第二十二話 プロローグ
フェリス・ソレイユは今、人生最大の悩みを抱えていた。それこそ、学生たちの悩みの種である『これからの進路』と同じぐらいの悩みだ。難しい顔をして考え込むフェリスは美しく、きっとこの場に他の人がいたならば男女問わず見惚れていたことだろう。
とはいえ、今この場に誰かがいることはない。というより誰かがいたらフェリスはたちまち赤面してしまっていただろう。なにしろ今の彼女は下着姿であり、服をとっかえひっかえして鏡の前で悩んでいるのだから。
ただでさえ、制服に身を包んでいてもそのスタイルの良さが分かるのだ。下着姿になるとそのプロポーションの良さがはっきりと分かる。ここのところまた大きくなった気がするふくよかな胸や、きゅっと引き締まったウェスト。むちっとした太ももや白い肌は同性異性問わずにその視線を釘付けにする。
まだ一年生でありながら、その美貌は生徒たちの視線を集めている。恋い焦がれる男子生徒は数知れず、女子生徒からは憧れのお嬢様のようなポジションを確立しているフェリスであるが、彼女にとってはどうでもいい。彼女にとって今のところもっとも大事なのは、いかにして自分を、想い人である少年に可愛く見てもらうかだ。
「うーん。これも違う……ならこっち……でもない……」
彼女は何もファッションに疎いというわけでもない。今年、十六になる年頃の女の子らしくオシャレにも多少の興味はある。その『多少』も、ここ最近は『かなり』になってきた気がしないでもない。
寮にあるフェリスの部屋には下着や私服が散乱された状態となっており、普段からきっちりとしている彼女をどれだけ悩ませているかがうかがえる。
「ソウジくん、どんな服を着たらかわいいって思ってくれるかな」
彼女に恋をしている男子生徒が聞いたら一撃で轟沈してしまいそうなセリフを口にしながら、フェリスはどんどん服を変えていく。鏡の前でにらめっこしているフェリスの一人ファッションショーは結局、寮を出る予定時刻のギリギリまで続いていた。
フェリスが集合場所である学園の中央庭園にたどり着いたのは、集合時刻丁度だった。息を弾ませて走るフェリスは、既に集合場所に集まっている面々を見て申し訳ない気持ちになる。
「ご、ごめんなさい……遅れちゃいました」
「いや、まだ集合時刻丁度だからセーフだろ。それにせっかくかわいい格好してきたんだし、そんなに焦らなくても……」
そういってフェリスに優しい言葉をかけてくれたのは黒髪の少年、ソウジ・ボーウェンだ。フェリスが恋心を抱いている少年であると同時に、そんなフェリスに恋をする男子生徒たちのいわば敵である。
「か、かわいい!? ほ、本当ですか!」
「? いや、どこからどう見ても普通にかわいいけど」
「そうですかっ。えへへ」
「??」
いきなりご機嫌になるフェリスに首を傾げるソウジ。なぜフェリスの機嫌がよくなったのか、鈍い彼には分からないのだ。
「遅い! と、言おうとしたけどまあセーフだから許してあげるわ」
「……クラリッサ、えらい。がまんできるようになった」
「わーい、わたしチェルシーのなでなでだいすきー……って何子供扱いしてるのよ!?」
「……してないよ?」
「してるわよ!」
と、ぷんすかと怒ってかわいらしく頬を膨らませているのがクラリッサ・アップルトンであり、そんなクラリッサの頭をなでなでして怒られた方がチェルシー・ベネットである。二人ともソウジの前世で言うところの中学生一、二年生程度の身長しかない。この年頃の少女にしてはかなり小柄である。それがクラリッサのちょっとした乙女の悩みの一つなのだが。ちなみにどちらも、耳を隠すためか帽子を被っている。
「心配しなくても、クラリッサさんはじゅうぶん大人ですよ」
「え、ほんとう?」
「ほんとうです」
「ふっふっふっ。さすがはルナ、そのあたりの事はちゃーんと分かってるじゃない」
クラリッサを褒めてあげた小柄な少女はルナ・アリーデ。十四歳の少女で、魔力が使えないことからこの学園の食堂で働いている。
「なんでもいいが、さっさと行かないか? 時間がもったいない」
ため息をつきながら行動を開始することを促しているのはオーガスト・フィッシュバーン。『十二家』と呼ばれる魔法の名門、フィッシュバーン家出身の少年だ。その実力は『十二家』の名に相応しく、『星眷魔法』と呼ばれる特殊な高位魔法を使用することが出来る。
「まぁまぁ、そう焦るなってオーガスト。時間はまだたっぷりあるんだしさ!」
といいつつもワクワクを一番隠しきれていない大柄な少年はレイド・メギラス。ソウジやフェリスのクラスメイトである。春のランキング戦では重傷を負ってしまった彼だが、今ではすっかり回復して元気な姿を見せている。
ソウジ、レイド、フェリス、クラリッサ、チェルシー、そしてオーガスト。この六人が新興したばかりのギルド、『イヌネコ団』のメンバーである。
今日は休日で学園がお休み。そんな日にこうしてイヌネコ団の面々が私服で集まったのにはわけがある。
それはずばり、ルナの買い出しの手伝いだ。
ルナは食堂で働いており、その働きっぷりは食堂の料理長に認められるほど。そんなルナは食堂の料理で使用する食材などの買い出しまで任されているのだが、その買い出しをイヌネコ団の面々で手伝おうとクラリッサが提案したのだ。ギルドホームを持たないイヌネコ団は食堂でいつもお世話になっているし、ルナの手料理もいただいている。そんなルナに日ごろの恩返しをするために集まったのだ。
「助かります、みなさん。荷物はとても多いので」
「まっかせなさい! これぐらいよゆーよ、よゆー!」
クラリッサはそのぺたんこな胸をはってドヤ顔をしている。とはいえ、やっていることはまっとうなのでソウジたちは苦笑するしかない。それにクラリッサが心の優しい子であるということは分かっているし、日ごろお世話になっているルナのために何かしてやりたいと思っていることも知っているのでむしろこのドヤ顔は微笑ましい。
「むぅっ。なんだかみんなの眼が生暖かい気がするわ」
「気のせいだよ気のせい」
「……ソウジの言うとおり」
「なによなによなによ! アンタらのその微笑ましいなー的な視線は!」
クラリッサはぷんすかと怒りながらぶんぶんと腕を振り回す。どうやらソウジたちの視線が気に食わなかったらしい。お子様扱いされると機嫌を悪くするのはいつも通りのクラリッサである。
「特にソウジ! アンタ、かんっっっぜんにわたしのことをお子様扱いしてるでしょ! ちょっと身長が大きいからって!」
「してないって。よしよし」
「アンタ意外と気持ちよく頭をなでなでしてくれるわよねー。はぁー、気持ちいいー……じゃない! 子供扱いしないでってば!」
またギャーギャーとひとしきり騒いだあと、クラリッサはまだ買い出しをはじめてもいないのにぜぇぜぇと呼吸を乱していた。一人で大騒ぎして勝手に体力を消耗した形だ。
「はぁ、はぁ……そ、ソウジ。アンタ、この前のランキング戦でカッコよかったからって調子乗ってるんじゃないの……」
ぷくっとかわいらしく頬を膨らませるクラリッサ。ソウジはちょっとからかいすぎたかと思って苦笑していたが、クラリッサの発言にフェリスは内心ドキッとしてしまった。
(えっ。いま、クラリッサ……ソウジくんのこと、カッコいいって……)
確かに以前のランキング戦。暴走したエイベルから自分たちを護ってくれたソウジは格好よかった。そういえばあの時、もうだめだと思ったあの時……ソウジが助けに来て、フェリスの隣にいたのがクラリッサだ。確かに今思い返せば若干見惚れてたような気がしないでもないかもしれない。
(そ、そんな……ソウジくん、ただでさえ鈍感なのにライバルが増えたりなんかしたら……!)
そんなことは考えたくもない。だがこれはあくまでもクラリッサがソウジに好意を持っていた場合。フェリスはチラッとクラリッサの様子をうかがってみたが、特にソウジに好意を抱いているようには見えない。クラリッサはそれこそ子供のような純粋なところがあるからただ単に率直な感想を言っただけで、そこに好意だとかそういうのはないだろう。きっと。たぶん。
(ソウジくんに好意を持っているといえば……)
フェリスが今度、様子をうかがいはじめたのはルナだ。彼女はなぜかソウジによく差し入れを持ってくることが多い。はじめて会った時もそうだった。食堂で昼食をとろうとした自分たちにいきなり差し入れを持ってきてくれた。ルナは今、ソウジの隣を淡々と歩いている。その表情からは特に好意は読み取れない。
気になる。とても気になる。よく差し入れを持ってきてくる意図も。でもどうやって聞き出そうか。こういうことはなんとなくたずねづらい。今現在、イヌネコ団とルナは学園の敷地を出て王都の『太陽街』にある大通りを目指して歩いている。そこまで時間が少しかかるのでチャンスはいくらでもある。しかしどうやって聞き出そうか。
「そういえばさ、ずっと気になってたんだけど……ルナはどうして俺たちにいつも差し入れを持ってきてくれるんだ?」
フェリスが考えにふけっていると、ナイスなタイミングでソウジ本人からその疑問が飛び出してきてくれた。フェリスはドキドキしながらルナの言葉を待つ。
「そうですね。おそらく、ソウジさんたちを応援したくなったからじゃないでしょうか」
ルナの口から淡々とその事実が語られていく。
「わたし、魔法が使えないから『魔学舎』でずっと陰口を言われてたんです。いじわるもたくさんされましたし。だからこの学園に逃げてきました。でも、ソウジさんは違いました。みんなから陰口言われても、いじわるされても。そんなことに負けずに頑張ってます。ですから、応援したくなったんです。ソウジさんと、みなさんを」
おそらく、最初はこんなにも感情が希薄な子でもなかったのだろう。彼女の魔法の使えないという体質と『魔学舎』での経験が彼女の心を閉じ込めてしまったのだ。
「……そっか。ありがとな、いつも」
ソウジは軽くこんなことを質問してしまった自分を恥じた。そしてフェリスもルナに辛いことを思い出させてしまったことを悔いた。
「いえ、大丈夫です。ですから、がんばってください。わたしはみなさんを応援してますから」
そういうとルナは……ソウジたちに向かって微笑んだ、気がした。それは見た目からしたら本当に僅かな変化なのかもしれない。だけどソウジはルナが微笑んでくれたことがとても嬉しかった。クラリッサではないが、ソウジもルナのために何かしてやれることはないかな、とルナの微かな笑みを見ながらそんなことを思った。
「そーいうことなら、ちょうどいいわ。ルナ、わたしのギルドに入りなさいよ」
けろっとした顔で突然そんなことを言うクラリッサ。その発言にクラリッサ以外のイヌネコ団の面々とルナが驚くような顔をした。すると、クラリッサはルナの頬をむにっとつまんでぐにぐにとひっぱる。
「く、くらりっひゃさん?」
「アンタ、やけに表情が乏しいと思ったらそんなことがあったのね。それなら話は簡単よ。うちに来てガンガン働きなさい! ていうか、一緒に遊べばいいし。あ、どうせだからわたしたちのギルドの専属の料理人にでもなりなさいよ」
「い、いきなりどうひたんれすか?」
「あーんーたーは、笑わなさすぎ。いつも淡々としすぎなのよ。チェルシーでも、もう少し笑うわよ。だからうちに来てたくさん遊んで、笑えるようになりなさい」
にこっとした笑顔を見せるクラリッサ。その笑顔にはどことなく慈愛すら含まれている気がする。
この中では確かに一番子供っぽいクラリッサだが、誰よりも人の事を想うことが出来るのもまたクラリッサだった。彼女は前々からあまり笑わないルナのことを気にかけていたのだろう。
「で、どうなの。うちに入るの? 入らないの?」
「……いいんですか? わたし、学園の生徒じゃないんですけど」
「そんなのカンケーないわよ。無理なら無理で認めさせてあげるんだから!」
フンス! とまたもやお得意のドヤ顔を決めるクラリッサ。そんな彼女が少しおかしかったのかルナはクスリと笑った。
「そうそう、その笑顔よその笑顔。やればできるじゃない!」
「……はい」
ルナは視線をさりげなくソウジに移す。そして彼女は意を決したようにクラリッサに向き直った。
「あの、わたしでよければ……クラリッサさんたちのギルドに、入れてもらえないでしょうか?」
「もちろん歓迎よ!」
まるでヒマワリのような笑顔を見せるクラリッサ。ソウジはクラリッサのこういった人を惹きこむことの出来る魅力は素晴らしいと思った。だが、同時にチェルシーがどこか心配そうな顔をしてクラリッサのことを見ていることにも気づいてしまった。
「チェルシー、どうしたんだ?」
「……ソウジ」
「クラリッサがどうかしたのか? なんか心配そうにしているけど」
「……あのね、」
チェルシーがその不安を口にしようとしたが、結局それは最後まで語られることはなかった。
大通りの方から聞こえてきた女性の悲鳴が、チェルシーの言葉を遮ったからだ。