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第百話 現れた世界最強

 今でも夢で見る。


 その時まで、自分たちはごくごく普通の、そして平和な暮らしをしていた。自分がかつてこの世界を救った勇者様の一人の血を引き継いでいる家系だということは理解していたけれど、そんなことはあんまり実感がなかった。凄いことだとは思っていたが、だからといって劇的に生活が変わっていたわけじゃない。自分たちの家族はとある村でひっそりと暮らしていた。生活には不自由しなかったし、冒険者である父に憧れて小さい頃から近所の子供と一緒に冒険者ごっこをして遊んでいた。

 そこに勇者の子孫だとかそういうのは一切なくて、ただの、ごく普通のありふれた生活と日常がそこにはあった。

 周りに自分たちが勇者の子孫であることを隠していたせいかもしれないが、ライオネルにとってご先祖様がどんな人だったかなんてどうでもよかった。

 これからもその日常が続くかと思っていた。

 だがソレは唐突に訪れた。

 その日は、妹のユキと一緒に冒険者ごっこをして村のすぐ外にある山で遅くまで遊んでいた。つい夢中になってしまったこともあってかいつもより帰りが遅くなり、帰ったら怒られるなぁ、嫌だなぁ、ぐらいの気持ちだった。そして、こっそりと父親の愛用している白いロングコートを勝手に持ち出してしまったこともある。それを着て冒険者ごっこをしているとついテンションが上がって夢中になってしまったのだ。勝手にコートを持ち出してしまったこともプラスで怒られるだろう。

 

 しかし、村に近づいてからその異変に気がついた。


「…………え?」


 その村は、邪悪な炎に包まれていた。

 燃え盛る炎からは村人たちの悲鳴や叫び声がこだまし、その中には見知った顔がいくつかあった。自分と同じ年頃の小さな子供までもが泣き叫んでいた。だが無慈悲にも、その炎は人々を燃やす手を緩めなかった。呆然と立ち尽くすライオネル。隣ではユキがガタガタと震えており、そんな妹の姿にハッと我に返った。


「お、お兄ちゃん……」

「だ、大丈夫だユキ」


 何が大丈夫なものか。もう終わりだ。何もかも。

 幼いながらもその事実は簡単に分かった。この村を包み込んでいる炎が、何か邪悪な存在の手によってもたらされたことも、そしてその存在がまだどこか近くにいることも分かった。でも恐怖で震える妹を見ていると兄である自分がただ恐怖に縛られているままでいるわけにはいかなかった。自分がここで震えいていたら、誰が妹を守る?


「き、きっと、父さんが何とかしてくれるっ」


 情けないと思いながらも、ライオネルは自分のヒーローである父の背中を思い浮かべた。冒険者である父はライオネルにとっての最高のヒーローだ。だから、きっと大丈夫。悪い奴をやっつけて、ライオネルとユキを力強い腕でぎゅっと抱きしめてくれる。怖かったな。もう大丈夫だ。父さんがやっつけたからな。そう言ってくれるに違いない。

 恐怖に押し殺されそうになりながらも、ライオネルは自分の中にいる最高のヒーローの帰還を待った。だがそれやってくる前に、ふいに近くでボトッという何かが地面に落ちたかのような音が聞こえてきた。


「……?」


 その音の方向に視線を向けてみると、見覚えのあるモノがそこにあった。

 あれは、なんだ。


「…………ッ!」


 ソレを何か認識した瞬間、思わず目を見開いた。落ちていたのは腕だ。人の、腕。そしてその腕をライオネルは知っている。いつも自分たちを抱きしめてくれた腕だ。いつも自分たちを守ってくれていた腕だ。いま、一番求めていた腕だ。


 ――――ライオネルとユキの父親の、腕だ。


「…………ッッッッッ!」


 何とか声を押し殺す。ここで悲鳴をあげてしまえばこの腕を斬りおとしたであろう存在に見つかってしまう。隣のユキはもはや恐怖で声をあげることすら出来なかった。ただただ、ひたすら恐怖で身を震わせているとドッ! とライオネルとユキのすぐ近くで何かが落下してきた。土煙が晴れ、その中からライオネルとユキの父親が姿を現す。だがいつも二人を抱きしめてくれた腕の片方は斬り飛ばされ、全身もボロボロ。息を切らせ、懸命に魔力を振り絞ろうとしているのが余計に痛ましかった。


「と、父さん……!」

「来るなッ!」


 父親に駆け寄ろうとした瞬間、それは止められた。


「いいか、ライオネル……。ユキを連れて、はやく逃げるんだ……!」

「に、逃げるってどこに……か、母さんは?」

「母さんは…………殺された……」


 ショックだった。父親の口からそんな事実は聞きたくなかった。しかし、それが現実だ。ライオネルも母が生きているとはとうてい思えなかった。


「ヤツは強い。オレもどこまで持ちこたえられるかわからん。だが、お前たちが逃げられるだけの時間は稼ぐ」

「い、いやっ。わたしもおとーさんと一緒にいるっ!」

「…………ライオネル、ユキを連れてはやく行くんだ」

「で、でも……」

「はやくッ!」


 その時、ライオネルたちの前方の炎が轟ッ! と燃え盛った。

 爆発するように禍々しい魔力が爆ぜ、その中からゆらりと人影が現れる。

 全身が紅く、炎に包まれてソレが何なのか分からなかった。だが少なくともソレが母を殺し、父を殺そうとしているということは分かっていた。その光景はライオネルの記憶の中へと強く焼き付き、刻み込まれる。


「ライオネル、ユキを頼んだぞ!」


 父親の決死の、魂の叫びにライオネルはぎゅっと拳を握りしめ、そしてユキの手をとって走り出した。

 直後。

 ライオネルとユキの背後でひときわ大きな炎が爆ぜ、跡形もなく全てを破壊し、燃やし尽くした。

 ――――何度も何度も夢でみたあの忘れるはずもない光景。それを思い返しつつ、拳を握る。


「その炎……忘れるはずもねぇ……!」


 ライオネルは両親の仇である赤の魔人に向かって駆け出していく。


「お前が殺したんだ……! だから今度はオレが、お前を殺してやるッ!」


 『オリオン・セイバー』を眷現させてその刃を振るう。だが、対する赤の魔人は炎から巨大な斧を取り出してライオネルの一撃を受け止めた。


「良いねェ、その負の感情ッ! アンタみたいなのは嫌いじゃあないぜ!」

「黙れぇええええええええええええええええええ!」

 

 ギギギギギギ……! という歪な音が辺りに響き渡る。ライオネルは今、目の前の敵しか見据えていない。そこにソウジがいないことなど、気にもとめなかった。


 ☆


 その頃、ソウジは敵であるはずの、目の前にいる緑の魔人をじっと観察していた。攻撃してくる気配はない。どうやら、話があるというのは確からしい。


「……話?」

「ええ。アンタらにとっても悪い話じゃないわ」

 

 緑の魔人はそう言うが、仮にこちらにとって悪い話じゃないとしたらそれこそおかしい。相手は魔人。言うなれば敵だ。それがこちらにとって悪い話をしないというのは明らかにおかしい。ソウジが怪しんでいることは承知のようで、緑の魔人グリューンは構わず続きを口にしていく。


「アンタたちは邪人化しているあの子を止めたいのでしょう? 言っておくけど、あれはデータ収集用の試作品。それに今はあの子の中にある負の感情と深く繋がっているから結晶とあの子を引き離すのは難しいわよ。少なくとも、普通に倒すだけでは無理ね。あそこまで深くリンクしている状態で倒してしまえば、下手をしたら邪人として消滅してしまう可能性だってある。でも、あの子を助ける方法はあるわ」

「……………………」

「核さえ破壊出来れば、リンクを切ってあの子を助けることが出来るはずよ」

「それを俺に話してどうするつもりだ?」


 結局のところ、疑問はそこに集約される。これが罠とも限らない。確固たる証拠はどこにもないのだ。


「あの邪人化している女の子を助けることに、お前に何のメリットがある?」


 ソウジの言葉がグリューンに突き刺さる。今だって、自分がどうしてこんなことをしているのか分からない。だがグリューンは確かに、あの少女を助けたいと思ったのだ。自分の歌を好きだと言ってくれたあの少女を……。


「知らないわよ、そんなの」


 分からないからこそ、グリューンは吐き捨てる。


「でも、魔人のワタシがあの子を助けたいと思うのがそんなにもいけないことなの?」

「……さぁな」


 あの魔人は自分でも戸惑っている。なぜこんなことをしているのか。吐き捨てるように言ったグリューンのその言葉から、ソウジはふとそんなことを感じ取った。


「お前は……人間の味方、なのか?」


 グリューンはアイヴィを助けようとしている。それはつまり、人間を助けようとしているという事だ。

 だからこそソウジは期待した。もしかすると、目の前にいる魔人は人間の味方なのではないのかと。


「――――はァ?」


 瞬間、彼女の全身から魔力が迸った。その魔力は明らかに殺気に満ちている。ソウジはすぐさま戦闘態勢に移行し、攻撃に備えて構えた。


「勘違いしてもらっては困るわ。ワタシが人間の味方? ハッ、冗談も程々にしてほしいものね」

「どういう、ことだ? お前は、邪人化しているを助けようとしているだろう?」

「それは『あの子』だからよ。ワタシにとっては、他の人間がどうなろうと知ったことじゃないわ」


 ソウジは、どうやら自分が勘違いしていたらしいことに気づく。

 グリューンが今回、動いているのは『人間を助けるため』ではない。『アイヴィ・シーエルという少女を助けるため』である。


「まあ、いいわ。今ここでアンタを殺してもあの子を助けられないしね」


 それだけを言い残すと、グリューンは全身に風を纏ってその場から姿を消した。

 残されたソウジは、あの奇妙な魔人に首を傾げつつも、再び星霊天馬を出現させて邪人化したアイヴィのもとへと向かう。転移魔法は使えなくなっている。おそらくあの邪人や魔人が発する黒い波動の影響だろう。ソウジは同じく向かっているであろう仲間たちの事と、明らかに様子がおかしかったライオネルのことを頭の中に思い浮かべた。


 ☆


 フェリスたち『イヌネコ団』の面々は、ソウジたちよりも早くその現場に到着していた。目の前には邪人化して暴れるアイヴィであろう存在。そしてそんな邪人を止めようと防戦一方に回っているルークである。


「ソウジたちはどうしたのよ!?」

「まだ着いていないみたいですね……まさか、何かトラブルでも……」

「おそらくそうだろうな。多分、魔人でも現れたのかもしれない」


 オーガストの言葉にその場にいた全員が黙り込む。実際、あの星霊天馬を従えて現場に向かったソウジたちがこの場にいないことはそれぐらいしか説明がつかなかったからだ。ルークは星眷を眷現させているものの、邪人相手に苦戦している。いかに『皇道十二星眷』を有しているといっても、邪人相手では分が悪い。

 端的に言って、ピンチだった。


「とにかく、オレたちも加勢に行くしかねぇな!」

「……同意」


 真っ先にレイドとチェルシーが飛び出していった。そしてフェリスたちも、ソウジたちが来るまでここで黙って棒立ちしているつもりはなかった。邪人を倒すことは出来なくても、少しでも被害を減らすなりルークを守るなり、何かしらの事は出来るはずだ。


「『ヘルクレス・アックス』ッ!」


 爆発的な魔力が迸り、レイドの星眷である『ヘルクレス・アックス』が眷現する。身の丈ほどもある巨大な斧を振りかぶり、邪人とルークの間に刃を振り下ろした。瞬間、地面が爆ぜて巨大な爆発が辺りを包み込む。その衝撃に邪人は吹き飛ばされてしまい、距離が離れた。

 邪人は突然現れたレイドを見て首を捻る。が、その次の瞬間には、


「『リンクス・アネモイ』」


 チェルシーの星眷が眷現し、緑魔力で構成された矢を放ってきた。エネルギー状の矢をアイヴィは自身の邪気に満ちた魔力でガードする。魔力が爆ぜ、アイヴィには傷一つついていない。


「先輩、大丈夫ッスか!」

「レイドにーちゃんに、チェルシーねーちゃん? どうして……」

「どうしても何も、えーっと……」

「……先輩がピンチそうだったから、みんなで助けに来た」

「みんな?」


 レイドが説明に戸惑っているのを見かねてチェルシーが助け舟を出す。その後、クラリッサたちが駆け付けた。ちなみにルナとユキに関しては物陰からこっそりと見守っている。この場に出てきても自分たちに役立てることは何もないからだ。


「そ、そうだ。あ、アイヴィねーちゃんが……、怪物になって……それで……!」


 ルークが邪人化したアイヴィを見て体を震えさせていた。無理もない。口ぶりからすると、おそらく彼は見てしまったのだ。あそこまで必死になって心配し、探していたアイヴィが自分の目の前で邪人化するところを。ショックなのは仕方がないことだ。

 おそらく、ルークが苦戦していたのはその辺りの理由もあるだろう。


「アイヴィ先輩が?」


 フェリスは出来るだけ初見であるかのようにルークに話す。邪人の事を知っているかのような口ぶりは黒騎士の情報へと繋がる恐れがある。とはいえ、自分たちとて邪人に対して多くの知識を得ているというわけでもないが。


「あはははははははははははははははははははは!」


 そうゆっくりとする暇もあるわけではないらしく、高笑いしながらアイヴィが動き出した。全身から邪気に満ちた魔力を迸らせ、背中から大量の触手を出現させる。触手は怪しく蠢きながら真っ直ぐにルークたちに向かって突き進む。


「チッ、『ピスケス・リキッド』!」

「『ヴァルゴ・レーヴァテイン』!」


 二つの『皇道十二星眷』が眷現し、水の刃と焔の刃が触手を片っ端から撃ち落す。

 だが触手は絶え間なく次々と襲い掛かってくる。ついには二人でさえいくつかの撃ちもらしが起き、クラリッサが今度は星眷を眷現させた。


「『ケイニス・トルトニス』!」


 杖から雷を迸らせたクラリッサ。三人はたちまち全ての触手を撃ち落す。だが、撃ち落したところでそれをすぐに再生してしまう。

 このまま迎撃していくだけならソウジたちが来るまで持ちこたえられそうか――――そう思った瞬間。


 どぷんっ、と。

 アイヴィの姿が、地面の中に消えた。


『ッ!』


 この場にいるのは共に『交流戦』で戦ってきた者達だ。彼女の星眷の能力がどんなものか知っている。

 あらゆる場所に特殊な魔法空間を作りだし、そこに潜り込むことが出来る。それが彼女の有している星眷、『デルフィヌス・ダイバー』である。

 また、その魔法空間の広さは潜り込んだ対象物によって変わる。地面に潜り込んだということは、目につく限りの地面は彼女の領域となったと言ってもいい。簡単な話、どこから来るか分からない。

 フェリスたちはルークを中央に、互いの背中を預けるように円形の陣を組んだ。この辺りの連携は流石に淀みが無い。


(せめてソウジくんたちが来るまで、持ちこたえないと……!)


 自分たちにアイヴィが止められないことなど最初から分かっている。だからこそ、せめてソウジたちが来るまではルークを守らなければならない。それが今、自分たちに出来る精一杯のことだから。


「ッ!」


 微かな魔力の揺れを察知したフェリスが振り返る。後ろ。ルークのすぐ傍。その地面からまたもや大量の触手がさながら水柱のように飛び出してきた。背後からの襲撃。それを予測していなかったわけではない。


「『雷棘サンダーソーン』!」


 クラリッサは雷の棘を一気に放つ。そして空中で形状を変形させ、ルークを包み込むように展開する。そして雷の棘による結界はアイヴィの触手による攻撃をシャットアウトすることに成功する。


「むぎゅう……! けっこーキツイ……!」


 アイヴィの持つ青魔力、水属性の攻撃に対してクラリッサの持つ紫魔力、雷属性は属性の相性的には有利だ。とはいえ、相手は邪人の攻撃。通常の人間を遥かに上回るパワーアップを果たしたアイヴィの攻撃を一気に受け止めるのは、いかにクラリッサといえども負担が大きい。

 だが、一度受け止めたところでほかのメンバーたちが一気に触手を切り裂こうと攻撃を叩きこんでいく。


「あー、もう。ウザったいなぁ。邪魔しないで!」


 地面から飛び出してきたアイヴィが、そんなことを言いながら鋭い爪をクラリッサに向けて振り下ろしていく。しかし、そんなことをチェルシーが許すはずもなく、牽制として矢を放つ。そのおかげでクラリッサはかろうじて攻撃をかわすことに成功し、距離をとっていく。


「あァ、ウザい……ウザいウザいウザいウザいウザいぃいいいいいいいいいい!」


 ぐしゃぐしゃぐしゃぐしゃぐしゃっ! と頭をかきむしるアイヴィ。鋭い爪で自分の頭をかきむしった為にぶしゅぶしゅと赤黒い血のようなものが吹き出していく。ルークはそれを見るのが辛くて目を背けそうになるが、必死にこらえる。今の彼女から目を背けてはいけないと、心の中では決意を固くする。

 頭をかきむしり、血を吹きだす傍から彼女の身体は再生していく。それでも痛ましいことには変わりなく、かつての彼女のことを知っているだけにことさら辛い。

 邪気に満ちた魔力が更に迸り、周囲を圧倒していく。


「これ、かなりヤバいんじゃないの!?」

「……見ればわかる」

「これ以上、先輩をあのままにしておくのは危険です。けど…………」

「…………現状の僕たちではどうしようもないがな」


 彼女を救えるのは、鎧に身を包んだ騎士のみである。

 フェリスたちが手出しできずにいると、どんどんアイヴィの体が変形していく。バキッ、メキッと歪な音が響き渡り、彼女の体から牙のような、棘のような何かが生えてくる。あのまま放置しておくということは彼女の身を危険にさらすことになるということ。

 ダメージを与えることが出来なくても、せめて邪魔することぐらいはできるはずだ。


「おおおおおおおおおおおおお! 『ギガント・インパクト』ォッ!」


 レイドがアイヴィへと飛びかかり、その巨大な斧を振り下ろす。だがアイヴィは地面に潜り込み、その攻撃をかわした。レイドの一撃は地面を砕くだけに留まり、空振りに終わる。しかし、その直後。レイドの足を地面から生えてきた手が掴んでいた。正確には、地面の中の魔法空間にいるアイヴィの手が。


「うおわっ!?」


 アイヴィはそのままレイドを魔法空間の中へと引きずり込んでしまった。レイドは、アイヴィの作り出した魔法空間の中に放り込まれ、途端に息が出来なくなる。この空間は、どうやら水の中とそう変わらないものらしい。懸命に泳ごうとするが、そもそも出口が見つからない。単純に、このままこの空間に放置されたら息が続かず、死んでしまうだろう。


「レイド!」


 オーガストがレイドが引きずり込まれた地面に駆け付けるが、そこに行く前に地面の感触が変わった。そしてそれはオーガストだけでなく、フェリス、チェルシー、クラリッサ、そしてルーク。この場にいた全員の地面が途端に水のような感触に変質し、引きずり込まれる。


(このあたり一帯の地面を星眷の効果範囲内に!? 先輩の魔法が、邪人化したことで更に進化してる……!)


 フェリスはそんな分析を行うも、この空間から出る手段がまったく思い浮かばなかった。ここはアイヴィが作り出した空間である。よって、彼女ぐらいしか外へとつながるゲートを作り出すことは出来ない。

 そして、この空間の中を自由に動き回る者がいた。

 邪人化したアイヴィ・シーエルである。


「あははははははは! あはははははははははははははははははははは! ねぇ、ねぇ! もう逃がさないから!」


 全身がその凶悪な状態を表しているかのように変質してしまったアイヴィは、狂ったように笑いながらこの魔法の海の中を自在に泳ぎ回っていた。ここは彼女の、彼女のための空間だ。文字通り水を得た魚のように華麗に、そして狂気をはらんだ泳ぎを披露する。


「でもぉ……邪魔するやつを先に、やっつけるから。待っててね、ルークくん」

「あぐ……がほっ……」


 やめて、と言いたいのだろうがルークから言葉が出ない。喋れないのだ。そんなルークを見て再び狂ったような笑い声をあげたアイヴィは真っ先にレイドの方へと向かっていく。


(先にレイドを殺す気か!?)


 彼にもっとも近い場所にいたのはオーガストである。そして、アイヴィと同じ青魔力、つまり水の属性を持っていたおかげかこの空間にいち早く適応し、魔法を使ってレイドのもとへと向かった。

 体中の魔力を総動員させ、限界を超えたスピードで進んでいく。必ず間に合って見せる。その決意のもと、体を酷使しながら魔力を消費していく。ただただ必死な気持ちがオーガストの体を加速させ、レイドのもとへと駆け付ける。


(間に合え――――ッ!)


 魔法の海の水をかき分けたオーガストはレイドの前へと飛び出した。頭の中にはもう彼を救うことしかなく、そして盾になることしか考えていなかった。自分にはもう、これぐらいしかできることがなかったから。


「邪魔するなら死んじゃえ!」


 彼女はその宣言通り、鋭く、殺意に満ち溢れた爪でオーガストの胸を貫いた。


「――――!」


 その光景が目の前で繰り広げられていたレイドは目を見開き、何かを叫ぼうとしたが声が出ない。その代わりに酸素を消耗してしまうだけであり、自分の寿命をさらに縮めていく。何度も手を伸ばそうともがくが、水がその動きを阻む。

 フェリスたちも何かを叫ぼうとしていたが――――なぜかアイヴィ・シーエルだけが、胸を貫かれて重傷を負ったはずのオーガストを未だに警戒していた。


「なに、コレ」


 ポツリと呟きつつ、その感触を……胸を貫いたとは『思えない』感触に首を傾げる。

 瞬間、オーガストの体がバシャンッと弾けた。

 ただ弾けただけではなく、その体は完全に液状化している。そして液状化したオーガストはそのまま巨大な液体で構成された魚へと変化し、アイヴィが作り出したこの空間の中で自由自在に動いていた。

 液体の魚と化したオーガストはそのままアイヴィに向かって体当たりし、跳ね飛ばすとまた元の人の形へと戻る。

 オーガストは貫かれたはずの自分の胸に触れつつ、自分でも何が起こったのか戸惑っていたが、これが自分自身の星眷に秘められた力であることを理解した。

 元々、彼の星眷が有していたのは自由自在に魔力の液体を作り出すことのできる能力。そしてその本来の力は――――液状化。

 魔力で自由に液体を作り出すことのできるオーガストの星眷の真の力は、自分自身すらも液状化させることのできる能力だったのだ。


(息も……)


 ただ単に液状化の能力だけでなく、どうやら液体であるならばそれがたとえ魔法で作られたものだろうと干渉できるようになったらしい。このアイヴィが作り出した空間の中でさえ、息が出来るようになっていた。


「オーガスト……」


 どうやらオーガストの星眷の影響でレイドも喋れるようになったらしく、声をかけてくる。そんな彼に対して、オーガストは、


「どうした」

「お、お前、大丈夫なのか?」

「御覧の通りだ、ピンピンしてるよ。それに……ありがとう」

「ん? え、何がだ?」

「なんでもない」


 自分が星眷の本来の能力に覚醒できたのも、レイドを助けようと必死になったおかげだ。そのことも分かっていた。だからこそ、お礼を言ったのだ。

 オーガストの魔法の恩恵で、この空間にいる者たちが全員息が出来るようになった。自由自在に泳ぎ回れるというわけではないが、これで何とか目の前の生命の危機からは解放された。


「邪魔ばっかり……お前ら、嫌いだ!」

「むっ」


 アイヴィは今度は全身から触手を放出した。これまでのように迎撃しようとするが、いかんせん水の中なので動きが鈍い。オーガストの星眷の恩恵である程度は動きやすくなっているものの、満足に動ける、というわけではなかった。

 オーガストは液状化して触手をかわし、アイヴィへと接近していく。背後に回り込んで再び人の形に戻ると、槍を放つ。しかし、ここはもともとアイヴィの空間である。動きの分はあちらの方があった。

 槍の一突きを回避され、すぐに背後に回り込まれた。オーガストを無数の触手で貫こうとするが再び液状化ですり抜ける。とはいえ、使っていると自分の魔力がどんどん消耗していくことにオーガストは気が付いていた。

 この液状化はまだ発現したばかりなせいか魔力の消耗が激しい。あまり多用は出来ない。一気に形勢逆転かと思われたが、このままではジリ貧だ。


「ううっ……!」


 中でも一番キツイのは赤魔力……つまり、水属性に相性の悪い火属性の魔力の持ち主であるフェリスだ。水の満ちたこの空間において不利なのである。それを目ざとく見つけたアイヴィは、触手の狙いをフェリスへと変更する。四方八方からフェリスに向かって触手が襲い掛かり、囲まれたフェリスは焔で迎撃する。が、この水の魔力が満ちた空間では普段の半分以下のパワーすら出ない。


(撃ち落としきれない…………殺られる……っ!)


 確実に迫りつつある死。脳裏に浮かぶのは好きな男の子の顔。これがよくない予兆だということは簡単に理解できて、必死に生きるためにもがく。魔力を懸命に放出してパワーを高めていくが、敵の攻撃を防ぎきるには至らない。


 死という絶望が彼女を支配しようとした刹那。


 世界が、爆ぜた。


 ガラスを叩き割ったかのような音と共に、アイヴィの構築した世界が砕け散る。


「『魔龍斬デヴィルストライク』!」


 フェリスの一番聞きたかった声が響き渡り、黒い魔力で彩られた巨大な刃がアイヴィの触手を殲滅した。そして気が付けば、自分たちはアイヴィが作り出した魔法空間ではなく、現実世界に戻っていた。


「大丈夫か、みんな」


 声のした方向に顔を向けると。

そこにいたのは、


「ソウジ、くん……」


 世界で一番、フェリスが好きな男の子と。


「さあ、ここからが本番よ――――ソウジ」

「はい――――師匠」


 世界最強の星眷使い、ソフィア・ボーウェンだった。










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