第一章4『謝りたがりのハーフエルフ』
「つらいんだ。どんどん居場所がなくなっていくみたいで……」
「始くん、気を使いすぎてるのよ。周りに気を使って、自分の居場所を狭めてるんだよ。ほんとは誰もあなたのこと嫌ってるわけじゃないのに……」
「君は、来望は嫌ってないのか? 君は僕の友だちなんだよね……」
「うん、友達だよ――ずっと」
彼女の瞳は鈍い光で揺れていた。
そんな彼女の様子に、僕は気づかなかった。
気づかないフリをしていた。
「お願いだよ、僕のそばに居て……一人にしないで……」
「もちろんだよ。わたしはあなたをひとりぼっちにしたりしない」
「ありがとう来望。ありがとう……僕は、僕は――君のことが好きなんだ」
「……それ、本当? 本当なら嬉しい」
「うん、本当だ。君のこと、ずっと前から好きだった。ずっと一緒にいたいんだ」
「……嘘」
来望は今までみたこともないような、ゾッとするような冷たい目で僕を見た。
幼なじみのこんな表情、僕は知らなかった。僕は何も知らなかった。知ろうとしなかった。
「嘘なんでしょ」
感情のこもらない冷たい声でそう断じた。
「始くんは、わたしに嘘をついてる。わたしだけじゃない、自分に嘘をついてるよね」
「そんな、そんなこと……」
「ほんとはわたしのことなんか、好きじゃないんでしょ?」
「違う、僕は君を、来望だけが僕の……」
「わたしが始くんにとって都合のいい女だからでしょ? 優しくするから、抱きしめてあげられるから。そうだよね、あたりまえだよね、わたし始くんのこと好きだもん。ずっと好きだった。あなたが思ってるよりもずっと……ずっと好きだったの」
彼女の頬から涙がこぼれ落ちる。
後悔が積み重なって、降り積もって、深い、深い、海になる。僕の居場所を奪う。
「あなたをずっと見てた。だからわかるの、始くんはわたしなんかのこと好きになってくれない。あなたは誰も好きじゃないの……だから苦しいの……お願い始くん、わたしがかわいそうだと思うなら、哀れだとおもうなら、わたしを愛してよ!」
「僕は、そんな……君のこと本当に」
「だったら抱きしめて、キスしてよ! 始くんがわたしに、あなたの全部ちょうだい……。わたし、始くんのためならなんだってできるよ。だからあなたの心が欲しい、ニセモノの愛なんていらない。本物だけが欲しい。大事なのは真実だから……始くんがわたしだけのものにならないなら、わたしなにもいらないよ。だからね、始くん――」
――わたしを逃げ道にしないで。
第一章4『謝りたがりのハーフエルフ』
目が醒めた。知らない天井が見える。
悪夢を見た。この世界に来てから嫌なことばかり思い出す。ここはあの世界じゃないのに。
「……はぁ」
ため息をつく。良いこともある。僕は助かったんだ。城門警備隊に助けられて……あの隊長「ビッグ・D」を犠牲にして。
犠牲、か……僕らしくないな。こんな事を考えるのは。弱気になっているのか。
アマルガム――奴にはしてやられた。下手をしたら死んでいたのは僕だ。
これはゲームじゃない。命を落とすことだってありうるんだ。本物の命の危機に瀕したものは心に強い傷を負うという。自分がそう思っている以上に。
僕もそうなのだろうか。
「おめざめになられましたか、勇者さま」
森のさざめきのような綺麗な声がした。
僕がその方向を向くと、綺麗な女の子がそこに恭しく控えていた。
亜麻色のふわっとした長い髪を両側で二つ結びにした、いわゆるひとつのツインテール。その三次元において難易度の高い髪型に全く見劣りしない端正な顔立ちをした若い女の子だ。
右目がブラウン、左目が青色と、両方の目で瞳の色が違っているのが特徴的だ。
だけど妙な気配がする。人間とも魔族ともしれない、妙な気配。しかしアマルガムとは違う、あれはネガティブな違和感がまとわりついた。けどこの女の子には嫌な感じがしない。
「君は?」
「わたくしは神星セラエティア皇室にお仕えしております、召使いのリデルと申します」
リデルと名乗った少女は深々とお辞儀をすると、お盆を僕のベッド脇まで運んできた。
お盆の上に乗ったコップの水を僕に差し出す。
「お体の調子はいかがでしょうか、勇者さま」
「あ、ありがとうございます。でも自分で――っ」
僕はコップを自分の手で掴もうとするが、肩に走った痛みで腕が上がらない。
「いったぁー」
「無理はならさらないでください! わたくしがお手伝いいたしますから……」
僕はリデルさんが持ったコップから水を喉に流し込んだ。
ずいぶん喉が乾いていたみたいで、すぐに飲み干してしまった。
「ぷはっ……。あの、リデルさん。僕は何日くらい寝てたんですか?」
「はい、あの、運び込まれてからちょうど一日ほどだと思います」
「ってことは昼ごろか」
窓から差し込む太陽は明るい。
僕はまる一日倒れていたらしい。アマルガムにやられてかなり出血したからだろう。
だけど……。
「それにしては……痛みは残ってるけど傷は塞がってるみたいだ」
肩や脇腹、腕の傷は確かに痛むし違和感はあるけど傷自体はふさがっている。
血も出ていないし、包帯も巻かれていない。見たところ傷跡も残っていないようだ。
「治癒魔術……それもかなり強力な。これ、誰がやってくれたんですか?」
傷は深かったしかなりの出血があった。肉も削れて焼き切れていた。それを一日でここまで再生させるなんて、よほどの腕がある魔術医師でなければ考えられない。
そういえばさっきリデルさんは神星セラエティア皇室に仕えていると言った。皇室付きの医務官が出てきたなら確かに納得はできる。
「あ、あの。申し訳ございません。それはわたくしの仕業でございます」
リデルさんの口から出てきた答えは意外なものだった。
「君の?」
「申し訳ございません! お許し下さい、勇者さま……」
リデルさんは頭を下げ、震えながら謝罪を繰り返した。
「や、やめてくださいよ。どうして僕に謝るんですか。リデルさんは僕を助けてくれたんですよね、お礼を言うのは僕の方ですよ」
「しかし、わたくしごとき下女の卑しい魔術を勇者さまに……とっさの処置とはいえ、本来許されることではございません」
「……下女とか卑しいとか、どうしてそんなに卑屈なんですか」
「それは、わたくしは……その……」
「リデルさん、さしでがましいようだけど僕はそういう物言いは嫌いなんですよ」
「ひぅっ……!」
自分で思った以上に威圧的に言ってしまったのか、彼女は綺麗な顔をひきつらせた。
そしてまた頭を下げ、謝罪ラッシュを始めようとする。
「はいストップ」
僕は彼女の肩に触れて制止した。
「いいですか、よく聞いて。僕の顔を見て」
「はい……」
僕にひどいことを言われるとでも思っているのか、彼女は涙目で僕を見る。
「まず召使いが卑しいなんてのは職業差別だ。働くことは等しく辛くて、だから尊い。僕は働いてないからね、説得力があるでしょ? あ、あとリデルって呼んでいい?」
リデルはこくこくと頷いた。
「君は僕を勇者さまって呼んでるけど、僕は勇者さまじゃない、それはゲームの中のことで――まあそれはいいか。とにかく今はただの無職ひきこもりのただの男なんだ。僕はただのハジメ、君はメイドのリデル。僕は怪我人で、君は命の恩人ってわけだ。簡単なことだろ、僕らの関係は対等か、僕が下なんだ。君は謝る必要もなければ必要以上にへりくだる必要もない。わかった?」
「あの、しかし、わたくしはその……」
「人間じゃない、だろ。それに魔族でもない。たぶん亜人でもない。大丈夫、僕は気にしない。どこまで知ってるか知らないけど、僕はこの世界の人間じゃないからさ」
近くで見てわかった。彼女はおそらく「ハーフエルフ」だ。
髪に隠れた長い耳がちらりと見える。
純粋なエルフは金髪に蒼い目をしているけど、彼女は違う。
「……だから君が望むなら僕は君にへりくだるよ。だけど君がもし対等を望むなら……僕を名前で、ハジメって呼んでくれないかな」
「え、でも、でも……」
リデルは許容範囲の限界を超えたのか、顔を真っ赤にして眼をぐるぐる回していた。
危なっかしい、と思ったら案の定ふらふらと体勢を崩す。
「よっ、と」
僕は立ち上がり、倒れそうな彼女の身体を支えた。
痛みはあるけど傷はふさがっているから、一応動ける。
「あの、勇者さま……?」
「ハジメって呼んで」
顔と顔が間近の状態で指摘され、リデルは涙目で顔を赤くする。
「ハジメ……しゃまぁ」
「まあ合格だ」
微妙に噛んでいたのは大目に見よう。
ちょっと肩を触って暗示じみたことをしてしまったけど、ひきこもりの僕が下手に出られるのは本当に辛いのでこういう処置をさせてもらった。
僕は女の子を奴隷にする趣味はないんだ。召使い、いや、メイドさんっていうものは気高くあるべきなんだ。卑屈でへりくだるなんて間違ってる。彼女らは尊い存在なんだ。
「うう、申し訳ございませんでした。取り乱してしまって」
「いいさ。僕らは対等だろ。君が僕を助けてくれたから、僕も君を助ける。約束だよ」
僕はベッドに腰かける。
「それで君がそんなに自分を責めるのは――ハーフエルフだから、なんだよね」
「……」
リデルは無言で頷いた。肯定の証だ。
エルフは人間よりも遥かに高みにいる光の貴族。
そして噂には聞いたことが会った。まれに人間とエルフの間の子が生まれると。片目だけが青く、エルフを超える強大な力をもつことになると。
しかしエルフの出生率の低さ、人間との関わりの薄さが原因で、誰一人本物のハーフエルフを見たものはいないとされていた。あくまで伝説上の存在だと。
僕だってゲームの中ではそれなりに動きまわったけど、ハーフエルフを見たことはない。
「かっけぇ」
つい思ったことを口に出してしまった。
ゲーマーはレアリティに弱いのだ。
「へ?」
リデルは呆けた顔をする。あまりに予想外のことばが僕から出てきたのだろう。
僕だってそうだ。思ったとはいえ、口にだすなんて。
「い、いやごめん。君の個人的事情に踏み入ったというか、かっこいいなんて他人事みたいに言って」
バカだった。この子はあんなに自分を卑下していたんだ。
ハーフエルフ。人間と亜人の間の子。奇異の目で見られ、歓迎はされないだろう。少なくとも召使いという境遇がエルフ扱いされていない証拠だ。生まれながらの貴族、それがエルフなのに。
なのにかっこいいなんて、無神経過ぎる。だからコミュ障でひきこもりなんだ、僕は。
「あの……かっこいいって、ハジメ様はそう思われるのですか?」
「……ごめん。眼の色が違うとかそういうのかっこいいって思うのは思春期男子のサガっていうか……いやほんと、ふざけてるわけじゃなくて。ただ憧れるなーって」
何を言っているんだ僕は、こんな言い訳が許されるわけ――
「――うれしい、です」
「え」
「そんなことを言われたのは、初めてです」
リデルは涙を流していた。
美しいしずくだった。彼女の美しさなら、何をしても絵になりそうだった。
「ほんとはわたくしも、ちょっとかっこいいと思ってたんです」
そう言って彼女はにっこりと笑った。花のような笑顔だった。
悲しそうに謝るより、きっと笑っている方がずっと似合う。