第百五話 繋がる手
ちょっと更新が遅れて申し訳ないです。
ギルド内のムードはすっかり演劇モードとなり、オーガストはさっそく「脚本を執筆する!」と言ってやる気満々で部屋に閉じこもった。ソウジはというと、この悪夢から解放されることを願ってフラフラと眠りについたが次の朝、目覚めても現実は何も変わっていなかった。
「さっそく序盤の分の脚本が出来たぞ!」
むしろ悪化していた。
泣きそうになったものの、泣いても現実は変わらない。思い体を引きずって授業に出た。教室の中もすっかり学園祭ムードになっていて、学園中がまるで活気のある状態になっていた。
「兄さん、元気が無いみたいですけど大丈夫ですか?」
「ああ、クリスか……いろいろと大変なことになっちゃってさ……」
「そうなんですか? あの、あまり無理しないでくださいね。わたしも何か手伝えることがあったら協力しますよ」
「ありがとう、クリス。とても嬉しいよ……」
妹の心遣いに思わず泣きそうになった。
「ところで兄さん、オーガストさんから聞いたのですが演劇をやるそうですね。わたしも手伝うことになったのですが、主役なんて兄さん凄いですっ!」
「やめるんだクリス。その話題は俺に効く……!」
まさか妹にまで魔の手が迫っているとは夢にも思わなかった。というか既に浸食されていた。
「やあ、ソウジ」
「ふむ。探したぞ、ソウジ・ボーウェン」
廊下でクリスと話し込んでいると、エルフ族のエドワードと魔族のマリアと出くわした。というよりも、向こうはソウジを探していたらしい。
「聞いたよソウジ、君、『黒騎士』をテーマにした演劇で主役をやるんだって? すごいじゃないか」
「わらわ達も協力することになってな。わらわが参加するからには当然、最優秀賞を目指すぞ!」
「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」
「どうしたんですか兄さん。顔に『これが絶望か……』という文字が見えるんですけど気のせいでしょうか」
「気のせいだよきっと。気のせい、だと、いいんだけどなぁ……」
どうやらもう救いはないらしい。ならばせめてユーフィアの参加だけはくい止めないと、と心に誓った矢先、
「ソウジ様っ。オーガストさんからお聞きしました。黒騎士様の役でお芝居をするそうですねっ! 素敵です、ユーフィアも応援します」
「オーガストぉおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
ぱたぱたと小走りでやってきたユーフィアの満面の笑顔から放たれた言葉についに心が折れた。もはや次に何が来ようとも精神的なダメージを負うことはないだろうとやけくそになったのだが、
「あ、フレンダ」
「む。クリスか。どうしたんだ」
「そうだ兄さん。フレンダにも手伝ってもらいましょうっ」
「…………えっ」
「手伝う? 何をだ?」
きょとんとするフレンダ。どうやらまだ何も事情を知らないらしい。それを察したのですぐさま説明をしようとするクリスにまったをかける。
「待てクリス、それ以上は――――」
「実はですね、兄さんの所属しているギルドが今度の『学園祭』で『黒騎士』をテーマにした演劇で主役を演じることになったんですっ」
「…………そうか。それは……なんだ、その…………凄いな?」
フレンダは騎士団側の人間だ。騎士団の方もソウジが黒騎士であるという目星をつけており、おそらくフレンダも既に確信しているだろう。何しろ黒騎士状態のままソフィアと共闘した時点でほぼ確信しているに違いない。
だからこそ、フレンダは本物の黒騎士であるソウジが演劇で黒騎士役を演じ、そのうえこのユーフィアのキラキラした瞳を見てすべてを察して「……お前も大変だな……」とでも言いたげな、とても憐みのこもった目をしたことが心にこれ以上ないトドメをさした。
周りのメンバーがわいわいと劇について盛り上がる中、フラフラとしていると、フレンダは何かを心に決めたかのようにそっと近寄り、耳元で囁いた。
「お前に確かめたいことがある。放課後、校舎裏に来てくれ」
「……ッ」
彼女の言葉で現実に引き戻され、フレンダの言葉にハッとした。気が付いた時にはもう遅く、彼女は既に廊下の人込みの中に紛れてしまい、姿を消していた。
☆
フレンダ・キャボットがクリス・ノーティラスと再会したのは春の頃だ。
元々、十二家であったクリスとは面識があった。もっとも、会話が弾んで意気投合したとか、仲が良かったとか、そういうことはまったくなかった。小さかった頃の彼女は常にどこか暗い影をもっていたし、バウスフィールド家そのものが秘密主義者のようなところがあったのでそう交流も多くなかったのだ。
今年で十六歳を迎えるフレンダは既に騎士団の一員として様々な仕事をこなしており、隣国であるフィルネルスにある『王立ヴェルディア魔法学園』に進学したのもフィルネルスの調査を兼ねたものだ。剣の名門である学園で剣の腕を磨きたかったというのもあるのだが。ヴェルディア魔法学園でクリスと再会した(実際にはほぼ出会ったというのが正しいが)フレンダだったが、その時は別に何とも思っていなかった。むしろフレンダにとってはクリスは調査対象に過ぎなかった。
バウスフィールド家の様子がおかしいことは知っており、あろうことか娘のクリスを隣国の田舎へと追いやった行動に疑問を感じていたキャボット家はクリスのことを調査することも含めて、フレンダをこの場所に向かわせたのだから。
フレンダは早々にクリスに近づいた。以前から秘密主義なところもあり、不気味だったバウスフィールド家が何かしらのことを企んでいるとしたら放置しておけない。情報を集める為にクリスに取り入ろうとした。
計算外だったのは、クリスがフレンダの出会ってきた同年代の中で飛びぬけて優秀だったという点だ。子供でありながら既に騎士団の一員として活動しているフレンダは少なからずとも同年代の子供たちよりも飛びぬけた存在だという自負はあった。そんな自分に、クリスは拮抗していた。
学力においても実技においてもクリスとフレンダは常に同率一位の座を譲らなかった。結果は常に数字として出る。そこには名前もあって、自然と二人はお互いの存在を意識していた。
やがて二人は友人として付き合うようになり、フレンダは調査の目的も忘れてしまう程にクリスと楽しい時間を過ごした。二人で剣技や魔法の修行に打ちこみ、図書館では一緒に勉強した。休みの日は街に出かけて買い物をしたり、十五、六歳の女の子らしい日々を過ごした。
けれど、罪悪感はあった。なかったはずがない。自分は元々、クリスを調査する為にやってきた。だからこそ言いだしづらかった。けれど、クリスと過ごす時間は楽しい。こんなにも楽しい時間を過ごしたのは初めてだった。フレンダは、クリスの本当の友人になりたいと思った。でも、自分は騎士団員だ。そんな私情は許されない。
罪悪感は持ちつつも、フレンダはクリスの調査を行った。何もありませんようにと願いながら。結果的に、クリス本人に怪しい点は何もなかった。やはり怪しいのは急変したバウスフィールド家そのものだった。ホッとしたと同時に、罪悪感に押しつぶされそうになった。これではまるで、調査の為に近づいたみたいではないか。最初はそうだった。それは認める。けれど、今は違う。フレンダはクリスのことを友達だと思っている。でもそれを言った所で、真実を知ったらクリスは許してくれるだろうか。許してくれなかった時のことを考えるとどうしても怖くなる。しかし、フレンダはそれ以上にクリスと友達になりたかった。
意を決したある日、フレンダはクリスを呼び出した。場所は、校舎裏だ。
「…………クリス。実は、わたしは……」
言う前に、唇をクリスの人差し指で押さえつけられた。
「大丈夫。言わなくても。分かってるから」
やはりクリスは知っていたのだ。キャボット家のことも。フレンダがどうしてここにいるのかも。正確には、察しがついていたというべきか。
「わたしは、フレンダのこと今でも友達だと思っていますよ」
「……でも、わたしは……クリスのことをずっと調べていた…………打算があってクリスに近づいたことは、確かなんだ」
「知ってます。でも、その間フレンダはずっと苦しそうにしていたじゃないですか。それだけでフレンダがわたしのことを考えてくれていたことは、分かります」
だから、と。
クリスはフレンダに向かって手を差し伸べる。
「今から、本当の友達になりましょう。わたしはクリス。クリス・ノーティラスです」
「……わたしはフレンダ。フレンダ・キャボットだ」
ある意味、この時から二人は本当の意味での友達に慣れたのかもしれない。フレンダはクリスのことを今でも大切な友達だと思っている。だからこそ。
「ソウジ・ボーウェン…………」
彼女の兄であるソウジのことを、ハッキリさせておかなくてはならない。
☆
ソウジは、フレンダに呼び出されて校舎裏に向かった。すると、既に彼女はそこにいて、静かに目を閉じながら待っている。昔のことでも思い返しているような雰囲気だ。
「フレンダ」
「……来たか」
すっと目を開く彼女の雰囲気はまるでこれから決闘でも行われるかのようだ。よもやこんな所でまた前回の模擬戦のような『最輝星』を使うような規模の戦いをするのではあるまいなと警戒する。
「それで、いったい何の用だ? まさか愛の告白ってわけじゃないだろうな」
「……………………」
軽口を飛ばしてみるが、フレンダは硬い表情をしたままだ。せっかくの美人が台無しだなぁ、なんてことを思いつつ、彼女が葛藤しているということが伺える。
(……そういえば、フレンダってクリスと仲が良かったっけ)
最近はアイヴィの邪人化事件などのせいもあってバタバタとしていて、せっかく再会できたのに中々会話をする間が無かったが、フレンダのことを語るクリスの表情はとても楽しそうだということは思い返せる。
それに、とりあえずフレンダの用件が『黒騎士』関連……というか、ずばりソウジが黒騎士であることを確かめるものだということが分かる。フレンダは騎士団に所属しているし、オーガストの言うとおり調査に来たことは間違いないだろう。
やがて、フレンダは意を決したように顔を上げた。
「率直に聞く。ソウジ・ボーウェン。お前が『黒騎士』だな?」
「……その『黒騎士』っていうのは出来ればやめてほしいけど、そうだよ」
どうせもうバレていることだ。隠すにはフレンダの近くで暴れすぎた。仲間を助け、アイヴィを止める為だったので後悔はしていないが。
「それで、どうするんだ? 報告でもするのか? 騎士団様は俺のことを探しているみたいだけど」
「騎士団は、お前のことは敵であるならば……王都に害ある者ならば排除する方針だ」
「敵じゃないなら?」
「……分からない。そもそも、お前の目的もよく分からないからな。だから、決めようがない」
「…………まあ、そりゃそうか」
「こちらからも聞かせてもらう。どうしてお前は……いや、お前たちは正体を明かさない?」
言われてみればもっともだ。
「騎士団は信用できない」
「……なぜだ?」
騎士団に所属しているフレンダからすれば当然の疑問だろう。
「学園の教師に『再誕』のメンバーが潜んでいた」
「アイン・マラスか……」
「連中はどこに潜んでいるか分からない。それは騎士団も例外じゃない。騎士団に正体を明かせば俺の仲間に危害が及ぶかもしれない。クリスも含めてな。だから、正体を明かしたくないんだ」
「……なるほど」
「けど勘違いしないでくれよ。信用は出来ないが、敵になるってわけじゃない。王都に害をっていうけれど、俺はそういうつもりはまったくない。むしろ、『再誕』の連中と戦うっていうのなら喜んで協力するよ……ていうか、王都の観光客数増加に貢献していると思うんだけどな。嬉しくないけど」
それよりも、と。
「フレンダはどういうつもりなんだよ。こんなにも率直に聞いたりしてさ。何か焦ってる気がするんだけど」
「…………わたしは……」
フレンダはぎゅっと唇を噛みしめている。自分の中でも答えがまだ出ていないのだろうか。
「……わたしは、クリスを悲しませたくない。だから早く、お前の真意を聞きたかった。お前の答えによっては、お前を倒さなくてはならないから」
「そう簡単にやられるつもりはないけどな」
「知っている。だが、お前と戦うことになったらクリスが悲しむ。そう思うと……いてもたってもいられなくなった」
ここまでのフレンダとの会話で分かったことが一つある。
(こいつ、クリスのこと好き過ぎだろ……)
それに、騎士団員としての調査任務にはあまり向いていない気がする。いや、確かに幼少から経験を積んではいるがフレンダはあくまでもまだたった十代の女の子なのだ。感情的になるなという方が難しい。それにフレンダにとってクリスはきっと、とても大切な友達に違いない。彼女の実力は同年代の中では突出している。ましてや外国の学園で過ごしてきたのだ。クリス以外、友達がいなかったのかもしれない。
「それで、結局どうするんだ?」
「……そうだな。報告はさせてもらう。だが、あくまでも敵意は無い。協力関係を結べるか検討してもらえるようにわたしから強く言っておこう。勿論、この事はあくまでも団長とわたしの間だけで済ませておく」
「俺がこういうのもなんだけど、いいのか?」
「気にするな。どうせ、もともとこの任務は極秘のものだし、定期報告も団長本人に直接行っていた。つまり、わたしと団長以外この件を知る騎士団員はいない」
「流石に騎士団長様が『再誕』の一員ってパターンは避けてほしいな」
肩をすくめながら言うと、フレンダがクスッと笑った。
彼女が初めて見せくれた笑顔だった。
「オーガスト辺りには迂闊だって言われるかもしれないけど……でも、俺はこれで良かったと思ってる」
「……まだ、どうなるかは分からないぞ。わたしからの報告を受けて、団長がどう判断するかはわたしにも分からない」
「そうだな。でも、遅かれ早かれこうなっていたのは確かだろ。本格的に騎士団が動き出して、『再誕』の連中との戦いの回数が増えたらすぐにバレてたさ。今の段階でもバレバレみたいだし。……でもまあ、とにかく。これでお互いにコソコソする必要がなくなったってわけだ」
「そうみだいだな」
フレンダも自然と肩の荷が下りたかのようだ。クリスのことを思うと『黒騎士』のことで悩んだに違いない。けれど、こちらに騎士団に対して敵意が無いと分かってクリスも一安心できたように見える。ある意味、ここからがスタートだ。
「じゃあ、今から、本当の友達になろう。ただの調査対象としてじゃなくてさ。俺はソウジ。ソウジ・ボーウェンだ」
差し出した手に、フレンダは驚いたように目を見開いている。驚いているような、懐かしんでいるような。そんな不思議な顔だ。
「……やはり、兄妹だな」
「何がだ?」
「いや……わたしはフレンダ。フレンダ・キャボットだ」
二人の手は重なり、しっかりと繋がった。