第四話 塗りつぶされたプライド
フェリス・ソレイユはソウジたちのもとへやってくると、凛とした表情でオーガストと向き合った。
「オーガスト・フィッシュバーンさん。いったいどういった騒ぎですか?」
オーガストはチッと舌打ちすると、すぐに表情を取り繕った。
「いえ。ただ、この礼儀知らずの田舎者と『下位層』の生徒にこの学園のマナーをおしえてあげようとしただけですよ」
「それはわたしもご教授願いたいですね。まさか『下位層』というだけでその人だけではなくその人の親まで侮辱することが学園のマナーだとは思いませんでした。どうやらわたしも勉強しなければならないことがたくさんあるようです」
その言葉は明らかにさきほどの騒ぎの内容を把握しており、また皮肉られたことがオーガストにとっては面白くなかった、舌打ちしそうになるがぐっとこらえる。
「わたしが先ほど目にした限りでは、あなたが一方的に突っかかってきたように思えますけど? どうやらフィッシュバーン家ではかなり独創的な教育をされているようですね。『太陽街』の管理人であるソレイユ家の者として、わたしもこの学園のマナーについてご教授してさしあげましょうか? そうでなくとも……」
一瞬。
フェリスが悲しげな表情を見せたのを、ソウジは見逃さなかった。
「あなたのお母様は、あなたにそんなことを教えてはいなかったはずですが」
これがトドメだった。オーガストは顔を真っ赤にして怒りを露にし、今度はあからさまに舌打ちをすると立ち上がった。
「いくぞ!」
不機嫌そうに踵を返し、取り巻きを連れてその場を立ち去るオーガスト。
「…………わざわざEクラスを志望した『十二家』の恥さらしめ……」
ボソッとオーガストが『あからさまに』呟いたその言葉にソウジは首をひねる。どうやら自分たちを助けてくれたこの少女は話を聞く限り、自分からEクラスを志望したらしい。でも、どうしてそんなことをしたのか? それを考えている間もなく、フェリスがソウジとレイドに向かって微笑んだ。
「大丈夫でしたか?」
「あ、はい。ありがとうございますっ」
レイドが慌てて頭を下げた。ソウジも習ってそうする。自分は助けられたと言われれば微妙だが、助けられたことには変わりない。
「いえ。私ももう少し早く介入出来ればよかったんですけど、彼の事を考えると少し躊躇ってしまいました。ごめんなさい」
そう言って謝罪するフェリス。そのことは、さきほど見せた悲しげな表情と何か関係があるのだろうか? とソウジは思ったが、ここは口を挟まなかった。
「それと、メギラスさん。確かにあなたのご両親を侮辱したことはオーガストが悪いですが、暴力を振るおうとしたあなたも軽率ですよ? もしあそこで本当に殴っていたら、大問題になっていましたから」
特にこの場合は、相手が悪いです。とフェリスは付け加えた。
「模擬戦ならともかく、食堂で暴力沙汰は厳禁です。しかも相手は『十二家』あとでどんな報復をされるか分かりませんし、あなたのご家族にも影響が出るかもしれません」
レイドは怒りに身を任せた自分の行動が軽率だったと思ったのか、がくりと頭を垂れた。
「はい……」
「それにしても、一瞬焦りましたよ。まさか食堂で魔法を使おうとしたなんて……あなたの友人がオーガストを止めてくれなければ、事態はもっと深刻でした」
フェリスが意味深な目でソウジを見た。
(どうやら、気がついていたっぽいな)
自分としてはひそかにオーガストの魔法を止めたつもりだった。あの時、もう一度魔法攻撃をしようとしていたオーガストだったが仮にそれを撃ってきたとしても『塗りつぶせた』。だがどうやら、フェリスはその第二撃目が来る前に止めてくれたらしい。
「メギラスさん。ちょっと、そちらの方をお借りしてもいいですか?」
フェリスはそういってソウジを指名し、にっこりとほほ笑んでいた。
友人を助けられたばかりのソウジには拒否権はなく、肩をすくめながらフェリスに連れて行かれた。食堂の中を歩く途中、どよめきと多くの視線に晒されながら歩くソウジだが、それだけ彼女にみんなが注目しているという事であり、目の前の少女の影響力を思い知った。
フェリスはソウジを食堂の外にあるテラスに連れ出すと、ソウジの方へと振り返る。ふわっと軽やかにスカートが揺れ、彼女の笑顔がそこにはあった。
「先ほどはお見事でした。さすがですね」
「いったい、何のことですか?」
無駄だと分かっても一応、素知らぬふりをしておく。自分が使ったのは黒魔力によるもの。忌み嫌われても仕方がないし、学園でこれだけ注目度のある少女にそれが知られたとあっては、これからの学園生活が少し窮屈になるかもしれないという事は覚悟しなければならない。
「さきほど、オーガストの魔法を止めましたよね? オーガストの水属性魔法を、『塗りつぶし』で不発させていたのを、わたしはちゃんと見ていました」
『塗りつぶし』とは、属性魔法を不発させる技術である。魔法には様々な種類のものが存在するが、属性魔法を発動させる場合、それぞれの持つ魔力の色が重要となる。例えば『火属性魔法』ならば火属性である赤色の魔力を持っている場合が一番、力を発揮させやすい。だが、水属性の証である青色の魔力を持つ者が火属性魔法を使う場合はその威力は減少する。なぜなら、青魔力の持つ水属性の力が火属性魔法を弱めるからだ。逆に水属性に弱い火属性である赤魔力が、水属性の魔法を発動しても威力は減少する。そして『塗りつぶし』とはこれを利用した、魔法使いの技術だ。
相手の発動させようとした魔法の魔力の色を、更に強い魔力で上からこちら側の色に塗りつぶす。たとえば先ほどの場合、オーガストの持つ青魔力を、ソウジは自分の黒魔力に塗りつぶしたのだ。簡単に言えば、相手より強い魔力を使って、相手の魔法を強制的に弱体化、あるいは消滅させることが『塗りつぶし』だ。とはいえ、相手の魔法を完全に消滅させるにはかなりの魔力が必要とされるし、属性の相性によっては塗りつぶしが難しくなる場合もある。
たとえば、水属性に弱い火属性の赤魔力で水属性の青魔力を塗りつぶすのは至難の業だ。通常よりも多くの魔力を使うし、それなら避けるか防御した方が魔力の消耗量としては少なく済む。つまり、塗りつぶしには属性間の相性も関わってくる。しかし、闇属性である黒魔力だけは違う。黒魔力は火、水、風、土、雷の五大属性すべての魔力に対して相性に関係なく塗りつぶしが可能である。それゆえに黒魔力は『侵略の魔力』などと呼ばれて忌み嫌われる要因の一つにもなっている。
「見間違いじゃないんですかね?」
「いえ。黒い魔力を持っているのはおそらく、この学園であなただけだと思います」
フェリスにまっすぐとした瞳でそう言われたとあっては、もう言い逃れは出来なかった。だが、黒魔力……忌み嫌われる魔力を有しているというのに、どうして目の前の少女はこうして自分に話しかけているのだろう? いつまでも自分の魔力を隠しおおせるとはソウジも考えていないので、観念してさきほどオーガストの魔法を塗りつぶしたことを白状した。
「それで、俺に何の用なんですか?」
まさかただ褒めるためだけに呼び出したのではあるまい。
「用、といいますか。ただ、あなたと話してみたかったんです。二人きりで」
それはどういう意図なのか。ソウジはわけが解らなかった。だがフェリスはじっとソウジの目を見てくる。ソウジも思わずフェリスと視線を合わせる。しばらくして、フェリスは――――何かを諦めたかのような、残念がったような、そんなどこか儚げな笑みを浮かべていた。
「ごめんなさい。お時間をとらせてしまいましたね。それでは、わたしはこれで」
立ち去る寸前、フェリスはふとソウジの顔を見た。
「それと……わたしは、魔力の色でどうこう言うつもりなんて、ありませんから。だってたとえ魔力の色がなんであれ、あなたはあなたですから」
☆
フェリスとのやり取りの後、授業を済ませたソウジはレイドと共に寮へと向かった。それぞれクラス毎に寮は分けられてはいるものの、学年は共通である。例えばA寮ならば一年Aクラス、二年Aクラス、三年Aクラスの生徒がそこで過ごしていることになる。ソウジとレイドはE寮に向かう。ソウジは自分の部屋に入ると、ベッドに倒れこんだ。図書館は入学式の次の日から解放となっている。
ソウジはベッドに身を沈ませながら、さきほどのオーガストのことを思い出した。『十二家』のオーガストがこの学園にいるということは、バウスフィールド家の人間もいるかもしれないという意識的に目を背けていた事実を、ソウジは考えていた。