第三十五話 邪結晶
アイン・マラスは冷徹な瞳を向けながらゆっくりとルナに近づいていた。だがルナの頭の中は混乱していた。この食堂の地下に学園の中枢といっても過言ではない『核結晶』があるとか、ブリジットが始末されているだとか。そういった情報を突然ぶつけられて頭の中がぐちゃぐちゃになりそうだった。だが、ルナは自然とブレスレットに祈り続けていた。
「何をしているのです? はやく、案内してください」
「……わ、わたしは…………し、知りません」
ルナが言葉を発し終えると、すぐ傍にあった花瓶が砕けた。一瞬で魔法弾のようなものがルナのすぐ傍を通り過ぎ、花瓶を撃ちぬいたのだ。まるで胸元に刃を突き付けられているような感覚がルナの全身を絡めとる。恐怖で体が震えそうになる。
「この場で嘘をつくことが間違っていることぐらい、あなたのようなゴミでも分かるでしょう?」
「ほ、本当です……わたし、何も知りません。そんなこと、はじめて聞きました」
アインの瞳がルナを射抜く。ルナはかろうじて体を震わせないようにするのが精いっぱいで、その場から一歩も動けないでいた。そしてアインの口から、盛大なため息が漏れる。
「はぁ……どうやら自分で探さなければいけないようですねぇ。時間がかかるのは好ましくないのですが仕方がない」
深いため息をつく目の前のアインがルナには未だに信じられなかった。アインは学内でも生徒たちの信頼を集める優しい先生だった。実際、ルナもその様子を見たことがある。穏やかな笑みを浮かべて常に生徒たちの笑顔に囲まれていた。
「アイン先生……あんなにも優しい先生だったのに……」
かろうじて出てきたその言葉を発したルナに、アインは軽蔑したような眼差しをぶつける。
その眼光に怯んだルナをよそに、アインは嘲笑を浮かべていた。
「優しい先生? ああ、それを演じるのにも苦労しましたよ。必要な茶番だったとはいえ、どいつもこいつも気安く話しかけてくる無知で愚かなクソガキ共の相手は本当に吐き気がした。特に魔力を持たないゴミであるお前のお仲間の、『半獣人』や『下位層』、黒魔力を持つという身の程知らずのゴミ共。どいつもこいつも汚らしい」
アインが気持ち悪いとでも言いたげに、まるで汚物でも見るかのような眼でルナを見る。
だがそれが、その言葉と眼がルナには気に食わなかった。
「……わたしのことは、なんだっていいです」
気が付けば言葉が出ていた。
「確かにわたしはゴミです。魔力も無ければ魔法も使えません。そういうことは魔学舎でも散々言われてきました。でも……」
ぎゅっと拳を握る。気が付けば体を縛り付けていた恐怖は無くなっていた。
怖がっている暇はない。そんなことよりもこいつには言ってやらなければならないことがあるのだ。
「でも、みなさんはゴミなんかじゃありません。わたしみたいな人を受け入れてくれた、大切な友達です!」
ルナにしては珍しく声を荒げてしまった。あのアインのとる態度に……ソウジたちに対する態度にふつふつと怒りが込み上げてきた。魔力が無くても関係ない。魔法が使えなくても関係ない。
ソウジたちは逃げなかった。校内で周りの生徒たちから何を言われようとも逃げなかった。
自分は一度逃げた。でも、もう逃げない。
だって今の自分は、『イヌネコ団』のメンバーなのだから。
「ゴミが偉そうに……本当に鬱陶しい。これだからガキは嫌いなんですよ。生意気だけが取り柄のバカですからね」
アインは右手に魔力を集約させる。同時に、空中に魔力で構築された光の刃が生まれた。それらはまっすぐにルナの心臓に狙いを定めている。これが放たれればルナは串刺しにされてそのまま絶命するだろう。呆気なく。糸の切れた人形の様に、無様な肉片となって崩れ落ちるだろう。
そんなことは分かっている。でも、ここだけは譲れない。
こんな相手にはもう逃げたくなかった。
「こちらの予定もありますし、さっさと死んでください」
その一言で、アインの周りに展開された刃が一斉に放たれた。
ルナの命を刈り取るその魔法に対して、ルナは最後まで逃げなかった。しかし、迫りくる恐怖に対して思わず目を閉じてしまう。何の力もない非力な自分が悔しかった。だからルナはただ、あの少年がプレゼントしてくれたブレスレットを握りしめることしか出来なかった。
暗闇の中、ルナは不思議と温かい感触が全身を包んだことを感じた。フッ、と足元が地面を離れることを感じた。これが死という物なのだろうか。これがあの世へと旅立つ感覚という物なのだろうか。思ったよりも心地良い。なぜか安心できる。
だがそんな暗闇の中、まるで何かを破壊したかのような爆発音が響き渡った。その音に思わず目を開く。
「あ……」
ルナは死んでいなければあの世に旅立ってもいなかった。その身を片手で抱き寄せられている。ルナを抱き寄せていたのは、黒い髪を持つ少年だった。その右手には星の装飾のあるブレスレットをつけており、首元には彼の師匠の編んでくれたという黒いマフラーが風の流れに乗って揺れている。そしてその右手には、星屑の輝きを放つ漆黒の剣が在った。
「――――ソウジさん」
「ごめん。遅くなった。……怖かったよな」
その少年……ソウジ・ボーウェンはルナをしっかりと抱き寄せながら。その存在を確かめながら謝罪する。だがその謝罪にルナは首を小さく横に振った。
「大丈夫です。怖くなんか、ありませんでした」
正直な話、まったく怖くなかったといえば嘘になる。だけど、ソウジが来てくれると信じていた。だから恐怖は薄れていた。そんなルナのちょっとした強がりにソウジは苦笑する。
「素直じゃないな」
「そうかもしれません。でも、信じてましたよ。ソウジさんが来てくれるって」
そう言って、ルナは微笑んだ。普通の女の子らしい、微笑みを。それは心の底から安心しているからこそ浮かべられるもので、そんな魅力的な笑顔を見せられてソウジは尚更、この子を護らなければいけないという思いが強くなった。
彼女を護るために、ソウジはルナを庇うかのように前に立つ。
「……アイン先生。やっぱりアンタが今回の一件の主犯だったんだな?」
「おや。その口ぶりだともう気づいているようですねぇ」
アインはソウジの言葉に歪な笑みを浮かべた。それは喜んでいるのかどうかすら判別がつかないほどの奇妙で、奇怪な笑みだった。
「『核結晶』を手に入れてどうするつもりだ」
「決まっているでしょう。この学園を手に入れるためですよ」
その答えはソウジにとって解せないものだ。『核結晶』は無限に魔力を生み出せるという、魔力を中心として回っているこの世界においては重要な物のはず。それこそ、悪用すれば何でもできるだろう。なのにまず最初に『学園を手に入れる』などという考えを口にすることが解せない。確かにこの学園の中枢である『核結晶』を手に入れればそれはこの学園を手に入れたも同然だろう。だがなぜ?
「解せない、とでも言いたげな顔ですね」
「当たり前だろ。これだけのことをやらかしておいて、学園を手に入れたいだけのわけがない。お前の上にいる人間の目的は何だ?」
「ほぅ。私の上にまだ誰かがいると?」
「当然だろ。さっきの黒マントたちはどいつもこいつも魔法のレベルが高かった。星眷使いだって混じっていた。そんなやつらがその辺のチンピラなわけがない。統率も取れていたし、だとすれば何かしらの組織に所属している可能性が高い。そしてもしアンタがその組織に所属しているとして、アンタがトップという可能性はまずない。組織のトップがわざわざ学園ひとつ襲うのに出張る必要はないからな。だから、アンタの上にまだ誰かいると考えるのが妥当だろ」
アインはくつくつと何かを堪え切れずに笑っている。
「そこまで見抜いているとはね」
「普通に考えればわかることだ」
「ハッ。生意気なガキですよ」
「俺からすれば、アンタだって十分にガキだ。さっきからその懐にしまってあるモノを自慢したくて仕方がなさそうな顔をしてるぜ?」
ソウジが見抜いているという事は隠しても無駄だと悟ったのかアインはその懐にしまっているある物体を取り出した。それは、赤黒く濁ったクリスタルだった。ソウジはそのクリスタルに見覚えがある。エイベルの作り出した、強化と引き換えに人を化け物に変えてしまうクリスタルに似ている。
「それは……」
「エイベル・バウスフィールドが作り出したクリスタルを我々が改良したもの……我々は『邪結晶』と呼んでますがね」
アインはうっとりとした表情で舐めるようにクリスタルを眺めていた。
まるでクリスタルに魅入られているかのようだ。
「『邪結晶』……?」
「ええ。これは人に我らの主の力を植え付けることが出来る……いわば強化アイテムのようなものですよ。まあ、エイベル・バウスフィールドの作ったものは所詮は未完成品。あれはただ魔物の力を植え付けることが出来るだけのモノ。ですがこれは我らが主の力をつぎ込んだ『完成品』。まったく、エイベル・バウスフィールドもよくこんなものを作ってくれましたよ。おかげで我々の目的に一歩近づきました」
魔物の力を植え付ける。
オーガストとエイベルが暴走状態になった際に化け物になったのはそういう理屈だったのか。
「主だと? それで、そのご主人様に命令されて茶番までしてこの学園に入り込んだのか」
「主にまだお会いしたことはありません。そもそも我らは主に会うために、そして主に仕える為に活動しているのですから」
「……活動? お前は……いや、お前らはいったいなんだ?」
首を傾けるソウジに、アインはまるで自慢したがっている子供のような表情を浮かべた。そこにこれまでのような優しい教師としての面影は一切ない。
興奮したアインは両手を大きく広げて、高々に宣言する。
「我らは『再誕』。――――主である魔王様にお仕えする者たちだ」
「魔王……⁉」
その名を知らない者はおそらくこの世界にはいないだろう。『百年戦争』を引き起こした張本人であり、魔族の王。その力は強大にして最凶最悪。この世に破滅と絶望をもたらした存在。そして同時に、勇者の手によって倒されたはずの存在でもある。
「魔王は勇者によって倒されたはずだ」
「魔王様は確かに勇者という忌々しい存在に倒された。が、我らは魔王様を蘇らせてみせる。その為の『再誕』なのですよ」
つまり、アインの所属する『再誕』という組織の目的は『魔王復活』。
「魔王の復活とこの学園が何の関係があるっていうんだ」
「決まっているでしょう。学園とは教育機関です」
「……魔王の手駒となる兵士を育成する為の機関にでもするつもりなんだな」
「正解。さすがは成績優秀の化け物ですねぇ」
と、アインは言っているがそれだけではないだろう。おそらく『核結晶』も魔王復活のパーツの一つにするつもりだ。
「さて。それではそろそろ、ゴミ共を処分しましょうかね」
どうやら話し終えて気がすんだらしいアインはスッと冷たい瞳でソウジを見下す。さきほどまでの興奮はまだ維持されているようだが。
「処分されるのはそっちだ」
ソウジは魔力を高めながら『アトフスキー・ブレイヴ』の刃をアインへと向ける。
「これだけのことをやらかした挙句にうちの仲間のことをゴミ呼ばわりしたんだ。覚悟は出来てるよな?」
「クソガキが。目上の人間に対する口の利き方というものを教えてやる」
「ガキはそっちだろ。ベラベラとお喋りをするさっきのアンタはすごいオモチャを自慢したいだけのクソガキにしか見えなかったぜ?」
ソウジの言葉にアインはプライドを傷つけられたかのような、嫌悪感を露わにするような表情を見せた。
「この『邪結晶』は我らが主……魔王様の力の一部が記録されている。それはつまり、お前は魔王様の力を相手にするのだ」
「魔王だろうが何だろうが関係ないな。ルナを傷つけるなら許さない」
ソウジはアインを睨み、魔力を滾らせる。
「――――愛しの魔王様のクリスタルでも何でもいいからかかってこいよ茶番教師。その薄気味悪いクリスタルごと叩き潰してやる」
「――――ただのクソガキに魔王様の御力を振るうのは勿体ないですが……これからの教育の予行演習にはなるでしょう」
アインは『邪結晶』を右手に掲げると、それに魔力を流し込んだ。
瞬間、アインの体は邪悪な魔力に包まれてその身を異形の者へと換えていく。
「下がってろ、ルナ。すぐに終わらせる」
ソウジは自身の背後に佇む一人の少女を護るため、星屑の剣を構えた。