゃんっ! オーガストさんに失礼だよ!」
「うっ、け、けどよぉ、ユキ。お前も年頃の娘なんだし……」
「オーガストさんにごめんなさいは!?」
「ご、ごめんなさい……」
「い、いやそんな! 失礼なのは僕の方ですから頭をあげてください!」
あわあわと戸惑うオーガストの様子を見てソウジはフェリスにたずねる。
「さっきからなんでオーガストはあんなにもかしこまっているんだ? 『十二家』と勇者が関係しているみたいだけど……」
ソウジの問いにフェリスは苦笑しつつ、その説明をはじめる。
「もともと、わたしたち『十二家』というのは、かつてこの世界に召喚された勇者様を支えた十二人の騎士の家系なんです。当時の国王様が勇者様を支える剣として『原初の星眷』を十二の星眷として分割し、その騎士たちに与えました。それが『皇道十二星眷』です。十二星眷を与えられた十二の騎士たちは、勇者様たちの戦いを世界各地でサポートしました。その功績がたたえられて、わたしたちの家系は上級貴族として今もなお存在しています。つまり、今の『十二家』があるのは勇者様のおかげ、ということなんですよ」
フェリスの話を聞いて納得する。つまり要約すれば、『十二家』というのは勇者様に頭が上がらないらしい。そもそも勝手にこの世界に呼び出して戦ってもらったのだから頭が上がらないのも当然か。
「つっても、オレらは元々貴族なんてもんじゃなかったし。ごくごく普通の一般市民だったからなぁ」
「そうだよね。わたし、お母さんに頼まれておつかいだってしたことあるもん」
「おつかい……だと……?」
オーガストが衝撃を受けたかのような表情をして固まっていた。どうやら彼の中では『勇者の家系』というのはおつかいはしないイメージだったらしい(どんなイメージだ)。
「そうそう。あの時は大変だったなぁ。走ったユキが買った大根落としちゃうんだから」
「も、もうっ。やめてよお兄ちゃん」
「大根……だと……?」
「オーガスト、そろそろ正気に戻ってこい」
色々とショックを受けているオーガストを現実に引き戻していると、「そういえば」とライオネルが何気なく呟いた。
「このギルドってあと一人メンバーがいるみたいだけど……そいつはどこにいるんだ?」
「…………知らん」
ライオネルの質問に、さきほどまでの態度はどこへやらといった様子でオーガストがぷいっとそっぽを向きながらこたえた。その後、「いったいどこで油を売っているんだあのバカめ……」とブツブツ言っている。レイドが消えてからもうかなり経つがあれから一向に何の連絡も来ない。
☆
そこは、ただひたすら荒野が広がっていた。そんな荒野にいるのは二人の少年。二人ともボロボロになったマントをはおっており、頭には「魔法上等」と書かれたハチマキをしている。
二人の少年はお互いの武器を構えると、幾度も交錯しながら互いに攻撃を重ねていく。やがて二つの武器が激突し、二人の少年は同時に弾かれた。
「ッ……さすが兄貴。今の一撃、痺れたぜ」
「へっ。もうへばったのか、レイド」
「まだまだッス!」
「そうだその意気だ! 第二競技のギリギリまでやるぞ、かかってこい!」
「押忍ッ!」
掛け声と共に、二人の少年が再び交錯した。