第百三十八話 かつて人形だったもの
ゲルプが唱えた『魔神結晶』という呪文。『最輝星』と同じ名前の魔法が発動した瞬間、瞬く間にゲルプは強化変身を行っていた。
背中にはドス黒く変色した邪悪な魔力で形作られた翼を広げている。
「なん、だ……?」
「なんということはない。ただ、『魔人』が『魔神』になっただけだ」
雰囲気のガラッと変わったゲルプはあっけらかんと、それこそ本当に、言葉通り。
なんということもない、ごくごく普通のありふれたことだと言わんばかりだ。
「我ら『魔人』は元より魔王様から生まれしもの。魔王様が完全復活に近づいたことで我らもリミッターが外れ、より魔王様に近づいただけの形態だ」
「なるほどな……つまり、そのまんま『最輝星』ってわけだ」
「そういうことだ」
だとすれば厄介だ。ただでさえ手強い魔人がパワーアップしたということなのだから。
「では、続きと行こうか?」
言葉と共に、ゲルプが消える。否、ブレイヴモードになった今の俺には見えていた。
小細工の一切ない拳を、俺は真正面から拳で受け止める。
凄まじい衝撃が体を襲うが、耐えられないほどじゃない。
白銀の翼からエネルギーが迸る。体が加速していく。
対するゲルプもスピードを増していく。
「ハハハハハハハッッッ! 楽しいなァ! 楽しいなァ、黒騎士よッ!」
幾度も拳が交錯する中、ゲルプは笑い声を上げている。
心なしか、以前に戦った時よりも感情が豊かに……いや、もっと表にむき出しにするようになったような。そんな感覚がする。以前よりも力が増した影響なのか。
「うッ……⁉」
ズキンッと頭の隅に痛みが走る。ゲルプと拳を交えていると、記憶が刺激されていくような感覚がする。
ざざざざざざざざざざざざ、と。
ノイズがかった記憶がうっすらと晴れていく。
記憶。俺が勇者だった頃の、記憶。
前世の記憶が……より鮮明になってくる。戻ってくる。
魔王と戦った時と同じだ。あの時と同じように、魔王の力に俺の勇者としての記憶が、魂が刺激され、共鳴され、記憶を引き出しているのか?
「どうしたァ! ボサッとしてぇッ!」
「ッ…………!」
ゲルプの拳が迫る。
俺はそれを受け止め、いなしていく。
戦い方が分かる。力の使い方。戦い方が、蘇っていく。
ゲルプは俺が攻撃に対応し始めたことに満足しているのかまだ笑っている。
不気味な笑顔から離れたくて翼をはためかせて距離をとると、ゲルプは逃がさんと言わんばかりに『黒』となった魔力を捜査して巨大な砂の拳を作り出した。
「逃がさんよ!」
大砲のような轟音が響き、巨大な拳が撃ち出された。
あれはまずい。まともにうけたら確実に終わりだ。下手をすれば、この辺りは軽く吹き飛びそうなぐらいの。
みんながまだ地下にいる。どうすればいい。どうやってこの攻撃を凌ぎきる。……いや、違う。どうすればいい? 違う。違う。違う。俺は知っている。この後、どうすればいいのか。力の使い方を、知っている。
この『鎧』は……『スクトゥム・デヴィル』は、とある少女が託してくれた『盾』だ。
鎧の形をした盾。
本来の能力は、防ぐこと。守ることに秀でている。
現状、そこに『最輝星』で強化された『アトフスキー・ブレイヴ』の力が備わっている。
「それなら!」
背中の翼を射出し、前方に展開する。
白銀の羽が六枚。
円を描き、防御壁を展開した。
蘇った記憶を頼りに展開した防御壁に、ゲルプの砂が着弾した。
光が派手に炸裂するが、爆発の衝撃をすべて包み込み、
「防ぎ、きれた……!」
俺自身、まったく思いもよらなかった。
勇者としての記憶。前世の記憶が蘇ったからこそ出来た芸当である。
「なんと…………!」
驚愕の表情を浮かべつつも、ゲルプの表情は未だ笑みを崩していない。
楽しんでいるようだが、そろそろ終わらせなければならない。
勇者としての記憶が告げている。この先、どうすればいいのか。どうやって相手を倒せばいいのかを教えてくる。
「…………!」
空を舞う羽を操る。
変幻自在の軌道を描く白銀の刃と化した羽は、瞬く間にゲルプへと殺到する。
強化され、黒魔力を得たゲルプは空を斬り裂きながら襲い掛かってくる羽に反応してくるが、それでも防御で手一杯だ。徐々に攻撃は魔神と化した彼の体を掠めていく。
ここだ。今、このタイミングしかない。
そう判断した俺は地面を蹴ると同時に右拳に魔力と羽を集約させた。
白銀の輝きが羽によって強化され、研ぎ澄まされていく。
魔王に叩きこんだ時と同じ状態。同じ一撃。
「――――『魔龍星拳』!」
羽がブースターと化して俺の体を加速させていく。
白銀の弾丸と化した一撃は、咄嗟に腕を交差させたゲルプの防御に叩き込まれる。
まるで分厚い鋼鉄を砕いたような感触と共に、魔神の腕諸共、心臓を貫いた。
「ガッ…………!」
空いた穴から鮮血と共に魔力が迸る。
白魔力で心臓を砕いた。
再生は不可能だ。
「は、ははハはッ……。あァ、負けたか……」
魔神と化したゲルプは、心臓を穿たれながらもどことなく晴れやかな表情を浮かべている。
笑っているのだ。
「だが……満、足…………アぁ、満足だとも」
魔神の体に埋もれた腕を引き抜く。
穴から更に血と魔力が噴き出していく。
ゲルプの体は徐々に粒子と化して消えていく。
「ククッ……魔王様のため魔王様のためと……言って、おきながら……結局、貴様との闘いを……楽しんでいたよ……魔王様のためではなく……自分の、ために……」
「お前…………」
楽しんでいたのか、こいつは。魔王のためでも、誰のためでもない。
自分だけのために。
「所詮は……魔王様の人形だと思っていたが……あァ、なかなか……いいものだ……自我を持つというのも……グリューンの気持ちが…………少し、分かった……ぞ……」
消えていく。
魔王の生み出した人形だったはずのものが。
自我を得て、人格を得たかつて人形だったはずのものが。
「ククッ……ハハハはハ…………!」
最期に心の底から大いに楽しみ、満足したかのような笑い声をあげて。
黄の魔神ゲルプが、消滅した。
「…………魔人が、自我を持っている」
思えば、緑の魔人とやらもそうだ。魔王から生み出された存在でありながら自分でも分からない行動をとっていた。
最初は人形だったものがそれぞれ独立した自我を得たのが、今の魔人。
「それでも……」
自我を得ていたとしても。敵として立ちはだかるのなら倒さなければならない。
そのことに揺らぎはない。
「それはともかくとして…………」
戦闘中、勇者としての記憶が蘇ったおかげでこうしてゲルプを倒すことが出来た。
おそらく魔王に限りなく近づいた魔神と戦ったことで勇者としての記憶が呼び覚まされたのだろう。ラヴァルスードの時と同じだ。
それはいい。それはいい、のだが。
不思議と素直に喜べない。
むしろ微かな不安感さえあるような……。
「いや、それよりも今はみんなのことが」
頭を振り切り、みんなが無事かどうか気配を探ろうとした瞬間、凄まじい魔力を感じた。
これは……魔人だ。しかも、よりにもよって赤。赤の魔人のもの。
最悪なことにライオネルの魔力も感じる。戦っているのだ。赤の魔人と。
「くそっ!」
地下にいるみんなのことも気がかりだが、向こうにはルナやユーフィア様がいる。今はライオネルの方を助けるのが先決だと判断した俺は翼を広げて飛翔する。
(みんな……頼んだ!)
俺は心の中で、仲間の無事と祈りながら、ライオネル達のもとへと向かった。