第一章2『折りたたみ小屋の中で』
第一章2『折りたたみ小屋の中で』
日が落ちて、夜が近づいていた。
「まずい、もうすぐ夜だ。一回は切り抜けたけど、視界の悪い状況で魔獣にまた囲まれたら……。マリィ、君を守れるかわからない。だから――」
「それならだいじょーぶい!」
――プロヴィデンスに急ごう。そう言おうとした僕を遮って、マリィはゴソゴソとドレスに縫い付けられたポケットを探り始める。
何やら大量のガラクタがポケットの中から散乱しててんわんやになってきた。目当てのものはなかなか見つからないようだ。
「あれっ、あれれ?」
「何を探してるの?」
「ボクが作った『折りたたみ小屋』なんだけど」
「あ、それゲームで使ったことある。形はわかるから僕も手伝うよ」
「ほんとっ? じゃあお願いするねっ、ハジメはここのポケットの中を探して。奥まで手が届かないんだぁ」
そう言ってマリィが指さしたのはおしりのポケットだった。
「えっ」
「はやくっ、日が暮れたら危ないよ!」
「わ、わかった、わかったから僕の手をお尻に導かないで……」
仕方ない。マリィ自身の頼み事だし、今は命の危険があるんだ。
セクハラにはあたらないだろう。というかこの世界にセクハラという概念はないと思うし……。なんで僕は自分の心に言い訳をしているんだろう。
とにかく。僕はマリィのドレスにつけられた尻ポケットに手を突っ込んだ。
妙な感触だった。いや、彼女の尻の感触がじゃなくて――中は思った以上に広い。昔読んだ漫画のネコ型ロボットがお腹につけていたポケットがこんなイメージだ。中には無数のガラクタらしきものが収容されている。完全に質量は無視。
これ自体も特殊なアイテムなのだろう。
これならほんとに遠慮はいらないな。僕はおくまで腕を突っ込んでごそごそと探った。
「んっ……」
「……」
「あっ、そこは……」
「……マリィ、変な声あげるのやめてよ」
「こっちもなかったよ。じゃあたぶんここだね」
マリィは自分の胸元に視線を向けた。
「ハジメがこの中を探して、ボクは角度的に奥まで手が届かないから」
マジで……?
女の子の胸元に手をつっこむとかさすがに、さすがにいかんでしょ。
尻ポケットに手を突っ込むってのもなかったけど、人生十六年でここまでの体験をしたことなんてやっぱりなかったことだ。
「はやくっ!」
マリィは少し真剣になって急かす。
迷っている暇はない。どんどん視界が悪くなっている。
「ええい、ままよ!」
僕はマリィの服の胸元に手をつっこんだ。
「ひぁっ……」
「ちょっとマリィ、からかうのはやめ――」
「っ……ん……」
マリィは顔を赤くして、唇を噛み締めていた。
女の子のこんな表情初めて見た。なんというか……すごく、エロいです。
そうじゃなくて。
「ほんとに感覚共有してたの!?」
「さっきからそう言ってるじゃん。おしりもくすぐったかったよぉ」
知らなかった。
このポケットは使ったことのないアイテムだから、使用者に内部の感覚が伝わるなんて思いもしなかった。
「感覚があったほうがものの位置とかわかりやすいでしょ……んはぁ……」
言いたいことはわかるが、それでもものをなくしてたら本末転倒じゃないか。
「……ってあれ、たぶんこれだよ。あったよ『折りたたみ小屋』」
覚えのあるアイテムの感覚があった。僕は一気にそれをつかんで引き抜く。
「あぁっ……」
胸元から手を引き抜くと、マリィは妙にしおらしくなって地面にへたりこんだ。
「ハジメの、太くて……いっぱい感じちゃったよ。男の子、なんだね」
「腕の話、だよね。それ天然?」
「?」
「いや、いいよ。聞かないことにする」
そんなこんなでお目当てのアイテム『折りたたみ小屋』を探り当てた僕達。
さっそく使うために地面に置く。一件なんの変哲もない家屋のミニチュア。
屋根の上の煙突が起動ボタンになっていて、押し込んで離れると数秒後にほら、巨大化して本物の小屋になった。
僕が『終焉へのスタートライン』の世界で旅をしていた時も散々お世話になったアイテムだ。
耐久力がそれなりにあって、魔獣たちの外からの攻撃にもしばらく耐えられる。耐久力が尽きたら廃棄する使い捨てのアイテムで、それなりに高いけど旅では必須と言っても良かった。
「ボクが作った」と言っていたけど、その製作者がマリィだとしたら『時計諸君』って一体何ものなんだ。
「おいしー! これハジメが作ったんだよね、すごいすごい、さすが勇者さまだ!」
「勇者と料理スキルって関係あるかなぁ?」
「でも一人で旅してたんでしょ」
「まあ、そうだけど」
ぼっちなことを責められた気になって少し気が重くなる。ぼっちはこのように被害者意識が強いから取り扱いには注意が必要だ。
僕らは小屋の中に入り、ついでに倒した魔獣の死骸を回収して料理に利用していた。
小屋には料理道具もそれなりに揃っているし、僕も旅のなかで料理スキルを磨いていたから調理はそう難しくなかった。
VRゲームだからステータス上お腹は減らないとはいえ、キャラクターの体力は保たないから食べなくてはならない。
そういう無駄にリアルなところがプレイヤーに嫌われたんだと思うけど。
「そういえばマリィって『終焉へのスタートライン』の製作者なんだよね」
「うん、そうだよっ。あれはボクの超大作なんだー」
「そろそろ教えてくれないか。あのゲームをクリアしたら転移の術式が発動してこの世界に飛ばされた。ここはゲームの世界にそっくりだけどどこか違って……感覚に質がある。君は現実だからっていうけど、僕にとっての現実は――」
「――ニッポンの、トーキョーって街なんでしょ?」
「うん。確かに意識だけじゃなくこの世界に僕の身体が飛ばされたっていうのはなんとなくわかったよ。だけど身体能力は全く違う、ゲームと同じだ。どうしてなの?」
「この世界とキミの元いた世界は環境が全然違うからだよ。こっちは空気が綺麗で太陽にも栄養があるし、何より……『魔素』があるから」
「つまり、僕の身体は強化されたってこと? 今まで住んでた世界は環境が悪くて、こっちは僕の身体にとって環境が良いから」
「むしろこの世界の人たちより強くなってるんじゃないかなぁ。負荷をかけ続けた状態に今まで慣れきってた分、開放された今は身体が軽いでしょ?」
「それが……どっちかというとゲームの世界のほうが夢とかVR特有の浮遊感があって自由だったんだ。なのに今では地に足がついてるっていうか、不自由になった。たぶん身体的には同等になったけど、まだ感覚が追いついてないんだ……現実の僕は、勇者なんかじゃなくて――」
――ひきこもり、だから。
「そっか……ハジメは、さ」
マリィは少しだけ眼を伏せ、フォークを皿に置いた。
「ハジメはやっぱり、帰りたい? トーキョーに」
「……」
マリィの睫毛、長いな。
「別に」
短く答えた。特に思うことはない。
寂しくもない。未練もない。ないこと尽くめだ。それで良い。それでいいんだ。
「そっか」
マリィは笑った。今までの人形のように薄く軽い笑みとは違う。
小さな感情が見えた気がした。だから今までで一番、魅力的に見えた。
「じゃあさハジメ。なんでも聞いてよ、説明下手だけど答えられる限りこたえるよっ」
「そうだね、ありがたいよ。じゃあ次に聞きたいんだけど……ここはどこ?」
「ここはセラエティアの首都で……」
「そうじゃなくて、この世界が現実――つまり確かに存在するもう一つの世界だってことは納得したんだけど、じゃああのゲームとこの世界の関係は何なの? 君が製作者だって言ってたけど」
「そうだよ! この世界の天魔大戦の時代を模して、キミのクリアした『終焉へのスタートライン』は作られたんだ。っていうか、ボクが作ったんだけど」
「世界のコピー……信じられないけど、確かに辻褄は合う」
「『終焉へのスタートライン』は『神器』の力を使って作ったんだ。知ってるよね、『神器』の力は。それとその『残響』を受け継いだアイテムの名前も」
「『残響器』か……だけど一部の職人しか作れないって」
『神器』はこの世界における古代――神々が地上に生きていた時代『神代』の遺産だ。神が作り上げ、使っていた究極のアイテム。
僕がゲームの中で使っていた『デュランダル』も神代の武器で『神器』の一つだ。
そして『残響器』は神器の構造を模して作られた術式回路内蔵アイテムのことを言う。神の力の一部「残響」が宿っているから通常の魔術アイテムより強力。
そんなものを作れるとしたら――
「ドロッセルマイヤー……君はあの『盲目の時計職人』の関係者……いや、孫娘か。だったら超一流、いや。世界最高のアイテム職人ってことになる」
「やだなぁ、そんなに褒めないでよぉ」
マリィはむずがゆそうに頭をかいた。
どおりで聞いたことが会った。時計職人のドロッセルマイヤーという存在。
伝説の職人だ。伝説になっていつのはマリィの言うとおり『盲目の時計職人』である祖父のことだろうけど、その名前を継いでいて『残響器』を作れるマリィも相当な実力者に違いない。
「いかにもドロッセルマイヤー家の孫がボクなのです、えへんっ」
マリィが小さな胸を張った。
「あのソフトは『残響器』で、時空に干渉するタイプの『神器』の力を込めて作られた。そういうことだね」
「そうそう、そんな感じ―」
なんでもないことのようにヘラヘラというけど。
やっぱりこの子、すごいんじゃないのか?
「時空を越えてソフトを送って、クリアするものを待つ。誰かがゲームをクリアするとエンドロール後に発動する転移魔術によって、クリアした人間がこっちの世界に送られる……」
「まあ正確にはあの旅の行程すべてが儀式の一部なんだけどねー」
「理屈はだいたいわかったよ。僕の身になにが起こったのか。だけどまだわからないことがある。『目的』だ。どうやってここに来たのか、『方法』はわかった、あとは何故ここに来たのかだ」
「うーん、ボクそういうのよくわかんないんだよね」
「はぁ?」
「ボクもお偉いさんから頼まれたっていうか。ボクの雇い主の依頼っていうか」
「つまり、マリィに聞くより依頼主って人に聞いたほうが良いってこと?」
「うんっ」
なんという適当な……。
でも別に疑うこともない。マリィという人間は嘘をつくようには見えない。
これは根拠の無い信用じゃない。僕には人の嘘がわかる。筋肉の動きや呼吸、鼓動、発汗量、視線の移動を観察していればそう難しいことじゃない。
あの過酷なゲームをクリアするには、その程度のゲーム外でも使えるリアルスキルは必要不可欠だった。
とにかくマリィは嘘をついていない。知らないことは知らないというだけだろう。
多少は知ってるかもしれないが、説明が下手だから難しいというのが本音といったところか。
だったらこれ以上追求して混乱を加速させるよりも、一度やめにしたほうが良さそうだ。
「だいたいわかったよ。ありがとう、マリィ」
「どういたしましてっ」
「最後に一つだけ聞くよ、君の依頼主はどこにいけば会える?」
「もちろんそこはゲームと同じ。プロヴィデンスでセラエティア皇帝に会えばだいじょーぶ」
「なるほど、シンプルな答えだ。そういうの僕好みだよ」
「へへー、照れるなぁ」
「そろそろ休もうか。マリィ、明日は陽が登ったらプロヴィデンスに行こう。君の依頼人に会わないと。今日はもう遅いから眠らないとね」
「そうだね。じゃあねよっか、ハジメ!」
「うん……って――」
マリィは一つしか無いベッドに既に潜り込んでいた。
そうだった、この小屋は一人用だ。
「そこは、そこは公平にじゃんけんでしょう……?」
「え、なんで?」
「いや、なんでもない」
マリィの純粋な瞳を見ていると何も言えない僕がいた。
仕方ない、床で予備の毛布にくるまって寝よう。
「あれ、ハジメは床で寝ちゃうの? こっちきなよー。一緒にねようよぉ」
マリィは不思議そうに僕を見ながら、ベッドの空いたスペースをぽんぽんと叩いている。
確かにマリィは小柄で、大の男でも眠れる小屋のベッドは半分以上あまってしまっている。
なるほど。本当に無邪気なんだな。
なんというか、こういう子に邪なことを考えると本当にバチが当たりそうだ。
「じゃ、遠慮なく」
まあそんな程度でこんなおいしすぎるチャンスを逃すほど僕は遠慮深い性格じゃないけどね。
女の子と添い寝。十六年の人生で経験したことのない高次元の体験。
妹の小さい頃は少しくらいそういう世話をしてやったことはあるけど、小学校高学年くらいになったら「お兄ちゃんくさい、ちかよらないで」とか言い始めて――
いや、これ以上このことを思い出すのはやめよう。とにかく妹なんて生物は女の子にカウントしないし、完全にノーカンなのである。
「ハジメっておっきぃね。あったかいし」
僕が隣に横たわると、マリィは小さな身体をすり寄せてくる。
悪い気はしない。というか美少女とこんなに密着して嬉しくないわけがない。
「なんだかおじいちゃんみたい」
「――」
いや、そうでもないか。若干ショックだ。
「マリィ、僕はそんなに大柄じゃないし、体温はからだのちっちゃい君のほうが高いし、そもそも僕はおじいちゃんって歳じゃ――マリィ?」
「すぅ……すぅ……」
僕の胸の中ですでに寝息を立て始めていたマリィ。
なんだか昔の妹を思い出す。いや、アレはノーカンなんだ、忘れろ。
この子は美少女だし小柄だけど歳だってたぶん僕と近いくらいだし……。
細かいことはいいんだ。ついにやったんだ。
美少女と一つ屋根の下、しかも同じベッドで添い寝。なんて幸福だ、男の夢だ。
神様仏様ありがとう!
今夜はぐっすり眠れそうだ。
……。
なんて考えてたけど。
眠れるわけがない。
なんで女の子ってこんなにいい匂いするんだろう。それによくよく考えたら重そうなドレスからシャツ一枚に着替えたマリィの胸元がちょっときわどい感じに見えそうで……。
いや、胸は小さいし僕はもちろん大きいほうが好きだけど、やっぱり身体を縮めて谷間ができちゃってたら気になるじゃないか。
ていうかむしろ貧乳な女の子の谷間って最高じゃないか?
もう開き直るしかないでしょ。いや、触ったりはしないよ?
ただ恥的――じゃなくて知的好奇心にかられて……その、この非常に良い匂いがどこから出てきてるのかを確かめなきゃ眠るに眠れないじゃないか。
小学校の時理科の実験が大好きで「リカちゃん人形大好き太郎」と呼ばれていた僕の探求魂は伊達じゃないんだよ。くんかくんかするのは……あれだ、自然の摂理なんだよ。
いただきますっ!
僕はマリィの胸元に顔を近づける。女の子のフローラルな香りが鼻いっぱいに広がる。
すごい、なんて麗しいんだ。女の子は砂糖菓子か何かでできているのか?
でもまだよくわからないしな。探求魂も満たされない。
もっと先へ進むんだ――
「――おじい……ちゃ……いかないで……」
「……」
「ひとり……しない、で……」
涙。胸をぎゅっとつかむ小さな手のひら。
……やめた。
「はぁ、ねよ」
目を閉じる。
何やってんだか、僕は。こんなに小さくてか弱い女の子に。
はぁ。こんなんだからあの子にもきっと――
っ――ダメダダメダ。思い出すな。ここはあの世界じゃない。
日本じゃない。東京じゃない。
ここには母さんも妹も、あの子もいない。
ここには僕しかいない。ひとりぼっちだ。
そしてきっと、この子も――
「おやすみ、マリィ」