第五十九話 五人の魔人
交流戦がはじまるとなって、様々な種族の者たちが王都を訪れていた。人の出入りが多くなれば自然と警備の漏れも増えてくる。ましてや王都は広い。その者達の侵入を許してしまうのも仕方のないことだった。そしてその者達は夜の暗闇に包まれている『下位層』の中にある見慣れた廃墟の内の一つに集まっていた。
全部で五人。しかもそれぞれがローブを身に纏っているのだが、どれも色が違う。
一人は赤。
一人は青。
一人は緑。
一人は黄。
一人は紫。
さながら五大属性の内のそれぞれの属性を、各人が司っているかのようだった。
「あー、もう交流戦が始まっちまうぜ? めんどくせえ調べゴトなんて止めてもう全部、テキトーにぶっ飛ばしちまった方が速いんじゃないか?」
赤いローブの少女が気怠そうに言い、
「……ああ」
青いローブの青年がじっと目を閉じた状態でこたえ、
「あら、相変わらずの単細胞さんね。気の毒なこと」
緑のローブの女が、少女を小ばかにしたような笑みを見せ、
「ガッハッハッ! 相変わらず仲がいいなぁ、お前らは!」
黄色のローブをまとった大柄な男が快活に笑い、
「そろそろくだらないお喋りは止めろ」
紫色のローブをまとった女性が、その場にいた全員を睨みつける。
「けどよぉ、リラ! ちまちまちまちま探したって見つからないぜ!? モタモタしてるとこの前みたいに功を焦ったバカが貴重な『巫女』をぶっ殺しかねないしよぉ」
リラと呼ばれた紫色のローブを纏った女性が、赤いローブをまとった少女、ロートに鋭い眼差しを向ける。ロートが言っているのは、以前ユーフィアを襲撃した者達の事だ。本来、ユーフィアは殺すべき対象ではない。むしろこれからの計画に必要な存在だ。殺してしまうことはありえない。だが、『邪結晶』を持つ一部の者たちが、何を勘違いしたのかユーフィアを殺そうとしていた。もしも黒騎士がいなければと考えるとため息が漏れる。
「それは分かっている。だがアレも無駄だったとはいえない。あの一件で、ユーフィア姫から『反応』が出たのだからな。これでユーフィア姫が『巫女』であるという確証を得た」
「でもぉ、危うく殺されるところだったわよねぇ? まあ、あんまり同意したくはないけど、ワタシたちが何らかの行動を起こさないと下のおバカさんたちがまーた何かやらかしちゃうかもよ?」
緑色のローブを纏った女、グリューンがつまらなさそうな表情のままリラに淡々と事実を告げる。
「……それで、どうするのだ」
青いローブを纏った青年、ブラウがさながら達人のような眼光でリラに問う。
「今夜、我らをこんなところに呼び出したのはそれなりに理由があるのだろう?」
「そうだ。今夜、もう一人の『巫女』候補の確認を行う」
「待ってましたぁ!」
リラの言葉に歓喜したのは、ロートである。
「アタシにいかせろ、リラ!」
「いや、今回は……ブラウに行ってもらう」
「はぁ!? なんでアタシじゃなくてこのムッツリ野郎なんだよ!」
「お前だとやりすぎる場合があるのだろう。仮に今回、確認を行う候補がハズレだとしても、本命があの中に混じっているかもしれない。それをまとめて殺してしまう場合がある」
「まあ、当然よねぇ」
「ふむ。確かにロートは儂と同じであのような場所で暴れるのは不向きだからなぁ」
「……チッ!」
グリューンが頷き、更に黄のローブをまとった大柄な男、ゲルプにも頷かれた。
更にロートはリラのいう事に不本意ながらも一理あると感じたのか大人しく引き下がる。それにこれ以上、駄々をこねてグリューンにバカにされるのは嫌だった。
「というわけだ。やってくれるな? ブラウ」
「……承知した」
リラに促され、ブラウはそれを了承する。
「『巫女』の力は、その人物が命の危機に瀕した時に姿を現す可能性が高い。我ら魔人の力を振るって『巫女』の力を引きだしてこい。そしてもし、あの場に『巫女』がいた場合は連れてこい。できるな?」
「……承知した」
魔人ブラウはそのまま青い剣を取り出し、その場を去って行った。
彼が目指すその先には、前夜祭のパーティが行われているレーネシア魔法学園があった。
☆
生徒会長であるエリカや学園の教師たちの歓迎の挨拶が終わり、パーティが始まった。この交流戦は他種族との交流と友好的な関係を結び、維持するための場である。そのため、交流戦に参加する生徒たちは他の大陸から訪れてきた生徒たちと話す『義務』がある。二年生、三年生は去年もその前の年からも他の大陸の生徒たちとは関わりがあるので割とスムーズに話が出来ている。
しかしソウジたちはというと全員が一年生なので他の大陸に知り合いがいるわけでもなく、なんとなく話しづらい。仕方がないので出来るだけ隅の方にやってきているのが現状だ。
「あー、もうやだやだ。こんなところ来るんじゃなかったわ」
「…………うん」
「こら二人とも、このパーティに参加するのは僕たち『選手』の義務だぞ」
オーガストがクラリッサとチェルシーに対してため息をついているが、ソウジとしてはクラリッサとチェルシー、二人の反応が少し気がかりだった。
普通のパーティならば二人ともこんなことは言わない。特にチェルシーがクラリッサの今のような発言を肯定することは珍しい。だが、すぐにその理由も理解した。クラリッサとチェルシーは先ほどからきょろきょろと辺りを見ているように見えるが……実はその視線は、とある種族にしか向いていない。
獣人族。
先ほどから彼らの『耳』と『尻尾』をチラッと盗み見ている。
さすがにこのような場で帽子はかぶれないし、帽子なんかかぶれば逆に目立つ。
だがクラリッサとチェルシーは過去に獣人族に対して何らかのトラウマのようなものがあるらしく、さっきからしきりに獣人族の方を気にしており、どこか怯えたような表情をしていた。
オーガストもようやくそのことが分かったのか口を噤む。
その時だった。
「あァ? なんだお前ら、獣人か?」
その声は明らかにソウジたち、否、クラリッサとチェルシーに向けられたもので、その当の本人達二人は怯えたようにびくっと肩を震わせた。そして心なしかゆっくりと振り向くと、その声をかけてきた人物と目が合う。ソウジも振り向くと、そこにいたのは獣人族の少年だった。その少年は狼の獣人のようで、オレンジ色の髪に加えて狼の耳と尻尾をあわせもっている。顔のつくりも髪質もどこか獣を髣髴とさせる彼は紛れもない獣人族の少年であり、そんな彼はレーネシア魔法学園の制服に身を包む、獣人族のような少女二人を見て怪訝な顔をした。
「いや、尻尾が無い……種族としての特徴が欠けているっつーことはてめぇら、『半獣人』か?」
途端、その獣人族の少年の眼が変わった。明らかに冷たくなり、クラリッサとチェルシーを見下している。その眼にクラリッサとチェルシーは怯えたように俯いている。体が微かに震えており、動けないでいるのかその場に釘付けになっていた。
「はっ、オレと同じ一年で代表に選ばれたやつらっていうからどんなもんかと思ってきてみれば、『半獣人』かよくだらねー」
明らかにバカにした態度に、思わずフェリスとオーガストも眉を寄せる。特にオーガストは忌々しい顔をしながらその獣人族の少年を見ていた。オーガストとしては、過去の自分を見ているようで気分がよくないのだろう。
「あァー、ったくよぉ。楽しみにしてたっていうのにこんな出来損ない共が相手だと楽しめ無さそうだぜ。つまんねぇなァ」
クラリッサとチェルシーはかたかたと体を震えさせており、過去にあった何かしらの出来事を思い出してしまい、怯えているという事が分かる。二人はソウジの制服の袖をきゅっと掴んでいる。まるで何かに耐えようとしているかのように。
その小さな体は今にも倒れてしまいそうで、何とかして必死に立っているという事がソウジには分かった。いつもの元気なクラリッサの顔から笑顔が消えて、いつもマイペースなチェルシーは恐怖という感情で埋め尽くされてしまっている。
恐怖によるトラウマでソウジの背中に隠れようとした二人をさながら面白い玩具でも見つけたかのような表情をした獣人族の少年が呼び止める。
「待てよ、そこの『半獣人』。もっとよく見せろよ、その無様な耳を」
言うと、その獣人族の少年はあろうことかチェルシーの耳を無理やり掴んで乱暴に引っ張り出した。
「……いやっ……!」
「チェルシー!」
クラリッサが苦痛に顔を歪めるチェルシーに手を伸ばす。だがその前に、別の手が獣人族の少年の手を掴んだ。
「あ?」
「それ以上チェルシーに手を出すなら――――この手を潰す」
その無礼な手を掴み、力を徐々に込めてそのまま無理やりチェルシーの耳から手を離させる。なんなら、このままへし折ってやってもいい。問題になろうと知ったことか。ソウジは相手の獣人の少年を殺気を込めて睨みつける。ここまでやられて黙っているつもりは無かった。
「てめェ……このオレ様に向かってなんでこんなマネをしてやがる? あァ?」
「礼儀のなっていない無様でバカな獣を躾けるのに理由がいるか?」
「はァ? バカな獣だぁ? なめてると八つ裂きにするぞ」
「お前如きに八つ裂きにされる程度なら俺は今、ここにはいないんだけどな」
「はぁあああああ?」
ぴきっと明らかに怒りの表情をした獣人族の生徒が今度は殺気立つ。
あわや一触即発になりかけたその瞬間――――、
「こんっの、大馬鹿野郎がぁああああああああああああああああああああああ!」
獣人の少年を、また別の獣人の男子生徒が思いっきり蹴とばした。
すこーん! という小気味良い音と共に蹴りが綺麗に決まって狼の獣人の少年は吹っ飛ばされる。
ソウジは呆気にとられていると、いきなり獣人の少年を蹴とばした蹴とばした別の獣人の男子生徒――熊の獣人――が狼をひっつかんでソウジ達の元へとダッシュで戻ってきたと思ったら、物凄い勢いで頭を床に叩きつけて土下座した。
「本っっっっっっっ当に申し訳ありませんでした! ほら、お前も謝れ!」
「痛ってぇな、何しやがる!」
「お前がとんでもないことをやらかしてくれたんだろうがぁあああああああああああああああ!」
熊の獣人は、狼の獣人の頭をまた思いっきり床に叩きつけた。「ふごぉ」という呻き声のようなものが聞こえてきたようだが、熊の獣人の生徒は気にした様子はない。むしろ「これでもまだ足りない方だ」とでも言わんばかりの表情である。
「本当に申し訳ない! うちの一年は、自信過剰のバカでもう、どうしようもないぐらいのバカなんです。許してくれとは言いませんが、どうかこれで怒りをおさめていただけると……」
熊の獣人が謝っている間に何回も何回も狼の獣人の頭が床に叩きつけられている。流石にこのままでは死んでしまうのではなかろうかと思うぐらいだ。
「俺に言われても知らないですよ」
そう吐き捨て、チェルシーとクラリッサの方に視線を向けると、チェルシーは体を震わせながら自分の耳を手で押さえていた。そんなチェルシーにクラリッサが寄り添っているが、そのクラリッサ本人の体も震えている。フェリスとオーガストがそんな二人を周囲の視線から隠そうと外へと連れて行った。
「……かといって、あの二人に今みたいにただ謝られても、そんなので済む問題じゃないと思います。そのことだけは、覚えておいてください」
「了解した。本当に、本当に申し訳ない……!」
謝っている熊の獣人の生徒をよそに、狼の獣人の生徒がフラフラと立ち上がってソウジをキッと睨みつけている。
「ち、ちくしょう……お、覚えてろよ!」
「お前に覚える価値があるのか疑問だな」
「てっめぇ……!」
「なんだその口のきき方は!」
間髪入れずに、今度は熊の獣人に頭をぶん殴られる狼の獣人。
「お前、ぜんぜん反省していないようだな!」
「う、うっせぇ! つーかおい、てめぇ! 交流戦の時になったら覚えてろよ! 絶対にぶっ潰してやるからな!」
「それはこっちのセリフだ。むしろ、お前が弱すぎて話にならないか心配だよ」
「~~~~~~~~! 覚えてろよぉおおおおおおおおおお!」
まるで悪役のようなセリフを言い残して、今度は殴られる前に退散していく狼の獣人。
その場に残っていた熊の獣人の男子生徒は深い深いため息をついていた。
「……本当に、うちの一年が申し訳ない」
「いや……あなたも大変ですね」
「ああ、正直言って大変だよ。前々からバカだと思っていたが、まさかこんなところでこんなことをしでしかすほどバカだとは思わなかった」
ただでさえ種族間の問題はデリケートなのだ。更に今年は魔族が参加しているとあって例年に比べてその問題の繊細さは増している。『交流戦』という大舞台、それも様々な種族が参加している前夜祭の場で今のような行為に出ることはバカ以外の何者でもない。
「自己紹介が遅れたな。俺は三年のアーベルト・バラクロフ。ガブリナーガ学園の生徒会長をしている」
言われて、ソウジは思わず驚いたような表情をアーベルトに向けた。まさか生徒会長がわざわざ土下座したとは思わなかったからだ。
「あのバカはギデオン・バートン。今年入ってきた一年だ。あいつは獣人族の名門のバートン家のお坊ちゃんでな。態度もデカいし先輩に対しても偉そうにしている。実際、アイツの家の位は高いからな。それもあのバカな態度の原因の一つだろう」
「でも、ここに来ているという事は?」
「ああ。いくら態度がデカくても、先輩に対して偉そうでも、超ド級のバカでも……それだけ実力があるということだ。本当は、今回の交流戦に参加させるかは死ぬほど悩んだ。さっきみたいな無礼をしてしまわない可能性があったから。しかし、それでも勝つために必要と判断したんだ。今年こそ、あのエリカに勝つためには少しでも戦力が欲しかったからな」
「だが」とアーベルトはため息をついた。
「それも、失敗だったのかもな……」
彼は生徒会長である。つまり今年の獣人族の生徒の代表ということであり、その責任は大きいだろう。勝つためとはいえ、まだ交流戦がはじまってもいないのにこのようなトラブルを引き起こしてしまったギデオンを連れてきたことに対して責任を感じているのかもしれない。
さっきの一件はアーベルトが悪いわけじゃないし、彼を責めても仕方がない。
咎めるべきはギデオンである。
「……とにかく、だ。さっきは本当に失礼した。謝罪はまた日を改めてさせてもらう」
「それならさっきも言いましたけど、二人にしてくださいね。俺は、交流戦の舞台であのバカをぶっ潰させてもらいますから」
「どちらかというと交流戦に勝ちたいのだが、今はそれ以上に君があのバカにキツイお灸をすえてくれることに期待しているよ」
はあ、と再びため息をつくアーベルトを見て「苦労しているんだなぁ……」と内心思うソウジ。これ以上、この人を責めるつもりはもうないし、責めたって仕方がない。だがそれ以上に気の毒だ。
「あ、アーベルトじゃない。さっきぶり」
「……エリカか」
ソウジとアーベルトの傍にやってきたのは、エリカである。
「つーか、見たわよ今の。アンタも大変ねぇ」
「まったくだ」
「あんなバカの力を借りてまで、私に勝ちたいの?」
「当たり前だろう。今年こそはお前に勝つ……つもりなんだが、今はあのバカを連れてきたことを猛烈に後悔しているところだ」
どうやらアーベルトとエリカは顔見知りらしい。思えば二人とも同い年で同じ学年だ。二年前の交流戦の時から幾度か顔をあわせる機会があったのかもしれない。それに二人とも生徒会長なのだから、今年の春に行っていたらしい魔族の大陸に留学していた際も顔をあわせていたのかもしれない。
だがアーベルトは今年こそはエリカに勝つと言った。つまり、ここ二年はずっとエリカに負けているという事だ。二年連続で交流戦を優勝に導いたと言われる、『学園最強』の称号を持つエリカ・ソレイユの力。その一端をこの交流戦で見れると思うとソウジは少しワクワクした。
敵ではなく、味方であるはずのエリカに対して思わず武者震いする。
「それはそうと……黒のガキ、アンタはさっさとイヌネココンビのとこに行ってあげなさい。二人とも、かなり震えてたわよ」
どうやらそれを言いに来たらしい。もとよりそのつもりだ。
「中庭の方にいるみたい」
申し訳なさそうにしているアーベルトと、場所を教えてくれたエリカに礼をして、ソウジはその場から立ち去ろうとした。
「あ、それでついでにわたしのフェリスたんをアンタの代わりに中に入れてきなさい! はぁ、もうはやくわたしたち姉妹のラブラブっぷりを他の大陸の連中に見せびらかしたいわぁ」
恍惚とした笑みを浮かべるエリカの言葉は聞かなかったことにした。
☆
フェリスとオーガストがクラリッサとチェルシーを連れて行った扉から外に出る。そこから中庭へと向かう。すると、中庭にある噴水のところでフェリスたちがいた。ソウジに気づくと、フェリスとオーガストがクラリッサとチェルシーの二人から離れてソウジの元に近づいた。
「ソウジくん……」
「フェリス、オーガスト……二人の様子は?」
「ああ……酷く怯えている」
「やっぱり昔、獣人の方と何かあったようで……けど、無理やりそれを聞きだすわけにはいかないですし」
「正直、ただ傍にいてやることしか出来なかった」
「そうか……」
あの二人が昔、獣人と何かあったということは薄々勘付いていた。
オーガストは忌々しそうな表情をして「くそっ」と悪態をついている。
ここまで荒れているオーガストは珍しい。
「あの獣人……なんなんだいきなり突っかかってきて……交流戦で当たったらぶっ潰してやる……!」
イライラするオーガストはざりっと地面を乱雑に蹴った。
「本当に腹が立つ。あの獣人を見ていると……昔の愚かな自分を思い出す」
同族嫌悪ってやつだ、とオーガストは吐き捨てるように言った。あの獣人、ギデオンはオーガストからすれば、かつてのオーガストそのもののように見えるのだ。
「けど、もうオーガストは違うだろ?」
「同じさ。僕も、あの二人にはさっきの獣人と同じようなことを言っていた」
「でも、今は違う」
「……うるさい。黙れ」
オーガストは今も、あの頃。クラリッサとチェルシーに言った数々の言葉を悔やんでいる。
そのことがソウジとフェリスにも分かる。けど今のオーガストは違うということも分かっている。
「とにかく。ソウジ、お前はあの二人の傍にいてやれ」
「俺?」
「そうですね。わたしもその方がいいと思います」
「フェリスまで……」
もともと、エリカに言われたので二人の傍にはいくつもりだったのだが、まさか二人からも勧められるとは思わなかった。
「わたしたちは講堂の方に戻っていますから」
「さすがに、僕たちのギルドのメンバーが一人もあの場にいないというのはまずいだろうからな」
それだけを言い残すと、フェリスとオーガストはパーティ会場である講堂に戻っていった。
ソウジは首を傾げながらも、クラリッサとチェルシーの方に近づいていく。
二人はかたかたと震えながら俯いていた。そこにいつもの笑顔は、無い。
「……ソウジ?」
クラリッサが顔を上げて近づいてきたソウジの方を見た。対するソウジはというと、ここからどうすればいいのか、何という言葉をかけてやればいいのかが分からなかった。ただ傍にいたいと思っただけで、ここからどうするかまったく考えてなかった。
「う、うん……」
大丈夫、と声をかけるのは違う。ぜんぜん大丈夫じゃない。
調子はどう? と声をかけるのも違う。そんな雰囲気じゃない。
ソウジはただ、黙ってクラリッサとチェルシーの前にしゃがみこんだ。二人はお互いの身を寄せ合っていて、その震えを少しでも無くそうとしているかのようだ。
しばらく三人の間に無言が続いた。
ソウジはただただ二人の傍に居続けた。
何も言わなくてもいい。理由なんか話さなくてもいい。ただ、二人の恐怖が少しでも和らげばいいと思った。
「…………わたしたちね、昔からずっと一緒だったの」
やがて、クラリッサがポツリと言葉を漏らした。
そこからポツポツと少しずつ、少しずつ言葉を繋げていく。
「わたしたちは同じ場所に捨てられてたの。獣人の大陸にあるどこかのゴミの廃棄場だったかしら。どうしてそうなったのかは分からないわ。親の顔も知らないし。ただ、物心ついた時にはわたしたちは捨てられて、そしてわたしたちは出会ったわ」
クラリッサの中で、過去の記憶が蘇っていく。
強烈な腐臭。廃棄されたゴミの山。そして――――人々の冷たい視線。
「ずっとあそこにいると心まで腐っていくような気がしてね。だから二人であそこから抜け出した。外に出た。でも、外に出たって何も無かった。ううん。むしろ、状況が悪化したわ。わたしたちの耳を見て、尻尾が無いのを見てすぐに『半獣人』だって気づかれる。『半獣人』と分かるとみんな石を投げたりゴミを投げたり……酷い時は、耳を掴まれて引きずり回されたり、ぶん投げられたり。それでも必死に逃げたわ。逃げて逃げて逃げて……ひたすら、逃げてきた」
ソウジはただ黙って話を聞いていた。ソウジが落ちこぼれだからといって虐げられたり、黒魔力だからといって殺されそうになったりしたのと同じように、クラリッサとチェルシーも『半獣人』という理由だけで人々の悪意に晒されてきたのだ。
「でもやっぱり、捕まって……何度も殴られて、蹴られて、それから倉庫に押し込められて。最後にはその倉庫ごと火をつけられたりしたわ」
「なんだよ、それ……!」
思わず拳を握る。二人が何をしたというのか。ただ生きていただけで。そこまでやるのか。
「正直、もう死んじゃうんだって思った。その倉庫ってかなり狭くてね。暗いし、冷たいし……でも、ギリギリのところで偶然、その場を通りかかった院長に助けられたの」
そこから、二人はあの『月影院』で済むことになったらしい。
「前に、チェルシーのこと話したの覚えてる?」
「……ああ」
――――わたしがチェルシーと出会った頃ね。あの子、全然笑わなかったの。なんだかいつも無表情で、日々を淡々と過ごしてるだけの子だったわ。だから、わたしチェルシーを笑わせようと毎日必死で……今はちゃんと笑ってくれるから、安心してるんだけどね。
「あの頃ね、わたしはチェルシーと出会ってから、チェルシーを笑わせようと毎日必死だったって言ったけど……実際、そうでもしていないと心が折れそうだったのよ。毎日、獣人たちから逃げるのに必死で……楽しい事なんて何一つなかった。でも、無理やりにでも笑ってないと心が折れそうだった。心が折れたら、死んだ方が楽だって思えるから。だから、チェルシーには笑っててほしかったの。いつも無表情のチェルシーを見てたら、いつか死んじゃうんじゃないかなって思ったから。とっても……怖かったから……だから、笑っててほしかったのよ。笑ってないと、チェルシーの心が折れちゃうんじゃ、ないかなって……そう、思ったの……」
ソウジにしても、クラリッサとチェルシーにしても同じだ。ソウジは偶然、ソフィアに出会えたから助かった。クラリッサとチェルシーは偶然、ディアールに出会えたに過ぎない。
ここにいる三人は、偶然という幸運に出会ったからこそこの場にいることが出来ている。
「…………俺はさ。師匠に会う前は、バウスフィールド家ってとこの子供だったんだ」
クラリッサが驚いたように目を見開いた。
「バウスフィールドって……十二家の?」
「そう。ソウジ・バウスフィールド。それが俺の前の名前。でも俺って、十二家の子供のくせに魔法の才能がてんでなくてさ。魔法なんか何一つ使えなかった。だから家でも妹以外はみんな冷たい眼で見てくるし、バカにされるし、邪魔者扱いされるし……屋敷にいる使用人の魔法の練習台として的にされるし、ご飯なんか残飯さえあればいい方で、基本的には無い時が多かったかな。そういう時は自分で何か食べるものを拾いに行ってた。魔法の練習を受けている時に、魔法が発動できなかったら蹴られたり殴られたりしてたし……そんで、『色分けの儀』なんかで黒魔力が出てさ。家を追い出されて、魔法で滅多打ちにされて…………殺されかけた」
クラリッサが衝撃的な表情をし、チェルシーもゆっくりと俯いていた顔をソウジへと向けた。
「でも、死にかけたところで師匠に助けられて……そこから、俺はソウジ・ボーウェンになった。師匠からいろんなことを教わって、いろんな思い出をもらって。それで、ここに来た」
どうしてこんなことを言い出したのかはソウジにも分からない。だがこの二人にも、話すべきだと思った。クラリッサは勇気を出して話してくれた。だからソウジは自分もそれに応えるべきだと思った。
「……嫌だよなぁ。あの冷たい眼って。人間にしても獣人にしても、あの眼をされるのってけっこう、辛いよな。まるで『死ね』って言われているみたいで。そんな『死ね』っていっているような眼がいくつもあるんだもん」
実際そうだった。あの時は何度も死んだ方が楽だと思っていた。
でも、
「でもさ。俺にはいたんだ。支えが」
ソウジには家に妹がいた。外にはフェリスがいた。支えがいた。
クラリッサとチェルシーは互いで互いを支えあうしかなかった。
「二人の気持ちを完全に理解できるとは言わないし、言えない。けど、クラリッサとチェルシーを支えたい」
かつてのソウジは、妹とフェリスという二人の『支え』に救われた。彼女たちがいなかったら、きっとソフィアと出会う前にソウジは自ら死を選んでいた。けどクラリッサとチェルシーにはそれがいなかった。ソフィアとディアールという『幸運』に出会う前の二人には『支え』がいなかった。本来ならば支えられなければいけない二人が、頑張って二人で互いを支えあっていた。
だからソウジは、かつて自分を救ってくれた妹やフェリスのようになりたい。目の前にいる、『支え』を必要としている二人の小さな女の子を支えられるようになりたい。
「俺は二人を支えたい。二人がもう、無理をしなくていいように。クラリッサが、無理に笑おうとしなくてもいいように。チェルシーが自分の心を殺さなくてもいいように。二人がずっと笑っていられるように。俺はクラリッサとチェルシーを支えたい。俺じゃ……ダメかな?」
クラリッサとチェルシーは顔を真っ赤にして、二人してソウジと見つめあう。やがて、チェルシーの目からぽろっと涙が零れ落ちた。チェルシーもどうやらもう我慢の限界のようで、ぽろぽろと涙が零れ落ちてきた。泣くまいと思っていたのだが、さきほどのギデオンとの一件や昔の話で一気に恐怖がこみあげてきて涙が零れてしまったのだろう。二人とも眼に涙を浮かべたままソウジの胸に飛び込んできた。ソウジはそんな二人の体を優しく抱きしめる。
「……こわかった……むかしのこと、思い出して……耳を掴まれて、乱暴されて……こわくて、こわくて……こわかったよぅ……」
ずっと黙り込んでいたチェルシーが咳が切れたかのように言葉を吐き出した。
「また、火を、つけられるんじゃないかって……クラリッサにも乱暴されたらどうしようって……」
「う、うっさい、わよ……わ、わた、わたしだって……怖かったんだから! また獣人に……殴られたら、どうしようって……チェルシーがまた殺されそうになったらどうしようって! そう思ったら、怖くて……怖くて怖くて、怖かったんだからぁ!」
わんわん泣き出す二人の言葉をソウジは黙って聞き続けていた。
フェリスならきっとこうやって、二人を抱きしめてあげるはずだから。二人の思いを、受けとめてあげるはずだから。
やがて涙が止まるまでひとしきりないたクラリッサとチェルシーは、おそるおそると言った様子で顔を上げる。
「そ、ソウジ。あんた……ほ、本当でしょうね?」
「ん?」
「……ソウジ、わたしたちのこと支えてくれるって……」
「うん。本当だよ」
「本当?」
「本当」
「……ほんとのほんと?」
「ホントのホント」
クラリッサとチェルシーに交互に聞かれてソウジは苦笑して答える。信用無いなぁ。とソウジ本人は思っていたが、二人がどういった意味で何度も確かめるのか。それをまだ理解していなかった。
「て、ていうか……ソウジ……あんた、その……『二人がずっと笑っていられるように』って言ったわよね?」
突然、クラリッサがそんなことを言ってきたのでソウジは頷く。
「その『ずっと』って……どういう『ずっと』?」
「え? んー……まあ、ずっとはずっとだよ」
「……じゃあ、『支える』っていうのはどういう意味で?」
「どういう意味って……そのまんまの意味だよ」
クラリッサとチェルシーの言葉の意味がいまいちよく分からなかったソウジは思わず首をひねる。
だがクラリッサとチェルシーはソウジの答えを聞くと頬を赤く染めた。
それがなぜなのかはソウジには分からないが、まあ今はあえて聞くまいとソウジは思った。
「……じゃあ……わたしたち二人とも、面倒を見てくれるの?」
「そ、そりゃもちろん」
チェルシーは珍しく真剣な顔をして(とはいっても相変わらず無表情なのでよく分からない。ソウジなりの勘だ)問うてくるのでそれにも頷いておく。チェルシーの顔も微かに赤いのが気になるが今は触れないでおこうとソウジは思った。
「た、確かにこの国って……その、一人に対して二人とか三人とかも認められてるけど……ま、まあいいわ! ず、ずずずずっと支えてくれるって、言ってくれたんだもの!」
「……それに、フェリスとルナが仲間外れはかわいそう」
「そうね! ギルマスとして仲間外れをするわけにはいかないわね!」
クラリッサにしろチェルシーにしろ、二人して顔を真っ赤にしている理由がソウジには分からなかった。散々、泣いていたので顔を泣きはらしたのかもしれないと勝手に解釈する。でもソウジは、自分があの時の妹やフェリスに少しは近づけたのかもしれないと思い、自然と笑顔になった。
「じゃあ、とりあえずギルドホームに行こうか。今日はもう帰ろう」
「そ、そういうわけにはいかないわ! ギルマスとして、パーティに参加しなくちゃ!」
自信たっぷりな表情をするクラリッサ。いつもの元気な彼女が戻ってきたとソウジは一安心した。
「……クラリッサ、無理はしない方がいい」
「無理なんてしてないわ。次、あの獣人に会ったらけちょんけちょんにしてやるんだから!」
これだけ元気ならばもう大丈夫かな、とソウジが思った矢先。
立て続けに地鳴りのような音が、辺りに響き渡った。ここから割と近い位置から聞こえてきたその音に驚いたソウジ、クラリッサ、チェルシーの三人は互いに顔を見合わせてそのまま反射的に音のする方向へと走った。やがて闘技場のすぐ傍にたどり着いた三人は、すぐ近くで爆発音が響き渡るのを確認すると、目の前に爆発の余波である土煙が流れ込んできた。すぐそばの壁が破壊され、その原因が明らかになった。
「ぐっ…………」
ソウジ達の近くにいたのは、さきほどの魔族の大陸のお姫様――――マリアだ。だが彼女は片膝をついて息を乱しており、体の所々にかすり傷を負っていた。そして彼女の背後には先ほどの眼鏡をかけた魔族の男子生徒と、ガサツそうな明るく元気のよかった魔族の男子生徒が倒れ伏していた。どうやら二人とも意識が無いらしい。死んではいないようだが。
「おのれ……!」
マリアが睨みつけるその人物を見て、ソウジたちは驚愕した。
(『邪人』……!?)
そこにいたのは邪人のような姿をした、異形の怪物だった。だが邪人はまだ人の形をとどめており、顔や手足なども人の延長線上のようなデザインでしかなかったのに対して目の前にいる怪物は全身を、禍々しい形をした青い鎧を纏っているかのようだった。
「このぉおおおおおおおおおおおお!」
マリアは叫ぶと、黒い魔力を発して手に持っていた剣から無数の魔力の刃を青い鎧の怪物にぶつける。次々と爆発が巻き起こり、青い鎧の怪物はその中に飲み込まれた。だが少しすると一振りでその爆炎が切り裂かれた。その鎧の怪物は、自身のボディーカラーと同じ青い剣を手にしており、そのたった一振りでマリアの強力な黒魔力の攻撃を薙ぎ払ったのだ。
「我は魔人。青の魔人ブラウ。貴様のような小娘の、軟弱な魔力では我に傷一つつけることは出来ない」
「おのれ……!」
「小娘。その命を輝かせ、『巫女』の可能性を示してみよ」
言うと、青の魔人ブラウはその剣を振り上げた。
(まずい!)
あの一撃は、おそらくマリアでは防ぎきれない。それは本人も分かっているのか悔しげな顔をしていた。だがそれでも彼女は逃げるわけにはいかない。背後にいる魔族の生徒……自分の従者にして大切な仲間を護る為に。ソウジは咄嗟にブレスレットを装着し、呪文を詠唱する。
「――――『スクトゥム・デヴィル』!」
ブラウがその刃を振りおろし、マリアがそれを自身の剣で受け止めようとしたその時。
ギィィィィィィィンッ……!
と、白銀の刃が青の刃の一撃を受け止めていた。
「おいおい。女の子のナンパに、その剣はちょっと物騒じゃないか?」
黒騎士に変身したソウジの『アトフスキー・ブレイヴ』の刃が、マリアの身を護っていた。
「……! お主、もしや黒騎士とやらか……!?」
「話はあとです、マリアさん。ここは俺が食い止めるから、そこの二人を連れて逃げてください」
「くっ……! すまぬ……!」
マリアは飛び出そうとしたが、背後にいる二人の仲間の事を思い出してとどまり、悔しげな顔をしながら二人の魔族の仲間へと駆け寄っていった。すかさずクラリッサとチェルシーもマリアのもとに駆け寄り、意識を失っている二人の魔族の生徒を連れて行くのを手助けした。体の小さい二人でも、魔法を使えば運べるはずだ。
「行くんだ、はやく!」
目の前にいる魔人と名乗ったこの怪物の刃は、これまでに戦ってきた邪人の比ではない。
油断ならない相手だ。
「逃がさん」
ブラウは剣を離すと、跳躍してマリアたちに襲い掛かった。だがソウジはすかさず転移してブラウの上をとり、そのまま力いっぱい剣を振り下ろした。ブラウはそれに叩き落とされて地面に落下したものの、地面に激突するまでの僅かな間、空中で体勢を立て直して着地する。
ソウジはそんなブラウの前に立ちはだかり、剣を構える。
「邪魔をするか。黒騎士よ」
「悪いが、アンタみたいな物騒なヤツをここから通すわけにはいかない」
それに、このブラウは先ほど『巫女』と口にした。
となれば『再誕』のメンバーである可能性が高い。目の前にいる魔人とやらが『巫女』について何らかの情報を持っているならば、それを手に入れる必要がある。
「邪魔をするならば……斬る」
「やってみろよ。アンタはここで、俺が倒す!」
鎧の怪物と鎧の戦士。
月明かりに照らされた夜の学園の中、二つの刃が激突する。