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第三章10『後悔の海に沈む世界、そして真の勇者』

 アンジェは窓の外から空を見る。夜になろうとしていた。

 ハジメの世界も、今は夜なのだろうか。

 そこに星は視えるのだろうか。


「……父上様、流れ星が」


「巨星堕つ、か」


 皇帝が呟く。

 セラエティアの最大宗派である星神教会では、星の光は偉大な人の魂の、永遠の輝きなのだと伝えられていた。

 そして流れ星は、偉大な魂がまた一つ堕ちてゆく、その証なのだと。


「……わらわは、信じておるからな。旦那様は誰とも違う、旦那様にしかできない選択をしてくれると」



      第三章10『後悔の海に沈む世界、そして真の勇者』



「ハジメさまっ!」


 リデルたちが駆け寄ってくる。


「ゆーしゃ、やったんだな」


「ふ、ふんっ。当然よ、あたくしたちがここまでお膳立てしてやったんだから」


 ピスケスとリザも、安堵の笑みを浮かべていた。

 アマルガムは呪いから開放され、光に還った。

 世界を崩壊させようとしていた術式も、マリィによって書き換えられ、正常に戻った。

 僕たちは、勝ったんだ。


「これでようやく、一件落着ってわけだ。マリィ、帰ろう。おじいさんが待ってる」


 僕はマリィに手を差し出す。


「……」


「マリィ?」


 だけどマリィは俯いて、動かない。


「どうしたの?」


「ハジメ……ごめんね」


 どうして。

 どうして謝る?


「いきなり何を……」


「一緒には帰れないんだ。ううん、もともとボクたちは、一緒にはいられなかったんだよ。一緒にいちゃ、いけなかったから……これで、お別れ」


「それって――」


 その時、大切なことを思い出す。

 そうだ、マリィは術式を書き換え、世界崩壊は阻止した。

 だけど根本的な問題は解決していない。

 マリィが「時詠の巫女」として達成しなければならない役目は、まだ終わってない。

 彼女はカルヴァリオにまで堕ち、そこから神器の管理者として世界の安定を保たなければならない。

 どれだけ時間がかかるかわからない。だけど……長い間、たった一人になる。

 そうしなければ、アマルガムが何もしなくてもすべての世界に悪影響をおよぼす。


「マリィ、だめだ……そんなの。君がそこまでする必要なんて」


「ううん」


 マリィは首を横に降った。決意を固めた表情だった。

 マリィの背後に光の扉が出現する。あれはポータルにつながる扉。

 その最終目的地はカルヴァリオ。


「ボクが生まれてきたのは、この時のためだったから」


「そんなの……おかしいだろ。君だけがそんな運命なんて……外の世界に出られないまま、ずっと閉じ込められたままなんて……そんなの、理不尽過ぎる」


「だけどハジメは自分の運命を受け入れた。選ばれし者として、ただ勇者の道を受け入れたんじゃない。自分で勇者になることを選んだ。ボクだって同じだよ……たった一人孤独でも。囚われて、動けなくても。もう怖くなんてない。ハジメと会えたから」


 光の扉がマリィを飲み込んでゆく。

 彼女の姿が少しずつ消えてゆく。見えなくなってゆく。


「大丈夫、ハジメたちはちゃんと、元の世界に戻すから。だから――」


 ――いままで、ありがとう。


 そうやって、いつものように無邪気に、ニッコリと微笑んで。

 マリィの姿は扉の向こうに消えた。


「……そんなの、認められるか……!」


「ハジメさま、何を……ハジメさまっ!!」


 リデルの制止も聞かず、僕は閉じようとして、すでに細く消え去りそうになっていた光の扉に、一気に飛び込んだ。

 眼の前が光に包まれる。身体が分解され、再び再構築される。

 次元転移。

 その先にあったのは――ポータルではなかった。


「なんだ……ここ」


 どす黒い闇が渦巻く、息苦しく、重苦しい空間に僕はいた。

 まるで深い深い、海の底のように。身体が動かない。沈んでゆく感覚。


「マリィ――!」


 僕はそのさらに深い場所に、沈んでいくマリィの姿を見つけた。


「ハジメ……どうして来たの?」


「君が……独りになるなんていうから!」


「だめだよ……ここはレーテ。忘却の海……すべての後悔が沈む場所。身体を縛られ、絡め取られて……決して動けない」


「レーテ……後悔の海……?」


「世界は海に浮かぶ泡だって、ハジメもそう聞いたよね。ここはすべての平行世界が浮かぶ基板になってる場所……壊れた世界の残骸が行き着く、すべての還る場所。原初にして終焉の海。この底に、カルヴァリオがある」


「何言ってるのか全然わからないけど、そこに沈む前に、君を引き上げればいいんだろ!?」


「……ううん」


 マリィは悲しそうに首を横に降った。


「ハジメだけなら、まだ間に合うよ。外の世界に返してあげられる。だけどもう、無理なんだよ……ボクがカルヴァリオに行かなきゃ、世界全部がここに沈んで、浮かび上がれなくなる」


「そんなの、誰が決めたんだ!」


 僕は必死に手足を動かし、マリィに追いつこうとする。だけど全然ダメだ。

 身体が進まない。浮かびもしない。ただ、沈んでゆくだけ。

 底のない沼に、ただ、無情な闇の中へ。


「誰が決めたかなんてわからないよ。だけどこの世界には曲げられないルールがあって、運命があって、それはどんな強い力でも、魔法でも変えられない。……ボクたちはそんな力を神様って呼んでる」


「だったら……! 僕が変えてやる、神様だろうと、運命だろうと、そんなの関係ない!」


「ハジメ……」


「マリィ、君は僕に、自分を見つけてくれたって言ったよね。だけど僕だって感謝してるんだ、君に見つけてもらえなかったら、僕はここまで来られなかった。塞ぎこんで、何者にもなれないまま……世界を恨んで、いつかアマルガムみたいに、世界の敵になってたかもしれない。だけど――今の僕は勇者だから。君が勇気をくれたから……だから!」


 僕は手を伸ばす。

 届かないかもしれない。動けないかもしれない。拒絶されるかもしれない。

 怖い。

 ずっとそうやって、世界と関わることを避けてきた。


 それでも手を伸ばす。

 何度だって手を伸ばす。

 それが勇者の道だから。

 僕の選んだ道だから。


「君が僕を信じてくれた! だから僕も、信じられたんだ。人の心を、世界を……僕は君に――いなくなってほしくない!!! 世界なんてどうだっていい、君にいなくなってほしくないんだ!!!」


「……!」


「だから手を伸ばせ、マリィ――!」


「ハジメ……ハジメ……ボクも……ハジメを……!」


 マリィがゆっくりと、小さな手を掲げ。僕の手に向かって伸ばす。

 だけど足りない。届かない。

 僕とマリィの間には、重く、固く、厚く。見えない壁があるようだった。

 僕らが交わるのを阻む壁。これが神様の用意した運命という奴の産物なのか。

 これで終わりなのか? せっかく勇者になれたのに。

 一番届かせたい場所に、この手は届かないのか?

 違う――僕は勇者だ。


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!」


 そんな壁なんて、ぶっ壊してやる。


「運命と戦えって言うなら、神に立ち向かえって言うなら、やってやる!!! 届けえええええええええええええええええええええええ!!!!!!」


 僕の手が、二人を分かつ見えない壁を徐々に壊してゆく。

 引きちぎれるように、ひび割れるように。

 小さく裂け始める。


「ハジメ――!」


「マリィ――!」


 僕らは手を伸ばす。

 人と人とは分かり合えない。本当に心の底からつながることなど出来ない。

 この壁は、そんな運命そのものなのだろう。僕たちは一人だから。

 マリィは僕じゃない。僕はマリィじゃない。一つになんてなれない。

 ずっと一緒になんていられない。

 わかってる。


 それでも今――僕らの指先は触れ合う。


 闇を切り裂くように、触れ合う指先から小さな光が生まれ。

 拡がってゆく。拡がってゆく。

 巨大に、この海すべてを照らすように。まるで一つの新星のように。


 ――。


「――ここは……」


 再び身体と意識が断絶し、気が付くと見覚えのある場所に立っていた。

 僕の腕の中には、マリィの小さな身体が抱かれ、眠っている。

 あの強い光で気絶したまま、まだ眼が覚めないようだ。だけど呼吸している。生きてる。


「カルヴァリオか……」


 僕らはカルヴァリオの中にいた。

 マリィの言うとおり、完全に堕ちたのか? それとも……。


「来たか、小僧」


「おじいさん」


 僕らの前に、マリィの祖父が立っている。

 まるで僕らを待っていたかのように。すべてを悟った顔をして。


「マリアンヌを追ってきたのじゃな。愚かな……」


「確かに、愚かかもしれないね。僕もそう思う」


「わかっていながらも、マリィを選んだのじゃな」


「……ああ」


「じゃが、わかっているはずじゃ。こうしている間にもゆるやかに崩壊現象が進んでいるはず。世界は混濁し、混じりあい、今は各々が独立を保っている平行世界がすべて重なり、はじけ飛ぶことになる。そうなれば生物の心もすべて混じりあい、レーテに沈む。中途半端なまま、成就されず積み重なった後悔の集積として。それは変えようのない事実、いかにお前が勇者だからといえど、な」


「わかってる」


「では、どうする?」


「……おじいさん。僕って時計職人の才能があるんじゃないの?」


「――!」


「図星だね、表情でわかったよ。これは僕も確証があったわけじゃないんだけど、あの時――マリィと一緒に知恵の輪を解いた時。思ったんだ。なんであの知恵の輪は二人用だったのか。あの複雑性を理解できる資質とは何か……」


「お前の言うとおりじゃ。あの知恵の輪は、時計職人の修行のために作った。正確に言えば、父と子、師と弟子が、その技術を伝えるために。そして……『つがい』を見つけるためにな」


「そう、『つがい』だ。本来、時計職人と時詠の巫女は二人で1セットの『つがい』。だけどマリィは女の子一人で兼任。本来対応する時計職人がいるはず……僕が、そうだったんじゃないの?」


「……驚くべきことに、な。ものの構造を理解し、術式を解析する。そんな資質をもったものはめったにおらん。ましてや、異世界の人間がそれを持っているとは」


「だったら……僕がマリィの代わりにここに残る」


「何……?」


「時計職人の資質はあっても、力はまだ足りないかもしれないけど。そこは勇者だからね、補えるんじゃないかと思う」


 僕はさっき、アマルガムの術式のコントロールを奪った。

 これはマリィの使った術式の解析と書き換えに似た能力だ。

 時計職人の資質と勇者の力、二つがあってやっと実現できた。


「ま、要するに、だ。僕ならマリィのかわりに神器を安定化させるくらいはできると思うんだよね。おじいさん、正直に答えてよ。――できるんだよね?」


「……お前に嘘は通用せんのだったな。ああ、そのとおりじゃ。ただし、『人柱』になる必要がある。お前自身の剣『デュランダル』を心臓に突き刺し、カルヴァリオに自身を封印することが条件じゃ」


「……なるほど、そういうこと。アマルガムがこっちに来た時は、どうやって儀式を終了させたのかと思ってたけど。勇者が人柱になったってわけね。その先代勇者様は僕が剣を抜いたあと、どこへいったのかな」


「さあ、ワシにもわからん。ワシがここに転移した時には、すでに姿が消えていた」


「まあいいさ。前例があるならできる保証があるってことだね。おじいさん、マリィを頼むよ」


 僕は気絶したままのマリィを床に寝かせ、デュランダルを構えた。


「迷いはないのか?」


「ああ、覚悟ってやつを決めたからね」


「覚悟、か。お前には似合わん言葉じゃ」


「ははっ、そうだね。僕もそう思うよ」


「小僧――剣を収めろ」


「どうして? このままじゃ……」


「先代勇者様は、お前ごときよりずっと徳の高いお方じゃった。前例があるとはいえ、人柱として異世界人が許されるのかもわからん。実際のところ、何もかも不明瞭で博打にしかならん」


「ちょ、さっきはできるっていったくせに、いまさら――」


「――ワシがやる」


「は……?」


「ワシが人柱になる。お前よりも時計職人としての力も、格も上じゃ。ワシが人柱になれば、世界の崩壊は止まる。お前よりも、確実にな」


「何いって……そんなの」


「若造が、貴様ごときに口出しされる筋合いはない」


 おじいさんが僕をギロリと睨む。


「マリアンヌも、貴様も、所詮まだ子どもじゃ。そんな未熟ものにこの重大な儀式を任せてはおれん。世界の存亡がかかっているのじゃ」


「だけど……!」


「行け、小僧!」


「……っ!」


「マリアンヌに手を伸ばしたのじゃろう、共に生きていくと言ったのだろう! その言葉を、マリアンヌへの想いを、お前はすべてウソにするつもりか! ワシは絶対に許さんぞ、貴様には、マリアンヌを幸せにする義務がある!」


「そんなの……あんたがそばに居てやればいいじゃないか。家族なんだろ……僕なんかよりずっと、マリィを幸せにできる! そう願ってたんだろ、ずっと!」


「……いいや。ワシはマリアンヌを幸せにはできん。悲しみから守ることしか。じゃが、それこそがマリアンヌを悲しませていたのじゃ。お前と出会ってわかった。マリアンヌには、笑顔が似合う。あの子には、ずっと笑っていて欲しい。それでもワシでは……」


「そんなことない! そんなことあるわけがない、家族なんだろ、一緒にいてやれよ!」


「だったら……お前がマリアンヌの家族になってやれ」


「……!」


「『つがい』なのじゃろう。できるはずじゃ」


「……本気、なんだね」


「何度も言わせるな。まだ若造には負けんよ。もう行け――勇者よ。どこまでも飛んで行け、そしてマリアンヌの当たり前の人生を、外の世界を……一人の女としての喜びを。与えてやってくれ。ワシには何一つあの子にあげられなかった。お前なら……できるじゃろう」


「おじいさん……」


「もう時間がない。行け――勇者ハジメ!! 翔べ――!!!」


「うああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」


 僕はマリィを抱き上げ、雄叫びと共に地面を蹴り、跳んだ。

 勇者になった今なら、僕は飛べるだろう。どこまでも飛べる。

 あの星空を。


 カルヴァリオから星空の世界に飛び出す。

 今まで僕らが星空だと思っていたその闇が、レーテだった。

 レーテに浮かぶ、人の強い意思や願い、その残骸がくすぶる焔となって燃えている。

 それが星の正体。神器の内部から見上げる、「星空」は、すべて後悔の海だった。

 僕は勢いをつけ、そこに突っ込む。

 浮上しろ――浮上しろ――!!

 しかし重く粘性の液体のようなレーテの大気がそれを阻む。

 僕らを絡めとり、取り込もうとしてくる。


「くっ――!」


 おじいさんが信じてくれたんだ。こんなところで立ち止まるわけにはいかない。

 マリィと一緒にここを出るんだ。

 外へ。自由な青空へ。

 上を向く僕の眼に、きらりと光る何かが見えた。


「あれは――っ!」


 釣り針。


「ってことは……!」


 そうだった。今更思い出した。

 僕は一人じゃない。マリィもそうだ。最初からそうだ。

 僕には、仲間がいる――。


「――ピスケス!」


 あれはアルレシアの絃だ。残響器アルレシア、異世界にも伸ばせる無限の絃。

 そしてその能力は「全てを釣り上げる」こと。

 だったら……!


 僕はその絃に手を伸ばし――確かにこの手につかみとった。



 第三章・終わり

第三章終了です。

残りはエピローグです。

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