第一話 ソウジ・ボーウェン
ソウジは無言で目の前の女性の背中を追っていた。途中、またドラゴンに出くわすかもしれないと思っていたが、この女性はどうやら何やら特別な魔法を行使したようだ。二人の周囲に結界をはることで魔物たちに気配を悟られないようにしていた。
やがて二人は森の中にひっそりと建つ小屋へとたどり着いた。こんな危険な場所に小屋なんて……とソウジは思ったが、どうやら周囲に結界を張ってあるらしく、安全地帯であることは分かった。
「さあ、遠慮せずに入りなさい」
ソウジは一瞬戸惑ったものの、外で待っているわけにもいかずお言葉に甘えて小屋の中に足を踏み入れた。中は一部を除いて割と綺麗に整えられていた。壁には魔法理論の書かれた紙がはりつけられており、更に机には研究用の道具と思われるものが散乱している。だがそういった研究スペースを除けば、比較的きれいに整頓されていた。椅子に座るように促されたのでソウジは椅子に腰かける。そして、女性はソウジの向かい側の椅子に腰かけた。
「私はソフィア。ソフィア・ボーウェン。あなたは?」
「…………ソウジです」
思わずバウスフィールドの名を名乗りかけたが、あの時のアーロンの言葉がそれを止めた。
だが、ソウジはソフィア・ボーウェンという名に心当たりがあった。
「もしかして、『あの』ソフィア・ボーウェンさんですか?」
ソフィア・ボーウェン。
世界中のだれもが知っている、EXランクの世界最強の『星眷使い』。
通常、人が一つしか有さないはずの魔力の色を全て備えており、あらゆる属性の魔法の力を引き出すことが出来ると言われており、彼女のもたらした魔法研究の成果は多くの記録に残っている。また、『星眷使い』としての実力もトップクラスであり、噂では国を一つ滅ぼせるほどの力を持っているのだという。
落ちこぼれとはいえ、魔法の名門であるバウスフィールド家の人間だったソウジがその名を知らないわけがなかった。
「あなたのいう『あの』がどういうことかはわからないけれど、たぶんそれで合ってるわ」
ソウジは不思議と胸が熱くなった。まさか本でしか読んだことのない有名人に実際に会うことが出来るとは思わなかった。
「次に私の質問だけど、ソウジ。あなた、あんなところで何をしていたのかしら?」
ソウジは迷った。自分が黒い魔力を持っていることを話してもいいのだろうかと。だがこの時のソウジは混乱状態にあった。とつぜん、家を追放されたり、前世の記憶を思い出したりして混乱し、苦しんでいた。前世の記憶はすっきりと頭の中に入り込んで違和感はほとんどなかったものの、落ち着くには少しの時間を要した。楽になりたかった。そして気が付けばソウジはポツポツと話し始めていた。
自分が今日で七歳の誕生日を迎えたこと、『色分けの儀』で自分の魔力の色が黒だったこと、この場所にまで転移させられたこと、そして……自分の体の再生能力のこと。さすがにその際に前世の記憶を思い出したことは言わなかった。前世の自分がまだ黙っておいた方がいいと告げていたような気がした。
「なるほど。あなた、あのバウスフィールドの家の子だったのね。どうりで、魔力の色が黒かったぐらいでこんなところまで実の息子を転移させるわけだわ」
ソフィアの顔にはハッキリとした、アーロンに対する嫌悪が浮かんでいた。どうやら自分の家のことを多少は知っているらしい。
だがソウジは、ソフィアが自分の魔力の色が黒であることを、さもどうでもいいというような調子で言ってくれているのが嬉しかった。
「あなたに一つ言っておくとね。魔力の色が黒だからといって気にすることなんてないわ。確かに黒魔力は強力な魔族が持つものとして忌み嫌われてきたけど、魔族にだって良い人はいるし、良い魔族が黒魔力を有していることだってある。ただ、黒魔力は強力であることには変わりはない。重要なのは、その強大な力をどうやって使うかってこと。でも悲しいことに、黒魔力を持つ魔族に悪い奴が多かったってだけの話なの。それに私自身、黒魔力を持っているしね」
そういってソフィアは手に黒い魔力を灯した。そこからは邪悪な力は感じられず、むしろ温かさを感じた。
「……あの、一つ質問していいですか?」
「なに?」
「どうして、僕に優しくしてくれるんですか? 僕は、あなたにとってはただの、赤の他人でしょう?」
ソフィアはしばらく黙った。だが、沈黙の後ソウジの目をじっと見る。
「私もね、子供のころ親に捨てられたことがあるのよ」
それは知らなかった。ただ、どんな本でもソフィア・ボーウェンの生まれまでは書いていなかったことを思い出した。
「理由は確か、『気持ち悪い』だったかしらね。細かいことは忘れたけど。私は、子供の頃からなんでもできたわ。でも、『色分けの儀』で私の魔力の色は黒を示した」
それで、七歳の頃に親に捨てられたという。
「だからかしらね。あの時、あなたのことは分からなかったけど、なんとなく自分を重ねてしまったのよ。放っておけなかった。ただ、それだけよ」
その日から、ソウジはソウジ・バウスフィールドではなく、ソウジ・ボーウェンとなった。
前世の記憶が蘇ったことは混乱したものの、記憶に違和感はなかった。むしろ前世の記憶が蘇ったことで精神的に七歳の子供よりは大人びることになったぐらいだ。
そのせいか、ソフィアが家族として面倒を見てくれることになったことを、自然と受け入れることが出来た。むしろそれが嬉しかった。前世の平凡でも幸せだった時の事を思い出し、そしてバウスフィールド家の事を思い出すと悔しさと怖さで涙があふれ、ソフィアが家族として受け入れてくれたことで前世の幸せな家庭が蘇ったような気がして嬉しかった。
前世の記憶が蘇り、精神がやや大人びたことでソウジはバウスフィールド家がソウジを愛してくれていたのではなく、ソウジの持つ膨大な魔力を愛してくれていたのだと知った。所詮、自分は道具にすぎなかったのだ。バウスフィールド家という『栄光』を維持するための道具。もしくは、ただの落ちこぼれ。一族の恥さらしか。だがソフィアは違った。純粋に、家族としてソウジを愛してくれていることが分かった。それは、前世でソウジを愛してくれていた母親と同じものを感じた。
「ソフィアさん。俺、魔法を習いたい」
前世の記憶を取り戻したことにより、一人称にも変化が現れた。
「俺、大して魔法が使えるわけじゃないけど……でも、使えるようになりたい」
そして一人称を『僕』から『俺』に変えることは、バウスフィールド家との決別の意味もあった。
ソウジはソフィアをじっと見つめた。ソフィアは、ソウジのその真剣な瞳を受け止めると、ふうっとため息をついた。
「わかったわ。ただし、私が教えるからには生半可じゃないわよ。あなたは私の弟子になって、本格的に魔法を教わる。言っておくけど、かなりキツイわよ?」
「覚悟の上です」
「ん。男の子ね。よろしい」
ソフィアはニコッと笑顔を浮かべる。
その日から、ソウジはソフィアの…………世界最強の『星眷使い』の弟子となった。
ソフィアの小屋には高度な魔法書がたくさん収められていた。魔法で空間を操り、専用の書庫まで構築していたほどだ。
ソウジはその書庫から毎日、たくさんの本を読んで知識を得た。バウスフィールド家の書庫よりも立派で高度な本がたくさんあったので、読み応えがあった。もともと、魔法が使えないソウジは魔法に関することを自分がちゃんと理解しきれていないのが問題なのだと思って、たくさんの本を読み漁っていた時期があった。本を読むのは割と好きなほうだ。
ソウジは『星眷』についての歴史書を読んだ。簡単に要約すると次のようになる。
――――星暦700年。
かつてこの世界は一つだった。豊かな緑とそれがもたらす大地の恵みを受け、人、獣人、魔族、エルフ、ドワーフの五つの種族たちは互いに手を取り合い、平和な暮らしを送っていた。だがある日、突如として『魔王』と呼ばれる存在がその平和を砕いた。
魔王は魔族を束ね、四つの種族を襲い始めた。魔王の持つ力は凄まじく、四つの種族は成す術もなく蹂躙された。
星暦750年。
魔族以外の四つの種族はそれぞれの持つ力を合わせた。
人は『知恵』を。
獣人は『自然』を。
エルフは『魔力』を。
ドワーフは『鍛冶』を。
この四つの力を合わせて、『星眷魔法』と呼ばれる魔法を創り出した。『星眷魔法』……通称『星眷』とは、魔力の源である『星霊』を武器として具現化させたものである(魔族は星眷を使えないが、代わりに『魔眷』と呼ばれる魔法を使うことが出来る。また、星眷を具現化させることを『眷現』と言う)。
この『星眷』によって魔族に反撃をはじめた四つの種族。
だが、『星眷』の力をもってしても魔王を倒すまでとはいかなかった。
ここから更に、十年の時をかけて魔王と四つの種族の戦争は続いた。
星暦700年から始まったこの戦争は、後に『第一次星眷戦争』と呼ばれた。
星暦760年。
自身のうちに眠る魔力の根源である『星霊』を魔力によって『武器として進化・具現化』させて生まれる『星眷』の力と、異世界より召喚されし『勇者』と呼ばれる存在。それらを合わせる事で魔王を撃破することに成功。
世界に再び平和が訪れた――――はずだった。
魔王が滅んだ事により、『星眷』と呼ばれる強大な力を向ける矛先がいなくなってしまった。力を持て余した人類は、今度は自らの欲望の為に争いはじめた。
そして人が生み出した争いの連鎖は獣人にも及んだ。人は自らの戦争で力を得ようと獣人を襲い、奴隷として戦力を集めた。獣人の力を得た人類の争いは激しさを増した。獣人たちは奴隷にされ、人の道具として戦わされた。
そして争いの波は四つの種族全てに及んだ。
これが後の『第二次星眷戦争』である。
星暦800年。
四十年の争いについに終止符が打たれた。かつて魔王を滅ぼした勇者の子孫が四つの種族の友好の架け橋となったのだ。
第二次星眷戦争の終戦。同時に、『四大種族平和同盟』が結ばれた。各四つの種族は同盟を結んだが、同盟を結ぶには争った期間が長すぎた。争いの火種はあちこちでまだ消えてはいなかった。そこで四つの種族の長たちはこの大陸を人族の大陸、獣人族の大陸、エルフの大陸、ドワーフの大陸、魔族の大陸の五つの大陸に分けた。
かつて一つだった世界は、五つに分かれてしまった。
そして、星暦900年。
かつて起こったこの二度の大きな戦争は合わせて『百年戦争』と呼ばれ、世界には穏やかな平穏の時が今も流れている――――。
「あら、よくまとめてあるわね」
ソウジが星眷魔法の歴史を纏めた羊皮紙をソフィアは手に取る。飄々としているが、ソフィアは内心、とても七歳の子供がまとめたものとは思えないと舌を巻いていた。世界最強の『星眷使い』が、だ。
「なら、一つ問題。『星眷』を扱うのに最も適している環境は?」
「夜です。もしくは、星の光の恩恵が受けることが出来る環境です」
「それはなぜ?」
「『星眷』とは、星と星の繋がり……つまり星座を元にした力であり、星の光という特殊な魔力エネルギーによる恩恵を受けることが出来ます。よって、星の光がハッキリと輝く夜、もしくは星の光の恩恵を受けられる環境こそが『星眷』を扱うのに最も適している環境といえます」
「では、なぜ昔の四種族たちはそのような条件の魔法を作ったのかしら?」
「魔族や魔物は夜にその力を活発化させます。よって、昔の四種族たちは夜に力を発揮することのできる強力な魔法を開発する必要があったからです」
「正解。百点満点よ」
これだけ星眷魔法についてスラスラと答えられる七歳の子供は世界でソウジただ一人だろう。とソフィアは思った。類稀なる魔力量にこの知識。彼女が特に何かを指示するまでもなく、ソウジはメキメキとその頭角を現していた。
(この子、理解力がとてつもなく早い……それに魔法が使えないっていっても魔力量が多すぎて今はコントロールの難易度が他の子に比べてとてつもなく難しいだけ。つまりこの子がちゃんと魔力のコントロールが出来れば……)
ソフィアは目の前のソウジという子供の未来へと思いを馳せる。
(この子はきっと、素晴らしい魔法使い……いや、『星眷使い』になるわ)
そう、確信した。
ソウジがソフィアの元で魔法、そして星眷魔法について学び、鍛錬をはじめてから九年の時が過ぎた。