第十七話 ソウジとフェリス
観覧席はどよめきが起こっていた。突如として、中の様子を窺うための映像が途絶えたのだ。
これでは中で何が起こっているのかまったく分からない。
そう、何が起きていても、外の人間は知ることが出来ないのだ。
生徒たちの大半は口々に術式の不調と思っているらしいが、プルフェリックは違うと思った。これは明らかに故意に妨害されている。何者かの手によって。
(そういえば……ここ最近のオーガストくんの様子がおかしかったですねぇ)
何しろ暴力沙汰まで引き起こしたのだ。罰則の時も心ここにあらずの様子だったと聞いている。
プルフェリックは嫌な予感がした。彼は席を立ちあがり、結界の術式を構成している教師たちの元へと向かおうとしたその時だった。結界の術式が安定し、映像が回復した。映像の中ではソウジがオーガストを下し、ポイントを入手していた。
だが明らかに様子がおかしい。レイドは明らかに過剰なダメージを負っているし、オーガストも尋常ではないぐらいに疲労している。やがてレイドは光に包まれて転移してしまった。これは一定以上のダメージを負ってしまったためだ。何人か非常に危険なところまでダメージを負ってしまった為に転移されていた。
その後、ランキング戦の個人戦は幕を閉じた。
結果的に見て、ソウジの一人勝ちだった。あの後、レイドとオーガストが転移された後もソウジは全てのエリアを駆け巡って敵を倒していった。プルフェリックにはそれが、まるで誰かを探しているかのようにも見えた。
「かんぱーい!」
ランキング戦が終了した後、イヌネコ団の面々は食堂に集まった。そこには体のあちこちを包帯を巻いたレイドもいる。クラリッサは自分のギルドのメンバーが大活躍したことにご満悦だった。何しろ、ポイント獲得数が一位のソウジをはじめとして上位の殆どをイヌネコ団が独占したのだから。
これはメンバーが全員、一年生しかいない新興ギルドがギルドポイントでも限りなく上位に近づいたことを意味している。これは驚くべきことで、ここ数百年ほどメンバーが全員一年生のギルドがここまでのポイントを獲得したことなど例に無かった。
「かんっぺきな勝利ね!」
クラリッサはごくごくとジュースを飲みながら満足げな笑みを浮かべていた。
「これならギルド戦もらくしょー確実! ね、みんな!」
「……このお肉、おいしい」
「それは『ぐりぐりグリズリー』のお肉です。それを『バターバッタ』のバターで炒めてみました」
「……ルナ、お料理じょーず」
「いえ。まだまだです」
「って聞きなさいよ!」
いつも通りのチェルシーにクラリッサはぎゃーぎゃーとわめく。
そこでフェリスは苦笑しつつも、ソウジの様子がおかしいことに気が付いた。難しい顔をして何かを考えているような感じがして、文字通り心ここにあらず、といった様子だった。
やがてソウジはひっそりと席を立ち、一人で食堂のテラスから離れて行ってしまった。フェリスはそんなソウジが気になって、こっそり後をつける。ソウジはテラスから少し離れた場所まで歩くと、ぼーっとしながら夜空に浮かぶ月を眺めていた。
「ソウジくん?」
「……フェリスか。どうした?」
「いえ。なんだかソウジくんの様子がおかしかったので……その、何かあったのですか?」
問いつつ、フェリスはソウジの様子がおかしいことはなんとなく分かっていた。きっと、彼の過去に関係していることなのだろうと。レイドがかなりのダメージを負っていることに関して事情はきいた。オーガストが何者かから手渡されたとされている闇の魔法アイテムに手を出してしまったからだと。ソウジにはきっと、オーガストにそれを手渡した人物に心当たりがあるのだ。
「いや、なんでも。ただちょっと……考え事をしてただけだよ」
ソウジはそう言ってフェリスに微笑みかける。彼のこの明らかに無理をした笑顔を見たのは初めてではない。十年前も、こんな顔をしたのを覚えている。十年前のソウジがこんな顔をするときにはいつもきまって体中に痣が出来ていた。家で何かあったのだろうということは解った。
あの時は、何もできなかった。
フェリスは思わずソウジにぐっと近づいて、力なく垂れ下がっているその手をとった。そして、両手で包み込むようにしてその手を握る。フェリスのいきなりの行動にソウジは思わずびっくりしてしまい、フェリスの手に抗えなかった。
「そ、ソウジくんっ!」
「な、なに!?」
「あのあの……わ、わたし! そ、ソウジくんのために出来ることならなんでもしますから!」
もう十年前のような気持ちを味わうのは嫌だ。だから今度は近くにいる。
「で、ですから、そのっ、わ、わわわわわたしがず、ずっと、傍にいます!」
「!?」
顔を真っ赤にして更に距離を詰めてくるフェリス。更に無自覚だろうがその豊満で柔らかい胸もむぎゅうっと押し付けられているに等しいのでソウジとしてはかなり困る。だがフェリスはそんなことは全然気が付いていないらしい。
「ですから……一人で、無理しないでください……」
「え?」
「わたしだってこの九年間、頑張りました。今度はちゃんと、ソウジくんの力になれます。辛いことがあるならはんぶんこしてください。わたしが引き受けますから。一緒に、歩きますから。だから……もう、勝手にいなくならないで」
フェリスの言葉にソウジは自然と押し黙ってしまった。彼女の言葉は真剣みを帯びていて、それが冗談でもなんでもないことが分かる。そして彼女は、昔の自分を知っているのだ。でも、どこで。
月明かりに照らされた美しい金色の髪が、夜風によって華麗に舞う。その光景に、ソウジは自分の記憶が刺激されるのを感じた。そう。自分と目の前の少女はどこかで会っている……そうだ……あれは……。
「フェリス……もしかして、お前って……」
思い出した。幼少の頃、自分と彼女は会っていた。自分の『色分けの儀』でバウスフィールド家から追放されるまでの期間を一緒に遊んだ女の子。『色分けの儀』の前日も一緒に遊んだ。また明日と手を振って……。
「はい……ずっと、ずっと、待ってたんです。ソウジくんを」
「え……あ……」
目の前にいる少女は、あの頃の小さな女の子とは違う。ずっと背も伸びて、体も女性らしくなってきて、とってもかわいい少女になっていた。
「わたし……あの日、ソウジくんがまた明日って手を振った次の日、ソウジくんを待ってたんですよ?」
「……ごめん。行けなくて」
「それに、ぜんぜん気づいてくれないし……」
「そ、それは……だって、八年や九年も前の事だし」
「でも、わたしは覚えてたもん」
「それを言われると弱いけど……」
「かんけいないもん。ソウジくんのばか……わたし、がんばってかわいくなったのに……」
言いかけて、ふと気づくフェリスの普段からは考えられない子供っぽい言葉が漏れていたことに。
これが彼女の素だろうか。そういえば、昔一緒に遊んでいた時もはしゃいでいるとこんな感じの言葉になっていた気がする。
「ど、どうですか?」
「な、何が?」
「えとえと……わたし、かわいくなりました?」
頬を桜色に染めたフェリスは自分の胸にそっと手を当てる。
「い、一応……む、むねも大きくなってきて……女の子らしくなったとは思うんですけど……あ、でもちょっとあしが……おおきくなっちゃってるかも……」
不安そうに自分の太ももに目を向けるフェリスだが、実際のところ程よい肉付きでソウジにとってどこがどう不安に感じるのか分からなかった。
だが本人に実際に口にするとなると恥ずかしいことこの上ない。どうすればいいのやら分からなくて、お互いに口を噤んでしまう。しばらく静かな時間が流れ、聞こえてくるのは夜の風と、虫や動物たちの鳴き声だけになった。だがそんな自然の沈黙を破ったのもまた、フェリスであった。
「ソウジくん……」
「フェリス……?」
ドキドキドキドキとフェリスは自分の豊かな胸の鼓動が大きくなっていくのを感じた。体が熱くなってきて、今ならどんなことでもできそうだと思った。フェリスは自然と、ソウジの顔に自分の顔を近づけていった。ソウジはゆっくりと近づいてくるフェリスの桜色の柔らかそうな唇に思わず視線がいってしまう。
「わ、わたし……わたし……ずっと…………」
フェリスは思った。今こそ、この想いを伝えるときだと。もう彼が手の届かないどこかに行ってしまう前に…………。
「……ちゅーするの?」
「はい。わたし、ちゅーを……って……ふにゃああああああああああああああああああああ!?」
いきなり第三者からの声が聞こえてきたことによって、フェリスは我に返った。
ソウジはフェリスほど慌てずに第三者である小柄なネコミミ少女に視線を向ける。
「チェルシー?」
「な、ななななななななななななんでこ、ここここココに!?」
「……ん。クラリッサが、二人を探してこいって。勝手に祝勝会から抜け出すなって」
「そ、そうですか。あはっ。あはははははははは」
「あー、悪かった。すぐ戻るよ」
「……そーじとフェリス、らぶらぶ? 二人、みっちゃくぎゅーっとしててとっても仲良し」
ここでフェリスは自分たちの体勢に気が付いた。自分はソウジの手を両手で包み込んで、あまつさえキスしてしまいそうなぐらいに近づいている。胸だって太ももだって惜しげもなく密着していて、ソウジの体温を直に感じているほどに。
「あ、あうあうあう……ど、どどどどどどどーしてわたしこんなことを!?」
「いや、フェリスがやってきたんだけど……」
「きゃあああああああああああああああああああああああああああああ!? ち、ちがうんですソウジくんっ!」
フェリスは明らかに混乱して大慌てだ。冷静さを失って、あわあわと自分の手とソウジの手を見ている。
ついでに言うならば、ソウジの手だけはしっかりと包み込んだまま慌てふためいてバランスを崩してしまったのだから、ソウジと一緒に地面に倒れこんでしまった。
「きゃあっ!?」
「むぐっ!?」
どさっ。という音がして、視界が夜空に浮かぶ満月を捉えた。気が付くと、自分の頭をソウジの手が優しく地面から庇ってくれていることに気が付いた。ついでに、フェリスの胸にうずまっているソウジの顔の体温も。
「……わお。フェリス、とってもおおきい。わたしじゃ、こんなの無理」
自分の胸を悲しそうに見るチェルシー。
「むぐ……暗い……見えない……こ、この感触って……?」
自分の塞がった視界の正体が分からずにいるソウジ。
「きゃあああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」
自分の成長した胸に想い人の顔がうずまっているという状況に脳の処理が追いつかなくなったフェリス。
その日、夜空には恥ずかしさで顔が真っ赤になったフェリスの悲鳴が響き渡った。