第十六話 オーガスト・フィッシュバーン
僕の母であるメリア・フィッシュバーンは『下位層』と『太陽街』の間にある貧富の差や差別を無くそうと尽力していた。もともと『下位層』とはもともと『大地街』と呼ばれ、戦争の際にこの王都に攻め込んでくる敵から他の民を護るために最初に敵を受け止め、戦った人たちのことだ。この王都を守護する兵士たちの住まう街。だが戦争が終わり、その役割を終え、いつしか『大地街』は『下位層』となり、その扱いは歪んでしまった。
僕の母はそれを悲しんで、『下位層』の人たちをもとの『大地街』へ戻そうと日々精力的に活動していた。僕はそんな母が誇らしかった。『色分けの儀』が終わって、半人前でも魔法使いになったら母の仕事を少しでも手伝いたいと思っていた。
だから少しでも母の力になるために僕はずっとずっと、魔法の練習を頑張った。努力もした。母に連れられて、たまに『下位層』の視察に同行した際には、その現状を見てなんとかしようと決意を固めたりもした。
あのメギラス家の様子もよく見ていた。メギラス家は『下位層』の人達によく親しまれている。ジャンク屋と呼ばれる、壊れた魔道具を引き取って修理したり、捨てられた魔道具のパーツを使って様々な魔道具を作る家業を営んでいるところだった。家族もみんなが仲が良く、とても幸せそうな笑顔に包まれている家だった。僕はそんな、『下位層』でも笑顔を絶やさず家族を想って懸命に生きている人達を護れるようになろうといつも考えていた。
「いい、オーガスト。あなたはとっても優しい子。だから、無理はしないで」
大きくなったら母の仕事を手伝う。いつもそういっている僕を、母は苦笑して僕を諌めて、そんなことを言っていた。
だけど僕が七歳の時、母が死んだ。
その日は『色分けの儀』を終えたばかりの日であり、母は僕のことを祝ってくれていた時だった。その日、父はどうしても外せない用事で仕事で遅くなっていて屋敷には僕と母しかいなかった。母は僕のためにケーキを焼いてくれていた。僕は母の作るケーキが大好物で、その日はとても楽しみにしていた。
そいつがやってきたのは突然だった。
屋敷の結界が突然、破られた。何が起こったのか分からなかった。そして屋敷の一部が破壊され、そいつが現れた。顔は見えなかったから覚えていない。その日は暗かったし、それに戦おうとする僕の前に母が僕を護るために現れて、そいつと戦ったからだ。だけど母は死んだ。僕を庇って、護って、死んだのだ。そいつは母を殺すとすぐに逃げた。母の体を貫いた黒い閃光が、僕の眼と記憶に今でも焼き付いている。
「オーガスト……自分を責めないで。憎まないで……」
そう言って、母は僕の目の前で息絶えた。
後日、王都の騎士団の調査でその痕跡から母を殺したのが『下位層』の人間であることが分かった。僕はわけがわからなかった。どうして、母が殺されなければならなかったのか。母が何をしたというのか。魂が抜けた抜け殻のように過ごす日々が一ヶ月続いた。そんなある日、僕はフラフラと『下位層』に足を向けていた。母と一緒に通った視察ルートをたった一人で歩いていた。
母との思い出に浸りながら、僕はその道を歩いていた。そこで僕は、またメギラス家を目にした。そいつらは、笑っていた。母が死んだというのに、こいつら『下位層』のために頑張っていた母が死んだというのに、笑って生きていた。どうして笑っていられるのか僕にはとうてい理解できなかった。
それから八年が経って、僕は十五歳になった。僕は母を殺した者に復讐するために何かに憑りつかれたように鍛錬を重ねた。そしてレーネシア魔法学園に入学した。その時には既に『皇道十二星眷』の眷現を成功させていた僕は、『星眷使い』として多少は名が知れていた。だが入学した学園の殆どが、僕は嫌いだった。なぜ『下位層』のような存在を放置しておくのか? なぜただの犯罪者たちを放置しておくのか? とうてい理解できなかった。更に極めつけはあの黒魔力を持ったソウジ・ボーウェンの存在だ。あんなモノを野放しにしてまた母のような犠牲者が出たらどうするのか? 『下位層』を嫌う理由はいくらでも出てきた。憎む理由はいくらでも出てきた。でも、嫌うたび、憎むたびに母の顔を思い出した。
母が僕にこんなことを望んでいないことも分かっていた。そして、心の奥底では僕も分かっていた。間違っているのは僕だ。悪いのは僕だ。彼らは何も悪くないのだ。母が死んだって彼らは悲しんでくれる者もいた。メギラス家の者も母の死を悲しんでくれていた。何も悪くない。だが、憎んでいないと僕はもう僕でいられないのだ。僕はもう自分で自分を止められなかった。
レイド・メギラスに魔法を使おうとした。だが僕は分かっていた。これをしてしまえば僕は一線を越える。越えてしまう。だけどもう自分では止められなかった。
そしてそれを止めたのが、ソウジ・ボーウェンだった。あの黒い魔力が僕の魔力を塗りつぶした時に、僕はあの時の……母の魔法を塗りつぶし、母を貫いた黒い閃光を思い出した。
自分の魔力を塗りつぶされたことが屈辱だった。また、ソウジ・ボーウェンに明らかに格が落ちているという事を突き付けられて冷静にいられなかった。僕は彼を憎んだ。憎むことで精神に安定を求めた。それが間違っていると知りながら。
だが彼は優秀だった。合同授業でも彼は誰よりも賢く、また実技でも群を抜いていた。その優秀さを嫉んだ。僕にそれだけの力があれば、あの時だって母を救えたかもしれないのに……。
僕は模擬戦を利用してソウジ・ボーウェンに勝負を挑んだ。とにかく勝ちたかった。あの色に。母を殺したあの色に。たとえそれが間違っていると知っていても。だから、相手を化け物と思う方が楽だった。その方が存分に憎しみをぶつけることが出来た。だが僕は負けた。黒魔力を持つソウジ・ボーウェンに負けた。黒魔力を持つ者に負けたことは僕にとって、これまで僕が重ねてきた努力を否定されたような気がした。
僕は完全に彼に敗北した。中級魔法を下級魔法で押し負けただけでなく、それに加えて僕の水属性に対して相性の悪い火属性で全て叩き潰され、あげくの果てに素手で捌かれた。
これがどれだけの事か。あのフェリス・ソレイユでも素手で中級魔法を捌くなんてことは出来ない。それどころか、この学園の教師だって、誰一人として中級魔法を素手で捌くなんて芸当は出来ない。だがソウジ・ボーウェンはそれをやってのけた。それも簡単に。あっさりと。
規格外。
彼に圧倒されながら、僕はそんな言葉を思い浮かべた。
僕は負けたくなかった。どうしても。黒魔力を持つ彼だけには。
「来いッ! 『ピスケス・リキッド』!」
僕は星眷を使った。僕の全力。これまでの努力の結晶。
だがそれすらも彼は凌駕した。
『アトフスキー・ブレイヴ』なる星眷は、『皇道十二星眷』である僕の星眷を簡単に破壊した。黒魔力による転移魔法。それが決め手になったことも僕は悔しかった。
もうどうすればいいのか分からなかった。僕は悩んだ。苦しんだ。考えた。母が今の僕を望んでいないことを思いながら……だからこそ、悩んだ。
「くそッ! くそっくそっくそっ! ソウジ・ボーウェンめ! 化け物め!」
罵倒しつつも、僕は今の自分が間違っているということを認めるしかなくなっていた。僕の母はこんな僕を望んでいない。『下位層』を憎むことも、そしてソウジ・ボーウェンを憎むことも、間違っていると。心の中ではずっと感じていたことを認めるしかないと。そう、考えていた。
そんな時だった。
僕はあの謎の黒マントの『男』に出会った。
「どうやら君も、あの化け物を憎んでいるようだね?」
声でかろうじて男ということは分かった。否、男というよりは少年か。
「そう、復讐だ。憎いんだろう? 黒魔力を持つあの化け物が。だが、今のままでは君はあの化け物には勝てない。だから……これを、あげよう」
そう言って黒マントの少年が差し出してきたのは、黒く濁ったクリスタルだった。
「これは……」
「使ってみればわかる」
黒マントの少年は怪しげに微笑んだ気がした。僕は手渡されたクリスタルが危険なモノだということは一目でわかった。このクリスタルからは怪しげな魔力を放っていたからだ。だが、黒マントの少年と話していると僕は僕でいられなくなってきた。
(これは……精神操作の魔法!?)
気づいた時には遅かった。僕の意識は闇に沈み、このクリスタルが持つ怪しげな魔力に抗えなくなっていた。
「それはあの化け物を倒すのに大いに役立つだろう。一度使ってみるといい。出来るだけ、人けの無い場所でね」
人けの無い場所、ということがこの場所で、今この場で使え、といっていることは理解できた。
僕の体はもう僕のモノではなかった。
「大丈夫……君は何も考えなくてもいい。君の母親の仇を討てばいいだけだ」
黒マントの少年は更に言葉を紡ぐ。彼が言葉を発するたびに、僕は意識が沈んでいくのが分かった。
「仇……そうだ……僕は、母上のために……復讐……しなければ……!」
そして僕は、そのクリスタルを使った。
クリスタルから解放された邪悪な魔力が僕の体を包み込むのを感じた。
そこから僕は僕でなくなった。意識が闇に沈み、僕は憎しみと怨念に憑りつかれるだけの空虚な存在となった。そこからは記憶が無いときが頻繁に起こった。昨日、ベッドで寝たと思ったらいつの間にか次の日の夕方の廊下を歩いていた。精神も不安定になってきた。
「あの、オーガストさん……大丈夫ッスか?」
「最近、様子がおかしいですよ」
「休んだ方が……」
記憶が途切れ、精神的に不安定になってきた僕を心配して話しかけてきてくれたクラスメイトもいた。だが僕は、なぜかそのときイライラしていた。いや、あのクリスタルのせいだ。
「うるさいッ! 黙れ! 黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れェ――――!」
あろうことか、僕は心配して話しかけてきてくれたクラスメイトに暴力を振るってしまった。罰則を命じられたが、なぜかその罰則をこなした記憶もなかった。
そうしてランキング戦の日を迎えた。
ランキング戦の結界の中に転移される間際、僕はソウジ・ボーウェンを見つめていることに気が付いた。また、記憶がとんでいた。
結界の中にとばされると、たちまち戦闘がはじまった。戦いになると僕はもう自分を抑えきれなかった。あのクリスタルの中に秘められた負の感情が戦いによって増幅し、もう僕は自分を抑えきれなくなっていた。このままでは確実に人を殺してしまうかもしれない。それだけの暴走をしてしまっていた。
僕はなぜか、この戦っている時だけは記憶を保持できた。自分のやっていることから眼を背けられなかった。まずてはじめに何人かの生徒から鮮血が舞った。死んでいないことを祈りながら、僕は抑えきれない破壊衝動に身を任せるしかなかった。
次に僕はレイド・メギラスと遭遇してしまった。
逃げろ、と口に出したかった。
「…………死ね、『下位層』のゴミめ」
だけど出てきたのはただの蔑みの言葉と、彼を切り裂く殺意の刃だけだった。
「殺す……『下位層』のゴミも、そして、黒魔力を持った化け物も……」
僕はもう願うしかなかった。誰かが僕を止めてくれることを……。僕は明らかに相手を殺しかねないレベルで攻撃してしまった。これは明らかにルール違反。きっと教師が僕を失格にして止めてくれるだろう。だけどいつまで経っても誰も僕を止めてくれない。おかしい。外から教師たちが中の様子を窺っているはずなのに。僕は最悪の事態を想定していた。あの黒マントの少年が、何らかの方法で外部との繋がりを絶つ手段を講じていたのなら?
絶望で心が壊れてしまいそうだった。だが、そんな僕の前に現れたのは――――ソウジ・ボーウェンだった。
「第二ラウンドといこうか、オーガスト」
再びソウジ・ボーウェンと激突することになった。
「シね!」
「悪いが、俺はまだ死ねない」
彼はこの状態になった僕ですら余裕を以って相手をしていた。これなら大丈夫だ。きっと彼は僕を止めてくれる。無意味に人を傷つけるだけの僕から……。その時だった。
――――そう簡単にはいかないぞ? お坊ちゃん。
あの黒マントの少年の声がした。
「ウ、ガアア嗚呼ああああアアああアッ!?」
魔力が増大した。それと同時に、あの黒マントの少年の声が頭の中に響き渡っていた。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。あの黒魔力の化け物を殺せ。殺せ。と囁いてくる。その声は僕に囁きかけているようにも思えたが、あの黒マントの願い、のような気もした。
もういっそのこと殺してほしい。こんなの、僕には耐えられない。これ以上、僕に罪を重ねないでくれ。
――――憎いんだろう? あの化け物が。
違う。
――――憎いんだろう? 下位層のゴミが。
違う!
僕はこんなことをしたかったんじゃない。
叫んでも叫んでも、僕の声は僕には届かない。
辛い。苦しい。いっそ殺してくれてくれた方が楽だ。
彼なら、ソウジ・ボーウェンならそうしてくれるだろう。
「頼む、ソウジ。オーガストを助けてやってくれ」
だが、レイド・メギラスがそんなことを言っていた。バカかこいつは。僕は、お前の事を、お前の家族を……。
「そこで待ってろ。すぐに終わらせる!」
「おうよ!」
ソウジ・ボーウェンはレイド・メギラスと何かのやり取りをしたあと、僕を救うために動き出した。
最初、ソウジ・ボーウェンは何かを探るような動きを見せたあと、すぐに僕の懐に転移してきた。彼は何か仕掛けてくるつもりだろうと思った。そして、彼はポケットからクリスタルを取り出すと、あろうことかそれを僕に使った。
「『強化魔法』!」
僕の体が強化されるのを感じた。これは、レイド・メギラスの魔法。だが、なぜそれをここで?
理解できなかった。やけになったのか? そう思った。
だが違った。
この一見、意味不明に見える彼の行動は次に繋げるための布石だった。
「悪いオーガスト、耐えてくれ!」
彼の持つ星眷、『アトフスキー・ブレイヴ』に黒い魔力が集約された。その魔力は力強い輝きを帯び、刃へと形を変えていく。
「――――『黒刃突』!」
漆黒の刃が僕の胸のクリスタルと激突した。
この胸のクリスタルはそれそのものが膨大な魔力の塊だ。これを突破するのはかなり難しい。それも、ピンポイントで。こんなのは無理だと思った。不可能だと思った。
だが、彼はそれを実行した。彼の魔法とクリスタルの結界が激突した際に、僕の心が彼へと流れ込んでいくような気がした。
――――頼む……助けてくれ……。僕は、こんなことは……。
クリスタルの抵抗として展開された結界。それを維持するためにクリスタルは僕から魔力を吸い上げていた。更にソウジ・ボーウェンの放った『黒刃突』。この威力によって僕の体は悲鳴を上げていた。しかし、僕の体が壊れる前に彼の一撃がクリスタルを破壊した。
薄れゆく意識の中、彼の一撃と共に僕は母の言葉を思い出した。
「いい、オーガスト。あなたはとっても優しい子。だから、無理はしないで」
僕は無理をしていたのだろうか。
「オーガスト……自分を責めないで。憎まないで……」
僕は……自分を責めていた。そして、憎んでいた。母を護りきれなかった自分を。僕はクリスタルの魔力から解放されたと同時に、自分を憎む僕からも解放されたような……気がした。
無様に地面を大の字になって寝転んでいる僕に、ソウジ・ボーウェンが近づいてきた。
「オーガスト」
「なん……だ……ソウジ・ボーウェン……」
「お前が何で『下位層』を憎んでいるのかは知らない。でも、お前が自分自身を憎んでいるっていうのは分かる」
もしかして……ソウジ・ボーウェンははじめから感じ取っていたのだろうか。僕が僕自身を憎んでいることを。
「自分が憎くなる気持ちは分かる。俺も、そうだったから……」
彼はいったい何を見ているのだろうか。彼の過去に何があったのかは僕にも分からないが、それはかつての無力な自分を呪った僕と同じに見えた。
「力のない自分を呪い憎くなるのは分かる。でも、自分や誰かを憎むことで手に入れた力は、脆いと、俺は思う」
「……そうだな。僕も今、それを嫌というほど実感しているよ……」
彼は。ソウジ・ボーウェンは誰かを、そして自分を憎んで強くなったわけじゃない。
きっと、誰かのために……誰かを想うことで、強くなったのだろう。
「……………………ありがとう」
僕を解放してくれた二人に対するお礼。
少し前ならくだらないプライドが邪魔して言えなかったその言葉は、ごく自然に出てきた。